11.残されしもの
台座に彫られた、紋様にも似た細かい文字の羅列。先程見たときにはこんなものはなかったはずだ。
(……普通なら、ここでまた驚くんだろうけどね)
キルファは内心、嘆息する。さんざん非常識なものを見せられたせいで、感覚……常識が麻痺していっているような気がする。今更文字の羅列が出現したところで何とも思わない自分が、妙に不気味に思えた。
「……これって」
細かい文字の羅列を眉をひそめて覗きこんだキルファが、小さく声を上げた。
「何なんだ? これ」
どうやら彫られた文字はダレットにも見えるらしく、隣から声が聞こえる。だが、おそらくダレットには、文字と認識することすら出来ないだろう。ただの記号、もしくは紋様にしか見えないはずだ。
人間であるダレットには。
「魔法言語、って呼ばれる文字なの。……魔法を使うときに唱える言葉」
辞書をそのまま棒読みするかのような口調で解説するキルファ。必死で文字の羅列を目で追うが、何せ文字読みに慣れていないせいでまるで作業がはかどらない。
「魔法、って……」
隣でダレットが絶句しているのを察し、キルファは解読作業を一時中断した。
「魔法。呪文の詠唱によって、本来有り得ない現象を引き起こす技術、もしくは能力、ね……」
淡々と、昔教えられた言葉を並べるキルファ。ぼんやりとした顔で、まるで彼女の口を借りて別の誰かが喋っているかのような印象すら受ける。
魔法。本来有り得ない現象を引き起こす技術。そして……
エルフ族しか持ち得ない能力。
ダレットら人間とエルフ族との区別。それは、『魔法』と呼ばれる能力を持ち合わせているかどうかだ。外見上の区別としてはエルフ族は長く尖った耳を持つが、それはどちらかと言うと、魔法を使える者のみに発現する特徴と言った方が良い。エルフと人間の混血児であるキルファも、長い耳を持っている。
魔法を使えない存在、人間であるダレットには、『魔法』という存在は恐怖、もしくは胡散臭い奇跡にしか見えないだろう。エルフと人間が完全に別れて生活している現在では、魔法を目にしたことのある人間などほとんどいないはずだ。
だから、魔法を起動する際に必要となる魔法言語を、ダレットが知らなくても無理はない。人間の身で学んでも、何の意味もないからだ。
ダレットとて、魔法の存在と、その起動の際に呪文と呼ばれるものが必要であることくらいは知っているが……彼自身は、正直単なる合言葉だと思っていた。言語体系、または文字が存在することは初耳である。
いや、それは良いとして。
「お前、その……魔法言語が、読めるのか?」
「一応ね」
文字読みを再開しながらキルファが言った。振り返りもせず、ただただ解読作業に没頭しているが……徐々にその顔が引きつっていく。
「……どうかしたのか? 何か、変なことでも書いてあったのか? ここから出られない、とか」
解読作業に関しては戦力外であることが判明しているので、横でキルファを眺めていたダレットがのん気に言う。
「……有り得ない、わよ。こんなもの」
今まで見たこともないほど動揺した顔で、キルファが呟く。握り締めていた先程の指輪を眺め、戦慄した顔をしている。嵌めこまれた蒼い石が、とてつもなく不気味で……しかし、魅力的なものに思えた。
「結局のところ、何なんだ? そこに書いてあるもの」
「取扱説明書」
まだ指輪から目をそらすことが出来ず、魅入られたように蒼い石を見つめたままキルファは言った。
「この指輪のね」
「説明書って……ただの指輪じゃないのか? それ」
「ただの指輪どころか……」
そこまで言いかけて、キルファは言葉を切った。ふう、と大きく息を吐く。
「まあ、多分あんたに説明してもこの非常識さは理解できないだろうから止めとくわ。でも、一つだけ言えるとしたら……さっき、あんた、ここは遺跡じゃないかって言ったわよね」
「ん? ……ああ」
「あんたにしては上出来だわ。多分、それは正解」
「……俺にしてはって」
何やら不満げな顔をしているダレットは見ぬ振りをし、キルファは続ける。
「それでね。何だか先着一名様で、天人様がくれるってさ。これ」
皮肉めいた笑いを浮かべ、キルファが手にしていた指輪を掲げて見せる。蒼い石が一瞬、きらめいたように見えた。
「……でも、天人が残したものってことは……」
「遺産、ね。天人種族の」
天人種族の残した建築物を遺跡、そして残された品物を通常、遺産と呼ぶ。だが遺跡に立ち入れないため、遺産と呼ばれるものの数は更に少ない。ごく稀に、遺跡の側に埋まっているものが発見される程度だ。何の意味があるのか、それはまったく分かっていない。
