暁の大地

01.帝国の騎士

「さて、お立会い。
 今から始まるは、遥か遥か昔の物語。人間もエルフもいなかった頃の、伝説の物語。
 昔々。この大陸、ロンバルディアの大地に住んでいたのは人間でもエルフでもない、天人と魔人と呼ばれた人々だった。
 彼らは日々争いを続けた。天人は大陸の平和と存続を望み、魔人たちは争いと大陸の滅亡を望んだからだった」
 口上を続ける男……街頭で人形劇を演じる、大道芸人であるらしかった……は何やら手にはめられた二つの人形を取り出す。一つは凛々しい鎧を纏った神々しい姿、もう一つは禍々しく黒いその姿に、鋭い牙を持った、動物と人間を掛けあわせたような代物だった。
 二つの人形は互いにぶつかり合い、傷つけ合っている。両手を巧みに動かしながら、男は口上を続ける。
「天人と魔人の争いは長い長い間に渡って続いた。どちらの力も拮抗していたが……やがて、天人種族は押されていった。恐れるべし、魔人のその力。大地に争いと不和を撒くその心。だが、天人たちは押されながらも、決して屈しようとはしなかった。
 そして!」
 男の口調に熱がこもる。ここが山場らしい。
「天人たちは、その魔法技術をこめて最強の兵器を創り出すことに成功した。最後にして最強。そして唯一の兵器。ああ、仰ぎ見るべし、その優美なる姿。鎧を纏いし美しき女神!」
 そうして、男は再び新しい人形を取り出す。男の言葉通り、飾り物にしか見えない派手な装飾の施された鎧を身に纏った、美しい女性の姿だった。その手には、これまた優美な装飾の施された剣を手にしている。
「この女神の前に、魔人は大地に屈するしかなかった。天人種族は勝利したのだ。ああ、平和は護られたのだ!」
 何と言うのか、聴衆よりも語っている男の方が盛り上がっているように見えたが……とにかく、男は語り続ける。
「しかあし! 長きに渡った戦いに勝利し、平和を手にしたのもつかの間、天人種族はこの大地から姿を消した。遥かなる別の大地に旅立ったのか、それとも皆死んだのか。その結末は誰も知らない。
 だが人々よ、忘れるなかれ。己の命を賭してこの大地を護った人々の物語を。平和の旗印を――」
 男は一人、涙するような仕草をした。
「…………」
 まあ、どうということもなかったのだが。そこでダレット・コルフォースは街頭の語りを聞くのを止め、止めていた歩みを再開する。後ろで金を払ってもらえなかった男が不満げな顔をしているのが感じられたが、これは大して気にしないことにする。
 今、語られていた物語は、大陸に住む者なら誰もが知っている昔話だ。今更、手に汗握って聞くような内容でもない。
 大きく伸びをし、目の前の風景をぼんやりと眺める。流れゆく、人々の群れ。混ざり合って雑音と化す、人々の声。
「高いよ、これじゃああまりにも。せめて、あと三十セト安くしてくれ」
「ねえ、お母さん。僕、あれが欲しいよ。毎日手伝いするからさ――」
「冗談じゃない。これ以上まけたら、こっちは破産しちまうよ。大体だな、見てみろよ、この細工の細かさ。まけるどころか、これで限界だよ」
 いつも通りの日常。平和過ぎるほどに平和な光景。
 ダレットは伸びを一つすると、また歩き出した。

