墓標
言われなければそうと分からないような、名も刻まれていない墓標。
それだけが、彼らのいたという証だった。
ぎい、と軋んだ音を立てて扉が開いた。
暗かった部屋に光が射し込み、内部に陰影を作り出す。同時に、開いた扉の前に佇む影が浮かび上がった。
扉を開けた人物は、無造作に部屋に入ってくる。部屋の中心に置かれているものの前まで来ると、目を落とし、立ち止まった。
年齢は二十歳過ぎといったところか。濃緑の軍服を着、腰には緩く湾曲した片刃剣……刀と呼ばれる武器が吊られている。だが、この姿を見た者がいたら、目を丸くしたことであろう。
部屋に入ってきたのは、女性であった。黒髪を長く伸ばしており、長身ではあるが、その体型はまぎれもなく女のものである。しかも。
切れ長の瞳は、髪と同じく漆黒。肌は白く、すっと鼻梁が通り、薄めの唇は鮮やかな紅。
もし彼女を吟遊詩人が見たら……間違いなく「絶世の」という形容と共に語るような美貌の持ち主だった。
それでいて、無骨な軍服を着て何の違和感もない。近寄る者全てを拒むような険しい雰囲気は、彼女そのものが研ぎ澄まされた名剣であるかのように思わせる。
彼女は床に無造作に置かれているものを、じっと見つめている。その表情は何ら感情を見せなかったが、握られた拳だけが、わずかな心の揺れを表していた。
床に置かれているもの。それは、一つの棺だった。
飾り気の一つもないそれは、軍で殉職した兵士の遺体を送り返すために使われるものだ。弔いの花もなく、ただ静けさこそが鎮魂の言葉と言わんばかりである。彼女がこの部屋を訪れなかったら、そのまま朽ち果ててもおかしくないような雰囲気であった。
しばらく棺を見下ろし、彼女は小さく息を吐いた。言葉を口にすることはなかったが、その表情に一瞬、諦めと脱力めいたものが混じる。続けてわずかに口元に浮かんだのは、自嘲の笑みだった。
どれくらいそうしていたのか。かたん、という音を背後に聞き、彼女は振り返った。
かすかな気配。常人には判別できぬほど絞り込まれたそれに向けて、彼女はだん! と迷わず踏み込んだ。
銀光と、風を切る音が部屋に響く。
「……っと、危ないなあ」
一瞬後、軽い口調の声が彼女の耳に届いた。
声の主は、若い男だった。年齢は彼女とさほど変わらない。だが、軍服を律儀に着込んだ彼女に対し、薄汚れた旅装束を身に付けている。革の略式鎧を着けていることからして、彼女と同じ、戦いを生業とする人間であることに変わりはないだろうが。
男はへらへらとした笑みを崩さなかったが、その首筋に刃が突きつけられている。彼女が一瞬で抜刀し、刺突を繰り出したのだ。それをこの男が紙一重で避けた。
「…………」
彼女は眉を跳ね上げると、首筋に当てていた刀を下ろし、鞘に収めた。そうして息を吐く。
「……スレイか」
男の名を呟く。その口調は、険しい雰囲気に比べれば幾分か気安かった。スレイと呼ばれた男がにっと笑う。
「カシュラルも相変わらず美人だね。でもって物騒。会うなり殺されたんじゃたまったもんじゃない。……軍部ってのはそんなに物騒なところなわけ?」
おどけた調子でスレイは言う。彼女……カシュラルは、嘆息して見せた。
「軍本部の建物で侵入者の存在を許すわけにはいかんだろう。それに、十分避けられるようにはした」
「いや、それは僕だからだよ。他の連中だったら一撃で刺殺だったって」
胡散臭げに言うカシュラルに、スレイはぱたぱたと手を振って応じる。どうにも雰囲気の噛み合わない二人ではあったが、互いを嫌悪している様子はない。
「まあ、今更どうこう言う気はないがな。一体、どこで情報を仕入れてくるのだか」
カシュラルはまた嘆息した。スレイがこの場所……軍本部の一室に、部外者ながらどこからか入り込んできたのはこれが初めてではない。そのたびに、カシュラルと再会してきた。
