暁の大地

05.哀しい瞳

「……何なんだ? これは」
 低い声でダレットは囁く。同時に腰から短剣を抜くと、まだ抑えつけたままのキルファの首筋に突きつけた。あまりやりたくないのだが、こればかりは仕方がない。
 だが、それでもキルファは話そうとはしなかった。話せば自分が殺される……そんな切羽詰った印象すら受ける。
「うーん……お前の悪いようにはしないから、せめてこれが何なのかだけでも話してくれないか?」
「ここでこうやって抑えつけてる時点で十分に悪いわよ」
 キルファが憮然とした顔で言う。
「まあ、そりゃそうだが……」
 ダレットは呟くと、キルファを抑えつけていた片手を離した。片手だけで少女の身体を身動きできないように押さえつけていたことになるが、ある程度体術に通じていれば、可能な芸当だ。だが、首筋の短剣はそのままである。
 キルファも、ある程度ダレットの技量を理解しているのだろう。迂闊な動きはせず、黙って立ちあがる。地面に転がったナイフに視線を向けるが、拾うより先にダレットの剣先が迫るのは確実だ。
「お前……別にスリだけやって生計を立ててたわけでも、ないんだな?」
「生憎と、生活にかかる金ってのは多いのよ。あんたみたいなお坊ちゃんには分からないだろうけどね。そりゃスリなんかもやるけど、他にも色々とやるわ」
 ようやくキルファが口を開いた。肝心な部分は話そうとはしなかったが。
「そのナイフやら何やら、それに気配の殺し方。素人にしちゃ多すぎるし、手馴れすぎてるな?」
「スラムでの必須技能よ。自分の身くらい自分で護らないといけないからね。油断なんて出来ないから、こうやっていつも携帯している」
 嘘だ。ダレットは直感的にそう思った。
「まさか、暗殺……」
 呟くダレットに、キルファが悲鳴のような声を上げた。
「冗談言わないで! いくらスラムのハーフでも、人殺しで金を稼ぐ真似なんてやらないわよ!」
 人殺し。その一言には、単なる言葉のあや以上の何かが込められているような気がした。それが彼女の矜持なのか、それとも……
「じゃあ、暗殺まではやらないにしても、脅しや盗みなんかだったら……」
 よくある話なのだ。例えば夜中に貴人の寝室に忍び込み、脅しの文書なりナイフなりを置いて行く。それはつまり、「いつでも貴様を殺せる用意がある」という意志表示となる。
 図星らしい。キルファの表情が強張った。無表情を装ってはいるが、確かに動揺している。
 それならば、彼女があれだけ気配を殺す術を身に付けている事も、万が一のためにナイフを大量に携帯していることも納得が行く。
(……待てよ)
 今回も、それと同じことを彼女がやろうとしていたら……?
 手に握り締めていた先程の紙片をもう一度凝視する。細かい文字を、必死で月明かりの中で読もうとする。
 が、その努力は横からの声であっさりと無駄に終わった。
「アワード将軍から、カシュラル・レストラード将軍補佐へ。
 これ以上の詮索は命に関わる。命が惜しかったら出すぎた真似はするな。おとなしく結婚して家にでもこもっていろ……だってさ」
 文書に目を通していたのだろう、キルファが横から懇切丁寧に文書を諳んじてくれた。
「カシュラルと、アワード将軍の間に何かあったのか……?」
 ダレットは首を傾げる。
「まあ、大体想像はつくんだけどね」
 キルファが肩をすくめて言った。
「お偉方ってのは、頭良さそうに見えて意外と単純なのね。特にこのアワード将軍なんて、頭悪すぎ」
 淡々とキルファが言うが、その口調には、はっきりと分かるほどの嫌味がこめられていた。
「要するに、アワード将軍がお前に、これをカシュラルのところに脅しに持っていくように依頼したわけだな?」
 国でそれなりの地位にある人物は、誰もが裏の世界とも繋がりを持っている。清濁併せ呑む信念がなければ、到底国政に携わることなど出来ない。
 これ以上の言い逃れは聞かないだろう。懇切丁寧に解説したのは自分であるにせよ、自分が言わなくともいずれ分かることだし、何よりダレットに自分は勝てない。逃げられない。それだけは確実だった。
「まあね」
 キルファは素直に認める。
「そういうわけで、それ、返してくれない? あたしとしては仕事なのよ、それが」
 キルファが紙片……脅しの文書を指差して言った。
「今から、カシュラルのところに忍び込むつもりか?」
「まあ、それが仕事だし」
 ダレットの問いに、キルファは何の気負いもなしに答える。瞬間、ダレットの顔が引きつった。
「止めておけ! 下手をしたら殺されるぞ!」
 必死の形相でそれを止める。だが、キルファは顔色一つ変えない。
「カシュラルが、何で<戦女神>なんて呼ばれてるかは知ってるか?」
「確か……とんでもなく強いんでしょ。軍のそこらへんの兵士たちよりもずっと」
「そんな人間のところになんか忍び込んでみろ、下手すれば殺されるし、失敗して捕らえられたら間違いなく……」
「今度はアワード将軍の方に殺されるってわけね。口封じに」
 淡々と、それこそ他人事のようにキルファは言った。
「お前、分かってて……」
「所詮、お偉方にしてみれば、あたしなんて捨て駒なんでしょ。成功すればそれで良し、失敗しても口を封じればそれで終わる。だけどまあ……あの頭悪すぎの将軍様は、あんたの登場までもは予想出来なかっただろうけど」
 キルファが鼻で笑ったような気がした。確かに、自分が二度もこの少女と出会ったのは偶然以外の何物でもない。けれど……
