02.混血の少女
食べること。
それは、生きるということだ。生き物は例外なく、食物を摂らなくては生きていくことは出来ない。
だから、単なる栄養補給というだけではなく、食べるという行為は、自分が生きているということの確認作業とも言える。働き、そして一日を無事に過ごせたことへの感謝をしつつ食べ物を摂り、そして眠りにつく。人々が太古の昔より、引き継いできた生き方だ。
とは言え……
「お前、よく食うなー……」
目の前の少女を眺め、ダレットは呆然と呟いた。
「はぐ、はぐ、ばく……」
少女……キルファは、猛然と食べ物を口に運んでいた。食べるというよりは、とにかく、目の前のものを口に放り込んでいるといった風情だ。味わっているのかすらも謎だったが、しかしその勢いは止まらない。
「だって……おなかすいてたし……」
口の中のものを一気に飲み込み、キルファは言った。
「まあ、そりゃ分からんでもないが……」
彼女を少し見れば、食べ物が足りていないことは分かる。年齢は十四ということだったが、どう見ても痩せすぎだ。骨と皮だけというわけでもなかったが。
スラムの子供に、まともに食事を摂れというのも無理な話だろう。しかも彼女は、もう一つハンデを抱えている。
「……うちの食料庫を食い尽くす気か……?」
「いいでしょ、どうせ金持ってんだから。帝国騎士が細かいことでとやかく言わない」
あっさりと言い放つと、また彼女はせわしく両手を動かす。
「……間違いだったかな、食事までやったの」
キルファには聞こえないように呟く。彼女がダレットの財布をすりとろうとしたのが全ての始まりだった。ダレットの当身で気を失った彼女をとりあえず家に連れてきたのだが、そのまま追い返すのも気が引けたので、一食くらい提供しようとダレットが言ったのだ。
ダレットは、あくまで『普通』の一食分のつもりだった。しかし、キルファの食欲と言うか食べっぷりを眺めている限り、十人分くらいは食い尽くしそうな勢いである。
「……その身体のどこにそれだけの食いもんが入るんだ……?」
キルファの華奢な身体を呆れたように眺め、ダレットはうめいた。
「食べられる時に栄養を蓄えておく。常識じゃないの」
ひたすら口を動かしながらも、ダレットの質問にはしっかりと答えてくる。
「……食後の果物とお菓子です」
大きな果物の入った器を持ってきた中年の女性……ダレットの身の回りの世話をしている使用人である……も、彼女の周りに積み上げられた皿の数に、一瞬顔が引きつる。事情はどうあれ、一応、今はキルファはダレットの客という扱いになっていたので、使用人も丁寧な物腰で応対している。
「……ああ、そこに置いておいてくれ」
ダレットの指示に、女性は軽く頭を下げると、空になった皿を持って下がる。
「わあ……」
ついぞお目にかかったこともない豪勢な食事。まして、果物や菓子となるとある種の贅沢品だ。目の前に並べられた皿に、キルファの目が輝いた。
「……それだけ食って、まだ食うか……」
ダレット自身は、あまり甘いものが好きではない。今運ばれた皿には手を付けず、自分の分もキルファに渡した。
「これくれるの? ありがとー」
遠慮するそぶりも見せず、キルファはダレットの皿に手を伸ばした。そして、また猛然と口に放り込み始める。口の周りがクリームでべたべたになっているが、気にする様子はない。
「ん……?」
部屋の入り口で、先程の女性が何やら意味ありげな視線をダレットに投げかけている。
「悪い、ちょっと席を外すぞ。そのまま食べててくれ」
「ん、分かった」
口に一杯にものを詰め込みながらキルファが応じる。ダレットは眉をひそめながら立ち上がった。
「……何だ?」
居間の入り口を出た所で、ダレットは女性に囁いた。目の端にキルファを捉えているが、彼女はダレットを気にするでもなく、食べることに集中している。キルファも、ダレットの視線に気付いてはいるようだったが。この少女は、他人の気配には敏感であるようだ。スリをやっているうちに身についた能力なのだろう。
「どういうつもりなんですか」
女性はダレットに責めるような視線を向ける。
