暁の大地

08.真剣勝負

 確かに、辺りへの警戒を怠ってはいた。だが……気配を殺すのは忘れていなかった。それに、ここまで接近されて気付かないような自分でもないはずだ。
(何……? 何なのっ?)
 低い誰何の声に、キルファの心臓が跳ね上がる。思わず声を上げそうになるのを必死で抑えこみ、動悸をこらえる。
 だが、恐怖は消せはしない。目の前にいる人物。自分の気配を察知した人物。自分に気配を悟らせなかった人物……
(何者……なの?)
「相手が分からないのはお互い様よ……先に答えるのが礼儀だと思わない?」
 出来るだけ低い声で、囁くようにキルファは言う。先程の女性の声と同じように。
 お互いに姿が見えない状況で、ただ気配の探り合いだけが続く。相手……声からすると女性……はしばらく黙っていたが、また口を開いた。
「ふむ。まあ、それもそうか……だが、私も素性を明かすわけにはいかん。それに」
 ふと、相手の女性の視線が、先程細工してきた部屋に向いたような気がした。まだ、扉は閉めていない。荒らされた部屋の様子がぼんやりと浮かび上がっている。
「目的も大差ないようだしな。……名乗るのが礼儀だというならば、お互いに名乗らないことにするか」
 あっさりとした口調。声は涼やかな女性のものだが、口調はやたらと勇ましいし、また堅い印象を受ける。何処か、普通の女性とは違う気がした。もっとも、ここに忍び込んできている時点で十分に普通ではないが。自分と同様。
 だが、この女性の意見は自分にとっても悪いものではない。自分の素性は気付かれていないはずだ。
「……そうね」
 キルファも小さく囁く。
「さて。面倒が起こらないうちに、お互いに撤収するか」
 女性が囁き、そして駆け出す気配がする。疾走しているらしいのだが、自分と同様に足音一つ立てない。
 ふと……その女性の長い髪が揺れたような気がした。

 まだダレットは正面玄関で派手にやりあっているらしい。遠くから見ると、やたらと偉そうに怒鳴り散らす中年の男が見えた。あれが、アワード将軍とやらだろうか。ダレットは将軍とほとんど面識はないと言っていたから、たとえ顔を合わせた……もっとも、ダレットは顔を隠しているが……としても、気付かれることはないだろう。
 忍び込んだときと同じ要領で外に出る。そうしてから、隠し持っていた火薬を一発だけ破裂させる。殺傷力などほとんどないが、ただ、やたらと大きい破裂音がするものだ。
 これだけ大騒ぎしているのだから、今更爆発音が一つしたところで大した影響はない。ダレットへの完了の合図だった。
 ダレットが適当に追ってくる兵士をあしらいながら撤収するのを確認してから、キルファ自身も屋敷から離れる。万が一のことを考え、合流する所は離れた場所に指定してあった。
 夜の街を駆け抜けながら、今更ながらキルファは肌が粟立つのを感じていた。
「何だったのよ……さっきの女」
 気配を感じただけでも分かった。並大抵の使い手ではない。彼女がその気になれば、自分など気付かれずに殺すことも可能だっただろう。だから、余計に訳が分からない。
 目的も大差ない。確か、女性はそう言っていた。つまり、あの女性も何かアワード将軍に恨みでもあったのだろうか?
(…………?)
 何か、思いついたような気がしたが……確信が持てない。それに、思いつきはぼんやりとしていて、はっきりとした形を成さない。
(訳が分からないけど……とにかく、先に合流する方が先ね)
 もし、今後あの女性と出会ってしまったらどうなるのか。この場は敢えて考えないことにする。
 キルファはなおも夜の街を疾走した。