この部屋に、棺が置かれるたびに……だ。
「……今度は誰なの?」
おどけた調子は幾分影を潜め、沈んだ声でスレイは尋ねた。カシュラルと二人、目の前の棺に視線を落とす。
「ヨシュアだ。二日前、首を吊っているのが発見された」
カシュラルは淡々と答える。今更、その事実を口にすることに感傷はない。
「……そう」
スレイもそれは同じようだった。答えるその表情に感情はない。いざとなればいかなる感情をも押し殺せるよう、彼らは育てられてきた。
「ところでさ、そっちはどうなの? また出世したみたいじゃない。こっちじゃ有名だよ、若い女が将軍補佐になったって。さすがは帝国の<戦女神>」
がらりと口調を戻し、スレイは言った。<戦女神>は、カシュラルに付けられた二つ名だ。
「成り行きだ。まあ、珍しいことは確かだがな。……お陰で要らんものばかりがついてくる」
カシュラルは淡々とそう言った。だがこの時代、女性の軍人は極めて珍しく、その中で出世する者などまずいない。彼女はその、初めての例外だった。
「そういう貴様はどうなんだ」
「んー、相変わらずだよ。ちまちま仕事を請けてる。まあ、世間様から言えばこんな稼業は暇なほうが良いんだろうけど、それしか芸がないこっちとしてはねえ」
カシュラルの質問に、肩をすくめてスレイは答えた。
軍人のカシュラルと違い、スレイは現在は傭兵稼業をやっている。このエルゼシア帝国が建国されて五十年あまり、その後は大きな混乱はないために、国が傭兵部隊を用いることはないが、民間人がまだまだこの稼業を必要とする場面は多い。警衛兵をも統括する軍部の人間としては、頭の痛い問題ではあったのだが。
カシュラルにとって、軍以外……『外』の世界で生きているスレイは、ある種の憧憬の対象だった。たまに顔を合わせるだけで、解放感を感じる。
「……これで何人だっけ、後残ってるのは」
再び棺に視線を引き戻し、スレイは再び尋ねた。
「私と貴様を除けば、あと五人だ」
「そんなになるか。ええと、ミロとサーシャとアストと……エレインは去年死んだし」
スレイが何人かの名前……自分たちと同じ境遇で育った仲間の名を呟く。確か、国軍に編入された時は二十人ほどがいたはずだ。あれから八年、半分以上が既に死んだ。
このままでは、全員が死亡する日もそう遠くないかもしれない。その時こそ本当に、自分たちの存在理由がなくなる日だ。
「…………」
ふと、カシュラルの脳裏に浮かんだ光景があった。荒野の片隅に置かれた一つの石。
葬られる者の名すら刻まれていない墓標。それは、かつて死んだ仲間たちが最後に行き着いた場所だった。
今目の前の棺にいる仲間は、その墓に葬られることはない。だが結局、彼の魂が行き着くところはあの墓標しかないのではないか、そんな気がする。
そして、それは自分も同様だ。死んだら、あの墓とも呼べない墓だけが、自分がいたという証になる。
「――――」
その想像に一瞬吐き気を覚えた、次の瞬間。
「っ!」
振り向く間すら惜しみ、カシュラルは横に跳んでいた。その一瞬後、何か硬いものが石床にぶつかる音が響く。
振り返ると同時に抜刀する。傍らにいるスレイを気にはしなかった。この程度の襲撃を避けきれないなら、彼は今この場にはいない。
突然の襲撃者は、二度目の攻撃はしなかった。窓の木枠を蹴破ると、部屋の中に身体を滑らせてくる。
全部で四人。いずれも黒装束に身を包み、顔も布で隠している。
「警備の人員を増やすべきだな。こう一日に何回も侵入を許すとは」
カシュラルは嘆息した。横のスレイの気配をうかがうと、彼はにやにやと笑っている。
「無駄なことだ」
侵入者の一人が淡々と言った。手にしている短剣の刃が、おかしな色に光った。毒が塗ってあるためだろう。
「カシュラル・レストラード。貴様を、殺す」
