暁の大地

16.憎しみと感謝と

 自分を襲うであろう一撃。不可視の刃。
 ダレットは目を閉じて、それが来るのを待った。が、いつまで経っても来ない。
「…………?」
 恐る恐る目を開けるダレットの瞳に、呆然と立ち尽くす男の姿が映った。
「……何とか間に合ったわね」
 後ろから声が聞こえる。聞き慣れたはずの声が、これほど嬉しいと思ったことはなかった。
「キルファ……」
 ダレットは呆然と言う。よろよろと男から離れ、キルファの横に退がる。
「何があったんだ……?」
「これよ」
 キルファは左手を上げ、指に嵌めた指輪を見せ、ひらひらを手を振って見せる。先ほど強烈な蒼い光を発した指輪は、今はただの蒼い石となっている。
「半信半疑だったけどね」
 あの遺跡に記されていたことは、この指輪と合言葉で、高速で「魔法を消す」魔法を起動できる、ということだった。一切の魔法を消去する、<白紙>の魔法。
 現在のエルフの魔法技術では、『魔法を維持する』ことは出来ない。書き換えを要請した『場』も、時間が経てば元に戻ろうとするからだ。その性質を打ち消すことは出来ない。だから、魔法を使うにはその場で呪文を唱えるしかない。そのはずだ。
 だが、たとえばこの指輪を鍵として白紙の魔法を起動直前の状態で保持しておき、いざとなったら合言葉一つで起動できるような技術が、昔の<天人>にはあったらしい。キルファも、実際に見るまでは信じていなかったが。
 やはり、これは『遺産』なのだ。その技術力に、キルファはただただ呆然とする。
「半信半疑って……もしただの指輪だったらどうするつもりだったんだ」
 今更ながら、思わず冷や汗をかきながらダレットは訊く。
「ま、その時は迷わずに逃げるわよ」
 言いながら、キルファは苦笑する。嘘だ。おそらく、目の前でダレットがやられたら……その瞬間、自分は理性を失っていただろう。以前と同じように。
「そういやお前、何でここに……?」
「どうせあんたのことだから、こんなことになってるんじゃないかと思ってね。わざわざ来てあげたわけ。それよりあの男、一体何なの? あの目、どう見ても麻薬中毒か何かよ」
「麻薬中毒……成る程な」
 ダレットも、目の前で呆然としている男に目をやった。さっきまで残虐な光で輝いていたその目は、もう、虚ろで何も映していない。魔法を消去されたショックか……おそらく、何も見えていないだろう。
 キルファは懐から投げナイフを抜くと、男に無造作に投げつける。両足を射抜かれて、男はあっさりと地面に転がった。
「終わった……か」
 ダレットは大きく息を吐く。緊張が限界を超え、そのまま地面に倒れこんだ。

「人間……?」
 かすかな呟きは波紋を生み、輪は徐々に大きくなる。
 騒ぎが収まり、隠れていた村のエルフたちが陰から出てきている。倒れ伏したダレットを見て、エルフたちはあからさまな憎悪を顔に浮かべる。
「何で人間がここにいるんだ?」
「出ていけ! ここは、お前らの……人間のいる場所じゃない。俺たちの、エルフの村だ」
 ざわめきは怒号に変わり、怯えの瞳は憎しみの色に染まる。それは、村中に伝染していく。
 それが暴動に発展するまで、大して時間はかからなかった。先ほどまでの恐怖と襲われた理不尽を、得体の知れない人間にぶつけて発散させようとでも言うのかも知れない。
 集まってきたエルフの一人が、倒れたダレットを蹴飛ばそうとした。全身を負傷しているのは承知にも関わらず、だ。
 側にいるキルファが、男の服を引っ張って何とか止める。エルフたちの怒りは、今度はキルファに向いた。
「失せろ、貴様等! お前も人間なんだろうが!」
「あの盗賊連中も、貴様等が連れてきたんじゃないのか?」