 エルゼシア帝国。五十年前に建国された、人間の国である。このロンバルディア大陸をエルゼシア帝国が統一している今、大陸に存在する国家はエルゼシアだけだ。住人たちは単純に『帝国』と呼ぶことが多い。
 その王都、ラインガルド。ダレットが今いる場所……そして住んでいる場所はそこだった。この通りは、王都でも一、二を争う大きな繁華街だ。
 王都だから、街の中央には王城がそびえ立ち、その周辺には国家の管理する施設が立ち並ぶが、その区画を、そして貴族たちの邸宅の立ち並ぶ区画を抜ければこのような雑多な……しかし活気に満ちた風景を見ることが出来る。
 ダレットは、この雰囲気が嫌いではなかった。雑踏に足を踏み入れ、人々の群れに混じっているだけでも幾分か気が紛れるからである。街の持つ活気が少しでも自分に分け与えられるような気がして。
 特に……今日のように、続けることだけが意味を持つ、つまりそれ自体には何の意味もないような儀式を終えてきた後では。何とはなしに、ダレットは腰に吊った長剣に目をやった。
 栗色の髪も深い緑の瞳も、大して珍しいものではない。だが、その優男そのものといった容姿に、長剣だけが不釣合いだった。ダレット自身はあまり自覚していないが。
 ダレット自身、別に繁華街に出てきて何か買うわけでもない。ただ、気晴らしにやってきただけだ。
 がりがりと頭を掻きながら、ダレットはまた歩き出した。

 雑踏を、小柄な人影が駆け抜けて行く。マントを羽織り、深くフードを被ったその姿はただ眺めれば露骨に怪しかったが、とにかく人の多い王都では、大して気にする人間もいない。その人影もそれを承知の上でそんな怪しい格好をして大通りに姿を現しているのだが。無論、それだけが理由でもない。
 小柄なその人影がフードの下から見つめているもの。それは、栗色の髪の優男だった。
 地味な格好をしているが、見る者が見ればすぐに気付く。着ている服はかなり上等な品だし、その立ち振る舞いを見れば裕福な家庭の育ちであろうことは想像がつく。礼儀作法も徹底的に叩きこまれるからだ。
 腰に吊った長剣だけが気になったが、人影は大して気にしないことにした。その痩せ型と言ってもいい体型と甘い顔立ちを見ている限り、到底剣など使えるようには見えなかったからだ。ただ、飾りのつもりで身につけているだけだろう。最近は、騎士の真似をして裕福な商人の子供などが剣を習うのが流行しているのだ。
(……とりあえず金も持ってそうだし。悪いけど、ちょっと痛い目にあってもらいましょうか)
 その人物は心の中で呟くと、再びダレットの後をつけだした。

 それとほぼ同じ頃。
(……何か、嫌な気配を感じるな……)
 何と言うのか、背中がぴりぴりとするのだ。何か鋭いものを間近に付きつけられたような、嫌な感触。
 内心首をひねった後、極力首を動かさないように、視線だけで後ろを見遣る。だが、とにかく人通りの多い場所のことである。気配の正体が何なのかなど見当もつかない。まさか、目に見える人間全てを疑うわけにもいかない。
(だがまあ、殺気とも違うみたいだし。気を付けた方が良いかな、それとも放っておいたものか……)
 先程と何の変わりもなく雑踏を歩きながら、ダレットは黙考する。だが、結局、
(気にしないことにするか)
 極めて非建設的な結論に達し、それ以上考えるのを止めた。
「さて、何をしようか……」
 何はともあれ、こうやって繁華街を歩くのは楽しいものだ。幾つも並べられた装飾品や菓子、日用雑貨を眺めながらダレットは呟いた。

(……気付かれた?)
 心臓が跳ね上がる。可能な限り、気配は殺したのに。無論、こんな大通りでむやみに忍び足をしていてもかえって怪しまれるので、普段よりは、と言った程度だが。
 男が視線だけで後ろを振り返った瞬間はびっくりしたが、男はやがてまた歩き出してしまった。どうやら、気付かれなかったらしい。自分の気配……視線を察知出来る人間がそうそういるはずがないのだ。
(さて、さっさと仕事を済ませますか……!)
 フードの下で人影は笑う。今までは男……ダレットに歩調を合わせていたのだが、それを崩し、小走りにダレットに駆け寄る。
 目標に接触した瞬間に、懐から財布を奪う。それだけの話だ。今までに自分はそれをさんざんやってきたし、そして……失敗したこともないのだ。
 その人影はダレットの側に近付き、いつも通りに気付かれないように羽織ったマントを跳ね上げながら懐に手を伸ばす。
 いつも通り。簡単なことだ。
 だが、次の瞬間、人影は驚愕の表情で身体を固まらせた。

