暁の大地

04.縁談と再会

「父上っ!」
 父親の私室に、ダレットは駆け込むなり怒鳴った。
 騎士の位を拝命してコルフォース家の屋敷を出てからは、父親の家に戻ることは少なかった。ダレットには姉が三人、そして兄が一人いるが、姉はいずれも結婚して家を出ているし、親と同居している兄がまた、ダレットは妙に苦手だった。出来ればあまり家には寄り付きたくなかったのだが……今回ばかりは仕方がない。
「何だ、騒々しい」
 部屋の執務机で黙々と仕事をこなしていた父親は、末息子の突然の乱入にも顔色一つ変えずに応じた。
 ゴフセフ・コルフォース。ダレットの父親にして、帝国の宰相を務める人物である。まあ、少々息子が騒いだくらいで動じていては、国の宰相など務まらないだろうが。
「俺に……いや、私に縁談がある、という話を聞きました」
 父親の厳粛な視線に射竦められ、ダレットは無意識のうちに背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、硬直したような状態で口を開いた。傍から見たら、人形がぱくぱくと口だけ動かしているようにでも見えたかもしれない。
「本当の話なんですか? ……だったら、何で俺に……じゃなかった、私に一言も説明がないんです!」
 父親の前に出た緊張よりも混乱と興奮の方が勝った。父親の机に詰め寄り、ダレットは喚く。
「まあ、待て」
 ゴフセフは仕事を一時中断し、こめかみに手を当てて考え込むように言った。眉根を寄せて、何かを思い出すような仕草をする。
「私も確かに、その噂は耳にした。だが言っておくが、私はお前の縁談なぞ了承した覚えはない。大体、何処から聞いた話だ?」
「俺……私は、騎士団の同僚からです」
 確か、アルトは決まった話だと言っていた。それなのに父親は了承などしていないと言う。噂話と父親の話、どちらを信じると言われたら間違いなく父親の言葉だが……
 何かが引っ掛かる。だが、ダレットは生憎と頭脳労働には長けていない。がりがりと頭を掻き、考え込む。
 その時、部屋にまた一人、入ってくる気配がした。ダレットは前から気配を捉えていたので驚きはしないが、ゴフセフは驚いたように顔を上げる。
 入り口には一人の男がいた。栗色の髪に緑の瞳。その顔立ちも、同じ鋳型から鋳抜いたかのようにダレットと似通っているが、身に纏う雰囲気だけが決定的に違う。
 ダレットの兄、ジェラルドだ。この騒ぎを聞きつけて顔を出しに来たのだろう。
「ダレット」
 ジェラルドは弟の行状をたしなめるように言う。
「屋敷の中で走りまわるな、喚くなと昔から言っているだろう。何だってお前はいつまで経ってもそれが直らないんだ」
 情けない、とでも言うようにジェラルドは露骨に顔をしかめた。が、元々険しい顔つきなので、見慣れている者でないとその違いは分からないだろうが。
 とにかく四六時中、やたらと厳格な、悪く言えば堅苦しい雰囲気を撒き散らす人物、それが兄ジェラルドだった。性格もそのままで、とにかく何につけても厳しい。ダレットも小さい頃から何回兄に叱られたか分かったものではない。嫌いというわけではないのだが、この兄に関してはとにかく、昔から苦手意識が抜けない。
 ジェラルドは一礼をして部屋に入ってくると、ダレットの隣に立った。これで、コルフォース家の男三人が揃ったことになる。
「私も、お前の縁談が云々、という話は聞いた」
