暁の大地

光の花

 フードを深く被った小さな人影が、小走りに雑踏を駆け抜けていく。
「ちょっと、一人で変なとこに行かないでよ……」
 人影は慌てて連れに追いつくと、小さな声で非難を訴えた。キルファだ。
「ああ、済まん」
 腕を引かれ、フードの下から自分を睨み付ける視線に気づいたダレットは、曖昧な笑みを浮かべてそれに答えた。
 延々と連なる山を歩いてしばし、久々に彼らは平野の街にたどり着いていた。『街』の名を冠され、その証左たる城壁を持つ以上、人間の住む場所である。
 普段は野宿の多いダレットたちであったが、旅をしていると、どうしても途中で買い足さなくてはならない物が出てくる。そのため、ダレットとキルファが買い出しにやって来たのだった。サリクスは街の外で待機である。
 キルファにしてみれば、いつ自分の素性がばれるかと気が気でない。一方、ダレットはと言えば、元が人の多い王都育ちであるから、大通りを歩いて面白そうなものがあるとそちらにふらふらと歩いていってしまう。その結果が、さっきのやりとりであった。
「ったく、さっさと目的を果たして戻るってことが出来ないのかしら」
 ダレットの腕を捕まえて歩きながら、キルファがぶつぶつと言った。
「良いじゃないか、そんなに焦らなくても……」
 まだ機嫌が悪いキルファに、ダレットはのんびりと笑いながら言う。
「特に目的のある旅でもなし、急ぐ理由もないだろ」
「前にさんざん人を待たせて夕飯抜きになったのは誰だったかしらね」
 ダレットの言葉に、キルファは冷ややかに答えた。
 そもそも人の群が彼女は苦手なのだ。見知らぬ者……人間であれエルフであれ……と出会うと、まず敵意がないかを確認してしまう。一度に多人数の顔色を伺うという作業は、苦痛以外の何者でもない。
 出来ればさっさと用を済ませて外に戻りたい、というのがキルファの本音であった。
 本来なら、買い出しをダレット一人に任せて、キルファもサリクスと一緒に街の外にいても問題はないのだ。実際、普段はそうするのだが……今回ばかりは仕方がない。
「ええと、調味料と干し肉と薬とナイフの補充分と、こんなもんで良かったか?」
 抱えた大きな袋の中にちらりと視線を落とし、ダレットは言った。キルファも小さく頷く。
 ダレットの長剣やサリクスの長柄戦斧はともかく、キルファの投げナイフは消耗品の武器だ。戦闘後に出来る限りは回収するのだが、例えば獲物がナイフが刺さったまま逃げてしまった場合には不可能である。そのため、度々買い足す必要が出てくるのだ。
「で、残りは……」
 ちらりとキルファを見るダレットに、キルファは小さくため息をつく。
 買い出しのほとんどの物品はダレットに任せても大丈夫なのだが、どうしてもキルファ本人が出て行かなくてはならないものが一つだけある。
 服だ。
 一般家庭では、服は布を買っていって各自が家で仕立てるのが普通である。だが、旅をしているダレットたちはさすがにそんな真似は出来ない。普段着と頑丈さを重視した旅装束はまた違うから、どうしても割増料金を払って既製服を買うか、店で作ってもらう必要が出てくる。
 これがキルファの悩みの種なのだ。服を買うとなると、どうしてもフードを外して顔を見せなくてはならない。
「さて、何処に店があるかな……」
 ダレットはのん気に通りを見渡している。それを半眼で睨み付け、キルファはまた小さく息を吐いた。

 店に二人が足を踏み入れても、主人らしき強面の男は愛想笑い一つしなかった。
「ええと……」
 ダレットが物珍しげにきょときょとと棚を見回す。
 キルファが見当を付けたのは、どちらかと言えば武具を中心に扱う店だった。旅装束が必要な者……旅をする者というのはさほど多くはなく、職種も限られる。行商人や傭兵などだ。そのため、まとめて扱っておいた方が客も店側も便利だし、何かと融通が利く。
「済みませんが、この子の服を……」
 ダレットが精一杯の愛想笑いをしながら言う。言われて、ようやく主人が顔を上げた。
