暁の大地

07.たった一つのやり方

「……本気?」
 父親に呼ばれたとかで出かけたダレットが帰ってきたのが夜遅く。やたらと嬉々とした表情のダレットを不審がったキルファが問いかけたところ、ダレットは更に楽しそうに自分の『思いつき』を語った。
 その後にキルファが呟いたのが、先程の言葉である。
「ああ。これなら将軍の変な策略とやらも、全部御破算に出来るだろ? それでいて簡単。完璧じゃないか」
「いや、あのね……」
 もはや何を言う気も起こらず、キルファはめまいのする頭をおさえてソファに身体を沈めた。ここにエルザがいなくてよかったと思う。彼女がこんな話を聞いたら、気絶どころでは済まないだろう。
(だから。一体何者なのよ、この男は)
 今まで心の中で何回も呟いた言葉を、また呟く。それしか出来ない。浮かんでくる言葉はそれだけしかない。
(名門コルフォース家の末息子。王宮騎士団団員。……まあ、そこまではいいわ、そこまでは)
 必死で頭の中の情報を整理する。いつもは回転の速い頭だが、今ばかりは活動するのを拒否しているような感覚すら受ける。
(それで。それでいて、何で出てくる発想が、こんなんなのよっ!)
 内心、絶叫する。が、ダレットがびっくりしたような顔をした。……どうやら、知らず知らずのうちに口にしてしまっていたらしい。
(ああああああああああ)
 もう、言葉を紡ぐことすら脳が拒否している。スラムで生活すること二年、修羅場もさんざん潜ってきたし、信じられないような光景も見た。だが……
 ここまで予想を裏切る男など、見たこともない。いや、想像すらしなかった。
 ずるずるとソファから身体が滑り落ちる感覚を味わいながら、キルファはダレットを見上げる。嬉々としてダレットは立ちあがり、早くも『準備』を始めそうな様子だ。
「いや、あの……考え直す気、ない?」
 他人事ながらさすがに気が咎めるのか、キルファはおずおずと言う。だが、今のダレットが聞きいれる筈もない。
「何でだ? それに、これが終わったらお前も刺客に狙われることもなくなるだろ? だったら、少し手伝え」
 確かに、自分の得意分野ではある。それは確かだ。ついでに、多少は命の安全も確保できる。悪い話ではない。が……
(あああああああああああ)
 まためまいがしてくる。目の前の優男が、何やら得体の知れない化け物にすら見えてくる。
 しかし。ここで断れば、この男は一人でもやりかねない。だったら、自分がついていった方がまだましかもしれない。
「……分かったわよ」
 キルファは不承不承、頷いた。