 ジェラルドは、とにかく噂話などには興味のない人物だ。その兄ですら耳にしているのだから、相当その噂は広まっていると思って間違いないだろう。
「しかも相手は、『あの』カシュラル・レストラードときている。あの女性の手腕は評価に値するし、家柄云々に関してとやかく言う気もないが……」
 ジェラルドも困ったように顔をしかめた。
「大体が、話の出所が分からん。それに出来過ぎだ」
 狭い部屋の中で、三人が揃って顔をしかめて考え込んでいる。ただし、ダレットは頭脳労働がとにかく苦手なので、本気で考え込んでいるのは父と兄だけだったろうが。ダレットはただ顔をしかめているだけだ。
「カシュラル・レストラードはとにかく有能で通っているし、それは事実だ。だが、家柄がない。元々が一般兵の出身だからな。そしてこちらは、建国時……いや、それ以前の並立時代からの名門ときている。
 よくある組み合わせだ。力があっても家柄がない者が、家柄の名誉を欲しがるという話は。……だが」
 ゴフセフはそこで一端言葉を切り、二人の息子を見据えた。
「カシュラル自身がそれを望んだとは少しも聞いていない。それに、あの女性の性格からして、今更家柄なぞ望むと思うか?」
 カシュラルは、正規軍からの叩き上げだ。現在の地位を手に入れるまでには、さんざん、名誉ばかりを重んじる人間たちと戦ってきたことだろう。だったら、その『家柄』に固執し、それだけの人間を毛嫌いすることはあっても、自らも同じようになろうとは決して思うまい。
「彼女は軍部の人間ですからね。管轄が違うから、よくは分かりませんが……下手をすると、我が家の権威に関わりかねません。一応、調べてみた方がよさそうですね」
 ジェラルドが父に向けて言った。ゴフセフも、無言で頷く。当の本人だけが、何やら取り残されている。
 父ゴフセフと同じく、ジェラルドも文官として王城で勤めている。元々コルフォース家は文官を中心に輩出してきた家柄であり、ダレットのような武人は珍しいのだ。父も兄も嗜み程度には剣を習っているはずだが、ダレットのようにそれを本職とはしていない。
「とにかく、ダレット、お前は家に戻れ。出来るだけ目立つような行動は控えた方がいい」
 ジェラルドが弟に言った。もっとも、目立つような行動など普段からするようなダレットでもなかったが。
 王宮騎士団内でも、ダレットは特に目立つような存在ではない。王宮騎士団という存在自体にさほど手柄など立てるような機会などなかったし、恋愛沙汰にしても、ダレットは興味がないので女性に関する噂など今までたったためしがない。
 とにかく、ここは自分よりは父と兄に任せた方が確実である。人にはそれぞれ、得意分野というものがあるのだ。
「……分かりました」
 ダレットは頷くと、父親の部屋を後にした。
「はあああああ……」
 一気に緊張感から解放され、ダレットは大きくため息をついた。自分の父と兄とは言え、あの二人の前に出るととにかく緊張して気疲れする。
 コルフォース家の屋敷を出たとは言っても、今のダレットの家……元々は彼の母親、ゴフセフの妻の持ち物だった屋敷である……はさほど離れていない。面倒なので、ダレットは特に供も連れずにやって来ていた。もっとも、現在ダレットの家に、供に出来るような使用人はいなかったが。
 夜の暗い道に、立ち並ぶ家々から漏れる明かりがかすかに陰影を作っている。そんな静かな情景を眺め、ダレットはふと思いついた。
 気がつけば自分の家の前まで来ていたが、家には入らず、ダレットはぼんやりと夜の街を歩き出した。