 罵声と呪いの言葉が混じり合う。混ざったそれは刃にも似ていた。
「冗談じゃないわよ!」
 あまりの理不尽に堪り兼ねて、キルファは大声で怒鳴った。被っていたフードを跳ね上げる。あらわになった紫の瞳が、エルフたちを睨み据えた。
「ダレット……この人間、盗賊を倒そうとしてこれだけの怪我をしたのよ? 何の縁もゆかりもない、あんたらを助けるためにね!」
 キルファも頭に血が昇っている。護身用のナイフを腰の後ろから抜くと、ダレットをかばうように前に出る。
「うるせえ! 出来損ないに偉そうな口を聞かれる覚えはない!」
「出来損ない……ね。さっき会ったエルフも、同じことを言ったわ」
 キルファは冷たい、皮肉だけの笑みを口元に浮かべる。
「その男。気絶しちゃったから近くの木に縛り付けておいたけど。何て言ったと思う? この村に盗賊を引き入れて、金を貰うつもりだったんだってさ。
 とんだ笑い話ね。何の恩もないエルフを助けようとする向こう見ずの大ボケの馬鹿の人間もいれば、自分の村を売りつけた誇り高いエルフ族もいるんだから!」
 エルフたちは、一瞬気圧されたように黙る。が、
「うるせえ!」
「さっさと出て行け、殺すぞ、貴様等!」
 再び、怒鳴り声を上げる。が、先ほどまでの勢いはない。自分たちの恥を隠すかのごとく、彼らは騒ぎつづけた。
「言われなくても出て行くわよ。あたしたちだって、こんな所にいつまでもいたくないわ」
 大仰にため息をつくと、足元のダレットに視線を落とした。
「だから言ったのよ、こんな連中なんて放っておけって。自分たちが助けられたことに感謝すら出来ない馬鹿共なんて。自分たちじゃ何も出来なかったくせに、いざ助かると恩も忘れて言いたい放題。冗談じゃないわよ、ほんと。付き合ってられないわ。
 ちゃんと言ったのにさ、忠告も聞かないで突っ走るんだもの。だからそんな怪我するのよ」
 無論、まだ気を失ったままのダレットが返事などするわけがない。が、キルファは誰かに聞かせようとするように、大声で言った。誰か。言うまでもない。
「ちょっと。大丈夫? 立てる?」
 キルファがかがみ込んで耳元で言うと、ようやくダレットは気を取り戻した。
「動ける? 悪いけど、ちょっとだけ無理して歩いてくれる? 急いでここを出るわよ」
 剣を杖のようにして、ダレットはよろよろと起きあがる。寝起きの表情で、ぼんやりと周囲を見回した。そこでようやく、険悪極まりない雰囲気に気付く。
「ちょっ……何があったんだ?」
 ダレットはわけが分からない。すたすたと歩いていくキルファを、慌てて……相変わらず、足元はおぼつかなかったが……追った。

「まったく……どうしようもないお人好しね、あんた。あんな連中のために自分がこんなに怪我してさ」
 村の外の森の中。薬草を探し、手際良くダレットの傷を手当てしながら、キルファは言った。まだ怒りの表情をしている。先ほどの言い争いの怒りの発散先が見つからないのだ。
「俺にはさっぱり事情が分からないんだが……」
 木にもたれかかり、キルファに荷物の中から取り出した包帯を巻いて貰いながら、ダレットは首を傾げる。エルフたちとの言い争いは、彼は気を失っていて聞いていない。あの険悪な雰囲気にもさっぱり気づいていなかったと言うのだから、この男の脳天気ぶりも相当なものだ。一歩間違えれば、永遠に意識を取り戻すことはなかったかも知れないと言うのに。
「これだけ怪我したあんたを追い出した時点で、少しは気づきなさいよね。あたしが傷の手当てが出来たから良かったようなものの、放っておいたら厄介よ、これだけの傷」
 ぶつぶつ言いながらも、キルファはてきぱきと薬草を塗り、包帯を巻いていく。が。
