暁の大地

21.出来損ない

『無駄だ』
 振り下ろされた刃は、爪とぶつかって甲高い音を立てた。
 魔物は、そのまま剣を受け止めた腕を振る。爪と噛み合っていた長剣も巻き込まれ、ダレットはバランスを崩した。
 そこを狙って、ぶん、と風を切って爪が迫る。ダレットはほとんど曲芸のような動きでそれを避けた。
「あ……危なかった……」
 冷や汗がどっと出てくる。そのまま後方に一回転すると、剣を構え直した。
『止めておけ。貴様など、何の役にも立たん』
「黙れっ!」
 魔物の嘲笑を聞き流し、再び突っ込む。が、結果はさっきと同じだった。その鋭い爪であっさりと受け止められる。爪を叩き折るどころか、衝撃を受けた腕も大して気にはなっていないようだ。
 魔物はもう片方の腕を振る。鋭い爪を、今度は避けきれなかった。後ろに跳ぶが、爪が身体をかすめる。
「ちっ……」
 服が切り裂かれ、右腕から血が流れる。大して深い傷ではない。ダレットは無視することにした。目の前の敵に集中すれば、この程度の痛みなら誤魔化せる。
 剣を構え直そうとする。が、後ろに退がったダレットを、魔物はその巨体からは想像できないほどの敏捷さで追っていた。
『失せろ』
 爪を突き出す。辛うじて剣でそれを受けるが、受けた剣ごと吹っ飛ばされる。大きく吹き飛び、床を数回転がってやっと止まった。それでも剣を手放さなかったのは立派と言わねばなるまい。
「ちっく……しょう……」
 よろよろと立ちあがる。床の絨毯のお陰で、叩きつけられても動けなくなるほどのダメージは受けなかった。だが、小さく咳き込む。
『……しつこいな。黙っておれ、貴様は』
 なおも剣を構え直すダレットを見て、魔物が呆れたように言う。爪では無理だと察したのか、異質な声が何やら呟く。ダレットには、何を言っているのかが分からない。が、この状況には既視感があった。
(……まさか!)
『大気よ・切り裂け』
 魔法言語による呟き。ダレットには意味不明の言葉と共に、魔物の周りを風が取り巻く。それはすぐに不可視の刃と化し、ダレット目がけて走る。
(魔法!)
 以前にエルフの村で食らった、攻撃魔法<風刃>。それとほとんど同じものだ。だが、こちらの方が数段、規模が大きいようだ。
(……避けきれない!)
 まったく刃が見えない。剣で切り払うことなど不可能だ。
 ダレットは顔を強張らせた。背筋を冷たいものが通り抜ける。
『開門!』
 背後から、涼やかな声が響いた。次の瞬間、魔物を取り巻いていた風は一瞬にして消え失せる。
 蒼い光。キルファの魔法消去だ。
「って、大丈夫か?」
「そう見えるの、これが?」
 キルファはまだ床に倒れたままだ。顔だけダレットの方を向いている。まだ、先程の激突のダメージが消えていないらしい。
 キルファは、小さく咳き込む。息をするのも苦しいようだ。
「いや……」
 ダレットは肩をすくめると、魔物に向かって再び剣を構えた。
『ふうむ……<白紙>の魔法か。面白い。久々に見たわ』
 魔物が、口を歪ませる。おそらくは笑ったのだろう。
 <白紙>の魔法。通常の魔法は、『場』、つまり世界法則に呪文を上書きし、その書き換えによって通常では有り得ない効果を生み出すものだが、消去魔法は、上書きされた呪文を消し去ることで、相手の魔法を無効化する。それはつまり、『場』を白紙に戻すと言うことだ。
(……久々に見た?)
 床に転がったままで、キルファは首を傾げる。
 危ないところで命拾いしたダレットは、また魔物に斬りかかる。ダレットにはこれしか攻撃手段がない。キルファの援護が望めない以上、自分でチャンスを作り出すしかないのだ。
『魔法を見たからには、ますます貴様の相手などしてはおれん。いい加減、黙っておれと言っている』