何故、自分たちだけが遺跡に入れたのか。本当の意味での『遺産』を手に入れることが出来たのか。そんなものは、分からないが……
「……力、か」
不意に、キルファが呟いた。かすかに浮かべた笑みに、一瞬、自嘲の色が混じる。若干十四歳の少女には有り得ないような、深い疲れすら感じさせる表情に、ダレットは思わず背筋が凍るのを感じる。
「そうね。これなら……この力なら、役に立つかもしれない」
手にした指輪を握り締め、そして指に嵌めてみる。まるで吸い付くかのように、指輪はぴったりと華奢な指にはまった。
「それ。貰っておくのか?」
「まあね。くれるって言うんだから貰っておくわよ」
肩をすくめてキルファは言った。
「さて。ここの遺跡は単なるこの指輪の保管場所だったみたいだし……多分、他には何もないわ。危険もね。どうする? ここで一晩明かす?」
「そう、だな」
どれくらい遺跡の内部を歩いてきたのかは分からないが、おそらく外はもう深夜だろう。言われて、一気に疲労がにじみ出てくるのを感じる。
ダレットは欠伸混じりに頷いた。
一方、帝国の王都、ラインガルド。
「まったく……」
初老の男性が重々しくため息をついた。傍らに控えていた、栗色の髪に深緑の目をした若い男……隣の初老の男に面差しがよく似ている……も似たような動作をする。二人とも、妙に疲れた顔だった。
ダレットの父ゴフセフと、兄ジェラルドだ。
「あの馬鹿息子……一体何をやらかしてくれるかと思えば」
「強盗に家出、ですね」
淡々と答える長男を、ゴフセフは半眼で睨みつけた。が、それも一瞬のことで、また大きくため息をつく。
この数日間、二人は働き通しだった。王都でちょっとした政変があり、その処理に追われていたのである。
軍部の最高幹部の一人、アワード将軍の失脚。罪状は公金横領。証拠は将軍補佐の地位にあるカシュラル・レストラードが握っていたものと、『強盗騒ぎ』で将軍の屋敷に捜査に入った警衛兵が見つけた。
それだけなら問題はない。騒ぎはあくまで軍部の内部での話であり、ゴフセフとジェラルドは文官だから、余波が来ないとは言えないが、不眠不休で働かなくてはならないような事態ではない。
だが、そのアワード将軍とカシュラル・レストラードに末息子、もしくは弟が関わっていたことが問題だった。将軍の屋敷での『強盗騒ぎ』の翌日、ダレットは姿を消していたのである。
これでは、普通はこう思う。『ダレット・コルフォースが屋敷に乱入した挙句、姿を消したのではないか』と。時期が重なりすぎている。その動機こそ見つけられないが、人間というのは何かと結び付けて考えたがるものだ。
もっとも、公金横領の証拠はともかく、屋敷に乱入した強盗がダレットであるという証拠こそ何処にもない。強盗は顔を隠していた。髪と瞳の色、それと大雑把な体格だけは目撃証言によって分かっているが、栗色の髪も深緑の瞳にしても珍しいものではないし、体格にしたところで、せいぜいが『やや長身である』ということだけだ。これでは到底、人物の特定など出来ない。
とは言うものの。人の噂こそ手の付けられないものであり、その打ち消し、もしくは言い訳に二人はこの数日間走りまわっていたのである。失脚が確定したアワード将軍などは、直々にコルフォース邸に乗りこんできて怒鳴り散らした。
それをのらりくらりとゴフセフが口車と証拠不充分を言い訳にかわし、ジェラルドが反対に脅しのような文句を付きつけ、ようやく追い返した。それが先程のことである。二人とも疲労していて当然だ。
もっとも。
証拠こそないが、二人とも『強盗騒ぎ』の犯人がダレットであろうことは確信している。直前のダレットの行動を見ていれば、容易に想像のつくことだ。二人とも、ダレットの性格は熟知している。
「……しかし。やはり、手が込みすぎているな、あのダレットにしては。細工が周到過ぎる」
思い出したようにゴフセフが言った。
「そうですね。それに何より、状況からして、犯人は、最低でも『二人』いたはず。弟一人では出来ない」
警衛兵の捜査で、一人が正面玄関で警備兵たちと争っていた隙にもう一人が忍び込み、将軍の私室を荒らしていったことが分かっている。
「やはり、裏に誰かがいるな。……それだけは確実となったわけだ。同一人物だと思うか? ダレットに真相を吹き込んだ人物と」
「おそらくは」
ジェラルドはやはり淡々と答えた。抑揚に乏しい口調は疲れなど微塵も感じさせず、自分の息子ながら、思わずゴフセフはその神経を疑いたくなってくる。
「まあ、頭の切れる人物であるようですから……発案はダレットのような気もしますけどね。細工はその『もう一人』がやったと思って間違いないでしょう。