「よお」
 合流に指定しておいた場所には、先にダレットがいた。既に顔を覆っていた布は外している。
「大体、予定通りか」
「まあ、ね……」
 キルファの渋い顔に、ダレットが不審げな表情を浮かべる。あの破裂音の合図があった以上、成功したはずなのだが。
 一瞬、躊躇する。あの女性のことを話すべきか。
「……何かあったのか?」
「何でもないわ」
 結局、キルファはかぶりを振って誤魔化した。もし、今後あの女性に出会った時、ダレットに話しておいたら彼も狙われる可能性がある。ダレットも使い手であることは承知していたが、あの女性の気配……殺気は尋常ではなかった。
「それで。これからどうするの?」
 姿を消す、などという提案を聞いて一番気がかりだったことなのだが……答えが何となく恐かったので、結局今まで聞かずじまいだったのだ。まあ、エルザから聞いた話だとダレットには地方領主に嫁いだ姉がいるそうだから、そちらにかくまってもらう、というのが一番現実的かもしれない。とりあえず、ほとぼりが冷めればいいのだから。
 だが。
「いや……旅にでも出るかな、なんて思ってるが」
 またも、キルファはめまいを起こして昏倒する羽目になった。思わず脱力したキルファを、ダレットが慌てて支える。最初に出会った時と似たような状況だ。
「またあんたは……そういう、どうしようもないことを……」
 呟きがダレットの耳に入ったのかそうでなかったのか、定かではなかったが……とりあえず、ダレットは不思議そうな顔をする。
「いやだって、とりあえずこの王都から離れないとまずいことは確かであるわけで」
 ダレットの脳味噌だとそれを考えるのが精一杯であるらしい。キルファは強引にそう思って納得することにした。
 しかし、『いきなり姿を消した』という事実が重要なのであって、周りがそう思えば本当に姿を消す必要などないのである。何処か、王都の目立たない場所にでも潜伏していれば済む話なのだ。
 旅というのは、言葉以上に困難を伴う。身分を証明するものがなければ行き先の街に入ることもままならないことがあるし、盗賊たちも出没する。山や森には狂暴な肉食動物も多数生息している。
 だが……
「あんた、帝国騎士がそんなことをあっさりと……」
「だから、だよ」
 ダレットの表情に何やら真摯なものを感じ取り、キルファは脱力するのを止めた。ダレットの瞳が、キルファの紫の双眸を見据える。
「帝国騎士って言ったって、実際は何をするわけでもない。俺がいる意味があるのかな……って思ってな。
 だったら、『帝国騎士』じゃない、ただの『俺』に何が出来るのか、試してみるのも悪くない……なんて、な」
 『コルフォース家』の名を離れて、ただの『ダレット・コルフォース』になる。それは、不安ではあったが……同時に、とてつもない解放感を感じてもいた。
 『自分自身』に何が出来るのか。何の意味があるのか……それを、見つけられるような気がした。
「まあ、俺は王宮騎士団なんて器じゃないからな。教官のうけは悪いんだよ、正直なところ」
「へ?」
 初耳だった。正直、ダレットの武術の技量を見たのは自分自身が気絶させられたときと、先程の囮としての戦闘だけだったが……相当の手練であることは確かだ。帝国の武人の最高峰と言われる王宮騎士団においても、十分に通用するだけの力量に見えた。
 エルゼシア帝国の建国戦争があったのは五十年前。大規模な戦争経験のない人材が多い今、あれだけ実戦で通用する力を持っていることは誇りに思ってもよさそうなものなのだが……
 何時の間にかダレットと並んで歩いていた。歩きながら、キルファは首を傾げる。
 その時。
「……どちらに行かれるのですか?」
 後ろから不意に聞こえた静かな声に、キルファは身体がびくっと跳ねるのを感じていた。

 静かな、しかし強固な意志を封じ込めた声。涼やかな女性の声……
 間違いない。さっきの女性の声だ。
(……どうする?)
 よりにもよって、ダレットと一緒にいるところを見られてしまうとは。暗がりでの会話だけだったので姿は見られていないはずだが、この女性に一言でも声を聴かれてしまえば終わりだ。
(……え?)
 そう。姿は見られていないはずなのだ。それなのに何故、この女性が声をかけてくる?
 念の為に懐から投擲用ナイフを抜きながら……それでも、この女性に何処まで通じるかなど疑問だったが……キルファは振り返ろうとする。だが、横から聞こえた声に思わず身体を硬直させた。
「……カシュラル・レストラード……」
 呆けたようなダレットの呟き。
(カシュラル……レストラード?)
 今回の騒動で何回も聞いた名前。帝国の軍部の<戦女神>。将軍補佐。
 そんな単語が頭の中を駆け巡る。滑稽なほどに引きつった顔で、キルファは後ろを振り返った。
「…………!」
 夜の女神、とでも形容するべきなのだろうか。同姓のキルファから見てもため息の出るような美貌を持った、黒髪黒瞳の美女がそこに飄然と立っていた。
 