 何かが急速に自分に近付いてくる。間違いない……先程と同じ気配だ。
(こいつか……)
 ダレットは心の中で呟いた。
 マントを被った人影は、どんどん近づいてくる。フードを深く被っているので性別は分からないが、その小柄な体格からして、おそらくまだ子供だろう。
 人影は自分に近づき、手を伸ばそうとする。それで分かった。
(要するに、スリってことだな。それで俺を付け狙ってたわけだ)
 納得しながら、ダレットはごく自然に動いていた。
 マントの下で、伸ばされた子供の手を掴んで引き寄せる。掴んだ手を捻り上げながら、もう片方の手で当身を加える。小さい頃からさんざん叩き込まれてきた護身術の型をそのまま使ったに過ぎないが、相手には驚愕だったようだ。
 当身を加えた瞬間、フードの奥が一瞬見えた気がした。その目が大きく見開かれ、そして瞼を閉じる。
「って、おい……?」
 掴んだ手が急に重みをもったことに気づき、ダレットは不審げな顔をした。くずおれた子供の身体を慌てて抱える。どうやら、当身が相当上手く入ってしまったらしい。気絶までさせるつもりはなかったのだが。
 腕に抱えた子供を見下ろす。軽い。抱えた感覚だけでしか分からないが、子供としてもかなり痩せている。被っているマントだけがやたらと大きいが、それも、ぼろぼろとなっている。
「子供……? しかも女の子じゃないか。……スラムの子供か……」
 言葉の最後は、無意識のうちにため息となった。
 大きな都市は、光と同時に、闇も抱えている。このラインガルドの街も、この明るい繁華街の裏には、物乞いや盗賊がひしめいて暮らすスラムがある。そこには、事情で家を失った子供も多い。この子供も、スリで生計を立てていたのだろう。
「しかし、どうするかな……」
 片手で軽々とその少女を抱え上げながら、ダレットは頭を掻いた。自分の立場からすれば街の警衛兵に突き出すのが妥当なのだろうが、別に何か取られたわけではないので、この少女を牢に放り込むのは気が引けた。
 それに、気を失う一瞬前に見えたものが気のせいではなければ……
「……しゃあないか」
 ダレットはため息をつくと、少女を抱えたまま歩き出した。

