暁の大地

17.真夜中の追跡

「俺たちは何でこんなことをやってるんだろうな!」
 ダレットは思わず喚いた。
「あたしに訊かないでよ!」
 隣のキルファも、やけくそ気味に言い返してくる。もうどうにでもなれ……そんな風情がありありと漂ってくる声。だが、走るその速度を緩めることはない。
 周囲に家が建ち並ぶ道を、二人はひたすら全力疾走していた。
 時刻は真夜中。少々欠けた月が、ぼんやりと街並みに影を落としている。本来ならば、ただ静けさだけが漂っているであろう、そんな情景。
 だが、ダレットとキルファの二人が喚き散らしながら街の中を爆走しているお陰で、そんな風情はものの見事に消し飛んでいた。もっとも、やたらと騒がしいのは二人のせいだけではないが。
「……何人追いかけてきてるのよっ? 凄い人数よ、これ!」
 ちらりと後ろを振り返り、キルファが再び喚き散らした。
 街の中を疾走する二人の後には、やはり何人もが彼らの後を追って走っていた。十人前後といったところか。老若男女関係なし、しかも全員が全員、何かしらの武器を手にしている。
 三流の怪奇小説にでも出てきそうな光景だった。無論、読めば数日はうなされる類のものだ。暗がりの中で何人もがぞろぞろと追いかけてくる光景は、不気味以外の何者でもない。
「ちっ……!」
 目の前に突如として現れた人影に、今度はダレットが舌打ちした。暗がりなのではっきりしないが、大人の男だろう。手にしているいびつな影は、おそらく薪割り用の小さな斧だ。
「待ち伏せされた! ……どうする?」
「地の利は圧倒的に向こうが有利だからね! ……しゃあない、そこの細い路地に入って!」
 キルファの言葉に、二人は進路を変えた。家々がぎっしりと建て込んでいる区画の、細い路地に潜り込んだ二人を追って、何人もが細い道に入り込む。
「うわー……まだ追ってきてるわ」
 石壁の中を幾重にも反響して響く足音に、キルファが舌打ちした。入り組んだ路地であるため、音の方向がはっきりしない。そのせいで、余計に焦燥感だけが募る。
「まあ、向こうもそう簡単には諦めてはくれないだろうけどな」
 曲がりくねった道を適当に走りつつ、ダレットが言った。
「でなけりゃ、最初からこんなことしないだろうけどさ!」
 やけくそ気味にキルファが相槌を打つ。向こうに行き止まりを見つけ、舌打ちすると少し戻ってまた別の道に駆け込んだ。
「もう! まるで迷路じゃないの、ここ! たいして大きい街でもないのに……」
「ラインガルドはこんなんじゃなかったのか?」
 キルファは、元々王都のスラムにいた。王都のスラムも、細い道が入り組んだ構造になっていたはずだ。
「あそこもそうだったけどさ、ここまで無計画じゃなかったわね!」
 王都ラインガルドのスラムは、都市の再開発によって放棄された区域だ。当初はきちんと計画を立てて建てられた部分なのである。ここのように、最初から無計画に家を建てた結果ではない。……今はどうでもいいことではあるのだが。
「……なあ、ここ、さっき通らなかったか?」
 変わり映えのしない家並みを眺め、ダレットがぼそりと言った。
「そうかもしれないけど! もう知ったことじゃないわよ、そんなもんっ!」
 とうとう我慢が限界に達したか、キルファが怒鳴る。自分でも何を言っているのかよく分かっていないらしい。
「ああもうっ! 何だってこんなことになるのよ!」
 精一杯の怒鳴り声は、じめじめとした石壁に幾重にも反響し、ぼんやりと消えた。
 ――話は、数時間前にさかのぼる。

「……ねえ、ここなの?」
 引きつった顔でキルファが訊いた。
「ここだな」
 地図を片手に答えるダレットの顔も、何処か虚しく響く。
 二人がいるのは、小高い丘の上。眼下には街が見える。確かに、見えている。これ以上はないというほどに。この街の状態も、全部。はっきりと。
「まさか、ここまで辺境とは思わなかったわね……」
 キルファが呟いた。
 風が、何処か空しく通り過ぎる。二人とも、ただ風に吹かれている。ひゅううう……と、冬でもないのに鋭く寂しげな音が響いた。
「……一応、ヨールンの街って地図には書いてあるんだが。街か、ここ?」
「前の、サリクスがいたエルフの村のほうが、よっぽど大きかったわね」
 王都を離れ、山道を歩いてしばらく経つ。森にもいい加減飽きてきた頃、ようやく平地にたどり着いた二人の目の前に広がるのは、山間の小さな集落だった。地図には街と書いてあるし、一応、街の証明たる城壁もあるのだが、半分以上崩れているのがここからでも分かる。
 市内を見ても、ほとんど人通りがない。まだ昼間だと言うのに。
「過疎化が進んだのかしらねえ……」
 キルファの意見は、空しく風に舞った。
「ま。とりあえず、人間の街なんでしょ? 誰もいないって事もないだろうし、とっとと行こ。久々に屋根のあるところで寝たいしさ」
 キルファがすたすたと歩き出す。ダレットもため息をつくと、後を追った。