(……これは……さっきの娘か?)
 完璧な無表情を決め込んではいたが、内心、カシュラルも驚愕していた。
 先程、将軍の屋敷に忍び込んだところで出会った少女。声とその影から小柄な女性、もしくは子供だろうとは踏んでいたが……
(紫の瞳に、尖った耳……まさか、ハーフとはな)
 月明かりに、艶やかな短い銀髪が映えている。鮮やかな紫の双眸が、何処か脅えたように、強張った表情で自分を見ていた。向こうも、自分が先程出会った者であることには気付いたらしい。声を聞かせたのだから当たり前だが。
(ふうむ……?)
 内心の動揺など微塵も顔には出さず、淡々と、慇懃な口調でカシュラルは言った。
「こんな夜中に、どちらに行かれるのですか? ……ダレット・コルフォース騎士?」
 ほとんど尋問のような口調である。まあ、こればかりは職業上仕方のないことではあったが。
「ですが……それも仕方のないことかも知れませんね?」
 言って、にっこりと笑う。それは確かに、魅力的な笑みではあったが……
 その黒瞳が、ちっとも笑っていない。氷のように冷たい瞳に、かすかに皮肉の色が混じっている。
「先程、将軍の屋敷で強盗事件を起こして、そう簡単に姿を現すわけにもいかないでしょうから」
 きっぱりと、カシュラルは言った。

 縁談騒ぎの思惑は、カシュラルにも読めていた。元々、大した策略でもなし……切れ者で通っている彼女にしてみれば、苦笑したいような陰謀ではあった。
 が、その彼女ですら『結婚』から逃れることは不可能だった。自分自身に歯噛みしたものの、どうしようもない状況になっていた。
 それで仕方なしに、公金横領の証拠を盾に縁談を白紙に戻すことを要求しようと、アワード将軍の屋敷に向かったのだ。
 それで行ってみた所で遭遇したのが、先程の騒ぎである。どうやら、一足違いだったらしい。
 正面玄関で警備兵たちをあしらっていた男。その正体は、騒ぎの正体を確かめようとして自分も忍び込み、目の前の少女と遭遇したところで確信した。
 将軍の私室を荒らしていた少女。物取りにしては何かを持ち出す気配がなかったし、取り出した書類……おそらくは公金横領の証拠……を押し込む、などという得体の知れない行動を取っていた。だが、自分と目的が同じだとすれば、その行動は納得がいくのだ。
 現在、将軍を陥れる理由があるのはただ二人。自分自身と、縁談相手のダレット・コルフォースだけだ。
 まあ、帝国騎士のダレット自身が出てくるとは意外だったが、ダレットが使用人数人だけを雇って暮らしていることくらいはカシュラルも耳にしていたし、その腕前を見ても確かだった。
 目の前の少女の正体こそ分からないが、まあ、このダレットの関係者なのだろう。
 それで、とりあえず確認だけしようと屋敷から撤収したダレットを追ってきたのである。極力気配は殺していたし、また距離も取っていたお陰で気付かれずに済んだようだ。尾行は彼女の得意分野である。……あまり誉められた特技でもないが。
(……まったく。とんでもないことを考える男だな)
 目の前の『婚約者』を眺め、カシュラルは呆れたように思う。だが……
(面白い。……面白い男ではある、な)
 にやりとカシュラルは笑った。