しかし……」
そこでジェラルドは一旦言葉を切る。元々険しい顔つきに、更に眉根を寄せながら話を続けた。
「状況からして、正面玄関で争っていた『囮』がおそらくダレットでしょう。目撃証言も合いますし、長剣を所持していたこと、それにまあ……剣の腕は立ちますからね、ダレットは。それしか取り柄もありませんけど。
いくらダレットが囮になっていたとしても、です。屋敷に忍び込んで、誰にも見つからずに細工を施せる人物。そんな人物が、そうそういるものでしょうか?」
「ふむ……」
言われてゴフセフも考え込む仕草をした。
アワード将軍の屋敷は見たことがある。規模も大きいし、塀も高い。警備に雇っている私兵の数も多い。いくら警備兵はダレットが引きつけていたとしても、普通の人間なら侵入など到底出来ないはずだ。それに、撤退の手際も良すぎる。
「『裏』の世界の人間、ということか?」
ゴフセフとて、スラムの主、裏社会の権力者とは多少の繋がりがある。国政に綺麗事など言ってはいられない。それに……スラムとて無法地帯というわけではなく、独自の法、もしくは規律のようなものがある。権力者を押さえておけば、地道に犯罪者を摘発するよりよっぽど効率的に犯罪を抑止することが出来る。
「可能性はありますが……」
ジェラルドはゴフセフのように、清濁併せ呑むような思想は持ち合わせていない。まだ若いということもあるのだろうが、良くも悪くも、真面目に過ぎるのだ。裏社会、の単語を聞いて露骨に嫌悪の表情を表に出す。
「やはり、接点が見つかりません。ダレットと、その人物の」
ダレットは王宮騎士団所属だ。裏社会と接触する理由などないのである。騎士団というものは物理的な武力であると同時に、ある種の名誉職、もしくは抑止力としての意味合いも持つ。
騎士とスラムの人間が接触するなど、もっての外なのだ。本来ならば。
「結局……情報不足、か」
結論を出し、ゴフセフがまたため息をついた。
「そうですね……それに、こういった結末になった以上、表だってダレットを探すことも出来ません。『行方不明』とすることで決着をつけたのですから。
せいぜいがアリエノール姉上やマリアテーゼに頼んで、地方領を極秘に探すことくらいでしょうか」
アリエノールにマリアテーゼ。共に地方領に嫁いだダレットの姉の名だ。
何処の家でも後継者争いは熾烈なものだが、このコルフォース家に関して言えば、長男のジェラルドが文官、弟のダレットは王宮騎士団団員となったことで大した争いも起こっていない。後継ぎはジェラルドと、自他共に認めているからだ。
コルフォース家にはもう一人、ラウラという娘がいるが、そちらは王都の人間の家に嫁いだために、結婚したとは言え、今も近所に住んでいてよくコルフォース邸にも顔を出している。
まあ、それはさておき。
「あの馬鹿息子、今頃何処で何をやっているのか……」
ゴフセフが一人ごちる。
「まったく、この無鉄砲さとはた迷惑ぶりは誰に似たのやら……」
呟き……そして、何とはなしに長男が自分を見つめているような気がして、ゴフセフは顔をしかめた。
「私とでも言いたいのか?」
「少なくとも半分は」
半眼でジェラルドを睨みつけるゴフセフに、淡々とジェラルドは答える。
「まあ、それは私も同様ですが。しかし、あの性格は父上というよりは……母上ですね」
「レティシアか……」
随分昔に亡くなった妻の名を呟き、ゴフセフは立てかけてあった小さな肖像画に目をやった。亜麻色の髪と蒼い瞳の、小さな宝冠を身に付けた女性の姿が描かれている。何処か儚げな印象の美女だったが……実際に彼女を知っている人間は、その印象がどれほど当てにならないかを知っている。
レティシア・ファーレイン・コルフォース。ジェラルドとダレットの母親、ゴフセフの妻だ。
「あのじゃじゃ馬の性格そのものだな……しょうもないところばかりを受け継ぎおって」
もはや何回ため息をついたのかも覚えていないが、それ以外にどうしたらいいのかもわからない。結局、ゴフセフはまたため息を繰り返した。
「昔は随分と苦労させられたものだがな……この歳になってまたあの苦労をさせられるとは思わなかった」
疲れのせいもあるのだろう、ゴフセフは愚痴をこぼす。だが、自分の長男は愚痴を聞かせる相手にはあまりにも不適当だった。
「母上も多分、同じことをおっしゃると思いますよ。生きていらっしゃったなら」
やはり淡々と答えるジェラルドに、ゴフセフはまたもため息をついた。
「……もういい。御苦労だった……お前ももう休め。明日も仕事がある」
「はい」