 誰もが深い眠りについているであろう、深夜。
 こそこそ動く見るからに怪しい人影と、赤々と燃え上がる松明があった。
 夜の闇にもはっきりと見えるような、豪奢な邸宅。さすがにダレットの実家、コルフォース邸には劣るが……彼の実家とは違って、わざと自分を派手に、その権勢を見せようとするような主人の思惑がありありと伝わってくるような、そんなたたずまいだった。
 はっきり言って、この家を見ただけで吐き気がしてくる。一番、嫌いな型の人間であるようだ。
 この屋敷の主人……アワード将軍とやらは。
「これはまた、結構な警備だな」
 屋敷の前に立っている私兵の数が半端ではない。使用人がエルザくらいしかいない自分の家とは大違いだ。ダレットは陰から覗きこみ、感心したように言う。
「んー、まあね。でも大したことないわよ、多分」
「分かるのか?」
「大体。士気はとりあえず低そうだし、こういった警備って、巡回の間隔さえ見抜けば結構、何とかなるのよ」
 ダレットの横でキルファが囁く。手馴れている者特有の、自信過剰でも何でもない、ただ、事実を述べているだけの口調。
 キルファに、ダレットが提案してみせたもの。
 それは、アワード将軍の屋敷に乗り込んで『証拠』を奪取した挙句、姿を消してしまうことだった。
 確かに、都合の良い『名門の息子』、ダレットが姿を消してしまえば、縁談は破談、もしくは無期延期にせざるを得ない。カシュラルに害が及ぶこともなくなる。ついでに、アワード将軍の公金横領の証拠を掴んでばら撒いてしまえば完璧、と言うわけだ。
 だが。
(……よりにもよって、よ? お偉い騎士様の考えることが強盗に家出? ……止めるあたしの頭はおかしくないわよね、多分)
 ぶつぶつとキルファは考える。まためまいがぶり返しそうな気がしてきたが、さすがにこの場面ではまずい。慌てて意識を集中し、不安を打ち消す。
 何よりも。成り行きの産物とは言え、それを手伝おうとしている自分も十分におかしいのかもしれない。ダレットのことをとやかく言えた義理ではない。
 それに、いつも自分がやっていることでもある。脅迫もやるが、何処ぞの屋敷に忍び込んで何がしかを盗み出す、と言う仕事も何回か請け負ったことがある。そして、自分はことごとくそれを成功させてきた。
 例外はただ一つ……今回の、カシュラルの脅迫だけだ。
 キルファは前回と同じ闇色の外套を羽織っている。体格の小柄さも手伝うから、彼女の技量なら見つかる可能性も低い。ダレットも、いつもの騎士団の鎧など身に着けず、目立たない色合いの外套を着て、顔を隠している。いつもと同じなのは腰に佩いた長剣と予備の短剣だけだ。
 数日間、このダレット・コルフォースを見ていて思ったことなのだが。
(……どうにも、貴族とか騎士とかそういう感じはしないのよね、この男)
 確かに、その仕草には幼少時から叩きこまれてきた礼儀作法が垣間見える。武術も習っているから、その動作にも隙がない。
 だが、それとは別に……根本的な部分で、何か、今まで自分が見てきた『貴族』とは違うような部分が見受けられる。その正体が何なのかまでははっきりしない。単なる感触だ。
 貴族であって貴族でない。騎士であって、騎士とは違う部分を持ち合わせている。
 ある意味で、この男も自分と同じ『変わり種』なのかも知れない。
「……そろそろ大丈夫かしらね。一気に抜けるわよ」
 警備兵が目の前から姿を消した。後は戻ってくる前に塀を乗り越えてしまえば良い。
 一応、手筈は打ち合わせてある。忍び込むのはキルファであり、ダレットはその援護に回る。つまり、ダレットは囮だ。キルファが忍び込んだら、後は正面から突入して警備の目を引きつけてやれば良い。
 正面から怒鳴り込んでやれば、さすがに周りの屋敷も騒ぎに気付く。強盗が入ったとなれば、街の警衛兵の捜査がすぐに入るだろう。その時に、公金横領の『証拠』が見つかり、警衛兵の手に渡るようにキルファが細工しておけば作業は終わりだ。公金横領を暴露するには、どうにかして国の機関に証拠を渡してしまえばいいのだから。
 警衛兵は軍部の管轄であり、アワード将軍は軍部の最高幹部だからもみ消される可能性もないわけではなかったが……間に将軍補佐たるカシュラルがいる以上、その可能性は低いだろう。
 ちなみに、アワード将軍の屋敷に乗りこむことを提案したのはダレットだが、その他諸々の細かい策に関して考えたのはキルファだ。ダレットはどうにも、思いつきだけで突っ走る癖がある。その最たるものが、この騎士の風上にも置けないような行動なのだが。
「それじゃまあ、後は頼んだわよ」
 一言囁くと、キルファは一気に夜の街を駆け抜ける。疾走しているにも関わらず、足音一つ立てない。気配も完全に殺しているから、普通の人間なら目の前を通りすぎられてもまず気付かないだろう。
 体格の小柄さもあるが、生来、キルファは身軽だ。塀は高かったが、手馴れた動作で塀の向こうに縄を放り投げ、向こうの木の枝に重りを付けた縄の端を絡ませる。縄を伝って軽々と塀を乗り越え、キルファは屋敷の内部に入り込んだ。
「……さてと。俺の仕事はこれから、かな……」
 初めて剣を手にしたときにも似た高揚感。久しく忘れていた感覚に、ダレットは全身の血が沸き立つような感触を覚えていた。
 キルファが完全に塀の向こうに姿を消したのを確認し、ダレットはすたすたと歩き出した。