「えーと……」
 ダレットも顔を面白いように引きつらせている。まさかあっさりと見抜かれるとは思っていなかったのだろう。いや、あの顔を隠した状況で、それもその場にいなかったはずのカシュラルが、何故そんなことを知っている?
「……あ」
 ようやく思い出したように、隣で同じく強張った表情をしているキルファを見る。先程のキルファの渋い顔、その正体がこの女性だとしたら……?
「おい、会ったのか? もしかして、カシュラルに」
「忍び込んだところでちょっとね……でも、顔は見られてないはずだったのよ。あたしも向こうの顔は見てない」
「……カシュラルも、さっき忍び込んでたのか?」
「そうみたい。理由はよく分からないけど……大方、あたしたちとやろうとしてたことは一緒なんじゃないの?」
 カシュラルの目の前で、こそこそと会話するダレットとキルファ。訳が分からないのは二人とも同じである。
 カシュラルはそんな二人を面白そうに眺め……そして、皮肉めいた笑いを浮かべながら言った。
「それで? これからどうなさるつもりですか?」
 にっこりと笑う。……それこそ脅しにでも使えそうな、にこやかかつ不気味な笑い。
「……俺はこれから、『行方不明』になります。そうしたら……今までの話も全部、消える。それで、問題ないはずですね?」
 カシュラルは意外とでも言いたげな顔をする。かすかに目を見開くような仕草をした。
「でも……今回の騒動は、元々私の行動から出たこと。貴方には直接の関係はないはず。……その、貴方がですか?」
 そう。本来なら、ダレット・コルフォースが何かしたわけでもないのだ。そのダレットが、そこまで責任をかぶる必要はない。……いや、カシュラルの矜持が許さなかった。
 憮然とした顔をする。この男に先を越されたような、そんな敗北感がカシュラルを支配する。
 困難は自力で克服する。それだけで、今まで生き抜いてきた……ある意味、キルファと似たような境遇のこの女性には、ダレットの行動は何とはなしに悔しいものに感じられた。自分の自己満足だとは分かってはいるのだが。
「まあ、最後にあれだけの騒動を起こしたのは俺ですしね……それに」
 さすがに、『騎士の生活が嫌だから都合が良いので家出します』とは言い辛かった。
 まあ、ダレットの表情を見れば、大体何を言おうとしているのかは見当がつく。とにかく、嘘のつけない男だ。詐欺師の類にだけはなれまい。
「成る程」
 カシュラルはかすかに笑い、そして言った。
「それならば、事後処理は私が引き受けましょう。……今頃、将軍の屋敷には警衛兵が行っている筈ですが……その処理を含めてね」
 確かに、キルファの考えた策は警衛兵がいなければ成立しない。カシュラルは軍の人間だから、警衛兵の指揮は本職だ。
「それで、貸し借りはなしということで。……それで、よろしいですか?」
 それはダレットにと言うよりは、自分自身に向けられた言葉だった。ダレットが頷くのを見て、カシュラルは満足の表情を浮かべる。
「私の用はそれだけです……この後は、私の個人的な質問ですが」
 淡々とカシュラルは続けた。ダレットは首を傾げる。
「この騒動に関して、失礼かとは思いましたが、少々、貴方に関することも調べさせてもらいました。お父上に母上、兄上に姉上方、それに王宮騎士団の書類」
 本来、カシュラルが欲していた情報はコルフォース家とアワード将軍に何らかの関係があるかどうかだった。それがまったくないと分かった時点で、カシュラルは、この策略に気付いたのだ。狙いがダレット、コルフォース家でない以上は、自分としか考えられない。
「その中に、王宮騎士団の訓練試合の成績表がありました。貴方は、王宮騎士団の中でもずば抜けた成績を収めている。単に戦闘力とだけ言うなら、王宮騎士団の中でも指折り……いえ、一番と言っていい」
 カシュラルの黒瞳に、わずかに鋭さが混じる。
「しかし、総じて教官の評価は低い。理由は……」
『邪道』
 ダレットとカシュラルの言葉が見事に重なる。
「騎士道精神に欠ける、と理由が書いてありましたけど。……それが何なのか、聞きたかっただけです」
「俺が剣を習った師匠というのが、元傭兵でしてね」
 苦笑してダレットは言った。質問があるというので正直びくびくしていたのだが……そんなことを聞いてくるのが、カシュラルのカシュラルたる所以といったところか。
「いわゆる、『騎士』の剣術とは少々、流派が違うんですよ。何があっても生き残ることを前提とした、実戦剣術」
 実戦では何が起こるか分からず、そして、勝負は一度でも負けたら終わり。すなわち、それは死を意味する。
 それを避けるため、いや、生き残るために手段を選ばない武術。外道と呼ばれる技を含めた、総合的な武術を実戦剣術と呼ぶ。
 しかし、特に騎士にはこの『実戦』剣術を嫌う傾向が強い。有名な師について型を徹底的になぞるところから始める、正統派の剣術を習い、また尊ぶ人間が多いからだ。そういった人間は、時に傭兵の剣術を『邪道』と呼んで罵ることがある。逆に傭兵たちは騎士の剣術を『お遊戯剣術』などと呼んだりもするが。
 もっとも、『実際』に戦うことがないから、そういった発想が生まれるのだが。実戦と訓練試合では、その傾向も、何より気迫がまったく異なる。
「成る程……だったら」
 カシュラルがまた、かすかに笑う。が、先程までの何か含んだ笑いではなく……幼さすら感じさせる、また同時に鋭い笑い方。
「一つ、我侭を聞いて頂けますか?」
 カシュラルの笑み。それは絶世の美貌と相俟って、確かに魅力的ではあった。が、危うさすら感じられる魅力だ。
 かちゃり、と小さな金属音がする。ダレットはその正体を把握するのに、一瞬の間を要した。
 剣帯の金具と、それに吊った刀がこすれ合う音だ。カシュラルは左手を鞘に、右手を柄に添え……にっこりと笑って言葉を寄越す。
「一手……お手合わせ願えますか? ダレット・コルフォース騎士」
 嬉々として抜刀の構えを取り、カシュラルが言う。一瞬ダレットは絶句し、それからようやく、断れるような状況でないことを察する。今にでも斬りかかってきそうな勢いだ。
「ちょっ……」
 尋常ではない気迫。思わず自分も剣の柄に手を掛け、それでもダレットは慌てたように言う。
「何で……」
「生憎と、私も『お綺麗』な剣術には縁がなかったもので。たまには似たような傾向の相手と戦うのも訓練になると思いますよ……少なくとも、ただ型をなぞっているよりはね」
 否、と言える状況ではない。仕方なしにダレットも長剣を抜く。
「いざ……」
 カシュラルが駆け出す。だが、刀を抜く気配はない。
「勝負!」
 夜空に、カシュラルの叫びが弾けた。