「痛っ! 力入れすぎ! もう少し丁寧に頼む……」
 苛立ちが出てしまっていたらしい。包帯を力任せに締め上げ、ダレットが思わず苦鳴を上げた。
「二、三日は痛いかもしれないけど、傷がふさがったら大丈夫よ。幸い、それほど深い傷はないし。どうせあんたしぶとそうだしさ」
 一通り手当てを終え、キルファは大きく息を吐いた。どっと疲れが出たとでも言うように、近くにあった木に寄りかかる。
「まあ、良かったじゃないか。俺はまあ……死なずには済んだし。村も助かったし」
 ダレットは言って、のんびりと笑った。キルファはそれを見て、深くため息をつく。
「本当に……お人好しを通り越して、ただの馬鹿よ、あんた」
 がっくりと首をうなだれるキルファ。その顔が、不意に翳る。
「……どうした?」
 キルファは答えない。うつむいたままで、ダレットの外套の端を掴む。
「キルファ?」
「いや……何だか、むしょうに情けなくなってね」
 下を向いているので、表情は分からない。だが、ダレットには泣いているように見えた。
「感謝すらしないあの村の連中も。それに……最初、助けようともしなかったあたしも。お陰で、あんたに怪我までさせてしまったしね」
「でも、最後にけりをつけたのはお前だろ?」
 ダレットは笑う。何の裏もない、ただの微笑み。キルファはそれを何処か懐かしく感じた。
「だったら、それを自慢に思ってれば良いさ。何かやったんだからな、お前は。そんなに自分に責任をおしつけることもないだろ」
「今だけは……あんたが羨ましいわ」
「……へ?」
「何の打算も、しがらみもなしに、他の人たちを助けようと出来るあんたが。あたしは駄目なのよね……まず、自分のことに頭が行っちゃって。それが情けない。……本当に」
 今まで、生きるだけで精一杯だった。他人のことなど考える余裕はなかった。それに……自分のことを思ってくれる他人など、いなかった。だから気づかなかったのだ。
 隣にダレットがいて、思い知らされる。自分の嫌な面を。
「別に、そんな御大層なことなんて考えてはいないがな」
 ダレットは苦笑した。
「ただ、何も考えずに動いただけだ。まあ……お前の言葉を借りれば、ただの馬鹿だな」
「そうね……」
 キルファもかすかに笑った。
「その方があんたらしいわ」
 その時。
「あー、お取り込み中悪いが」
「サリクス?」
 木の陰からひょこっと顔を出したのはサリクスだった。ダレットと同じように、身体中に包帯を巻いている。何やら、手に包みを抱えていた。
「もしかして……ずっと聴いてた?」
 キルファが顔を真っ赤に染める。
「いやあ、聞こえちゃいなかったがな。しかし仲が良いな、あんたら」
「…………!」
 慌ててダレットの服の端を離す。サリクスは、それをにやにやと笑って見ている。
「ほれ、差入れだ」
 放り投げられた包みを、キルファは慌てて受け取った。
「……何? これ」
「包帯と薬。あと携帯食料。あって邪魔になるもんじゃねえだろ」
「……どういうことだ?」
 サリクスはどかっと二人の近くに腰を下ろす。
「俺も気絶してぶっ倒れてたからな、後でうちの奴に追い出したって聞いて驚いた。済まねえな。俺の村の連中がまったく何の感謝もするどころか、かえって恩を仇で返すような真似をして。
 それで慌てて持ってきた。その怪我じゃ、あまり遠くには行ってねえだろうと思ったからな。ま、俺からのせめてものお礼とお詫びってとこだな」
「……良いのか?」
「なに、気にするなって」
 サリクスは明るく笑った。
「それに、ちょっと訊きたいこともあったしな」
「…………」
 心当たりがあり過ぎる。キルファの額から、冷や汗が一筋流れた。