「がっ……」
 悲鳴は、最初は一人だった。短い苦鳴とともにその男……正面玄関を警備していた男の一人だ……は倒れ、動かなくなる。単に気絶させただけだから、そのうち目を覚ますだろう。
(悪いな。恨みがあるのはあんたの主人なんだけど、な)
 心の中で呟く。抜き身の長剣を手に、ダレットは正面玄関に飄然と立っていた。
 男の悲鳴、そして何より全身で『私は怪しい者です』と主張してでもいるような格好の男。あちこちに散っていた、もしくは控えていた警備の私兵たちが次々に集まってくる。
 それでいい。自分は十分に屋敷の内部の人間たちの目を引きつけてやれば良い。
 ただ立っているだけなのだが、警備の兵たちが一様に一瞬、躊躇するのが分かる。まあ、これだけの数の兵を目の前にして動じないのだから、当たり前だろうが。
 それに、何よりも。分かるのだ……警備の男たちにも。
 目の前の男……ダレットが発する気迫が。一流の使い手、自分たちとは桁違いの力を持った人間であることが。
 しかし。仕事としてやっている以上、この不審者を取り押さえないわけにはいかない。
「貴様、何者だ!」
 決まりきった声……まあ、斬新な台詞というものがどんなものなのかは想像しかねたが……を上げながら、男たちがダレットに向かって斬りかかってくる。いかに使い手と言えど、この人数差だ。どうにかなるとでも思っているのだろう。
 十分に引きつけてから、ダレットは不意に駆け出した。正面玄関から離れ、後退して近くの細めの路地に入る。元々、近所の屋敷に騒ぎを知らしめる事が目的なのだ。
 細い路地に入り込まれ、男たちは一気に飛びかかることが出来なくなった。それに、その人数の多さが災いして、動きも取りにくくなってしまっている。
 一人対多数の戦闘の場合は、どうすればよいか。簡単だ。同時に一人以上と剣を合わせないような状況を作ってやればいい。
 路地に追って入り込んでくる兵士たちに剣の柄頭、あるいは鍔元……一番、切れ味の悪い部分である……で当身を食らわせ、気絶させていく。
 と。
 目の前の男の一人を気絶させた瞬間、その向こうから突き出すように剣が飛び出してきた。後ろから追ってきた男が、目の前の仲間の肩越しに剣を突き出してきたのだ。無茶苦茶とも言える行動だったが、鋭い剣先が脅威であることには変わりない。
「とっ……」
 ダレットは跳んで一歩後退。同時に、その勢いで先程気絶させた男の身体を突き飛ばしてやる。
 急に仲間の身体を押し付けられては、剣を突き出してきた兵士も動けない。剣を手にしたまま、身体を硬直させざるを得なくなる。
 そこを突き飛ばし、細い路地の中を強引に身体を押しのけて外に出る。路地には先程気絶させた兵士たちの身体が転がっている。済まないとは思ったものの、油断している暇はない。
 広い場所に戻り、兵士たちが一斉に自分を取り囲む。先程より幾らか数は減っているはずだが、この数の多さではよく分からない。まあ、地道に潰す以外に方法がないのも確かだが。
「さて……」
 ダレットは再び剣を構え、兵士たちに向き直った。

「……また、派手にやってるわね」
 外から聞こえてくる物音に、キルファは小さく呟いた。予想以上に、派手にダレットが外で暴れているらしい。そのお陰でこちらは大した苦労もなく、屋敷の内部を疾走していられるのだが。
 夜遅くのことだから、部屋の大部分は明かりは消されている。闇色のマントを羽織った人影が疾走しているなどとは、屋敷の人間は思いもしないだろう。
 屋敷の構造は、塀を乗り越えたときに見た光景から大体見当が付いている。それほど複雑な構造でもなさそうだ。まっすぐに、屋敷の主人がいるであろう場所を目指す。『証拠』があるとしたら間違いなくそこだ。
 構造こそ単純だが、この屋敷は無意味に広い。これもまた、主人の性格を反映しているように思えたが……今はただ、腹立たしいだけである。
(……あの男が暴れているにも限度がある。警衛兵が呼びつけられる前に終わらせないと)
 かすかに焦燥感を覚えながら、キルファはなおも屋敷の中を足音もなく駆け抜けた。