「ちょっ……」
 何故、カシュラルがいきなり勝負などと言い出したのか。何とはなしにキルファは察する。
 悔しかったのだ。この男に、先手を取られるのが。今まで自力で困難を切り抜けてきたのに、他人に情けをかけられて助けられることが。貸し借りなしなどとは言っていたが……それだけで満足するような女性でもなさそうだ。
 他人に頼ることを、そんな自分を許せない。それは……キルファにも理解できた。
 だから、敢えて止めなかった。カシュラルが抜刀の構えを取るなり、邪魔にならないように下がる。
 それに、少々興味があった。
 <戦女神>の実力とやらが。先程、自分が恐怖した殺気の正体が。

 駆け出し、一気にダレットとの間合いを詰める。ダレットは長剣で防御の構えを取るが、カシュラルは未だ刀を抜かない。
 ただ、距離だけが縮まる。そして、ダレットの長剣の間合いに入った、と思えた瞬間。
「…………っ!」
 銀光がきらめく。まるで、カシュラルの鞘から光が噴き出したかのように。
 ぎんっ、と澄んだ高い音が響く。火花が散り、一瞬の二人の攻防を浮かび上がらせる。
「つっ……」
 後退するダレットを、カシュラルは追わない。自分も体勢を立てなおし、刀を構える。
「……抜刀術」
 ダレットが呟いた。
 抜刀術。刀を鞘から抜く、その動作すら利用する奥義。鞘走った刀は、通常より遥かに速い速度でもって相手を襲う。居合抜き、などとも呼ばれるが……元々、この大陸では刀を使う人間が少ないため、滅多に見られない技である。
 今の一撃は辛うじて受けられたが――速い。抜刀術だったから、と言うだけではない。男女の体格差で膂力こそダレットが上だが、剣閃の速さではカシュラルに分がある。
「さすがですね。大体、この一撃で勝負がつくのですが」
 確かに、並の使い手ならば今の抜刀しながらの一撃であっさりと胴を薙がれて終わるだろう。ダレットも受けこそしたものの、その手がびりびりと痺れている。
 顔をしかめながらも、ダレットも長剣を構え直す。カシュラルが再び踏み込んできた。
 繰り出された刺突を、横に跳びながら剣で刀の方向をずらしてやる。そこに、今度はダレットが踏み込んで片手を剣から離して肘打ち。しかしこれは、カシュラルが後ろに跳んで避けた。
 とんでもない敏捷さである。
「成る程。これが邪道たる所以ですか」
 にっこりとカシュラルが笑った。確かに、剣での試合に肘打ちを混ぜるような真似は通常はやらない。だが、これは勝ちを目的とした、と言うよりは、剣を、刃を向けないためにわざとダレットがやったことである。ここで勝負がついてくれたら話は早かったのだが。
「でも。情けをかけていたら、そちらがやられますよ?」
 ダレットの考えくらいは、カシュラルはあっさりと見抜いていた。さらりと言って寄越す。
(どうする……どうする?)
 必死でダレットは考えを巡らせていた。
 自分にしてもカシュラルにしても、今使っているのは訓練で使う模擬剣などではない。真剣だ。当たればそれだけで傷を負うし、最悪、致命傷にもなり得る。自分が死ぬのも御免だし、カシュラルを殺す気などもっとない。
 しかし、相手を殺さずに制圧する。それは、相当な実力差がなければ無理な芸当だ。今まで撃ち合った三手で、カシュラルの技量は大体読めていた。手加減などして勝てる相手ではない。しかも、こちらに躊躇いがあれば尚更勝率は下がる。
「ちっ!」
 またカシュラルが斬りかかってきた。それを受け、弾きながら……ダレットにはなおも迷いが残っていた。