暗い声で宣言し、四人の侵入者は再び襲いかかってきた。連携は悪くない。狭い部屋での戦い方も、そこそこ身に付けている。
二人が別方向から同時に踏み込み、ナイフを繰り出してくる。カシュラルは二刀ではないから、同時に二本のナイフを受けることは出来ない。後退して避ければ、一瞬後に三人目が止めを刺すという算段だった。だが。
カシュラルは最初の二人の刺突を、大きく上に跳躍して避けた。ナイフを突き込んできたうちの一人の肩を掴むと、そこを基点にしてもう一度身体をひねり、襲撃者の身体を飛び越える。一瞬後には二人の後ろに着地していた。
とんでもない敏捷さと身のこなしである。
慌てて二人が振り返ろうとするが、それを許す道理はない。刀を振りかぶり、あっさりと一人目を後ろから斬った。
「…………」
倒した一人目には目もくれず、カシュラルは再び向き直る。
「ねえ、殺しちゃっていいの?」
そこに、場違いなほどに明るい声が響いた。スレイだ。
「構わん。分かりきったことをいちいち尋問するほど私は暇ではない」
カシュラルは淡々と答える。だが、先程カシュラルに向かってきた二人は、露骨に動揺を見せてスレイを見た。
スレイの片手には短剣ほどの長さの剣が握られている。だが刀身の片方にはほとんど刃がなく、代わりに深い溝が刻み込まれていた。剣砕き《ソードブレイカー》と呼ばれる武器だ。相手の刀身を噛み、へし折るために、横に溝が付いている。
その剣で、四人目の襲撃者と絶え間なく剣戟を繰り広げているのである。先程の言葉も当然、斬り合いをしながら発せられたものだ。
この襲撃者たちの目的はカシュラルの殺害である。だが、かつての仲間の訃報を聞きつけ、この場に居合わせたスレイ――彼らはその素性を知らないが――も見逃すわけにはいかない。そのため、四人目がスレイの口封じに向かったのだが、彼はいとも簡単に……むしろ相手をからかうような様子で襲撃者と対峙している。
「ふうん」
スレイはカシュラルの言葉に応え……不意に笑った。今までの軽い笑みではなく、獰猛な獣が獲物に食いつかんとする時の笑み。
スレイの剣が、不意に動きを変える。次の瞬間、襲撃者のナイフはソードブレイカーに絡め取られていた。
襲撃者は慌ててナイフを引き戻そうとするが、スレイがそれを許すはずもない。片手でナイフに噛み付いたまま、もう片方の手で短剣を抜いた。
「それじゃ、ま」
その口調は、先程までの明るい青年のものだった。次の瞬間、何の躊躇いなしに短剣で相手の肩口を突き、同時に腹に蹴りを叩き込む。襲撃者はなす術もなく床にくず折れた。
剣の形を取ってはいるが、ソードブレイカーはむしろ、盾のように用いるものだ。今のような、ソードブレイカーで相手の動きを封じ、もう片手の剣で攻撃を加えるのが本来の使い方である。
ただし、ソードブレイカーは短剣ほどの長さには見合わないほどの重量がある。そうでもなければ、より大きな剣をへし折ることは出来ないのだ。それを片手で扱うにはそれなりの腕力と技量が必要である。
その剣で、遥かに軽いナイフを用いた相手と剣戟を繰り広げていたのだから……スレイの技量はいかほどのものか。
「何と言うか。まだまだだね」
片手でソードブレイカーをいじりながらスレイが言う。
先程の剣戟で、スレイにナイフを絡め取られた瞬間に手を離していれば、相手にもまだ勝機はあった。だが己の武器に執着するあまりにその機会を逃した。そのことを言っているのだ。
それなりに訓練を積んだ者なら当然、己の武器にこだわる。今のように、そのために敗北することも珍しくはない。躊躇なく己の武器を捨てられるのは、余程に割り切った者か……それとも、経験を積んだ者だけだ。
「な……? 貴様、何者……」
ただ偶然居合わせただけだと思ったスレイの技量に、残り二人の襲撃者たちは動揺を隠せないようだ。彼がこの場に現れることは、カシュラルも確信が持てていなかったのだから無理もないが。
