暁の大地

06.策略

「……お前、銀髪だったんだな」
 キルファを眺め、ダレットが呆れたように言った。
「何だと思ってたのよ」
 キルファがとにかく落ち着かない様子で言う。困りきった顔で、自分の着ている服を見下ろしている。
 キルファを自分の家にかくまう。そう簡潔にエルザに説明したところ、当たり前の話ではあったが、彼女は猛烈に反対した。それをダレットが説得して……もとい、ごねて押し通した。それが昨夜のことである。
 キルファの格好があまりにも薄汚いので、エルザがその身体を徹底的に洗い、ついでに服や髪を整えてやっているのである。ハーフのキルファに最初は気味悪そうな視線を向けていたが、今は嬉々として櫛を動かしている。何だかんだ言って、女の子を着飾らせるのが楽しいのだろう。キルファにしても、最初こそ暴れ出しそうな気配だったが、今はおとなしくしている。
 それを横で眺めていたダレットの台詞が、先程の言葉である。確かに、さっきまではキルファの髪はぼさぼさで汚れており、見た目は埃のような灰色。元の色など分かるわけもなかった。
 この大陸では、銀髪のような色の薄い……ほとんどない髪は珍しい。大抵が黒や茶色、金色などである。紫の瞳に加えてこの髪の色では、苦労も並大抵ではなかっただろう。
「……こんなもんですかね。髪がもう少し長ければ、束ねられるんですけど」
 髪を整えていたエルザが、満足げに言った。キルファは尚も首をひねりながら、鏡の中の自分を見下ろす。艶やかな銀髪を短く整え、小奇麗な服を着た自分がいた。
 この家にはダレットと住み込みで働いているエルザ、他には数人の使用人しかいない。そんなわけで、女物の、しかも子供の服などなかったので、仕方なしにエルザが急遽調達してきた。
「可愛い、可愛い」
 ダレットが適当に手を叩く。元々彼は一番下の弟なので、歳の離れた妹でもできた気分なのかも知れない。それを、キルファは半眼で睨みつけた。
 確かに、こうやって格好を整えれば、キルファはそこらの貴族の姫君よりもよっぽど可憐な容姿をしていた。細い線で描かれた整った顔立ちに大きな紫の瞳、艶やかな銀髪、小柄で華奢な身体。女としての豊満さは将来に期待するしかないが。
 気が強そうな鋭い瞳をしているが、それもまた凛とした気品に見える。豪奢なドレスでも着せれば、立派に貴族の息女として通用するだろう。
(……カシュラルも、昔はこんな感じだったのかな)
 ふと、ダレットはそんなことを思う。もっとも、カシュラルの顔を見たことなど数回しかないが……一度見れば忘れられない美貌だ。
「これならまあ、傍から見たら使用人にでも見えるでしょう。まさかこの家にこの子がいるとは思わないでしょうから、まず見つかる心配はないと思いますわ」
 キルファに着せてあるのは地味な……それでも、キルファ自身の感覚からすると高級品に見えたが……衣装だ。もしアワード将軍が通りかかっても、小間使いの少女とでも思うことだろう。キルファと直接、アワード将軍が接触したわけでもない。
「ま、そうだな」
 ダレットも納得し、とりあえず『キルファ隠蔽作戦』は幕を閉じた。……もっとも、ダレットとエルザが遊んでいただけのように見えなくもないが。
「それで? お前が言う、この騒ぎの真相ってのは?」
 ダレットの視線がすっと鋭くなる。それはまさしく刃となって、キルファを見据えた。

