暁の大地

19.朽ち果てた城

 城の門もまた、守り手もいないままに開け放たれていた。
 門の中に飛び込む。以前は季節ごとの花が咲き誇っていたであろう庭も、荒れ果て、雑草が生い茂るままになっている。
 置かれた女性の彫像が、半分砕け散ったまま、悲しげな瞳をこちらに向けていた。
「……こりゃあひどいな」
「昨日今日放置されたわけじゃないわよ、この様子だと」
 しかし、ゆっくりと周りを観察している暇はない。建物の中に駆けこむ。
「よっ……と!」
 ダレットが、全体重を載せて城の扉を押す。
 ぎいいいい……っ、と重い音を立てて扉はゆっくりと閉まった。完全に閉まったことを確認し、閂をかけたところで、ようやく二人は安堵のため息をついた。
「……あー、助かった……」
「でもこれで終わったわけじゃないわよ。ここから脱出しないといけないんだから。まあ……しばらくは入って来れないと思うけどね……」
 この城の入り口が、他にもないはずはないのだ。
 携帯用ランプの明かりを点ける。ぼんやりと、城の内部の様子が見えた。
「……これはまた……」
 ダレットが呆れたような、感心したような声を漏らす。
 城の外と同じように、内部もまた、荒れ果てていた。シャンデリアは床に落ちてその欠片を撒き散らし、絨毯は……明かりがランプだけなので、色ははっきりしないのだが……あちこちが破れたままになっている。飾られていたらしい美術品も、砕けてただのがらくたと化している。他も似たようなものだ。
「ちょっと大変だけど。入り口を探して、封鎖したほうがいいわね」
 今いる場所は城の例に漏れず、玄関を兼ねた大広間であるようだった。肌に伝わる感覚からして、かなり広い空間だ。ちょっとした舞踏会なら出来るかもしれない。
「まあ……やるしかないか」
 外から見た限りでは、この城はそんなに大きなものではない。辺境ということを考えれば、仕方のないことかも知れなかったが。
 壁に沿って移動し、入り口の扉を閉めては、その前に近くの彫像やら壷やら、とにかく大きめの家具を置く。数回そんな作業を繰り返し、ようやくこの大広間だけは封鎖することが出来た。この広間の向こうに何の部屋があるのかは、まったく確認していない。
「これで一周……か」
 ダレットが呟き、今度こそ大きくため息をつく。
 キルファも疲れた様子で、床に座り込んだ。壁にもたれたまま、目を閉じる。
「……疲れたか?」
「そりゃあ、ね。一日山の中を歩き通して、それで夜中にひたすら全力疾走だもの。疲れてない方がおかしい……」
「少し寝てていいぞ。俺が番をしてるから。まずくなったら起こす」
 そういうわけにはいかない。あんたも疲れてるでしょう。
 そう言おうと思ったのだが、強烈な睡魔に襲われ、キルファは座り込んだままかすかに寝息を立てた。
「さて……」
 ダレットは剣を手にすると、キルファの側に座り込んだ。