「ねえ、こいつらがさっき言ってた『要らんもの』?」
露骨に脅える襲撃者たちを指差し、スレイが訪ねた。カシュラルが顔をしかめて首肯する。
若くして軍の中で出世し、庶民の出身であり、しかも女。一般兵の中にはそんな彼女を歓迎する動きもあったが、ほとんどを貴族階級出身の者が占める上層部には、彼女の存在を疎む者が多い。仕事の妨害は日常茶飯事であったし……今のように暗殺に先走る者がいたのも、これが初めてではない。
「面倒だねえ」
スレイがしみじみと言った。カシュラルも同感だと言わんばかりに息を吐く。
たまったものではなかったのが、仮にも殺害に来たのを『面倒』の一言で片付けられた襲撃者たちであったろう。覆面の下の動揺が、もはやはっきりと見て取れる。
「貴様……何者なんだっ!」
二度目の疑問は、もはや悲鳴だった。
「退役した元軍人だ。今は傭兵だがな」
カシュラルが横から説明してやった。スレイはにやにやと笑っている。
カシュラルは現在は一般兵を統括する立場だが、正規軍に異動する前は別の部隊にいた。そしてスレイは、その当時の……もっと前からの彼女の同僚である。今棺の中で眠っている仲間も同様だ。
幼い頃から、ただ戦闘技術だけを叩き込まれた存在。そのためだけに生き……ある日突如として、その意味を失った者たちだった。
その後、カシュラルは異動し、スレイは軍を退役し、死んだ男はその部隊に残ることを選んだ。三つの選択の末路が、今の再会であった。
(もっとも、最期は皆同じかもしれんがな)
あの墓標が再び脳裏に浮かぶ。
彼らが育ったのは、剣と血のみが支配する世界だった。そこから突如、『日常』という世界に放り込まれても、彼らは永遠の異邦人でしかなかったのだ。スレイのようにたくましく生きていく者もいたが、それに耐え切れなかった者も多い。棺に眠る男もまた、その一人だった。
異端のまま、一人寂しく死んだ男。幼い頃、名すら残さない墓に葬られた仲間たち。自分の末路が彼らと同じでないと、誰が言えるものか。
「…………」
カシュラルはわずかに自嘲の笑みを浮かべた。
再び襲撃者に向き直る。何も言う暇を与えず、再び踏み込んだ。
下から刀をすくい上げる。それは違わずに襲撃者を切り裂くが、相手も本能的に後退したため、軽く掠めたに過ぎなかった。
だが、翻った刀が今度こそまともに命中した。どうっと襲撃者が倒れる。
「わああっ!」
悲鳴とも怒号とも取れない声が響いた。残った最後の一人が、がむしゃらに切りかかってきたのだ。カシュラルが三人目に相対した隙を狙ってきたのである。彼にとっては、それが最後の好機だった。
「あ……き、貴様っ! この軍の余計者が! 女ならばおとなしくしていればいいものを……!」
がむしゃらに切りかかりながら叫ぶ。もはや自分でも何を言っているのか分からないのであろうが……
罵倒の言葉に、カシュラルは表情を変えなかった。だが、その身に纏う雰囲気が一瞬にして変わる。
研ぎ澄まされた刃であるのは変わらない。だが、それが氷でできているかのようだ。敵を一瞬にして凍てつかせ、切り裂く絶対の刃。
自分が決して口にしてはならない言葉……女神の逆鱗に触れたことに、襲撃者は気付かなかった。
「……そんなことは、言われずとも分かっているさ」
ぽつりとカシュラルが呟いた。次の瞬間、再び旋風が起こる。
一人残った襲撃者はもう、正常な判断力を失っていた。鍔迫り合いの状態から強引に力を押し込んでくるのを、カシュラルは冷静に力を受け流し、足払いをかけた。
狙い違わず転倒するのに追い討ちをかける。肩口を切り裂かれ、襲撃者はずるずると這って後退した。だが、何かにぶつかってその動きが阻害される。
「…………」