「ん……」
 まず感じたのは、違和感だった。
 ついぞ感じたこともない、柔らかく、暖かい感触。それはこの上なく心地良かったが、それが違和感の正体だった。こんなものに覚えはない。
 徐々に意識がはっきりしてくる。これは、一体何なのだ?
「…………!」
 心地良い感触が少々名残惜しかったが、慌てて跳ね起きる。柔らかな毛布がばさりと音を立てた。自分に掛けられたものであるらしいことに、その時気づく。
「何なの……?」
 まったく覚えのない状況に、少女は愕然とした顔で呟く。その時。
「よお」
 横から掛けられた物憂げな声に、一瞬、びくっと身体が飛び上がる。
「やっと起きたか」
 横を見る。やたらと大きなソファに深く腰掛け、腕を組んでいる男がいた。栗色の髪に、緑の目をした優男。さっき、自分が狙った男だ。上着は脱いだようだが、服装もさっきと同じだ。
「…………!」
 身体中から冷や汗が流れ出てくる。何があったのか、ようやく思い出した。財布を狙ったのが逆にあっさりと気絶させられたのだ。
 慌てて周りを見回す。そこでようやく、自分がソファに寝かされていたらしいことに気づいた。どうやら、すぐに警衛兵に突き出されることはなかったらしいが、それは、早いか遅いかだけの差であり、大した問題ではない。
「あんた……何なの?」
 横の男を睨みつけ、少女はうめいた。無意識のうちに、毛布を抱え込む。
「そりゃ勿論、お前に財布をすられそうになった人間だが」
 無表情に言い返す男……ダレットに、少女は言葉に詰まった。
「……あたしを、警衛兵に突き出すの?」
 おずおずと少女は聞いた。ダレットはしばらく考え込むような仕草……幾分か芝居がかっている……をしたが、
「止めておく。面倒臭い」
 あっさりと言い、肩をすくめた。少女の表情が一瞬にして安堵に変わる。
「じゃあ、何であたしを……。っていうか、ここ、何処なの?」
 部屋こそさほど広くはないが、家具や調度品からして、かなりの金持ちの家だと知れた。今自分が座っているソファも、かなりの高級品だ。置かれている家具からして、この部屋はおそらく居間だろう。部屋には柔らかい光が差し込み、部屋全体も、落ち着いた色使いでまとめられている。
 どう考えても、自分には縁のない世界だ。
「ここか? 俺の家だよ」
 ダレットは言った。
「……ってことは、あんた、やっぱり金持ちの息子?」
 ぼそりと少女は言った。言って上目遣いにダレットを観察する。大体自分の推測は当っていたわけだ。一つだけ誤算があったが。ダレットの手際の良さだ。
「まあ、正解だな」
 ダレットは、何処か自嘲気味の笑みを浮かべる。
「…………」
 じろじろとダレットを見る。ただの金持ちの道楽息子にしては、先程の自分を気絶させたときの手際は良すぎた。一体、この男は何者なのだ?
 ダレットはさすがに少女の視線に耐えかねたのか、やおら立ち上がると、戸棚から何やら取り出してみせる。やたらと派手な装飾が施された短剣だった。殺傷力はまるでない、儀礼用の短剣だ。
「ほれ」
 手渡されたそれを、少女はしげしげと眺め……そして硬直した。
「帝国……騎士……?」
「そういうことだ」
 かろうじて声を絞り出した少女に、ダレットは面倒臭そうに応じた。少女の手から、先程渡した短剣を取り上げる。それは、帝国でよく使われる印章だった。
 短剣に彫られた紋章。それは、このエルゼシア帝国の王室の紋章とそれに重なる剣を意匠化したものだった。それが意味するもの。つまり、この国の剣たるべき存在。国王の直属の武人集団。王宮騎士団……!
 俗に帝国騎士と呼ばれる集団の存在とその紋章は、少女も知っていたらしい。
「えーと……」
 引いたはずの冷や汗が再びあふれてくる。よりにもよって、自分が財布をすろうとしたのが王宮騎士団に所属する騎士だったとは……!
 警衛兵に突き出されるどころの話ではない。その場で切り捨てられていてもおかしくない。あの時、ダレットは確かに帯剣していたのだ。単なる飾りなどではなかったのだ。
「あ、えっと、あたし……」
 しどろもどろになる少女を、ダレットは呆れ返った顔で眺めた。
「だから、警衛兵に突き出す気はないって言ってるだろうが」
「あ、そ、そうよね……」
 声が震えている。
「何だってどいつもこいつも、騎士と知ると途端に態度が変わるんだろうな」
 ダレットは大きなため息をついた。
「ったく、面倒臭い……」
 ダレットはしばらく少女を眺めていたが、やがて口を開いた。
「まあ、俺の話は置いておいて、だ。今度は俺が聞いてもいいか?」
 来た。
 当然来るであろう質問に、少女は身を硬くした。
「お前……名前は何て言うんだ?」
「……へ?」
 予想外の質問に、少女は拍子抜けした。思わずソファからずり落ちそうになる。
「だから、お前の名前だよ。まさか名前がないわけでもないだろう?」
「まあ、そうだけどさ……」
 少女は憮然とした顔をして黙っていたが、やがて小さく呟いた。
「……キルファ。キルファ・インシード」
「俺は、ダレット・コルフォースだ」
 言って、ダレットはにやりと笑った。  

 

 
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