 この主人も元は傭兵だと思われた。顔に何本も走った古傷を隠そうともしていない。ダレットの腰の長剣にちらりと視線をやり、無愛想に頷く。
「こっちの坊主かね。あんたはいいのか」
 その言葉に、フードの下でキルファが密かに額に青筋を浮かべた。
「坊主じゃなくて、女の子ですよ」
 ダレットが苦笑しつつ言う。キルファがむっとした顔でフードを跳ね上げた。
 尖った耳と鮮やかな紫の瞳に、強面の主人も一瞬目を見開く。だが、それだけだった。人間とエルフが入り交じることもある傭兵だからこその反応だろう。他の人間なら、もっと騒ぎ立てる。
 キルファがこの店に見当を付けたのは間違いではなかったわけだ。騒ぎになるかと思わず覚悟したダレットも、小さく安堵の息を吐く。
「道理でチビだと思ったよ。まあ、それじゃあ坊主だろうと小娘だろうと変わらんがね」
 言うと、主人はキルファの胸にいきなり手を当てた。お世辞にも大きいとは言えない……いや、身も蓋もなく言えばかなり小さい胸の膨らみが、服の下からその形を浮かび上がらせる。
「女だと言われたきゃ、もっと胸と尻をでかくしてから来るんだな」
 ごつごつとした声で言いつつ、主人は布と道具を取りに奥に入っていった。
「あ……あのクソ親父……」
 主人が姿を消したのを確認してから、キルファは小さくうめく。目にかすかに涙が浮かんでいた。女に遠慮がないのは傭兵の常とは言え……さすがにびっくりしたらしい。
 彼女とて、年頃の少女なのである。
「人がこっそり気にしてることを……」
「お前、気にしてたのか? 胸がないの」
 キルファの呟きに思わず突っ込んだダレットは、次の瞬間に鼻柱に拳を叩き込まれた。
「どいつもこいつもっ!」
 拳を握ったまま、キルファが喚く。
「あんたらが輪になって踊ろうと痴話喧嘩しようと構わんがね。よそでやってくれ、やかましくてかなわん」
 いつの間にか道具を持って戻ってきた主人が、後ろから淡々と言ってきた。キルファがぎろりと主人を睨み付ける。
「とっととこっちに来な。大きさを調整してやるから」
 無愛想に主人が言った。同時に、無造作に大きな籐籠を開けてキルファに見せる。
 籐籠の中身は既製の服だった。陳列されている商品の中に見あたらないと思ったら、奥に仕舞ったままだったらしい。
「こいつの中から適当なのを選びな。欲しいのがなかったらよそに行ってくれ、調整くらいはしてやるがな」
 言われて、キルファとダレットは服を覗き込んだ。
 キルファは真剣な顔で服を見比べている。どれも彼女の体格より大きかったが、それは調整してもらえば何とかなるだろう。横で、ダレットはかすかに眉を寄せている。
 ダレットには服飾のことはさっぱり分からないのだ。貴族の息子であるから、豪奢な服をいつも着ている立場だったはずなのだが、父が質素を好んだせいか、着飾ることには興味がないまま育ってしまった。とかく豪奢を好む貴族の中にあっては、変わった性質であったが。
 しばらく悩んだ末にキルファが選んだのは、今まで着ていた服とあまり変わり映えしない意匠のものだった。白と黒を基調とした、頑丈そうだが飾り気のない代物だ。
「たまには違うやつを選べば良いのに」
 横からダレットが言った。
「良いのよ別に。これが気に入ってるんだから」
 キルファは何処かふてくされたように言った。頑丈第一の旅装束であるから、洒落たものなどはほとんどなかったし、どうせフードとマントを被れば見えなくなってしまう。
 街で最新流行を着て歩く少女たちに、憧れたことがなかったわけではない。だが、自分には縁遠い世界だと諦めて久しかったし、今の自分が着飾っても何の役にも立たない。
 ダレットがまた口を開く前に、主人が淡々と言った。
「それで良いか。じゃあこっちに着な、大きさを合わせてやる。それだけチビだと面倒でかなわん」
 言いつつキルファを手招きする。彼女も素直に従った。
「兄ちゃんはそっちで待ってな。裸が見たけりゃ夜に存分に見てくれ……」