 これ以上の詮索はするな。命が惜しかったら出すぎた真似はせず、結婚して家にこもっていろ。
 脅迫状にはこう書かれていた。
「……だから、つまり、アワード将軍ってのはそのカシュラル・レストラード将軍補佐に何かしらの弱みを握られてるってことでしょ」
 こともなげにキルファは言った。
「それが何なのかまでは分からないけどね。まあ、ろくなことじゃないでしょ。それで、あたしに脅迫状を持ちこむように依頼した」
 キルファはソファに座り、その柔らかい感触を楽しむかのように深く身体を沈めながら説明する。
「……そこまでは分かる。だが、何だっていきなり結婚話なんかになる?」
 ダレットががりがりと頭を掻きながら言った。頭脳労働に慣れていない頭が、過労で倒れそうな気すらする。
「普通、女の人が将軍補佐なんて重要な地位にあることなんて……いや、人前に出るようなことすらまずないでしょう?」
 確かにそうだ。ダレットの母や姉たちも、滅多なことでは人前になど出なかった。むやみに高貴な女性が人前に姿をさらすことははしたないとされているからだ。
 カシュラルにそれが当てはまらないのは、彼女が名門の出身ではないからだ。一般兵からの叩き上げとして、彼女は存在している。
「カシュラルは名門の出身なんかじゃない。だから、現在の状況を黙認されている。……卑しい身分の出身の女風情が、ってね」
 皮肉な笑いを浮かべてキルファは言った。確かに、軍部では彼女の力量を認め、その美貌に惚れ込むような人間が多いが、その身分故に軽蔑しているような人間も、特に高位の人間には少なくない。
「でも、ここでカシュラルが結婚したとする。名門中の名門の息子とね。そうして、名門の一族の仲間入りをしたとしたら……そうしたら、カシュラルもいわゆる『貴婦人』の範疇に含まれるわ。それでも、現在の地位が維持できると思う? それを、貴族社会の慣習が許すと思う?」
「…………!」
 盲点だった。ダレットは目を見開き、横で話を聞いていたエルザも意外といった顔をする。
「確かに……名門の貴族の夫人が軍部で将軍補佐なんてやっているなんて前例がない。いや、今も十分ないが……さすがに、それは許されない」
 カシュラルの存在が目の上のたんこぶのような人間たちが考え出した、彼女を排除する手段。それが、彼女を何処かの名門の息子と結婚させてしまうことだったのだ。
「アワード将軍にしてみれば、彼女が弱みを他人に漏らすより前に彼女を排除したい。カシュラルが何処まで話を知っているのか、そこのところはよく分からないけど……だから、急いで結婚させて引退させてしまおうとした。『貴婦人』となったら、出歩くことすらままならなくなるからね。あんたの言う結婚の噂が何たらってのも、つまりはそういうことだと思うわ」
 確かに、あの噂のお陰で、父ゴフセフもカシュラルも逃れられなくなってしまったのだ。
「……じゃあ、俺の名前がそこに出てきたのは……」
「多分、あんた自身、いや……コルフォース家が何か関係していたから、って訳じゃないと思うわよ。名門中の名門で、適齢期で、ついでに婚約者の一人もいないちょうど良い存在ってのがつまりあんただった、それだけの話だと思うわ。
 ……ついでに言えば、あんたの親父さんは宰相でしょう? その息子の結婚の仲介をしたとなったら、権力も人脈も増えるだろうしね」
「…………」
 淡々と語られる真相に、ダレットは拳を握り締めた。
 自分が何かしたわけでもない。ただ『コルフォース家』という名前が問題だったのだ。自分でなくとも、誰でも良かったのだ。例えば、あの友人のアルトでも。……まあ、彼には婚約者がいるが。
 誰でも構わない。ただ、ちょうど都合が良かったのが自分だった、それだけの話だった。
 だったら。
 だったら……『自分』は。『ダレット・コルフォース』とは……一体何なのだ?
 これでは、王宮騎士団で感じていたことと何ら変わらないではないか。何も自分である必要などない。『自分』が存在する意味などない……
「…………っ!」
 ダレットは拳を机に叩きつける。それを、キルファが不思議そうな顔で覗き込んでいた。

