12.エルフ族
翌日。
遺跡で一晩を過ごし、久々にぐっすり眠れたお陰で、キルファもダレットもやたらと元気だ。何はともあれ、十分な睡眠というのは健康な生活を送る上で欠かせないものである。
足取りもいつもより幾分か軽い。すたすたと山道を歩きながら、キルファはダレットに尋ねた。
「ねえ、この山抜けるのにあとどれくらいかかる?」
「えーと……」
相変わらず地図を片手に頭を掻きながら、ダレットが答える。
「あと二日ってところだ。ただ、もう少し行くとエルフの村があるみたいなんだよな。ドラウィダ、って名前らしい。山中の村にしては結構大きいな」
「エルフ、ねえ……」
二人は立ち止まり、顔を見合わせた。
エルゼシア帝国が大陸を支配している現在、エルフ族は人間に『支配』されているという形になる。帝国の国王は人間だからだ。
建前上は帝国はエルフ族の存在を認めているが、同時に、様々な制限が加えられている。居住地域、公職に就くことの禁止、重税、などなど。そして、人間の街……帝国が指定した場所……に入るのにも相当の制限が加えられている。
よって、現在では人間が住む街、エルフが住む村は完全に隔離されているのが実情だ。エルフとて、差別に遭うことを承知で人間の街に入ろうなどとは思わないだろう。事情にもよるが。
差別が法律上、建前上のものだけならばまだ良い。長い間争ってきた人間とエルフの間の確執は両者の心理に深く根を降ろしている。例えばエルフが一人で人間の街にでも入り込み、そして見つかったら最後、ぶつけどころのない憎しみ、理由すら分からない苛立ちが爆発することは確実だ。いわれのない暴力が加えられ、最悪の場合は死に至る。
実際、キルファはそういった実例を見ている。彼女自身、何回そんな目にあったか分からない。辛うじて生き延びてきているから、今こうやってのん気に歩いていられるが。
「出来れば……顔を合わせたくないわね。あんたもあたしも、どんな目に遭うか分かったもんじゃないし」
「うーん……」
ダレットは尚も地図を眺め……そして、呟いた。
「とりあえず、近くまで行ったら森に入るか。こう回ったら、何とか迂回できないか?」
地図をなぞってダレットが説明する。正直、ずっと王都で育ったダレットにはその差別と確執の実情など実感が沸かなかったが……まあ、好き好んで争いに首を突っ込むこともないだろう。
「そうね。ちょっと遅れるけど、まあ、面倒に巻き込まれるよりはマシか」
「そうだな」
二人は頷くと、また歩き出した。
だが。
そうそう、物事が上手く行くとは限らないのである。
ひゅんっ!
風を切る音、そして何かがぶつかったような硬い音。
「…………」
自分の顔のすぐ隣にあるもの――近くの木に突き立った矢を見て、ダレットは絶句した。
もし咄嗟に身体を横にずらしていなければ、矢が刺さっていたのはダレットの首であっただろう。何となく、殺気を感じて身体を動かしただけだったのだが。
「……矢だな」
「……矢よね」
語尾だけ変えて二人は呟く。
突き立った矢はまだ震えている。相当な弓勢《ゆんぜい》だ。まともに当たれば、それこそ命がなかっただろう。
「えーと……」
ダレットが今更ながら硬直し、だらだらと冷や汗を流している隙に。
ひゅんっ! と、再び矢が撃ちこまれる。間違いない。射手が誰かなどは分からないが……明らかに、自分たちを狙っている。
矢は何本も立て続けに撃ちこまれてくる。二人とも何とかかわしているのは、ひとえにずば抜けた勘の賜物だ。
「とりあえず逃げろ! 二手に分かれた方がいい!」
「分かった」
矢はどれも別々の方向から射られているが、その間隔からして、おそらく射手は一人だ。二手に分かれれば、相手を撒くことも逆に制圧することも可能だろう。
二人は正反対の方向に向かって駆け出した。
「ちっ……」
木々の間を疾走しながら、ダレットは舌打ちした。気配が一つ、明らかに自分を追ってきている。どうやらさっきの射手は自分を狙うことにしたらしい。
まあ、小柄な子供と大の男と、先に制圧するべきはどちらかを考えれば当たり前の話ではあったが。