(アワード将軍……だと?)
 カシュラルは執務室で一人、机をこつこつと叩いた。考え込むときの癖なのだが、今はそれを咎めるような人物もいない。夜遅くのことなので、部下たちも帰宅、あるいは宿舎に戻ってしまっている。
 が、カシュラルは一人軍の本部の部屋で書類と格闘していた。目の前には、やたらと細かい数字がずらずらと書かれた書類が、文字通り山になって積まれている。それに片っ端から目を通し、目に付いたものに印をつける。その繰り返しだ。
 彼女が今やっている仕事。それは、公金横領の捜査だった。公式なものではなく、彼女自身が個人的にやっていることである。
 気がついたきっかけは大したこともなかったのだが、こと不正となると調べ上げないと気が済まない性質である。暇な時間を利用しては、軍部の予算、決算の書類に目を通していっているのだ。彼女の立場からすれば、機密書類の謁見と言えどそう手間はかからない。
 個人的に捜査を続けて数ヶ月。やっと、その犯人が見えてきたのだ。それが……彼女の上司の一人、アワード将軍だったのである。
 そのアワード将軍が、何故、今自分の縁談話などを吹聴して回る?
(……まあ、どうせろくなことではないのだろうが)
 時期が時期だけに、きな臭いことこの上ない。そろそろ証拠も集まってきており、告発するまでの詰めもできてきていた。
(ふうむ……)
 事務作業を一時中断し、カシュラルは立ちあがって伸びをする。そのまま立ちあがって歩き出すと、別の資料室に向かった。
 こちらは、主に人事に関する書類を納めた書庫である。その中から、アワード将軍に関する書類を引っ張り出した。
 そこそこの名門の出身であり、ほとんど年功序列の賜物で現在の地位まで出世してきている。そのせいで、個人的な功績はほとんどない。カシュラルは思わず眉をひそめる。一番嫌いな型の人間だ。
 ざっと目を通し、カシュラルは書類を納めた。気になった情報は、この書類にはなさそうだ。
(……となると……)
 別の書庫に行かなければならなくなりそうだ。カシュラルは面倒臭そうに顔をしかめ、そしてまた歩き出した。