「ん……」
 目覚めは意外と爽快だった。朝の日差しが、上方の窓から差し込んでいる。
「朝、か……」
 目をこすり、キルファは呟く。
「……起きたか」
 横からダレットの声がした。鞘ごと剣を外し、それを抱えてキルファの横に座り込んでいる。眼の下に隈ができていた。
「ちょっと……もしかしてあれから全然寝てない?」
「ああ……」
 さすがに眠いのか、口元に手を当てて欠伸を噛み殺している。
「……大丈夫? あんたも少しは休んだほうが……」
「いや。何とかなるだろ。昔は三日三晩睡眠なしってこともあったしな」
「……何をやってたの、一体?」
 少々気味悪そうに、キルファが訊いた。
「いや、剣の稽古なんだけどな。師匠が、やたらと変な練習ばっかりさせて……戦いに時間は関係ないとか言って。それで三日、ぶっ通しで剣を振ってた」
「何だかよく分からないけど。凄いお師匠様ね」
「……凄かったんだよ。色々な意味でな」
 ダレットが、半ば呆れたような顔でため息をついた。
 ダレットの剣の師匠については、元傭兵ということ以外には何も聞いていない。どんな人物か、少々興味があったが……今尋ねるようなことでもあるまい。
「さてと、とりあえずこの城を探検でもしてみるか……」
 ダレットは物憂げに言うと、のろのろと立ち上がった。
「どうなってるのかしらね? この城」
 キルファが気味悪そうに辺りを見回す。夕べ、確認したことと大差ない。そこら中に埃が積もり、贅を尽くした調度品はことごとく放置され、ただのがらくたと化している。
 床の絨毯の上には大量に埃が積もり、上の窓には高級品である色ガラスが嵌めこんであったが、割れて欠片が下にばらまかれている。
「しかし、誰もいないってのもよく分からない話だよな」
 広間の奥、夕べ封鎖した扉を開けながら、ダレットは言った。
「ここの領主が実は城に住むとまったく落ち着かない貧乏性で、普通の家に住んでここを放置したとか」
「いや……辺境の領主が王都に住みついて領土をほったらかし、って話はよく聞くが。貧乏性はないだろ」
「……冗談だったんだから、少しは突っ込みを入れるとかしてよね」
 のんびりとダレットが扉を開ける。何のためらいもなしに二人は足を踏み入れ……
「うっ……」
 思わず硬直した。

 広間とは対照的に、そこは小さな部屋だった。特に調度品は見当たらず、鎧などが置かれているところからして、常駐の兵士の詰め所と言ったところだろうか。
「うわ……」
 たまらず、キルファがマントの裾を口元に当てている。ダレットも、手で口を覆った。
 腐臭。
 何かが……部屋の奥に積み上げられている。どう考えても、この腐臭の発生源はそれだ。
「……酷いな」
 ダレットが呟いた。こみあげる吐き気と、疲労を必死にこらえている。
 部屋に積み上げられていたもの。それは、人間の遺体だった。
 半ば白骨化した遺体が四体。年齢などはいまいちはっきりしないが、着ている物と鎧からしてこの城の兵士だ。いずれも胸元が大きくえぐられている。
「何なんだ、この街は……住民が追いはぎで、城には死体が放置、か」
「そうね……それに」
 キルファが何か言いかけて、黙った。
「それに?」
「いや……何でもないわ」
 キルファにしては珍しく、それきり話を打ち切った。
「この様子だと、他の場所もこんな感じかもね……どうりでこの城、人がいないわけだわ」
 ため息をつく。
「……どうする? 他の場所も行ってみるか?」
「似たような事になってる気はするけどね……どうせ外に出ても、また街の人間と追いかけっこになるだけだもの。どっちもどっちと言ったところかしらね」
「城に、都合よく抜け道でもあってくれたら一番話は早いんだがな」
「……あんた、その都合のいい発想は止めておいた方がいいわよ。最悪の事態になったときに立ち直れなくなるから」
 キルファが嘆息して言った。
「……出来れば、埋葬してやりたいけどな、この遺体」
「あたしたちだけじゃ無理ね……街の人間に言ったらどうにかなるかもしれないけど。まあ、話が出来たら、だけどさ。
 死んだ人間の心配をしてる場合じゃないしね、今は。一歩間違ったらあたしたちも仲間入りだわ」
「まあな……」
 どこかやる気のない顔をして、ダレットは奥の扉を開けた。