 またも主人は言う。思わず繰り出されたキルファの拳を、主人は何事もなかったかのようにひょいと避けて見せた。

「こんなもんかしらね」
 キルファがくるりと一回転して見せた。
 卑猥な冗談を置いておけば、この主人の腕は良かった。素手で首でもねじ切れそうな体格とは対照的に、手先は器用だった。キルファが選んだ服を手早く彼女に合わせて調整し、武器を携帯出来るように何カ所かに細工を施していく。
 服のあちこちに買ったばかりのナイフを仕込み、キルファはようやく落ち着いたとでも言うように息を吐いた。
「何か、この重さがないと変な感じなのよね」
 なおも自分の身体のあちこちを見渡し、キルファは呟く。
 ダレットはその様子を横で眺めている。選んだ服が今までとあまり変わらない代物だったので、思わず拍子抜けしていた。もっと印象が変わるかと思っていたのだが。
 キルファはダレットを見たままじっと黙っている。その意味が分からず、ダレットはわずかに首を傾げた。
「……兄ちゃん、あんた女に鈍いとか何とか言われたことねえか?」
 しばらくその様子を眺めた後、主人が呆れ返ったように言った。
 ダレットは虚空を眺めて考え込んだ。まあ、言われたことはある。……もっとも、兄共々、姉にさんざんに言われたのだったが。
「一言くらい、言ってやることがあるだろうがよ。なあ、坊主」
「坊主じゃなくて!」
 主人の言葉に、キルファがしっかり反論している。それを横で聞きながら、ダレットは尚も考え込んだ。
「……ああ」
 相当の時間が経ってから、ぽん、と手を打つ。
「似合ってるよ……、か?」
 自信なさげに呟いたダレットに、主人は大仰にため息をついて見せた。
「遅いんだよ、たったそれだけのことが」
 聞こえよがしに主人が呟くのが聞こえてきた。ちらりとキルファを見てみれば、まだ憮然とした顔をしている。
「……済まん」
 ぺこんとダレットは頭を下げた。
「それじゃ、後はあんたらで勝手にやってくれ。夫婦喧嘩は犬も食わねえってな。その前に金は払って行けよ」
 いい加減二人につき合わされるのに嫌気がさしたか、主人がまた嘆息しながら言う。
「誰が夫婦喧嘩よ!」
 キルファがまたも喚き散らした。
 主人が提示した金額は、安いとは言えなかったが、特別に高くもなかった。調整の手間を考えれば良心的と言えただろう。何せこの強面と体格である。もっとふっかけられるかと思っていたのだ。
「何だ、結構金持ってんじゃねえか。これならもうちっと……」
 ごそごそと財布を取り出すダレットを眺め、主人が呟く。ダレットは曖昧な笑みを浮かべた。
 ダレットがそこそこの金を持っているのは、王宮騎士団時代に高給取りだったからだ。使い道がなかったために貯まった分を、家出するときにごっそりと持ち出している。
 逆に、傭兵稼業の人間はほとんどが貧乏だ。何かと必要経費がかかるせいもあるが……基本的に、彼らは得た金をすぐに使ってしまう。
 明日の命すらも疑わなくてはならない稼業だからだ。
「あんたら、傭兵じゃないのか?」
 主人が呟いた。
「さあ、どうでしょうね。たまには傭兵みたいな真似もしてますけど……」
 積極的に傭兵の仕事を受けているわけではない。だが、以前に引き受けた狼退治は、完全に傭兵の領分である。旅先で出会う人々は、大抵ダレットたちを傭兵だと思う……揃って大きな武器を所持しているからである……から、仕事を引き受けるとなるとその分野のものとなってしまう。
「ふうん……だがまあ、素人ってわけでもなさそうだがな」
 面白くもなさそうに主人が言った。ちらりと横目でダレットの物腰を観察する。
 主人が良心的な値段を示したのは、元同業者としての好意だったのかもしれない。ダレットは思わず罪悪感を覚える。
 キルファはそれを黙って眺めていた。思わず黙り込んだダレットの代わりに口を開く。
「ま、あたしたちが何をやってようと関係ないでしょ。さっさと行くわよ、サリクスも待たせたままなんだしさ」
 言って、ダレットの腕を引く。ダレットがのろのろと動いた。
