03.憂鬱な騎士
銀色の鎧を身に付ける。やたらと精緻な彫刻と装飾が施された代物で、その複雑さも並ではないのだが、六年間も着用していればさすがに慣れもする。ダレットは手際良く、王宮騎士団の鎧を身に着けていった。横ではエルザが、細かい留め金やら何やらを止めるのを手伝ってくれている。
最後に愛用の長剣を腰の剣帯に固定し、マントを羽織る。これで一応、『帝国騎士』としての正装は完了だ。
(……しかしまあ)
鏡に映るその姿を見ながら、ダレットは思う。
(何だってこんなに大仰な格好をする必要があるのかな。これじゃあ、ろくに動けやしない。それに、どうせ飾り物よろしく突っ立っているなんだろうが)
王宮騎士団の一員として叙勲を受けて六年。毎日王城に勤めているわけではないが、勤めがある日は正装が要求される。その度に、この面倒くさい格好をさせられてきたものだが……
(似合ってないよな、やっぱり。うん)
実際に……客観的に見れば、長身痩躯、しかも甘いと言っていい顔立ちのダレットに、その優美な意匠の鎧は似合っていた。一般の人間が騎士と聞いて思い浮かべるのは、おそらくこういった姿だろう。
だがダレット本人には、どうにも鎧だけが浮いて見える。六年間着続けても、どうしても違和感が消えないのだ。
その違和感の正体は分からない。分からないから……勤めがある日はいつも憂鬱だ。
王城へ向かうには、大多数の貴族や騎士たちは馬車を使う。その馬車にもそれぞれが装飾を施し、その権勢を競ったりするものなのだが……ダレットにはまったく興味がない。それに、ダレットの小さな邸宅から王城まではそれほど遠くないので、ダレットはいつも歩いて行くことにしている。
「行ってらっしゃいませ」
エルザの声を背に受けながら……彼女は、天塩にかけて育て上げた子供の立派な騎士姿に、満足であるようだった……ダレットは供を連れるでもなく、邸宅の小さな門を出た。
紅い絨毯が永遠とも思える長さで伸びている。その長さもまた、計算されたものなのかも知れなかった。
国王の権勢を示すために。
通路のあちこちに施された装飾も、ダレットの目には入らない。一般人が入り込んだならば、その豪勢さに目を回しそうな情景ではあったが。
王宮騎士団の仕事。王宮騎士団は軍部とは異なり、国王の直轄の機関である。そのため、主な仕事は国王の護衛だった。もう少し具体的に言うならば、謁見の間で国王の側に控えていることだ。……たったそれだけである。
(今日び、謁見の間で斬りかかる反乱者もいないだろうに)
政治の世界において、力を持つのは物理的な力ではない。権力、金……つまり賄賂、そして根回し、他諸々。武力も含まれないではなかったが、さほど重要な地位を占めているとも思えない。むしろ、『武力を保持している』という事実の方が有力な脅しとなって作用する。
その最たるものが、帝国の武人集団の最高峰、王宮騎士団である。その中に身を置いているからこそ、ダレットはその意味を痛感していた。
自分は、一体何のためにあるのか。王室の剣となり盾となり、その国王の身を護ること。それが王宮騎士団たる者の誇り。
そう聞かされて育ってきたし、実際、自分の同僚たちはそう信じて疑っていないようだった。
けれど。実際には何もするわけではない。いや、それは平穏の証なのだから、その方がいいのは確かなのだが、それだったら……この『力』は一体何の為にある?