「……あいつら、城の中に入りよった」
 初老の女性……<大熊亭>の女主人である……が、朽ち果てた城を見上げ、呆然と呟いた。
「逃げるつもりが、かえって危険に飛び込んでしまうとはな。間抜けな話だ」
「まあ、これでわしらが手を下す必要もなくなった、というわけか」
 キルファとダレットを追いかけていた人間が集まって、がやがやと言い合っている。
「大体だな、あんたがちゃんと最初に成功してれば、わしらがこんな手間のかかる真似をすることもなかったんだ」
 中年の男が、女主人に責めるような視線を向けた。
「私はちゃんと料理にサブリアを仕込んだよ、いつもと同じようにね。でも、ちっちゃい方が見事にぶちまけちまった」
「……最初から気付かれてたんだ。それであいつら、逃げ出そうとした」
「冗談じゃない、逃げられたらこっちが殺される」
 一同は、城に怖れるような視線を向ける。
「大体、いつもいつも実際に手を下すのは私だ。それで失敗したからって私を責める。冗談じゃない」
 女主人が口を尖らせて言った。
「……まったく、いつまでこんなことが続くのか……」
 誰かがぽつりと言う。それきり、一同は沈黙した。

 一階を一通り調べ……大体予想通りだった……二人は、二階に上がった。
「上に上がったからって、どうにかなるの?」
「さあ……」
 ダレットも、脱出の当てなどない。ただ、何もしないのも不安だから動いているだけだ。身体を休めておいた方が良いのかもしれないが、不安が先に立った。
「まあ、強いて案を言うなら、夜になるのを待って抜け出す……ってくらいか」
「また昨日と同じことをやるの?」
 キルファが、げっそりとした顔で言った。
「……本当に。どうしろって言うんだ、まったく」
 ダレットが疲れきった顔でぼやく。
 昨日、外から確認した限りでは、この城は三階建てだ。ただし、昨日一晩立て篭もった大広間は三階まで吹き抜けになっている。
「多分、二階も下と同じような感じだろうな。領主の謁見の間なんてのは最上階にあると思う。定石通りなら」
「……ってことは、また死体と御対面かしらね……」
 二人とも、もう、何のために城の探索をやっているのか分からなくなっている。
 扉が、物憂げな音を立てて開いた。

「……なあ、一ヶ月くらいここにいたら、街の人間もいることを忘れてくれないかな」
 二階を一通り探索し、死体のなかった部屋に腰を下ろしてダレットはぼやいた。
「あんたって、何でいっつもいっつも現実味のない発案をするのかしらね。食料はどうすんのよ」
 二人のいる場所は物置らしかった。埃だらけの椅子を引っ張り出し、キルファは腰掛ける。これも、元々は高級品だったのだろう。
「さすがに腹は減ったな……」
 昨日の夜、あの宿屋で食べたのが最後だ。毒が入っていたのが一品だけで良かったとつくづく思う。キルファが懐から携帯用の干し肉を取り出してかじった。ダレットもそれに習い、乾燥させた穀物の粒を取り出した。
 水はない。城の何処かには井戸があるのだろうが、外に出てまで探す気力は沸いてこない。
 ダレットはしばらく黙って口を動かしていたが……やがて、動かなくなった。目を閉じて、座り込んだままだ。
「……ダレット?」
 キルファがダレットの顔を覗きこむ。ダレットは子供のようにあどけない表情で、小さく寝息を立てていた。
「……寝てるわ。やっぱり疲れてたんじゃないの」
 キルファが苦笑する。強がってはいたが、これだけ緊張状態が続いて疲労しないわけがない。しかも、昨日から寝ていないのだ。
「まあ、寝かせておいても大丈夫かしらね……街の人間は追ってくる気配はないし」
 呟いてから、不審げな顔をする。
 この城が荒廃しているのは、この街の人間も知っているはずだ。城の様子がおかしければ、入ろうとする人間もいてもおかしくはないのに、大量に死体が放置されたままになっていた。しかも、城門は開け放たれていた。入れなかったはずはない。
 そして、自分たちが入り込んだことも知っているはずだ。しかし、一晩以上経っても、追って城の中に入り込んでくる気配はない。大広間だけは昨夜自分たちが入り口を封鎖したが、あんな簡単なバリケードなど、人数がいればどうにでもなる。
「……それに」
 キルファは、不審な点を指折り数えた。
「あの……死体の様子」
 最初の部屋にあった遺体は、どれも大きな傷があった。どう見ても、他の誰かが故意に付けた傷だ。
「疫病やなんかじゃなくて、殺した何者かがいるってこと。……まあ、当たり前か」
 自分で言ってから、黙り込む。今までのことを考える。何か、違和感がある。この一連の出来事の、共通点――
 思い出せそうで思い出せない、そんな感覚。
 何かが……頭の中で、きらめいた。一瞬だけの光。しかし、それは確かな手触りを持っている。
「……そうか」
 知らず知らずのうちに、キルファは呟いていた。
「多分……間違いない」
 顔が青ざめていくのが、自分でも分かる。跳ねるように椅子から立ちあがると、まだ寝たままのダレットの肩を揺すった。
「起きなさい! 今すぐここから逃げ出すわよ!」
 とにかく、城の外に出なければ。街の人間が追いかけてこようが知ったことか。
「ん……? 何なんだ……?」
 キルファの剣幕に、ダレットは寝惚け眼をこすりながら起き上がった。