 先ほど上から見た、ヨールンの街の入り口。
 崩れかけた外壁は穴だらけだったが、それでも一応、城門には門番がいた。街に入る人間を監視し、事前に盗賊などの侵入を防ぐためである。門以外の場所からの出入りは禁じられており、見つかれば投獄される場合も多々あるのだが、この街の場合はちゃんと監視出来ているのかも怪しいものである。
「二人ですね……どうぞ」
 門番は二人を見ると、ほとんど調べることもせずに中に入れた。役目を放り出してきたとは言え、元騎士のダレットとしては、不安で仕方がない。
 キルファは相変わらずフードで顔を隠しており、傍から見れば露骨に怪しかったが、調べようともしない。横にダレットがいるからなのだろうが、手抜きにほどがある。もっとも、フードを外す羽目になったらそれはそれで面倒なので、有難いことではあったが。
「何だか、寂しい街ですね」
 やけに無愛想な門番に、ダレットは世間話の口調で言った。
「ええ、まあ。こんな山奥の街ですし。それに、ここは元々エルフの街だったところでしてね。土着の人間はほとんどいないんですよ」
 門番……冴えない風貌の中年男だった……は、やたらと丁寧な言葉遣いで返事を返す。が、その目は、明らかに得体の知れない旅人を警戒している。キルファは、森の小動物を連想した。
 元々エルフが住んでいたところに、人間が移住しているのには理由がある。
 エルゼシア帝国が大陸を統一したのが五十年前。エルフと人間の熾烈な争いは人間の勝利で幕を閉じたわけだが、そこで問題になったのは、その後のエルフたちの扱いだった。
 建国王は、英断とも暴挙とも取れる決断をした。
 すなわち、人間とエルフの完全な分離。エルフは人間の街に入ることを厳しく制限され、元々自分たちが住んでいた街を追い出された。エルフの居住区域は制限され、特定の地区しか認められず……具体的には、大陸の至る所にある山の中のみ…、それに加えて、エルフの村には城壁を作ることを禁止された。
 そして、今までエルフが住んでいた平地には人間が移住した。この街も、そんな場所のうちの一つなのだ。
「ここに来るまでに、一つ、エルフの村の前を通りましたけどね。そちらは結構大きかったですよ」
「ああ……ドラウィダの村のことですか」
 ドラウィダとは、サリクスがいた村の名前だ。相槌を打ちながらも、門番の表情に一瞬、怯えの色が混じる。
 建国戦争に勝利し、山の奥深くに追い払っても、人間はなおも恐れているのだ。エルフを。彼らの使う、魔法を。
 建国王が、エルフの人間の街への出入りを制限した理由もそれだ。魔法は武器のように取り上げれば防げるものではないし、使いようによっては下手に人数を集めるよりよっぽど大きな威力を発揮する。何より、その原理からして人間には理解不能だ。
 完全に魔法を防ごうと思ったら、エルフ自体を人間から引き離してしまうしかない。
「ところで。この街に宿はありますか?」
「ああ……一軒だけありますよ。<大熊亭>って言って、この通りをまっすぐ行ったところです。そんなに大きくはないんですが、看板が出てますし、すぐに分かりますよ」
 門番は親切に解説してくれた。こんな辺境の小さな街では、宿屋など経営しても儲かるまい。一軒あっただけでも良かったと言わねばなるまい。
「有難うございました」
 ダレットは丁寧に礼を言うと、街の中に入った。キルファも、黙ってその後を追う。
 二人の後姿を見つめる門番の目が、一瞬、鋭く光った。