木々の間を縫うように走っているので、今は弓で狙われる様子はない。相手も自分も走っているし、木が障害になるからだ。
さっきからしばらく出鱈目に走っているものの、一向に間隔が広がる様子はない。きっちりと自分を追ってきている。人間が全力疾走していられる時間など、そう長くはない。そろそろ息が上がってきている。
このままではらちがあかない。もし向こうの方が体力で勝れば、追いつかれて終わりだ。何故いきなり狙われたのかなど分からないが、とりあえず現状のままでは確認すら出来ない。
現状の確認……
(……相手を押さえるしかないか)
ダレットは心の中で呟く。
相手を押さえる手段。弓を引かれるより速く、相手の動きを制してしまうこと。今ダレットが持っているのは長剣に対の短剣、隠し武器が数種。だが、いずれも接近戦を前提としたものであり、飛び道具に対抗するには距離を縮めないことには話にならない。
走りながら長剣を抜くと立ち止まり、木々の後ろに隠れるようにして……万が一、弓で狙われるのを防ぐためである……相手が追いつくのを待つ。
距離が縮まる。相手の姿が段々大きくなる。まだだ。まだ、剣の間合いには入らない――
(今っ!)
相手が弓を引くより自分が剣先を向ける方が速いと確信できるだけの距離。それを確認してから、ダレットは長剣を手に飛び出した。
「……とっ!」
森の中に、男の声が響き渡る。良く言えば陽気な、悪く言えば軽薄な……どちらにしても、今はこちらの神経を逆撫でする効果しかないような、そんな声。
射手はダレットの剣先を曲芸のような動きで避けると、そのまま地面に転がる。数回転がると、ひょいと身軽に跳ね起きた。ダレットも敢えて追撃はせずに剣を構え直す。
「いきなり斬りかかってくるかよ! この森も物騒になったもんだな、おい」
射手の男は、やたらと明るい口調で言いながら皮肉な笑いを浮かべた。
「それはこっちの台詞だ。先に矢なんぞ射掛けてきたのはそっちだろうが」
油断なく剣を構えながら、ダレットは相手の男を観察する。
かなりの大男だ。長身の部類に入るダレットより、更に一回り大きい。がっしりとした体格で、鍛えられている身体であるのが分かる。琥珀を連想させる茶色がかった金髪に、明るい茶色の瞳。
そして。
その耳は、長く尖っていた。
「……エルフ?」
剣先を相手に向けたまま、ダレットは呟く。
「見りゃ分かるだろ。で、あんたは人間か」
ダレットを見据え、自分に向けられた剣先に脅えるでもなく男はさらりと言った。
ダレットは今まで王都から出たことなどほとんどなかったから、当然、エルフと出会うこともほとんどなかった。変わり種が一人と、あとはハーフのキルファだ。
「……何でいきなり矢を射てきたんだ? 説明してもらおうか。一つ間違えればこっちは死んでたぞ」
苦々しげにダレットは言う。
「俺はこの近くの村のもんなんだけどな。最近、盗賊が出るってんで交代でそこらの警備をやってたわけだ。……そこに、こそこそと普通の道を使わないで歩いてる奴を見つけたら、普通は怪しむわな」
相変わらずの軽い口調で、男は親切丁寧に解説してくれた。
この近くにエルフたちの村があるのは分かっていた。だから、わざわざ迂回することにしたのだが……それが裏目に出たらしい。
「たとえ、それが人間でも、だ」
言って男は笑う。その眼の色に、一瞬、猛禽のような鋭いものが混じった。
いくら帝国がエルフを『支配』しているとは言っても、それはあくまで帝国の目が行き届いている範囲での話だ。こんな辺境、もしくは山の中ではそんな理屈は通用しない。強い方が正義である。
「言っておくが、俺はただここを通りかかっただけだ。盗賊なんかじゃない……」
「証拠は? ……だったら、何でこそこそとこんな森の中を歩いてたんだ?」
男が笑う。言いながら、腰から短剣を引き抜いた。弓……部品次第で様々なものを打ち出せる特殊弓は、ダレットが最初に斬りかかった瞬間に手から離している。