「仮にも帝国の騎士様が、あんな薄汚い子供を連れてきて、食事まで与えて……。他の方々や、お父上に知れたらどうなさるおつもりなんですか。しかも……」
女性は、ちらりとキルファを横目で見る。
「あの目の色、どう見ても紫じゃないですか。耳も長いですし。紫の瞳と言ったら……」
「ハーフ、だろ」
物憂げな顔で、ダレットは女性の言葉を継いだ。
「紫の瞳は、人間とエルフ族の混血児の証拠。いくら俺でも、それくらいは知っているさ」
この大陸には、人間ともう一つのよく似た種族が存在する。エルフ、と呼ばれる人々だ。
人間とよく似た容姿を持ちながらも違う能力を手にした人々。エルゼシア帝国の国王は人間であるため……現在は不遇の状態にある種族だ。
「だったら何だって連れてきたんです。知っていながら……」
「別に、ハーフだからといって何かするわけでもないだろう。ただの腹をすかせた子供だよ。それ以外の何者でもない」
横目でキルファを見る。艶のない、ぼさぼさの灰色の髪。小柄で痩せた身体。薄汚れたぼろぼろの服。
「ですが……」
更に言い募る女性を、ダレットは強引に黙らせた。
「俺が決めたことだ。それに、ただハーフと少し面識を持っただけで何がどうなるって言うんだ。馬鹿馬鹿しい」
「坊ちゃま……」
一転して、女性は不安げな目を向けた。
「……だから、坊ちゃまは止めろっての」
ダレットは大きくため息をついた。二十二歳にもなって坊ちゃま呼ばわりはさすがに恥ずかしい。
この女性、エルザ・リーフトンは、元は彼の母親の侍女だった女性だ。ただ、ダレットの母親は小さい頃に亡くなっている為、その後に何かと面倒を見てくれたのはこのエルザだった。ダレットが親の家、コルフォース家の屋敷を出た後も、強引についてきて身の回りの世話をしている。
彼女にしてみれば、小さい時から世話をしてきたダレットが、ハーフなどと関わったことで騎士としての経歴に傷がつくのではないかと心配しているのだ。それは、ダレットも分からなくもない。
だが。
騎士としての名誉。そんなものは、目の前で少女を一人飢え死にさせることに比べたら、どうでも良いことだった。たとえ、その少女が……人間が忌み嫌う種族、エルフ族との混血であったとしても、だ。
「とにかく、俺が決めたことだ。これ以上口出しされるいわれはない」
少々きつめにダレットは断言すると、なおも何か言いたげなエルザはそのままに、キルファのいる居間に戻った。
ソファに腰を下ろすなり、ダレットは大きくため息をついた。柔らかいソファに身を沈め、天井の明りを見上げる。
「……何かあったの?」
二人分の菓子と果物をきっちり平らげたキルファが、口の周りを拭きながら訊いてくる。だが、本気で尋ねているようには見えなかった。知った上で訊いているのだ。
「いや、別に」
ダレットは曖昧な笑みを浮かべる。が、
「どうせ、あいつはハーフだろうとか言われたんでしょ」
キルファはあっさりと言い放った。図星をつかれ、ダレットの表情が一瞬固まる。
「見りゃ分かるでしょうが。どうせ、紫の目なんてハーフ以外にはいないんだから。何だってそんなことを一々言わなきゃ気が済まないのかしらね」
無表情に、淡々と他人事のように言うキルファとは対照的に、ダレットは顔を引きつらせた。ちらりと横を見ると、入口に控えていたエルザも同じような表情をしている。おそらくはわざとだろう、少女特有の高めのよく通る声で、キルファはまったく構わずに話を続けた。
「あんたは、気にしてわざと言わなかったみたいだけどね。けどね、そのことに触れないのが思いやりだと思ったら大間違いよ」
キルファは真っ直ぐにダレットを睨み据える。それはただの少女の目ではない。数々の修羅場を潜り抜けてきた戦士にも通じる、殺気すら感じさせる視線。
「それは……」
言いかけてダレットは口篭もる。
「あたしが何かしたわけじゃないとか言うかもしれないけど。ハーフがやたらと嫌われているのは事実だし、それはあんたも知っているはずよ。知っていてわざと無視するような態度を取ったりしたのなら、結局はあんたも、他の連中と同じよ。だってそれは、現実逃避でしかないんだから。
そういうのを何て言うか知ってる? 偽善、って言うのよ」