「ふうむ……?」
 夜の街を一人歩いてきたその人物は、かすかに首を傾げた。
 遠目にも分かる。何か、騒ぎが起きているようだ。松明の明かりが幾つも揺れて見えるし、怒鳴り声も聞こえてくる。様子からして、屋敷の警備の兵士たちだろう。
(強盗でも入ったかな?)
 皮肉めいた笑いを浮かべ、思う。少々黙考していたが、人影はまた、歩き出した。……その屋敷に向かって。
 屋敷に近付いてみても、誰も近寄ってくる気配がない。警備兵のほとんど全員が、騒ぎのために出払ってしまっているらしい。
 と、怒鳴り声が聞こえてきた。
「てめえ! ……何者だっ!」
「おとなしく……がっ!」
 何やら悲鳴めいた叫び声と、そして苦鳴。この声からして、強盗説というのが正しそうだ。それにしても……
(囮だな。そうでなかったら、ここで兵士たちの相手をしている意味がない。仲間がいるな……おそらく)
 人影は思う。気配を殺し……意識的にやったことでもなかったが……騒ぎの様子を窺う。警備兵たちの中心に立ち、抜き身の長剣を手にしているのは一人の男だった。
 顔を隠してはいるが、革鎧の一つも身に付けていない。それでいて、簡単に大勢の兵士たちをさばいている……いや、あしらっている。相当な使い手だ。
 斬りかかってくる兵士の一人の剣を受けると、軽くひねる。それだけで、兵士の剣はあっさりと宙を舞った。そこに肉薄して当身を食らわせ、気絶させる。その繰り返しだ。機械的に、武術の型でもやっているかのような印象すら受けるが……男が全身から発している気迫は、間違いなく実戦でしか発揮されないものだ。
 少しの間、その人物はその一方的な戦いを眺めていたが、ふと何か思い出したような顔をした。男の姿と、剣さばきと、以前目にしたある情報が。
 確信などないが……おそらく、真実だろうと思う。この人物にしては珍しい思考だったが。基本的に、証拠もなしに確信はしない性格だ。
(……さて。どうするかな)
 再び、黙考する。だが、それも数秒のことで……この騒ぎに便乗することに決めた。
 人影は目の前の塀を見上げると、少々助走しただけで軽くそれを乗り越えた。

(ここかしらね……?)
 屋敷の最奥部。そして、一番豪奢な部屋。間違いないだろう。ここが屋敷の主人、アワード将軍とやらの私室だ。
 部屋の中に気配はない。おそらく、外での騒ぎの指示に出払ってしまっているのだろう。部屋には一応鍵がかかっていたが、キルファは懐から針金を取り出すと何なくそれを開けた。彼女にしてみれば、鍵とも言えないような代物だ。
 部屋に忍び込む。大きな窓からは、月と星のささやかな光が差しこんできていた。その中に浮かび上がる、派手かつ悪趣味な装飾に、思わず嫌悪感を覚えた。
(さっさと終わらせないと)
 キルファは心の中で呟き、置いてある大きな机の中をあさる。案の定、『証拠』となりそうな書類が幾つか見つかった。結託していた人間との手紙、軍の本部の書類を改竄したようとした跡、などなど。
(……分かりやすい。分かりやす過ぎるわ)
 思わず感動などしつつ、部屋を見回す。とりあえず『高そう』かつ小さな品物を幾つか手に取り、部屋全体に荒らしたような形跡を付けてやる。それから、先程見つけた『証拠』を、荒らした部屋の隅に押し込んだ。一見しただけでは見えないが、『捜査』すれば見つかるような場所に、だ。
 アワード将軍にしても、まさか机の中に入れておいたものが、部屋の別の場所に移動させられているなどとは思うまい。灯台下暗し、というやつである。
 ダレットが派手に暴れているお陰で、そろそろ街の警衛兵が呼ばれているはずである。警衛兵が捜査に入るまで、現場は現状を維持すること。軍部の人間として、そんな常識を知らないはずがない。慌てて荒らされた部屋を隠そうとすれば、かえってボロが出る。結果的に、キルファが隠した『証拠』が将軍の手に再び戻る可能性は低いはずだ。
(まったくね……あの男、行動するならそれなりの計画を立てなさいよね)
 手際良く作業を終了し、部屋を出る。キルファが屋敷の外に出て合図を出せば、ダレットも適当に退却する予定だ。
 部屋の外に出る。侵入が困難な場所ほど、出るのは簡単なもので……さっきほどの苦労はせずに外に出られるはずだ。油断は出来ないが、九割方成功したと思って良いだろう。
 自らの作戦の成功に、キルファはにやりと笑う。
 その時。
「……何者だ?」
 囁くような、しかしはっきりと分かる殺気を込めた声が聞こえた。涼やかな……おそらくは女性の声。
「…………!」
 キルファは、思わず身体を硬直させた。  

 

 
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