ダレットにしても、まさか「お前らと顔を合わせたくなかったから」とは言いづらかった。いや、ダレットの表情から男はそれを理解したようだったが……ゆっくりと、芝居がかった動作で短剣を構える。
一目で分かる。相当の使い手だ。
何故こんな山中の村に、これほどの使い手がいるのかは分からなかったが……
「悪いが、あんたを不審者として村に連れていく。盗賊かどうかの判断はそれからすればいい」
冗談ではない。エルフの村になど引きずって行かれたら、間違いなく袋叩きに遭う。
帝国がエルフを支配してからというもの、エルフたちの人間に対する恨みは相当なものがある。それは、かつて人間がエルフに支配されていた時期があるから、人間自身もよく知っている。
そんな状態の中に、一人、宿敵が放りこまれたらどうなるか。とりあえず、何も考えずに……ほとんど本能的に、殺そうとするだろう。心の奥底に染みついた感覚というものは、そう簡単には自覚できないし、また抜けはしない。
「冗談じゃ……」
ダレットも無意識のうちに長剣の柄を握り直す。額に汗が浮かぶのが分かる。こちらが一歩後退すれば、向こうはその分前に踏み出す。
つまり。――逃げられない。この男をどうにかしない限り、エルフたちにどんな目に遭わされるか分からない。
(……やるしかない、か)
冤罪だの何だのと言っていられる状況ではない。おそらく何を言っても通用しない。正直、争いなど起こしたくなかったが……自分の命に関わるとなれば話は別である。
先程別れたキルファも気になるが、そちらを心配していられるような状況では、もっとない。
「ちっ……」
長剣を構える。が、男はそれに動じるでもなく、かえって獰猛な獣のように笑った。手にした短剣が、猛獣の爪のように見える。
「……面白れえじゃねえか!」
短剣を手に、男は嬉々とした表情で踏み込んだ。
しばらく出鱈目に走ったところでキルファは立ち止まった。
「……来ない、わよね」
後ろを振り向き、確認する。気配も感じない。どうやら、先程の射手はダレットの方に行ったらしい。
(……どうする?)
元々方向感覚の狂いやすい森の中を、しかも知らない場所を出鱈目に走ったのだ。森の中を迂回していたこともあって、現在位置などまるで分からない。地図はダレットが持っている……いや、先程走り出したときに、背負っていた荷物は邪魔になるので放り出している。
とりあえず、自分が先程走っていたであろう道を逆に辿ってみる。慎重に地面を探り、生えた草が踏み潰された跡を探しながら歩いてみる。
どれくらい、そうしていただろうか。それほど長い距離は走っていなかったらしく、ほどなくして先程放り出した荷物だけは見つけることが出来た。
横を見れば、木にはまだ射込まれた矢が突き立っている。これで、最初の地点にまで戻れたことは確かなわけだが……
「問題は、ダレットが何処に行ったか分からないってことなのよね」
キルファは呟く。最後に自分と正反対の方向に走り出したところまでは見ているが、その後のことなどまったく分からない。
「どうしたものかしらね……」
荷物を前に呟いた、その時。
「…………?」
きん、という硬く澄んだ音。金属と金属と打ち合わせたような、そんな音がかすかに聞こえた。
自然の中で聞こえるような音ではないだろう。となると……
(……剣のぶつかる音)
剣での撃ち合いの音。それが一番近いように思えた。
「……ダレット、ね」
呟くと、キルファは再び、音のした方向に向かって駆け出した。
間合い。つまり、相手との距離。剣を習い始めたばかりの初心者は軽視しがちな要素であるのだが……それは、戦闘時においては重要な意味を持つ。
武器にはそれぞれ、己の力を発揮出来る間合いというものが存在する。その間合い以外の場所から攻撃を仕掛けても、決定打になるどころか、相手に後の先を取られて返り討ちにあう危険すらある。
つまり――
「…………っ!」
ダレットは自分に迫ってきた短剣を避け、後ろに跳んで後退する。が、男はそれを許さずに再び踏み込み、連続して攻撃を仕掛けてくる。