 縁談話は、どうやら事実になりそうであった。
 ダレットの父、ゴフセフに正式な話の申し込みがあったのである。ただし、話を持ち込んだのはカシュラルではない。彼女の上司に当たる人物、アワード将軍である。カシュラルの方にも、アワード将軍から話が行ったらしい。
 ゴフセフには断る理由が見つけられなかった。カシュラルの美貌、手腕、地位、それらは決してコルフォース家には不利益にはならないのである。
 カシュラルにしたところで、上司からの話をそう簡単に突っぱねるわけにはいかなかった。せいぜいが、「考えさせてくれ」と先延ばししたくらいである。
 何よりも、あのばら撒かれた噂。あれが痛かった。アワード将軍の仲介で二人が結婚する、そうほとんどの人間が思っている。しかし、それが実は単なる噂だったと知れれば、将軍の顔に傷がつく。話をばら撒いたのは将軍自身であったのだ。
 ゴフセフにしてもカシュラルにしても、露骨に重要人物の顔に泥を塗るような真似は出来なくなってしまっており……気がつけば、言い逃れがきかなくなっていたのである。

「畜生……畜生っ!」
 夜の街を、ダレットは当てもなくうろうろと歩き回っていた。苛々だけが募るが……また剣を振り回すわけにもいかない。今度こそ他人を、自分を傷つけてしまう可能性すらある。刃物というものはそういうものだ。
 自分の知らないところで、自分の人生が決められてしまう。
 そう考えれば考えるほど、不快感だけが膨れ上がっていく。
 あのカシュラルという女性にしたところで、ダレットはせいぜいが顔と名前を知っているという程度の間柄でしかない。王宮騎士団と軍部は管轄が違うためだ。カシュラルの美貌は知っているし、男として美人と一緒になれるというのは嬉しい話ではあった。
 だが……
「何か、引っ掛かるんだよな。この話」
 普通とは状況が逆だ。普通は正式に話が決まった時点で、周りに話が行くものだと思うのだが。その過程で少々話が漏れることはあっても、仲介した本人が、話が決まる前からああもおおっぴらに話すものだろうか?
 あれではまるで……
(……この話が流れないように、仕組んだみたいじゃないか)
 となれば、アワード将軍とやらには、何が何でもカシュラルと自分を結婚させたい事情があるということになる。だが、そんなものは思いつかない。大体がアワード将軍にしたところで、カシュラルと同様、面識などほとんどないのだ。父や兄は何回か話したことくらいはあるだろうが。
「訳が分からないな……」
 どのくらい歩いてきたのだろう。立ち止まり、ふと、呟いたその時。
(……気配)
 夜のことだから、姿など見えない。だが……確かに、『誰か』がこの近くにいる。
(何処だ?)
 目を閉じ、一点に意識を集中。意識を絞り込む。心の何処かが、ぞっとするほど冷え込んでいくような、そんな感覚。
 目を開ける。今度ははっきりと、夜の街を疾走する『何か』が見えた。黒い外套に身を包んだ、小柄な人影。
(どう考えても怪しいよな。あんな黒い服を着て、気配まで殺して)
 普通なら、もし昼間に目の前を通り過ぎられても気付かないような……それほどまでに、人影は完璧に気配を消していた。それを察知できたのは、ダレットだからだ。そんな日常生活にまるで役立たない芸当は、昔、さんざんに仕込まれている。
 帝国騎士として、尋問くらいはしても罪にはなるまい。
 そうと決まったら、ダレットの行動は速かった。
 足元から小石を拾い、人影に投げつける。小石程度で動きを止められるとも思わなかったが、人影は自分の行動に絶対の自信があったのだろう。殺した気配が一瞬、乱れる。
 そこに突進し、外套を掴んで一気に引きずり倒す。起きあがられるより先に、身体を地面に抑えつけた。ダレットは体術にも通じているから、この小柄な人物ではまず振りほどけなどしないだろう。
「……何者だ?」
 低く誰何の声を発しながら、ダレットは片手で人影のかぶったフードを剥ぎ取る。が、次の瞬間にその顔が引きつった。
 自分が地面に抑えつけている人物。それは紛れもなく、以前に出会ったあの紫の瞳の少女であったのだ。

「…………!」
 少女……キルファも露骨に顔を恐怖の色に染めた。よりにもよってまた、あの帝国騎士と出会ってしまったのだ。
「お前、何やって……」
 ダレットが呆然と呟く。それでも、掴んだ手首は離そうとはしない。キルファが逃れようともがくのを、全力で抑えこむ。
「放っておいてよっ!」
 この静かな夜の街では、特に少女の高い声は響く。キルファは思わず叫んだ後、慌てて声の調子を抑えた。
 今のキルファに何を聞いても答えはしないだろう。ダレットは黙って、キルファの走っていこうとした方向を眺めた。
 そちらには、軍部の宿舎があった。普段なら気を止めなどしないだろうが……
 カシュラル・レストラードは、将軍補佐となった今でも自分の邸宅を持たず、宿舎の一室で生活している。それは彼女が独身であるということ、そして権勢というものに無頓着であるというのが理由なのだが。ダレットも、縁談話があって以降、それくらいは耳にしている。
「カシュラル、か……?」
 ダレットにしてみれば、単に思い出したように呟いただけであっただけなのだが。キルファの無表情に、かすかに動揺の色が混じる……まるで、目的を見抜かれたかのように。
「……ちょっと、乱暴な手段になるが、悪いな」
 抑えつけたキルファの外套を強引に引き剥がす。ここに警衛兵がいれば間違いなく捕まってしまうようなやり口ではあったが、生憎と乱暴狼藉の主は、警衛兵より遥かに地位が上だった。
 転がり出てきたものは、何本もの投擲用ナイフ、腰の後ろに差したやや小振りなナイフ、投針。盗賊が持っている基本装備。そして……
「…………?」
 乱暴に引っ張り出したお陰でくしゃくしゃになった一枚の紙片を手に、ダレットは首を傾げた。普通の紙片とは違う。暗いので書かれている内容は読むことが出来ないが、紙に施された細かな装飾は、間違いなく自分に馴染みの深いもの……貴族の使うような紙だ。しかも、署名までされているようであった。
 月明かりだけを頼りに、ダレットは手にした紙に目を凝らす。せめて、署名だけでも読めればと思ったのだ。
「……アワード将軍?」
 署名の主は、そうなっていた。  

 

 
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