18.逃走の顛末
「入るわよ」
ノックの主はキルファだった。言うなり、ダレットの返事も待たずにずかずかと部屋に入ってくる。この宿のドアに、鍵は付いていない。
彼女は、旅装束をきっちり着込んでいた。
「…………?」
寝ぼけ眼のまま不審がるダレットを尻目に、キルファは壁にかけてあったダレットの外套と長剣を投げて寄越した。
とりあえず、条件反射でダレットはそれを受け取る。
「…………何なんだ? 一体」
「ここを出るわよ」
何の前置きもなく、キルファは言った。横目できっとダレットを睨み付ける。
「……どういうことだ?」
「ここにいつまでもいたら、殺されかねないって言ってるのよ」
キルファは鋭い目を窓の外に向ける。が、ダレットは何が何だか分からない。
「別に、不審なことなんてなかったと思うんだが……」
言われるままに外套を着こみながらも、ダレットは首を傾げる。キルファはそれを見て、嘆息しながら言った。
「……さっき、何であたしが料理をぶちまけたと思う?」
「単なる不注意」
「違うわよっ!」
即答するダレットの即頭部を、キルファは思わずはたいた。が、ダレットがあっさりと避けたため、キルファの手はむなしく宙を切っただけだった。
「あのさ……サブリアって草の名前、聞いたことない?」
ダレットはなけなしの知識を総動員する。確か、山に多く自生する草だ。
「えーっと、確か、毒薬の材料になるとか何とか……
……って、まさか!」
「そのまさかよ」
キルファが重々しく頷く。
「あれ、結構変わった匂いがするのよね。細かく刻んであったから葉の形までは分からなかったけど、間違いないわ。
それに……」
キルファは一瞬、人の悪い笑みを浮かべる。
「あれって、こんな山の中にわんさか生えてる毒草なのよね。あたしも、ここに来るまでにかなりの数を見かけたもの」
「……あったのか? 山を通ってるときに」
「あったのよ。あんたは気づかなかっただけで。まあ、普通は毒草なんて要らないから、別にいいけどさ」
「はあ……」
ダレットは気の抜けた声を漏らした。
「……でも何だって、そんな草を混ぜ込んだんだ?」
「ま、こんな辺境の街だもの。旅人に毒を盛って、持ってる金を奪おうってところじゃない? 辺境じゃ実際、よくある話らしいから。あたしが気がついて良かったわ、本当に。あんただけだったら、間違いなく今ごろ山に放り捨てられてるわね。死体になって、身ぐるみ剥がれてさ」
「……悪かったな」
憮然としてダレットは言った。しかし、真実だ。
「それじゃあ、まあ」
ダレットが長剣の金具を腰に固定しながら言った。
「そういうことなら、とっとと逃げるか。しかし、何でこんなことをやったのかなあ……」
ダレットはぶつぶつと呟いている。
「そんなに悪そうな人には見えなかったけどな。この街の人たち」
「あんたの判断基準だったら、世の中に悪人なんていないわよ。ま、何をもって悪人とするかは知らないけど。
まさかあんた、また首を突っ込むつもり? 前回、あれだけ痛い思いをしたのに」
キルファが呆れ顔で言った。以前、エルフの村で盗賊騒ぎに首を突っ込み、ダレットはかなりの怪我をしている。その怪我はほとんど治ってはいたが、また同じような目にあってはたまらない。
「まあ……そうだな」
前回の借りがあるので、ダレットはそれ以上、何も言わなかった。
ドアには鍵が付いていない。あまり考えられないことだ。これも、万が一、毒を盛るのに失敗した場合のためなのかも知れない。
二階の窓から出ようかとも思ったのだが、外には月が光っている。そこを見られたら、怪しい人影以外の何者でもない。
結局、ドアから素直に出ることにした。が、歩くたびに床が軋むので、見つかるのではないかと冷や汗ものだ。
「ちょっと、大きな音立てないでよね」
キルファが囁いた。彼女は、普通に歩くのと変わらない速さで歩いているが、床はまったく軋む音を立てない。王都での所業のせいで、忍び歩きはお手の物だ。
一階に降りてみると、カウンターにあの女主人はいなかった。食堂部分には、明かりすら点いていない。必要のないところまでランプを点けるほど不経済なこともなかったが。
奥の部屋の明かりが付いているところを見ると、そちらにいるのだろう。
見つからないように、二人は出来るだけ体勢を低くして、宿の外に出た。
……とまあ、そこまでは良かったのだが。
あっさりと見つかってしまったのである。それが、今現在、街の中をひたすら走り回っている理由だ。
上手く宿屋を出られたと思った。後は、城壁の崩れたところを見つけて、そこから出ればいいと思ったのだ。
が、宿屋を出た途端、近くにいた街の人間と鉢合わせしてしまった。その中年の男は二人の姿を見るなり、薪割り用の短い斧を片手に追いかけてきた。
男が大声で街中に呼ばわったため、二人を追う人数はどんどん増えていっている。
「……まさか、街ぐるみだとは思わなかったわね!」
城門に向けて走りながら、キルファは愚痴を言った。
城門にも誰かしらいるだろうが、小人数だったら、ダレット一人で切り抜けられるだろう。そうして山の中に入れば、街の人間の目を欺けるかもしれない。後は、急いでこの辺りを離れるしかないだろう。