キルファは一気にまくしたてる。何も感情を示さない顔の中で、瞳だけが刃のように鋭い光を放っている。
ダレットは何も言い返せなかった。ただうつむき、拳を握り締める。
「そのことについて、今更何を言おうとも思わないけど。今までもそうやって生きてきたし、多分これからもそうなる。別に、あんただけが特別ってわけじゃないわ」
それだけ言うと、キルファはすっと立ち上がった。
「さて。食べ終わったことだし、そろそろあたしは帰るわ。
せいぜい、目立たないように裏口から出て行くことにしましょうか」
強烈な皮肉。ダレットは言うべき言葉が何も見つからず、エルザは下を向く。キルファが鼻で笑った気がした。
キルファは、きびすを返して入り口に向かって歩き出した。狭い屋敷のことなので、大体の構造は見当がつく。
「あ……」
ダレットは、ソファに座り込んだままだった。何も言い返せなかった。結局、自分も他の人間と同じなのだ。自分が毛嫌いしている――
「……あ。忘れてたわ」
エルザの前を通り過ぎ、入り口を出ようとしたところで、キルファは振り返った。
「ご飯、美味しかったわよ。――ご馳走様」
ダレットは、一瞬、キルファがかすかに笑ったように見えた気がした。考えてみれば、彼女の笑った顔は初めて見た気がする。ひたすら食べていた時も、決して笑顔は見せていなかった。
少女の笑顔。
可愛い、とダレットは思った。
この少女は、こんな笑顔も出来るのだ。それなのに、いつも何処か、物事を斜めに見るような目つきをしている。それは、彼女の境遇を考えたら当たり前かもしれなかったが。
この大陸において、人間とエルフの争いは長い間続き、その間の溝も深い。だからハーフという存在自体が、まず極端に少ない。そして、人間にもエルフにも忌み嫌われる。……お互いの宿敵の血が半分混じった、裏切り者の子供として。
この少女に、安住の地などあるわけがなかった。どれだけの想いをして今日まで生きてきたのだろう。親や兄姉、そしてエルザの愛情を一杯に受けて育ったダレットには想像すら出来なかった。
「あ……」
何か……湧き上がってきた感情があった。何かあるはずだ。この少女に向けて、言わなくてはならないことが――
ダレットは無意識のうちに、出て行こうとするキルファに手を伸ばしていた。何処か思い詰めたような表情を、振り返ったキルファは鼻で笑って弾き飛ばした。
ダレットの内の感情を、何もかも見透かしたような表情。
「何? また、何か騎士様の『お情け』でもかけようって言うの? もういいわよ、これで十分。
それとも、偽善者呼ばわりしたのがそんなに気に食わなかった? だったら言い返してみれば。言い返せるものなら」
歩みを止め、腕組みをしてキルファは言う。若干十四の少女だが、その姿には年齢以上の貫禄と重みがあった。これもまた、逆境で生き抜いていくうちに身に付いたものなのだろう。少しでも自分の存在を認めさせるために。
「違う、そんなんじゃ……」
言うべき言葉が見つからない。ダレットは口篭もり、手探りで何かを探すような仕草をする。いや、実際そうだったのだろう。
「悪いけどね、あんたの自己満足の材料にされるくらいなら警衛兵に突き出された方がまだマシよ。さっきの食事代はちょっと払えないけど。生憎と懐事情は悪いのよ、あんたと違って。
泥まみれになって、さんざん罵声を浴びせられても、あたしは自分の力で生きてきたの。あのスラムでね。それが、ハーフのあたしの唯一の矜持なのよ。それを崩されてたまるものですか。
今更、あんたの慰み者にされるつもりはないの」
淡々とキルファは言葉を紡ぐ。
「慰み者って……」
エルザが呟き、どちらかと言うとダレットの方に何やら非難めいた視線を向けた。この女性も、ダレットが言い出しそうなことなど予想がつくのだろう。
「まあ、娼婦とは違うにしても、結局は同じだと思わない? あんたのために動くことで、あたしは生きる糧を得る。そういうことでしょう、つまり。
……それだけは、絶対にごめんだわ」
最後の一言。それはキルファの心の叫びであり、この問答の終わりを告げるものでもあった。
「ああ……」
ダレットが、何も次の言葉を見つけられないでいるうちに。
少女の姿は、何時の間にか屋敷から消えていた。