「……しっかし……本当に泊まれるのかしらね、この宿屋」
 キルファが建物を見上げて言った。
 確かに、門番が言ったとおりの場所に<大熊亭>はあった。が、看板……大きな熊の絵が描かれている……は絵の具がはがれてほとんど読めなくなっているし、建物も冗談抜きで傾いている。入り口の前も掃除されていないようで、この宿屋の主人のやる気のなさがうかがえた。
「野宿と大差ないんじゃ、これじゃあ」
「いや、そこまで言わなくても……」
 しかし、ダレットも似たような気分だった。自分が生まれた王都と比べてはならないと思うのだが、それにしてもこれは凄まじい。
「……まあ、行くか」
 ここでいつまでも宿屋をじろじろ観察していても仕方あるまい。他に選択肢はないのだ。
 入り口のドアを開けようとすると、ぎぎいっと軋む音と、木が割れるような音が同時に聞こえた。ダレットは一瞬、ドアを壊したかと冷や汗をかいたほどだ。
「ちょっと、本当に大丈夫……」
 板張りの床も、歩くとぎしぎしと軋んだ。床は埃だらけで、足跡が残っているような気がする。
「……お客さんかね」
 入り口の側のカウンターから、しゃがれた声がした。向くと、初老の女性が一人座っている。おそらくこの宿屋の女主人だろう。元々は闊達な女性だったのだろうと思わせる、線の太さがあった。
「二人、泊まりたいんですが」
「ああ……だったら、ここに名前を書いてくれ。二人一緒の部屋でいいかい?」
 帳面とペンを出しながら、女性は言った。
「いえ。別々にして下さい」
 キルファがやたらと力を込めて言う。
「ああ、女の子か。そんなフードを被ってるから分からなかったよ。そうだね、それなら二部屋用意しようか」
 そこで初めて、女性は笑った。
「お客さんたち、どうしてこんなところに?」
「いえ……単に旅をしてるだけですよ。色々見て回ろうか、なんて」
 ダレットが愛想笑いをして言う。家出などとは絶対に言えない。
「そうかい。羨ましいことだねえ、若い男女二人が旅なんて」
「そういうのじゃありませんっ!」
 隣りでキルファが大声で怒鳴った。が、女性はあっさりとそれを聞き流す。
「でもねえ、お客さん。この街、見ての通り小さいところなんで、食堂なんてほとんどないんだよ。あってもガラが悪くてね。
 うちでも簡単な食事だったら出せるけど……どうする?」
 確かに、見渡せば、辺りには幾つかテーブルと椅子が並んでいた。一階が食堂、二階が客室という典型的な宿屋らしい。この様子だと、どちらもこの女性一人が面倒を見ているのだろう。正直、心許ない感はあったのだが……
「そうですね……それじゃあ、お願いします」
 ダレットは少し考える振りをして言った。
「そうかい。じゃあ、そこで待っておいで。どれ、お客さんなんて久し振りだねえ……」
 女性は奥に入っていく。やがて、食事を作っているらしい物音が聞こえてきた。
 ここしばらくはずっと野宿で、野草やキノコ、携帯用の干し肉しか食べていない。久し振りに手の込んだ食事にありつけるかもしれない。
 外を見れば、日が暮れかけていた。今までの疲れがどっと出て、二人とも椅子に深く座り込んだ。
「ま、外はともかく、何とかなりそうだな」
 ダレットが安心したように言った。
「んー……まあね」
 キルファが気のない相槌を打つ。
 それからしばらくして、女性が盆に料理を載せて運んできた。
 野草と兎の肉のスープ、煮て味をつけた芋、野菜の炒め物、川魚の煮つけ、自家製のパン。質素ではあるが、今までのことを考えれば御馳走と言えた。
「ほれ、お待ちどうさま」
「有難うございます」
 ダレットが笑って料理を受け取った。
「いただきまーす」
 キルファが目を輝かせて料理に手を伸ばした。野菜の炒め物を取ろうとしたが、手が届かず、身を乗り出す。が、その瞬間、身体のバランスを崩した。
「うあっ……きゃあああっ!」
 がしゃんっ!
 伸ばした手が、皿に引っ掛かった。炒め物を乗せた皿が引っ繰り返り、上の料理が床にぶちまけられる。
「あああっ!」
 ダレットが悲鳴を上げた。
「まだ全然食べてなかったんだぞっ!」
 女性も機嫌を悪くしたようで、眉をひそめてキルファを睨んでいる。
「ごっ……ごめんなさい!」
 慌ててキルファは謝った。急いでぶちまけられた料理を片付けようとする。
「ああ、いいよ。そんなことは私がやるから。それより、全然食べてなかったのにねえ。もう一回作ろうか?」
「いえ、それは……。あたしの不注意ですし」
 珍しく、キルファが愛想笑い……フードの下なので、表情はいまいちはっきりしないが……をした。
「珍しいな、人の三倍は食うお前が」
「悪かったわね!」
 横から茶々を入れるダレットにキルファが怒鳴り返し、手にしていたフォークを突き付けた。

「ふう……」
 自分が借りた部屋に引き上げ、ダレットは大きく息を吐いた。
 キルファが料理を一品駄目にしてしまったが、それでも、久々の手料理は美味しかった。王都にいた頃を思い出す。
「親父も、兄さんもエルザも……何をやってるんだか」
 呟き、ダレットはごろりとベッドに寝転がった。ぎし、と木材が軋む。意外にベッドの寝心地は良かった。
 全部放り出してきてしまった自分の後始末は全部、あの三人がやっているのだろうと思う。三人とも妙に責任感が強いから、さぞかし苦労していることだろう。
「はあ……」
 が。今更後戻りは出来ない。自分が決めたことだ。
 何時の間にかダレットはうとうとと眠りかけていた。久々に人間がいる街に来て、気が緩んでいたのかも知れない。
 そこに。
 こんっ。こんっ。
 小さな、ノックの音がした。
「誰だ……?」
 半分夢うつつのまま、ダレットはドアに向かって言った。  

 

 
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