「……公金横領?」
 ダレットは父の言葉を口の中で繰り返した。
 ダレットは父親に呼ばれ、コルフォース家の屋敷を訪れていた。兄、ジェラルドも側に控えている。前回と同じ状況だ。
「ああ。少々、軍部の方に探りを入れてみた。アワード将軍には、公金横領の疑いがあるらしい」
「……だったら、何だってそれを告発しないんです?」
「証拠がない」
 ジェラルドの言葉に、ゴフセフは苦々しい口調で答えた。
「よしんば証拠があったとしても、自分の上司を告発しようなどという人間はそうはいないだろう……そうだな、あのカシュラル・レストラードでもない限りは」
 キルファの予想した通りだ。ダレットは思わず背筋が凍るのを感じていた。
「だったら……」
 ダレットは、キルファの推理した真相をぽつり、ぽつりと語る。さすがに切れ者で通っている父と兄でも、そこまでは考えが及ばなかったらしい。語るにつれて表情が変わって行く。
 いや、キルファが真相に感付いたのは、貴族社会というある種の閉鎖社会の外にいる存在だからだ。ダレット達が当たり前だと思っていることでも、キルファには不思議に映ることも数多くあるのだろう。
 キルファの話したことはあくまで推理であり、証拠などないのだが……その信憑性は疑う余地がない。
 もっとも、キルファのことは伏せておいた。もし彼女のことを口にしようものなら、お堅い兄が「それはそれ。これはこれだ」などと言って、キルファを警衛兵につき出しかねない。とにかく、この兄は『馬鹿』と『超』が付くほどの真面目人間だ。その分、融通も効かない。父はそういうわけでもなかったが。
「そういうことか……だったら、特に我が家にとっての害はない。焦る必要もない。だが……」
 そこで、男三人は顔を見合わせた。父と息子二人の視線が、重なる。
「気に食わないな」
 ゴフセフが、三人の心情を代表して呟いた。
「事情は読めましたが……よりにもよって我が家の名前が利用されるとは思いませんでしたね。あの将軍、特に功績もなかったはずですが、悪知恵だけは働くと見えます」
 ジェラルドも苦々しげに呟く。もっとも、実は彼が言うほどに厳密な策略でもなかったのだが。
 いくらカシュラルを急いで結婚させて引退させようとしても、彼女がそれまでに証拠を集め終わり、告発してしまったら意味がない。しかし、それでも多少の時間は稼げるだろうから、その間に証拠の隠滅でもするつもりだったのだろう。
 ダレットは黙ったままだ。
(思惑は読めた。策略も分かった……だが、どうする? これじゃあ、あの将軍の思惑通りに結婚させられて、終わりじゃないか)
 肝心の打開策はまったく見えないのだ。アワード将軍とやらには特に何の接点もないが、ただ利用だけされてたまるものか。
 根本的な打開策は二つ。その公金横領とやらの証拠をばら撒いてやるか、それとも縁談を消してしまうか。
 前者はあまり意味がない。縁談自体は既に成立してしまっている。更に悪いことに、父も兄も縁談自体には特に不満がないらしいのだ。たとえアワード将軍が失脚したところで、結婚は予定通り行われる。彼らはカシュラルの技量を認めている。家柄云々に関しては、特に何も言う気がないらしい。反対してくれたら、そちらの方が有り難かったのだが。
 父と兄にしてみれば、今までずっと独身だった息子、もしくは弟がようやく身を固めることになり、かえってほっとしているのだろう。ジェラルドは既に妻も娘もいる。
 だが。
(俺はまだ結婚なんてする気はないんだ、正直なところ)
 この貴族社会では、政略結婚が当たり前だ。アルトのように恋愛結婚が実る場合もたまにはあるが、ほとんどは本人の意思など関係なしである。『自分』はどうでもいい。これでは……この策略にはまることと、何ら変わりない。
 我侭だと分かってはいる。分かってはいても……納得は出来なかった。少なくとも、今のダレットには。
 だったら、後者しかないのだが。どうにかして、この縁談を破談にしてやる方法……
 キルファは、「ちょうど良い、名門の息子だからあんたの名前が上がった」と言った。だったら、その「名門の息子」がいなくなってしまったら……?
(…………!)
 何かが……ふっと、一瞬だけ光が見えた気がした。それはぼんやりとして形を取らない。だが、ダレットの心の中に確かにそれは存在し、大きく膨らんでいく。
(そうだ。これなら。これなら……将軍の裏もかける。この下手な策略も潰してやれる)
 自分の思いつきに、ダレットは内心手を叩きたい気分だった。が、父と兄の手前、それだけは辛うじてこらえる。
「とにかく、事情だけははっきりしたことですし……それでは、失礼します」
 はやる心を必死に抑え、ダレットは唐突に父の私室を後にする。後には、ゴフセフとジェラルドだけが残された。
「……ジェラルド」
 ゴフセフは、唖然としている長男に話しかけた。
「今のダレット。……どう思う?」
「何か隠してますね」
 淡々とジェラルドは言う。
「さっきのあの表情。何かいたずらでも思いついたときの顔そのものですよ。あの顔は小さい頃から変わりませんからね、あの弟は……それに」
 ジェラルドの険しい表情が、一段増す。ゴフセフも言わんとしていることは察したのか、黙って先を促した。
「弟は、それほど策略だの何だのに長けてはいません……情けないことにね。だから、王宮騎士団への入団に賛成したのですが。さっきの、あの話はおそらくは本当でしょうが……ダレットにあれを教えたのは、おそらく別の誰かでしょうね」
 同感だとでも言うように、ゴフセフが頷いた。
「その誰か、が誰なのかまではそれこそ見当もつかんがな」
 まさかそれがスラムの少女、しかもハーフなどとは二人とも想像すらしなかっただろう。
「けれど」
 ジェラルドが、ふと険しい表情を和らげた。
「単なる私の勘ですが。その『誰か』は、おそらくダレットにとって害になる存在ではないでしょう……むしろ、良い意味で刺激になる可能性すらある。ああ見えて、人の性質には敏感ですからね、ダレットは。その弟が、事情を話すまでに信用したのなら」
「……そうだな」
 ジェラルドの顔。いつもの険しい顔つきに混じった柔らかさ。それはまさに、『兄』としての顔だった。ゴフセフも、息子の言葉に頷く。
「後は、あのダレットが何をやらかすか、だ」
 苦々しげにゴフセフは言った。
「どうせ、ろくなことではないでしょう。我々としては、せいぜい後始末の準備でもしておきますか」
「……そう、だな」
 ジェラルドの達観したような、諦めきったような言葉に、ゴフセフは大きくため息をつき、こめかみに手を当てながら頷いた。  

 

 
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