「ちょっと……」
 止めなかったのは間違いだったか。二人の戦闘を眺めつつ、キルファの額に冷や汗が浮かんでいた。これでは、どちらかが傷ついても……死んでもおかしくない。
 ダレットにしろカシュラルにしろ、二人とも相当な使い手であることは見れば分かった。自分など、及びもつかないような戦いだ。
 今更ながら、肌が粟立つのを感じる。あの時……二度目にダレットに出会った時、もし止められていなければどうなっていたことか。おそらく、気付く間もなく自分は殺されていた。
 アワード将軍がカシュラルの技量を見誤っていたのか、それとも知った上で捨て駒として自分を利用したのか。まあ、どっちも考えられる話ではあったが……
(……一発、ぶん殴ってくれば良かった。あのおっさん)
 先程垣間見た、おそらく今頃警衛兵への対応に追われているであろう小太りの中年男の姿を思い出し、キルファは毒づいた。

「はあ、はあ……」
 双方、そろそろ息が上がってきている。これで合計七手。人間が連続して剣を振れる間というのはそう長くないし……何より、余程双方の力が肉薄していなければ、ここまで撃ち合うことなどない。
 カシュラルがいったん離れ、刀を構え直す。今まではほとんど彼女から攻めてきていたから、彼女の方が運動量は多いはずなのだが、その動きはまったく鈍らない。むしろ、その嬉々とした笑みが深まっているようにすら見える。
 最初の動機はどうあれ、単純に楽しんでいるのだ。この戦いを。彼女にしても、自分と張り合えるほどの腕前を持った人間にはここしばらく出会ってはいなかった。
 反対に、ダレットの表情は曇っている。
(……どう、する?)
 まだ答えが見つけられない。
 自分の利点。それは剣の間合いが遠い……つまり、剣身が向こうより長いこと、そして単純な打撃力と膂力。そして……
(……だったら!)
 初めて、ダレットから仕掛けた。小細工も何もなし。大上段に振りかぶり、そして振り下ろす。カシュラルは刀でそれを受けるが、一撃は予想したよりも遥かに重かった。
 上から、それも全力での一撃に手が痺れる。が、必死でそれをこらえ、横に身体をずらしながら刀をひねった。湾曲した刀身に沿ってダレットの剣が流れる。結果的に、カシュラルの身体から剣の力の方向がずれることとなった。
 その一瞬後、カシュラルは横に跳ぶ。全力での一撃を外され、ダレットの体勢が大きく崩れる。そこに横薙ぎの一撃が加えられた。
 刀は真っ直ぐにダレットの脇腹を狙っている。大きく体勢を崩したダレットには、剣で受けることも身体を反らして避けることも出来ないはずだった。
 カシュラルは勝ちを確信する。
 が。
「…………!」
 がん、と鈍い音と手応えがあった。予想もしなかった方向に力を加えられ、思わず刀から手を離してしまう。
 そこに。
 体勢を立て直したダレットの剣が迫る。
 首筋に刃が突き付けられた。