 魔物が一気に駆け出す。爪こそ避けたものの、巨体から繰り出される衝撃までは殺しきれず、ダレットはまともに弾き飛ばされた。今度こそ、床に転がったまま起きあがる気配はない。
『ふん……』
 魔物はダレットを一瞥して冷笑すると、キルファの側に歩み寄った。
『無様だな、小娘』
 言うなり、魔物はキルファの襟元に爪を引っかけ、持ち上げた。狼のような容姿でありながら、その動作は変に人間じみている。キルファには抵抗するだけの力がない。なす術もなく宙吊りにされる。
 フードが外れ、銀の髪があらわになる。苦悶の表情を浮かべながらも、キルファは目の前に迫った魔物を睨みつけた。
『紫の目か。まさか、再び見ることになろうとはな』
 血色の瞳に睨みつけられ、キルファは目を見開いて硬直した。瞳孔がきゅっと収縮し、一瞬、恐慌状態に陥る。
「何だって……」
 苦しい顔のまま、キルファは呟く。
「目の色が紫だからってそこまで言われなきゃならないのよ……あたしが決めたわけじゃないわよ、こんなもの。文句があるなら親に言ってよね! ……まあ、両方とももう死んだけどさ」
『私も、この容姿を選んで生まれてきたわけではない』
 先程一瞬だけ見せた、悲しげな顔……多分、そうだろう……をしながら、魔物は言った。
『貴様や私だけではない。誰も、種族を選んで生まれることなど出来はしないよ。その中で、生きるしかない。生まれた以上……種族にとらわれて生きるしかない』
 淡々と魔物は言った。だが、すぐに瞳が怪しく輝く。
『だから……貴様には、我々の恨みをまとめて受けてもらう。せいぜい、苦しみ抜いて死ね』
 キルファの細い首に、魔物の太い腕が巻きついた。そのまま、ぐいと締め上げる。魔物の目に、狂喜の色が浮かんだ。
 爪を突き立てれば、華奢な少女など一瞬にして殺せる。それをしないということは、あくまでなぶり殺しにするつもりらしい。
「くうっ……あ……」
 宙吊りの状態のキルファにはなす術がない。
『どうした? 御自慢の魔法を使って反撃したらどうだ?』
 嫌味な口調で魔物が言う。が、キルファが声を出せるはずもない。息が詰まる。苦しい。誰か――
 ぞぶり、と異様な音がした。
『……貴様……』
 魔物が、苦々しげに言う。キルファを締め上げていた腕に、長剣が突き刺さっていた。魔物は面白くもなさそうにキルファを放り出す。腕から解放され、足元に落ちて転がった。
 ダレットが、おぼつかない足取りで立ちあがっていた。間に合わないと見るや、自分の長剣を投げつけたのだ。
「だ……ダレット……」
 魔物の足元で咳き込み、キルファがうめく。顔だけ、上を見上げている。よろよろと、ダレットは魔物の側に歩いていく。
『よくもやってくれたな……と言いたいところだが。痛くも痒くもないわ。それに、もうお前になす術はない。ほれ、貴様の武器はここだ』
 腕に刺さったままの剣を抜こうともしない。
 実際、その通りだった。唯一の武器を投げつけてしまったダレットに、もう攻撃の手立てはない。飛礫《つぶて》のような、暗器は幾つか隠し持っていたが、あれはあくまで人間用の、それも不意打ちにしか使えない代物だ。そんなもので魔物に対抗できるとは思えない。
『貴様……この娘の何なのだ?』
 面白がるように、魔物が訊いた。
「…………」
『ふん……よくは分からんが、まあいい。そこで黙って見ておれ。貴様もすぐに殺してやる』
 まだ足元に転がったままのキルファに目を落とす。しばし、黙って見ていたが、何か思いついたように、腕から剣を抜いた。その腕の傷口からは、剣が突き刺さったにもかかわらず、まったく血は流れていない。ダレットの長剣を握る。太いその腕には、あまりにも不釣合いではあったが。
『終わりだ。せめて、仲間の剣で殺してやる』
 にやり――と魔物が笑う。剣が、真下に向かって走った。