「さっきの魔導士だがな、嬢ちゃん、麻薬中毒がどうとか言ってただろ。どういうことだ?」
「……聞いてたのか?」
 キルファがダレットにその話をしたときには、サリクスは魔法を食らって倒れていた。てっきり、気絶したものだと思っていたのだが……
「いやまあ、身体は全然動かなかったけどよ、あの時までは意識だけはあったんだよ。それで一応、事の顛末は知ってる」
「あの男の目。どう考えても異常だったでしょ? 麻薬中毒の連中が、あんな感じの目をすることがあるのよ。それで魔導士だったから、間違いないと思うわ」
「魔導士と麻薬が、どう関係するんだ?」
「魔導士の力量ってのは生まれつき決まってるから、魔法の力を上げるなんて言うことは無理。でも、集中力である程度は上げられる。それはサリクス、あんたも分かるでしょ?」
 意識を『場』に接続し、呪文を流し込むときには極度の集中力が要る。強く集中した方が、より広範囲の『場』に干渉できるから、魔法の威力も当然上がる。無論、本人の才能……生まれつき持っている干渉力の内での話だが。
「麻薬で精神のバランスを崩して、無理矢理集中力を上げてたのよ。そういった方法があるって話を聞いたことがあるの。聞いたことないかしら、魔法の力を上げる薬草っていうの」
 話……いや、噂だけはサリクスも聞いたことがある。彼自身は眉唾だと思っていたが、手を出すエルフもいるらしい。ただ、滅多に見つからない薬草らしいが。
「が、実際は何の効果もない、ただの麻薬か」
「そういうこと。ついでに言えば、この麻薬で効果が上がるのは、魔法の威力じゃなくて起動の速度ね。一瞬で、限界まで集中できるから。呪文を唱えてから魔法が起動するまで、やたらと速くなかった?」
「ああ……」
 そのお陰で時間を読み損ない、サリクスもダレットも怪我をする羽目になったのだ。
「しかも、そのせいで精神異常になっちゃうんだから、何のための薬だか。多分、それでおかしくなったのを、あの盗賊団が拾っていた……いや、飼っていたとでも言ったほうが正しいかしらね。確かに、魔法戦力にはなるから」
「成る程な」
 サリクスが呟いた。
「しかし、キルファお前、やたらとそういうことに詳しいよな。薬草とかのことも」
「昔の聞きかじりよ」
 ダレットの問いに、キルファが何処か自嘲気味に笑った。
「ま、訊きたい事ってのはそれだけだ。まあ……あの魔法を打ち消したのにも興味はあるんだけどな、訊かないでおくことにするか」
「そうね、ええ、是非そうしてください」
 キルファが空笑いする。
 エルフが最強と頼む魔法の力を、全て無効化してしまう<白紙>の魔法。エルフなら誰でも脅威に感じるだろう。それこそ、命を狙われてもおかしくない。
「さて、と」
 サリクスが立ちあがる。傷が痛むのだろう、その動作に長柄戦斧を振り回していたときの敏捷さはない。
「もう行くのか?」
「ああ。あんたらも、どうせすぐここを発つんだろう?」
「まあね」
「じゃあな。運が良ければ、また会えることもあるだろ。それと……有難う」
 ひらひらと手を振って、サリクスは立ち去っていった。あっさりとした幕切れに、しばらく、二人とも黙っていた。
「……何か。変なエルフだったわね」
 ややあって、ぽつりとキルファが言った。
「まあな。……エルフにも、良い奴はいるさ。見た目とかそんなもんで考え方が決まるわけじゃなくて、色々な奴がいるってことだろ。人間にも、エルフにも」
「……そうね」
 噛み締めるように呟く。ややあって、キルファはぎこちなく笑った。  

 

 
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