第二撃は体さばきでは避けきれず、長剣の鍔元で受けた。が、そこからとんでもない力が押し込まれてくる。見た目通りと言うべきか、相手の男は相当な腕力の持ち主であるようだ。
ぎりぎりのところで押し込まれる短剣を受け流し、また後ろに跳んだ。一気に後退して距離を取る。相手もこれ以上は追わずに短剣を構え直した。
「はあ、はあ……」
ダレットは大きく肩を上下させる。かなり際どい攻防だった。
(……強い)
心の中で呟く。
ダレットが手にしているのは長剣、相手のエルフの大男が手にしているのは短剣。この場合、剣身の長さの違いからダレットの方が間合いが遠い。
つまり、距離が遠ければダレットが有利だが、相手の男にそれより内に入り込まれてしまうと、長剣では対応出来ない。短剣は元々極近距離、接触距離での戦闘を前提にした武器である。
ついでに言えば、短剣は小さい分、小回りが利く。たとえダレットが先制して仕掛けたとしても、受けられてしまう可能性が高い。
長剣の強みはその長さ、重量からくる威力なのだが……この怪力の男相手にそんなものがどこまで通用するかは怪しいものだった。
「器用なもんだな。大体、今のでけりがつくんだが」
男は口笛を吹くような仕草をする。この男なりに感心したつもりらしい。まあ、体術も使えるダレットだからこそ避けられたのだが。
このエルフの男。その巨体に似合わず、動きは恐ろしいほど敏捷だ。あっという間に懐に入られ、短剣での攻撃を仕掛けられた。今更ながら、よく避けられたものだとダレットは冷や汗をかく。
だがまあ、ここで悠長に幸運に浸っている場合ではない。現実に、男はまだ目の前に立ちはだかっている。
今度はダレットから仕掛けた。上からの長剣の一撃を、男は短剣の鍔元で受ける。並の剣なら叩き折ってしまうほどの一撃をまともに受けながら、男の様子に変化はない。平然として、ダレットの剣を弾き返す。
そこに、今度は男が短剣を突き込んできた。体さばきで何とかかわすが、先程と同じく、追って男も踏み込んできていた。
しかも、今は手が伸びたまま……つまり、剣は使えない状態だ。
(……まずい!)
ダレットは思わず負けを覚悟する。
が、男は短剣をダレットには向けず、身体をひねり、上半身を後ろに向けると短剣を握った手を軽く振った。きんっ、と甲高い音が響き渡る。飛んできた何かを叩き落したのだと、次の瞬間に悟った。
男は一撃目を叩き落すと同時に、大きく横に跳んだ。先程まで男がいた場所に、何かが突き刺さる。投擲用の小さなナイフ。
「……さっきのちっこい方か」
男が呟くのが聞こえた。
「……キルファ?」
男の向こうに見える小さな人影を確認し、ダレットも呟く。
投擲用のナイフを指の間に挟みこみ、殺気立った顔で佇む少女がそこにいた。
案の定だった。剣戟の音の方向に行ってみれば、ダレットと大男が戦っていた。大男が先程の射手だと思って間違いないはずだった。
だから、極力気配を殺して男の後ろに回りこみ、投げナイフを投げ付けた。気付かれている様子はなかったし、狙いも完璧。キルファは命中を確信していた。
だから……
(まさか、避けられるなんて)
咄嗟に男が叩き落すとは思っていなかった。とりあえず、ダレットの窮地だけは救えたようだが。
「さっきの奴ね? ……一人だけを追いかけてしまうなんて、間抜けにも程があったわね」
投げナイフを手にしたまま、内心の動揺は極力隠して、キルファは冷然とした口調で言った。
「さて。これであんたは手詰まりね? 一人対二人よ。これでも抵抗する?」
先程とは完全に状況が逆転していた。ダレットは正直、キルファの投げナイフなどは初めて見るが……扱い慣れているし、狙いも良いし威力もある。頼もしい援護だった。
「いや……」
男は短剣を地面に投げ捨てる。ダレットは安堵した様子で長剣の構えを解く。が……
男が小さく何かを呟いているのを察知し、キルファは咄嗟にナイフを握った。が、自分が男にナイフを投げ付けるより、向こうの方が速い。
「伏せてっ!」
叫び、自らも地に伏せる。
次の瞬間。
森の中に、轟音が響き渡った。