「……とんだ、奥の手ですね」
 地に落ちた自分の刀を拾い、カシュラルは笑って言った。その顔には別段、悔しさなど感じられない。晴れ晴れとすらしている。
「奥の手、なんてもんでもないがな……咄嗟に思いついただけだ」
 あの時。横薙ぎに振るわれた刀を、拳で上から刀の腹を叩いて撃ち落したのだ。確かに、剣や刀ではそういった技もあるが……素手でやろうとする人間など、まずいないだろう。桁外れの勘と動体視力が要求される。
 ダレットは大きく息を吐き、剣を鞘に納める。そのまま街の道路に座りこんだ。大きく肩が上下している。
「さてと。そろそろ私も戻りますか……ああ、もう一つ聞きたいことがあるのですが」
 刀を鞘に戻しながら、カシュラルが思い出したように言う。
「貴方と、そこの娘……どういった関係なんです?」
 問われて、ダレットとキルファは顔を見合わせた。どういった関係。考えてみれば、単に偶然出会っただけなのだが。
「…………」
 二人とも、お互いを見たまま黙りこんでいる。それをカシュラルがどう思ったかは分からないが、かすかに笑みを浮かべたようだった。
「まあ、良いでしょう。それでは」
 あっさりとした口調で別れを告げると、カシュラルは立ち去っていった。あまりにもあっけない幕切れに、しばらく二人とも呆然とする。
 しばらく、ぼんやりと座っていたが……やがて、ダレットが立ち上がって言った。
「さてと。それじゃあ、俺たちもそろそろ行くか。さっさとこの街を抜けないと、厄介だし」
「…………へ?」
 ダレットの物言いに、キルファはしばらく黙りこみ……それから、思い出したように間の抜けた声を上げる。
「いやあの、行くってどういう……」
「だから、旅にでも出るかなー、なんて言ってたじゃないか。夜が明ける前にこの街から出ないと、色々と面倒が」
 要するに、闇に紛れて街を抜けるつもりなのだ。通常、街から出るには入り口にある城門を使わなければならないが、それだと『姿を消す』ことが出来ない。
「いや、そういうことじゃなくて……あたしも?」
 ゆっくりと、それこそ壊れかけた人形のような動作でキルファは自分を指差す。確かに今まではダレットと一緒に行動していたが、それはお互いに利害が一致するからであって、これからも一緒に行動するなどとは一言も言ったつもりはなかったのだが……
「違うのか?」
 心底不思議そうに、ダレットは首を傾げる。
「…………」
 キルファは黙って下を向いた。ダレットの傍らにいたのはこの数日だけだが、それが終わるのが……何だか、むしょうに寂しく思えた。
 確かに、訳の分からない男ではある。とんでもないことを言い出したりもする。何も考えていないような行動を取ったりもする。
 そして、とんでもないお人好しでもある。そもそも、自分をかばう必要などこの男にはなかったのだから。
 けれど……
「……一緒にいても、良いの?」
 一番、訊くのが恐かった問い。それでも、口にせずにはいられなかった。

 ずっとずっと一人だった。自分の居場所などないと思っていた。
 だから、ずっと一人で生きてきた。それで当たり前だと思っていた。
 けれど――

「ああ」
 ダレットが笑って手を差し伸べる。その手を、キルファは黙って見つめた。
 ずっと……探していたもの。欲していたもの。
 それは、この手ではなかっただろうか? 自分に差し伸べられる手。自分の側にいてくれる存在。
 何のことはない――恐かった。寂しかったのだ。一人でいるのが。一人で生きていくのが。
 ただ、それを認めたくなかっただけなのだ。
 だから。
 ゆっくりと手を伸ばす。おずおずと、ぎこちない動作ではあったが……しっかりと、差し伸べられた手を取った。
 剣を握る手は、ごつごつと角張ってはいたが……不思議と、温かかった。
「…………」
 ぼんやりと、自分の手を見つめる。その先には、いつもの笑みを浮かべたダレットがいた。のんびりとした笑い。不思議と……見る者を落ち着かせるような、そんな笑み。
「さてと。行くか」
 再びダレットが言い、そして歩き出す。
「分かった」
 その背を……キルファは満面の笑みを浮かべて、追った。  

 

 
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