「お前、知ってて……それでも、やってるのか? そんな、仕事を」
「あんたには分からないだろうけどね」
 キルファは刃の如き冷ややかな視線でダレットを射抜く。月明かりに、紫の双眸が怪しく光った。
「この大陸で、ハーフの居場所なんて何処にもないの。それこそ、誰もいない場所にでも行かない限りね。それでも、居場所もなくても生きていこうと思ったら……それくらいの覚悟は要るの。
 人を蹴散らしてでも、生きていこうとする覚悟が。だったら当然、蹴散らされる覚悟もしなくてはならない。それだけの話」
 現在、このロンバルディア大陸には二つの種族が存在する。一つはダレットのような大陸を支配する人間、そしてエルフ族。二つの種族は長い間互いに争い合い、今だに歩み寄る気配はない。
 そのこすれ合う二つの種族の間に生まれた存在に、居場所などあるわけがないのだ。ただ、その軋轢に押しつぶされるだけである。
 キルファの瞳に秘められた哀しい覚悟。ダレットには、その想いは想像すら出来なかった。今まで、ただ安穏とした人生を過ごしてきた自分には。
「…………」
 ダレットはしばし黙考し……そして、言った。
「もしお前が、この仕事をしくじるなり、何なりすれば……どうなる?」
「しくじらなくても殺されるわよ。多分、刺客は来るんじゃないかしら。多少なりとも陰謀を知ってるわけだから。まあ、今までもそういうことはあったけどね。全員返り討ちにしたけど」
「返り討ちって……」
「だから、殺してはいないわよ。ぼこぼこにしてその服ひん剥いて、縛り上げて大通りに転がしとくだけ」
 ふとダレットは、似たような話を聞いたのを思い出した。カシュラルが正規軍に編入されてしばらくした頃、彼女の美貌に良からぬ感情を抱いた連中がいたらしく、彼女を強引に自分のものにしようとしたそうだが……やはり、返り討ちにされて似たような目にあい、軍本部の玄関に逆さ吊りにされていたらしい。その後間もなく、その兵士は退職したそうだが。それ以来、彼女に手を出そうなどという命知らずはいなくなったらしい。
「……女って恐いよな」
 ふと呟く。
「こっちだってただ利用されてるだけじゃないのよ」
「……いや、そういう意味じゃないんだけどな」
 ダレットは曖昧に笑って……引きつった笑いではあったが……話を続ける。
「さっき言ったよな? お前、この話、大体見当が付くって」
「まあね。でもまあ、少し考えれば分かりそうなもんだけど」
「だったら……取引を一つ、する気はないか?」
「…………?」
 思いがけないダレットの言葉に、キルファは眉をひそめた。もっともダレットは頭脳労働が得意ではないので、必死で頭を回転させながら話を続ける。
「俺が、そのアワード将軍の刺客からお前をかくまう。その代わりに、お前はその真相の見当を話す。……これでどうだ?」
 ダレットが、にやりと笑った。キルファが、意外とでも言った顔をする。彼女にしてみれば、刺客は脅威ではあるのだが。
「……何であんたが、そんなことを知ろうとするの?」
「その文書にあったろ。結婚でもしておとなしくしていろ、って。……その結婚の相手ってのが、俺なんだよ」
「そう言えば、ね」
 露骨に迷惑そうな顔をするダレットとは対照的に、キルファは何かを思い出したような顔をする。この類の仕事を引き受ける時に、保険としてある程度の情報を集めておくのは暗黙の了解である。文書を読んでおくのもその延長だ。
 何より、自分の首筋にはまだダレットの短剣が突き付けられたままなのだ。これでは取引などではなく、脅しだ。否、といえるわけがなかった。
「分かったわよ……」
 不承不承頷くキルファに、ダレットは我が意を得たりとばかりに頷いて笑った。
 取引というのはただの詭弁に過ぎない。何故かは分からないが、この少女にこれ以上危険な橋など渡って欲しくない……そう思っただけだ。本人がそれを自覚しているなら尚更に。
 もっとも……本人ははっきりと自覚してはいないが。
 迷惑そうな顔のキルファとは対照的に、ダレットの顔は嬉々としていた。

「坊ちゃま、お願いですから夜、一人で出歩くのは危険だからお止め下さいと……」
「だからその呼び方やめろ。それに、俺の剣の腕前は知ってるだろ」
 相変わらずのエルザとダレットのやり取りを、キルファは横で興味もなさそうに聞いていた。
 この小さな家……もっとも、貴族の感覚での話だが……に入るのは二度目だが、どうにも馴染まない。まあ、庶民には一生理解出来ない感覚なのだろうが。
 落ち着かないらしく、きょろきょろと部屋の調度を見回している。ダレットもあまり華美なものには興味がなさそうだから、エルザが整えているのだろう。落ち着いた色合いで統一されている。
 この家は元々ダレットの母親の持ち物だった家だ。その頃から大して変わってはいない。日々の手入れが良いので、年月を経たもの特有の深みと落ち着きを醸し出している。
 そういうわけで、決して華美な部屋ではないのだが。それでも馴染めないのは、日々の生活のせいだろう。
(……何考えてるのかしら、いや、そもそも何者なのよ、この男……)
 キルファは、横目でダレットを胡散臭そうに眺めたが……この状況からは逃れられそうもなかった。  

 

 
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