「それじゃあ……また今度。この街に来ることがありましたら」
 言って愛想笑いを浮かべるダレットに、主人は自嘲気味に笑った。
「またな、つって二度と来なかった奴がどれだけいるか。心にもないことを言うな」
 ごつごつとした声で言う。ダレットがぎくりとし、また言葉を詰まらせた。
「一度会った、それで良いんだよ。一回だけ会った奴がごまんといて、その中にたまに何回も会う奴がいる。……そんなもんなんだよ」
 キルファは思わず主人の顔を眺めた。中年の男……まだ老境には達していまい。だが、淡々と語る主人の顔には、何か年寄りめいたものが張り付いていた。
「時間ってのは、人が何を思おうがきっちり流れる。それを区切るのも、意味を付けるのも人が勝手にやってることなんだよ。あんまり下手に意味をこじつけようと思うな。
 流れに乗ってりゃ良いんだよ。で、流れで一瞬だけすれ違うものもあれば、何でだか一緒に流れるものある、と」
 言って、主人は肩をすくめて見せた。
 見るからに武骨者といった風体の男が急に哲学めいたことを語ったことに、キルファは思わず目を見開いた。だが……それも当然かもしれない。
 少なくとも、この男は自分よりは長く生きている。
「ほれ」
 言って主人は何かを放る。自分に向かってきたそれを、キルファは慌てて受け取った。
 手のひらの中を見て、キルファは眉をひそめた。小さな髪飾りだ。
「何なの? これ……」
「付き合いのある業者がかなり前に間違って持って来てな。返すのも腹が立つからしばらく棚に置いてみたんだが、さっぱり売れなかったんだよ。これ以上置いておいてもしょうがねえから、手土産にくれてやる。持って行け」
 これ以上は言わせるなと言わんばかりに、主人はそっぽを向いて見せた。
 キルファは目を瞬かせて自分の手のひらを眺めた。金属のピンに幾つもの小さな色ガラスをあしらった、それなりに値の張る物だ。金属はともかく、ガラス細工は高級品である。
「良いの?」
「良いっつってんだろ。これ以上言わせるな」
 主人は殊更にぶっきらぼうに言った。
「……ありがとう」
 咄嗟に言ってからキルファは気づいた。この言葉を言うのは久しぶりだ。母がいた頃はともかく――その後は何回口にしただろうか。
 自然に言葉が口に出た自分が、キルファには不思議だった。
「……それじゃあ」
 ダレットがまたかすかに笑って言った。主人も頷く。
「あばよ、嬢ちゃん」
 主人がかすかに笑った気がした。

 歩きつつ、キルファはずっと手のひらに握った飾りを眺めていた。
「どんなやつだったんだ? それ」
 ダレットに言われ、キルファは手のひらの中身をダレットに見せる。
 花の形をした小さなガラスが、幾つも金属の土台にはめ込まれている。ガラスは色とりどりで、そこだけ春の花畑を見ているかのようだった。透明なガラスが日の光を乱反射して、きらきらと輝く。
 元々は貴族の姫君が持っているような、宝石の飾りを模したものだったのだろう。だが、ダレットが見てもガラスの細工は細かい。本物の宝石ではないにしても、色ガラスであることに加えてこの細工では、かなりの値打ち物だ。
「へえ……」
 ダレットも感心したようなため息を漏らした。
 それを握って歩くキルファの顔は、何処か嬉しそうだった。ダレットもかすかに笑う。
「付けてみたらどうだ? 折角貰ったんだし」
 普段なら意味がないとでも言うところなのだろう。だが、キルファは小さく頷いた。被ったフードの下で、小さく手を動かす。
 銀色の髪に、色鮮やかなガラスの珠はよく映えていた。ダレットははっきりそれを見られたわけではなかったが。
 キルファは変わらずフードを被ったままだ。だから、その髪飾りとて、歩いて自慢げに他人に見せられるわけでもなかったが――
「……ふふっ」
 何処か誇らしげに笑うと、キルファは胸を張って大通りを歩き出した。

 
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