 自分に迫ってくる剣。それが、やけにゆっくりと見えた。
(死ぬ……? あたし……)
 ぼんやりと、そんなことを考える。意識だけがやけに冴えていた。
(…………!)
 意識が跳ね回る。狭い箱の中で、もがくように。
(冗談――じゃない!)
 思うように身体が動かない。いくら焦って、逃げ出そうとしても、身体が言うことを聞かない。そこに、何か別の力を感じた。引きずられるようにして、自分の身体が動くのが分かる。
 がんっ。
 鈍い、くぐもった音がした。
『……余計なことを!』
 魔物が舌打ちするのが聞こえた。
「ダレット……」
 咄嗟に自分を引き戻すと同時に、まっすぐに振り下ろされた剣の腹を拳で叩き、軌道をわずかに逸らしたらしい。剣は、自分のすぐ横に突き出されていた。
「うあ……」
 今更ながら、冷や汗がどっと出てくる。少しでもダレットが遅れれば、自分は串刺しになっていた。
「…………」
 ダレット自身も、何回も打ちつけられたせいで、動くのが苦しいのだろう。キルファのように倒れこそしないが、苦悶の表情を浮かべている。
『邪魔を……するな!』
 言うなり、キルファに爪を向ける。無造作に、腕を振り下ろした。咄嗟にまたダレットが飛び込み、彼女をかばうように前に出る。
 ざく、と言う音がする。ダレットの左肩が見る見るうちに紅く染まった。致命傷にはほど遠いが、剣を握るのに障害となることは否めない。
『……健気だな』
 魔物も、この執念には呆れたような声で言った。
『出来損ないが、自分の身を呈してまで庇おうとするか。所詮、出来損ないにはそれくらいしか出来んだろうがな』
 言って冷笑する。
「……出来損ない?」
 反対に、ダレットとキルファは訳が分からないと言った顔をした。
 出来損ない。時々聞く言葉である。だが、それは人間とエルフのどちらでもないと言う意味で、ハーフを指す。間違っても、人間であるダレットを指して言う言葉ではない。
「……どういうこと?」
 キルファが呟くが、魔物もそれに答える気はないらしい。
『その執念に免じて、先に殺してやる。あの娘の死ぬところだけは見ないで済むぞ』
 笑って、ダレットの剣を放り出す。絨毯に受け止められて軽い音を立て、剣は転がった。だが、ダレットが取りに走れる距離ではない。手にして構え直す前に爪の一撃が来る。
(……どうする?)
 二人が同時に考える。が、ダレットは立っているだけで精一杯、キルファはまだ倒れこんだままだ。
 魔法を使えば、キルファに消去されることは魔物も承知している。だから、その爪をもってダレットを殺そうとした。
 巨体に似合わない敏捷さで、ダレットに迫る。連続して繰り出される爪を、ダレットは辛うじてかわしている。その体術こそ、大したものなのかもしれないが……攻撃手段がないのは先程から変わっていない。
 それを見ているることしか出来ない悔しさを噛み締めながら、キルファは考える。何処だ? この魔物の弱点は……
「…………」
 ふと、引っ掛かることがあった。
 得体の知れないものを総称して、魔物と呼ぶ。だから、魔物を定義することなど出来ないのだが……
 生き物でなくとも、いかにも恐ろしい姿……今、目の前にいるような……をしていれば、魔物と呼ぶかもしれない。言いかえれば、美しい姿を……自分たちと似た姿をしていれば、人間、あるいはエルフはあっさりとそれを認めるかもしれない。
 そんなものを以前、見たことがあった。得体の知れない存在。……だが、美しく、儚い存在。
 それと、あの魔物が同じものだったとしたら。
「くっ……」
 渾身の力を込めて立ちあがる。少し動くだけで視界が歪むが、それは無理矢理無視する。
 ふらふらと、魔物に向かって歩いていく。魔物も気付いてはいるはずだが、ダレットがちょこまかと逃げ回るのに腹立っているのか、今はキルファを構う様子はない。
 腰の後ろからナイフを抜く。それを低く構えると、キルファは駆け出した。
「馬鹿! 無茶だ、よせっ!」
 ダレットが叫んでくるのが聞こえる。その通りだ。たとえこれが命中したとしても、魔物は大してダメージなど受けないだろう。ダレットの長剣が刺さっても、平気で動いているのだから。
 魔物が苦笑いをしたような気がした。キルファのナイフを、避けようともしない。
 ずぶり、と手応えがある。意外にあっさりと、ナイフは魔物に突き刺さっていた。
『……それで、どうする?』
 魔物が、嘲りを込めて言った瞬間。
『開門!』
 あらん限りの大声で、キルファは叫んだ。  

 

 
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