「くそっ! 久々にゆっくり寝られると思ったのに!」
何しろ、夜中である。今までの疲れもたまってきているので、ダレットも愚痴が多くなっている。
「何だってこんなに面倒なことが降って沸いてくるのよ!」
走りながら前を見ると、そこには鎌を構えた初老の女性がいた。見覚えはないが、追っ手に間違いないだろう。地の利に関しては、明らかに街の人間に分がある。どうやら、先回りされたらしい。慌てて方向転換する。
何せ出鱈目に走り回っているだけである。何をどう走っているのか、本人たちにもまったく分かっていない。
「あっちに行ったぞ!」
「俺はこっちから行く、お前は向こうから回れ!」
後ろから、何人もの怒鳴り声が聞こえてきた。
「もう……道順がさっぱり分からないわ!」
細い路地に入り込み、どれくらい走ったのかも分からなくなった頃、キルファが喚いた。
「外に出るのが難しいな」
ダレットがのんびりと……今まで通り走りながらだが……言った。
「それだけじゃなくて! 挟み撃ちに遭う可能性があるって言ってんのよっ!」
確かに、今走っているのは細い裏路地だ。明かりも月明かりだけで、見通しが良いとは言いにくい。挟み撃ちに遭っていても、直前まで分からない可能性がある。
「……だったらどうする?」
「どうもこうもないわよ! 強行突破!」
キルファが物騒なことを言う。
が、それがただの冗談では済まなくなっていた。
「……行き止まりか」
足を止め、ダレットがうめいた。
細い路地は、前に建てられた煉瓦造りの建物で分断されていた。元々、家と家の間にできたような細い路地だ。区画によっては、こうなっていることも十分考えられた。
後ろからは、何人もの足音が聞こえてくる。追いつかれるのも時間の問題だろう。
「……こうなったら……」
キルファが呟く。フードの下で、紫の瞳が怪しく輝く。
「ダレット、ちょっと剣貸して」
言うなり、自分でダレットの剣帯の金具をいじり、スリの早業で長剣を鞘ごと外す。
「おい……」
ダレットの抗議はこの際無視。
すぐ側には、石造りの家がある。閉まった窓の部分だけ木で出来ていることを確認すると、そこに思いっきり剣を突き込んだ。
ばんっ! と、大きな音がする。一瞬びくっとするが、この状況で音を殺しても意味がない。
別に、窓にはまっている木を割るつもりはない。が、窓に取りつけられた金具が衝撃で壊れ、だらしなく半開きになった。
キルファは身軽にその窓の中に身を躍らせる。家の住人の悲鳴が聞こえるが、これもまた無視。
「ほら! さっさと行くわよ!」
ダレットが窓から家に侵入する頃には、キルファはもう住人の間をすり抜けて、入り口に向かっていた。
「ああああ……俺は騎士だったのに……何で家宅不法侵入なんかやってるんだろう……」
ぶつぶつ言いながらも、キルファの後を追って走る。路地で男たちが喚いているのが聞こえてきた。
「勝手に退職してきたんでしょ? 今更とやかく言わない! それに、先に毒なんて盛ってくれたのはこの街の連中なんだからね!」
ばたばたと走りながらキルファがしっかりと突っ込みを入れる。
「しかしお前、結構やり方が乱暴……」
「悪かったわね!」
条件反射的にキルファは怒鳴った。
最初は出来るだけ、街の住民を傷つけないように逃げ出そうとしていたのだが、そうもいかなくなってきた。
人数が違いすぎる。それに、全員が全員、自分たちの後を追って走っているわけではない。
目の前に、いきなり村の子供が現れる。横を向けば、そこにも腰の曲がった男がいる。
次第に、二人は包囲されていた。
仕方なしに、目の前を強行突破し、通りすがりにダレットが当身を加えて気絶させたりもしてみるのだが、焼け石に水程度の効果しかない。まさか、街の住民相手に剣を抜くわけにもいかない。
なおかつ、今何処を走っているのかも分からない。元々知っている道も、城門と<大熊亭>の間の道だけなのだ。何処に向かえば街の外に出られるのかも、見当もつかない。夜のことなので、街を囲んでいるはずの城壁は見えない。
「……ねえ、あれって」
走りながらキルファが、目の前にあるものを指す。
「……城か? それにしては……」
ダレットが言った。
街の中心、もしくは周囲の城壁の一部に隣接して、領主の城があるのが普通だ。王都ラインガルドの場合は、街の中心に王城と政治関係の施設が存在していた。その周辺は、街でも一番栄えている場所であるのが普通だ。
が、今目の前に見えている城……もうかなり近づいている……は、荒れ放題になっているのが遠目にもはっきりと見える。城壁と同じように石垣は崩れ、蔦がびっしりとその周りを覆っている。
到底、領主が住んでいるようには見えない。しかし、領主、もしくはその代官が不在の街というのは聞いたことがない。
何か、理由があるのだろうが……
その様子からして、城は無人だろう。人がいる気配というものがまったくない。
「…………」
後ろには何人もの気配が迫っている。いくらダレットでも、相手が素人の人間でも、手に余る人数だ。
「ああもうっ! どうにでもなれ!」
捨て鉢なセリフを吐き、二人は城の中に駆け込んだ。