「…………」
ダレットは自分の腰に佩いた剣に目を落とした。小さい頃からさんざんに叩きこまれてきた剣術。けれど、何の意味も価値もないではないか、この場では。
「おい、そろそろ謁見が始まるぞ」
控えの間で憂鬱な気分に浸っていたダレットに、同僚の一人が声をかける。ダレットは無言で頷くと、立ちあがった。
情けなかった。
違和感を感じていても、無価値を理解していても……それに抗うことも何も出来ない自分が。
あの少女のように。
「くそっ!」
剣を構え、そして一気に振り下ろす。だが、長剣は目の前に立てられた木柱を両断することはなく、途中まで食い込んで止まった。
剣の主の迷いを代弁するかのように。
「ちっ……」
誰もいない鍛錬場で、ダレットは一人、がむしゃらに剣を振るっていた。木に食い込んだ剣を強引に引き抜くと、再び構えて振り下ろす。
だが、きちんと精神を統一していない今、剣が思い通りに動いてくれるわけもない。自らのもう一つの身体となってくれるわけもない。
当たり前だ。単なるやつ当たりで会得できるほど、剣術などというものは甘くない。それは何にしても言えることだが。
『馬鹿野郎。いいか、自分がきちんと集中したと思えるまで剣は抜くな。抜けば、それは自分に跳ね返ってくるぞ』
何処かで、剣術を習った師匠の声が聞こえた気がした。実際に昔、こんなことを言われた事もあったのかもしれない。むしゃくしゃすると、とりあえず身体を動かして誤魔化そうとするのはダレットの昔からの癖だからだ。
「…………」
ダレットは大きく息を吐くと、長剣を鞘におさめた。無茶苦茶に振りまわしたせいで、少し刃こぼれすらしてしまったようだ。
剣は自分を映す鏡だ、とつくづく思う。これもまた師匠の口癖だったのだが。
「おー。何だか荒れてるな」
鍛錬場の入り口で、軽い口調で話しかけてくる男がいた。まだ若い、やや赤みがかった金髪の男だ。ダレットの同僚で、こちらも帝国騎士である。
「……アルトか」
同僚の名を呟く。この男、アルト・ストルツファスもダレットと同じ、名門の息子である。痩せ型のダレットとは違い、しっかりと筋肉のついた体格をしていた。
口調こそ軽いが、実際には真面目な性格の男である。ダレットにとっては友人と言って良いだろう。
「お前が鍛錬場にいるのは珍しいな。普通は家で鍛錬してるんだろ?」
どうやら、アルト自身が剣の稽古に来たわけではなく、ダレットの様子を覗きに来ただけらしい。アルトはダレットの横に座りこむと話しかけてきた。
騎士団として合同で稽古することも多いが、その他にも自発的な練習を目的として、王城の一角にある鍛錬場は開放されている。だが、前述の通り、滅多に人のいたためしはない。
その理由は……
「お前こそ何しに来た。ご執心の姫君がいるんだろう?」
要するに、実際の職務はお飾りのような騎士団員でも、その他……つまり恋愛沙汰には忙しいのである。美しいと評判の貴族の姫君に何とか会おうと手を尽くしてみたり、あちこちの侍女に手を付けてみたり。
結局のところ、騎士とは言ってもいわば貴族だ。正確には国政に携わる貴族たちと騎士団員は区別されるが、やっていることは大差ない。
ダレットがやたらと暇を持て余し、国王に謁見することを許される帝国騎士でありながら一般の繁華街にお忍びで出掛けたりするのも、実はここらへんが原因なのである。ダレットは恋愛沙汰などまったく興味が持てないのだ、今のところ。
「ああ、昨日ちょっと喧嘩しちまってな。それで、昨日の今日で会いに行くのも何だか情けないし。こっちから謝るのも悔しいじゃねえか」
照れくさそうに頭を掻きながらアルトは言う。実際、アルトと件の姫君との熱愛は有名な話なのだ。家柄も十分に釣り合うから、そう遠くないうちに結婚するだろうと言われている。政略結婚がほとんどのこの御時世には羨ましい話であった。
「それで、俺をからかいに来たってわけだ。いいからさっさと仲直りして来い」
心底面倒臭そうに、ダレットは言った。正直、誰と話すのもうざったいような、そんな気分だったのだ。
「何だよ、つれないな……何か嫌なことでもあったのか?」
アルトがダレットの顔を覗きこむ。ダレットは無言のままだった。
あの少女の顔が脳裏をよぎる。同時に、少女の言葉が突き刺すように頭に響いてきた。
嫌なこと、と言うわけでもない。何よりも嫌なのは、この現状から逃れようとすることも出来ない、自分自身だ。
気付かされてしまった。あの、一人の少女に。エルフの血が半分混じった、紫の瞳を持った少女に。
無言のダレットを、アルトがどう思ったかは分からない。だが、アルトは何か思い出したように言った。
「そういや、お前にも確か縁談があるんだろ? まあ、俺もお前もそろそろ年貢の納め時だからな。二十二にもなって、まだ独身ってわけにもいかねえしなあ、俺たちの立場からすると」
この貴族社会においては、結婚年齢はそう高くない。政略結婚となると、特に女性は十三、四で嫁がされることも珍しくない。確かに、ダレットのように二十歳を過ぎても婚約者の一人もいないのは珍しい部類に入る。
いや。そんなことはともかくとして、だ。
「ちょっと待てっ!」
ダレットは悲鳴のような声を上げた。アルトに向き直ると、友人の胸倉を掴みかねない勢いでまくし立てる。
「俺は聞いてないぞ、そんなこと! 大体、ただの噂だろう、そんなこと……!」
暇を持て余している貴族たちの、特に貴婦人たちは他人の噂を種に盛りあがるのが日課のようなものだ。その、ダレットの縁談云々に関しても、そんな噂が曲解を重ねまくって伝わっただけだと、そう思うのだが……
慌てた様子のダレットを、アルトは不思議そうに眺めている。
「いや、ちゃんと決まった話だって聞いたぞ? ……もしかして、お前だけ聞かされてないのか?」
壊れた人形のように、首をがくがくと縦に振るダレット。そんな話、初耳である。しかも、それがよりにもよって自分の結婚話などと!