『ほう……賢明だな』
 人間ともエルフとも違う、あくまでも異質な声。それを聞くものはいない。ただ、誰もいない広い空間に、波紋のようにゆっくりと響き渡る。
『逃げ出そうとするか。まあ……それも良かろう。クズ同士でせいぜい殺し合うがいい』
 低く、くぐもった音が響いた。声の主は笑ったつもりらしい。
 目の前には、二人の人間の様子が浮かび上がっていた。目の前にいるわけではない。が、映像は、少々揺らいでいるだけで何ら遜色ない鮮明さを見せている。
 エルフの言うところの、補助魔法<望遠>。光を湾曲させ、任意の位置で結像させることによって、遠くのものを見ることの出来る魔法である。
 基本的な使い方は肉眼では見えない遠くのものを見ることだが、呪文を追加して調整し、光の軌道を曲げてやれば、たとえ階段の下のことでも手に取るように分かる。無論、建物の構造を熟知していないと無理だが。
 声の主が使っているのは、それとほとんど同じ原理の魔法であった。
『まったく、下らん……』
 声は、途中で沈黙に変わった。映像では、二人の人間……若い男とフードを被った子供……の姿が映し出されている。
 何故、子供がずっとフードを被っていたのかは分からない。が、ふとした拍子にそれが外れた。
『…………!』
 銀髪がこぼれて、きらきらと光を反射する。だが、髪の色はどうでもいい。問題は……
『紫の眼……』
 声の主は、ゆらりと立ちあがった。そして、ゆっくりと歩き出す。歩くたびに、ずん、ずん、と足音がした。
『まさか、こんな所で見ることになるとはな。いや、そもそも存在するとは。
 ……見つけたからには……』
 殺す。
 それは、低い声で……研ぎ澄まされた刃のような響きを持った声で、言った。

「……何か、嫌な予感がするわね」
 キルファが、フードを被りなおしながら言った。不安そうに上を見上げる。
「お前、こんな時くらいフードを外しておけばいいのに」
 ダレットが呆れ顔で言った。彼女はほとんどの場合、深くフードを被っている。跳ね上げているのは、ダレットと二人で山道を歩いているときくらいだ。無論、紫の瞳を隠すためである。
「まあ……いつ、街の連中が突入してくるか分からないしさ」
 生まれてから今までの間に身につけた、彼女なりの防衛策なのだろう。現在の大陸の状況では、ハーフが安心して暮らせるところなどありはしない。
 ダレットもそれは分かっている。だから、それ以上は何も言わなかった。
 ずん、と異様な音がした。上の階からだ。ぱらぱらと、埃が落ちてくる。
「……何なんだ?」
 ダレットが眉をひそめて上を見上げる。
 次の瞬間。
 目の前に、黒い影が落ちてきた。  

 

 
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