床に置かれた棺だった。哀れなその男はその正体に気づく間もなく、棺の上を這って再び逃げようとする。
だが、今度こそその動きが止まった。
「さすがに、他人の棺桶を踏みつけるような真似はどうかと思うよ」
スレイだった。今までカシュラルが戦うのを横で眺めていたのだが、棺に歩み寄ると、その側の男を片手一本で宙吊りにする。とんでもない腕力だ。
「……で、どうする?」
スレイがカシュラルに尋ねた。今までの氷の彼女なら、間違いなく心臓に刀を叩き込んだだろう。
だが……
一瞬、棺とその側の男に順に目をやり……カシュラルは息を吐いた。無造作に襲撃者に歩み寄ると、その腹に拳を入れる。スレイに宙吊りにされたまま、襲撃者はあっさりと気を失った。
「……殺して構わないんじゃなかったの?」
スレイが尋ねた。カシュラルは再び息を吐き、刀を鞘に収める。
「殺しても構わんが、殺さなくとも構わん。牢に放り込んでおけば、何かしらの役には立つかもしれん」
カシュラルが答える。だが、その口調はどこかぼんやりとしていた。視線はスレイでも倒した襲撃者たちでもなく、ただ棺を見つめている。
「そう」
カシュラルの言葉に、スレイもそれ以上の興味をなくしたようだった。無造作に掴んだ男の身体を床に放り出すと、カシュラルを振り返る。
「……何と言うか、変わったよね」
少し間があってから、スレイがぽつりと呟いた。
「お互いにな」
カシュラルが一言だけ答える。
かつて……二人が出会った頃は、相対した敵を生かすことなどなかった。敵であるなら全て殺せ、それが唯一の教えにして絶対の真実だったのだ。それ以外の道を、彼らは知らなかった。
だが今は、それ以外の道を知っている。今でも、そのほうが正しいのではないかとは思う。けれど、道を外れても構わないではないか――とは思えるのだ。
「……あ、それからさ、一つ気になったんだけど」
スレイが首を傾げるように言った。
「さっきさ、『言われずとも分かってる』って言ってたでしょう。あれ、何なの?」
スレイにも、カシュラルの雰囲気が目に見えて変わった事は分かったはずだ。それが気になっていたのだろう。
「……ああ、この名前だよ」
スレイに、カシュラルは苦笑して答えた。
「名前って……『カシュラル』っていう?」
カシュラルという名は、確かに女の名前としては珍しいものだ。今までは変わった名前としか認識していなかったのだが。
「『余計者』という意味だ」
呟くように言ったカシュラルに、スレイは不思議そうな顔をした。この大陸の標準語では、『余計者』は『カジュル』と発音する。
「辺境の……私が生まれた地方の訛りでは、こう呼んだからな」
大陸の辺境に生まれた娘。力仕事もろくに出来ない女の子供……そんなつもりで親はそう呼んだのだろう。ろくに覚えてもいない親だが、与えられて唯一今でも持っているものがこの名前とは、何とも皮肉な話だ。
「あ……ごめん」
さすがにスレイもそれ以上の追求はしなかった。スレイとてその出自はカシュラルと似たり寄ったりだが、それだけに、彼女の内心を探ることははばかられた。
スレイの様子にカシュラルは苦笑で応じる。倒した襲撃者たちは負傷しているから、尋問するならそろそろ手当てしてやらないとまずいだろう。襲撃者たちの身体を引きずり、運び出そうとして、ふと棺に目をやる。
ずっと、この名を否定するために生きてきた。自分は余計者ではない、いらない存在ではないのだと。
平和に脅え、誰もに必要とされないままに死んだなら。きっと、その魂の辿り着く先はあの墓標だろう。名を刻まれる必要もなく、ただ眠って土に還る。
今はまだ、否定は為されていない。どこに行っても自分は異端だ。
だが……
「私は貴様のようにはならない。なってたまるか」
一言、棺に呟く。
ぎい、と再び扉が開く。凛と背筋を伸ばし、彼女は部屋を後にした。