一つだけ確認しておかねばならない。ここで半狂乱状態に陥るより先に。
「それでっ! その話だと、相手は誰だ、相手はっ!」
アルトの肩をがしっと掴み、がくがくと揺すりながらダレットは訊いた。縁談である以上、相手の女性がいるはずである。
「聞いて驚け、それがだな……」
明らかに友人の動揺ぶりを面白がっている様子で、アルトは意地の悪い笑いを浮かべた。もったいぶったように、なかなか次の言葉を言わない。
「だからっ! 誰なんだ、それはあああっ!」
興奮でほとんど我を忘れている。さすがにアルトもこれ以上放っておくのはまずいと思ったのか、おもむろに一人の女性の名前を口にした。
「カシュラル・レストラード。あの軍部の<戦女神>だよ……お前も運がいいな、あれだけの美人と結婚出来るんだから。いいよなあ、さすがに名門中の名門、コルフォース家のご子息だ」
最後のアルトの嫌味はまったく耳に入らず……女性の名前を聞いた時点で、ダレットの思考は活動を停止した。
「結婚? ……私がか?」
涼やかな声が部屋に響き渡った。口調こそ勇ましいが、その声は紛れもなく若い女性のものである。
「はい。何でもアワード将軍の取り成しと聞きましたが……違うんですか?」
「知らん。私はそんな話は聞いていない」
その女性……カシュラル・レストラードは自分に与えられた執務室の机を指で軽く弾いた。ちょっとした世間話のつもりでその縁談を口にしたその部下は、それが彼女が機嫌の悪いときの癖だと知っている。露骨に脅えた表情をすると、慌てて部屋から退室した。
「……どういうことだ?」
カシュラルは独り呟く。狭い執務室に、必要以上にその声は響いたが……誰もいない部屋のことだ、遠慮する必要もないだろう。
「……確認、だけはしておくか。どうせ他愛のない噂だとは思うが……あまり広がりすぎると少々厄介だ。まったく、人の噂ほど手の付けられんものもないな」
嘆息し、独り結論を出すと、カシュラルは立ちあがった。
さらり、と長く伸ばした艶やかな黒髪が揺れる。少々機嫌が悪そうに光る瞳も同じく、黒曜石のような漆黒。それとは対照的に、肌は陶磁器のように滑らかで白かった。
それに、何よりも。
少々切れ長の眼に長い睫、形の良い眉。すっと通った鼻梁。鮮やかな紅の唇。
異性の憧れと同性の嫉妬を同じ数だけ集めそうな、まさに神が創り出した彫刻のような美貌。完璧に整った、色白で端正な顔立ち。今は少々怒りで肌が紅潮していたが、それもまた別の魅力を醸し出している。
いかに美しいと評判の貴族の姫君でもここまでの美人はいないだろう。誰もにそう思わせるだけの美貌を彼女は持っていた。
しかし。
その身に纏うのは豪奢なドレスではなく……武骨な、飾り気の一つもない軍服である。濃緑の男物の軍服を、少々大きさを調整しただけでそのまま着ている。それがまた、彼女のめりはりの効いた体型をはっきりと映し出してはいるのだが。
将軍補佐。それが、彼女に与えられた地位だった。
彼女は何処ぞの名門の姫君というわけではない。正規軍に編入されて八年、実力だけで、しかも女性というハンデを跳ね除けてまで現在の地位まで上り詰めた、まさに叩き上げの軍人だった。
エルゼシア帝国が建国して五十年経っているが、これだけ変わり者の人材も珍しい。実力主義とは言え、男社会である軍部において、将軍のすぐ下の地位に女性がいることは例がない。そしてこれからもおそらくないだろうが。
しかも、それが妙齢の、しかも絶世の美貌と評される人物なら尚更だ。彼女はまだ二十一歳……ダレットとほぼ同い年である。
だが別に、彼女はその美貌で現在の地位を手に入れたわけではない。武人としての武術、部下の統率力、仕事の達成力。あらゆる分野において彼女は並の男たちを凌駕していた、それだけの話だ。
とにかく。軍部一、そしておそらくは王都一の変わり者の美女として有名な女性、それがカシュラル・レストラードだった。<戦女神>という二つ名も、その美貌と実力からきている。
カシュラルはすっと立ち上がると、すたすたと歩き出す。その仕草は確かに、優雅と言うよりは勇ましいと言えた。まさに、武人の動き方である。
腰に吊った、少し刀身が反り返った形の剣……俗に刀と呼ばれる武器が、かちゃりと音を立てて揺れた。