頷くと、ジェラルドはすたすたとゴフセフの執務室を後にした。後にはゴフセフと、小さな肖像画だけが残される。
「…………」
肖像画をもう一度眺め……そしてゴフセフは、また小さく息を吐いた。
軍部の宿舎。将軍の失脚による各種の事務手続き、引継ぎ作業もようやく一段落ついたため、久々にカシュラルは自分の部屋に戻ってきていた。ここ数日は軍の本部に泊まり込みで作業をしていたのだ。
まあ、元々自分の行動が端を発したことなので、誰にも文句を言えた筋合いではないのだが。
「ふう……」
<戦女神>と呼ばれようと何だろうと、数日間ろくに眠っていなければさすがに疲れもする。大きく息を吐き、乱暴に軍服を脱ぎ捨てた。下着だけのあられもない姿でベッドに寝転がる。
疲れてはいても、常に彼女の感覚は警戒を怠らない。心地良い睡魔に身体を委ねながらも、神経の何処かがぴんと張り詰めているのが自分でも分かる。
意識してやっているものではない。それは既に、カシュラルという人間を構成する要素の一部……習性のようなものとなっている。
気がつけば、いつも手の届く範囲に刀を置いている。それは、眠るときも同様だ。枕元に刀が立てかけてあるが、それもごく自然な習慣として彼女はやっている。
小さい時から叩きこまれた習慣というものは、そうそう簡単には抜けてくれないものだ。いくら周りの環境が変わろうとも、年月が経とうとも。
「まったく……」
長い黒髪が、彼女が動くたびに揺れる。暗い部屋に、ほとんどあらわになった白い肌がぼんやりと浮かび上がる。普通の男なら、まず間違いなく理性を失いそうな情景ではあった。まあ、理性を失ったが最後、返り討ちに遭うことは必定なのだが。
「あの無能共が。私を蹴落としたかったのだろうが、そうそう簡単にやられてたまるものか」
誰もいない部屋で、カシュラルは一人呟く。
カシュラルは部下、それも一般兵から絶大な支持を得ている一方、秩序を乱す変わり種として上層部からは煙たがらている存在だ。それは、彼女自身も十分に承知している。知っているから、彼女は妥協しない。容赦しない。そうやって自分の力、存在を強引にでも認めさせることで、現在の地位を維持している。
引継ぎ作業をしていて分かったことなのだが、カシュラルを強引にでも結婚させて軍部から追い出すという策略は、随分昔からあったようなのだ。上層部の人間はかなり前から顔を寄せ集めてそんな相談をしていたらしい。ダレット・コルフォースの名も、そんな中で挙がったものなのだろう。
だが、公金横領の証拠を掴まれて焦ったアワード将軍が先走り、何よりも駒として利用するつもりだったダレット・コルフォースがとんでもない行動に出たお陰で、その計画は御破算となった。他に利用できるような都合の良い人間などそうそういないし、何より、二度も同じことを繰り返せばどうなるか、上層部も承知しているだろう。アワード将軍の二の舞は、彼らとて御免のはずだ。
カシュラルが見る限り、上層部の将軍たちの中に卓抜した手腕を持つ人間はいない。いずれも名門の出身というだけで現在の地位を手に入れただけだ。もし庶民に生まれたとしても、『それなり』の人生を歩んで終わりであろう、そんな人間だけなのである。
だからこそ、彼らは保身に必死となる。頭抜けた才能、つまりカシュラルに追い抜かれないために。自らの凡庸さを承知しているからこそ、相手を蹴落とすことには手段を選ばない。まともには相手が出来ないからだ。
カシュラルが一番嫌う型の人間たち。だが……不運なことに、多いのだ。そんな人間は、この世の中には。
「…………」
ふと、カシュラルは一人の男の顔を思い出した。ダレット・コルフォース。変わり種の騎士。
(……面白い男ではあった、な)
夜の街での対峙を思い出す。全身の血が沸き立つような高揚感。負けはしたが……悔しさは感じなかった。自分は本気だったし、その上で相手を傷つけずに制圧する、それだけの力量を持つ相手にぶつかったのは久し振りだった。
今は何処かを旅しているであろうその男が、妙に羨ましく思えた。何にも縛られずに自由に生きられる。それは同時にとんでもない重責……自らのやったことは全て自らに跳ね返ってくる……を伴うが、とてつもなく魅力的に思えた。
が。
「私には所詮、こんな生き方しか出来ないのかもな」
彼女を縛る鎖はあまりにも重い。過去と言う名の鎖。呪縛。それを振り切る力は、彼女にはない。振り切る気力すら沸いてこない。
振り切れば……それは、自分の歩いてきた道を否定することになるから。自分と、そして同じ境遇で育った仲間の。
「…………」
何処か……心の奥底に重苦しいものを感じながら、彼女は眠りについた。
