22.弱き人々
『き……さま……』
魔物の声だけが響き渡る。
蒼い光が朽ち果てた大広間に満ち溢れる。その光はあくまで静かだった。
そう。まるで……鎮魂歌のように。
ざあっ……と砂が崩れるような音を立てて、魔物の黒い身体が霞んだ。徐々に輪郭がぼやけ、黒い影が小さくなっていく。
「…………」
キルファは魔法消去を発動させると、また床に倒れた。その顔は苦しそうだが、安堵と勝ち誇ったような笑いが浮かんでいる。
『何故……』
徐々に消え失せながら、魔物が訊いた。
「この魔法消去……<白紙>の魔法ね。もう、呪文は失われた魔法なのよ。エルフにも、知っている者は誰もいないの。
あたしがこの指輪を手に入れたの……たまたま見つけた遺跡なのよ。ずっとずっと昔に造られた」
魔物は、キルファが何を言わんとしているのかが分からないようだった。
「でも、あんたはこれを見て……久々に見た、なんて言った。おかしいわよね。もう、生きているエルフは誰も知らない魔法を、あんたは見たことがあるなんて。普通じゃ考えられないわ。だとしたら……最低限、あんたは、その遺跡ができたときからいたってことになるわよね。
それで。この指輪の側に、光でできた幻影がいたの。この指輪を守っていたらしいんだけどね。最深部にいたし、それは遺跡が造られたときからいたんだと思うわ。
その幻影……正体はあたしも分からない。けど、光だけの姿で喋っているなんてもの、魔法としか考えられなかったのよ。原理はまったく分からないけど。まあ、昔の<天人>の技術かもね。
<天人>がいた時代から今まで、ずっと生きていられる生き物なんていないわ。だから……あんたも、あの幻影と同じ、何らかの魔法によって生み出された、もしくは維持されている存在なんだと思ったんだけど。
……どうやら正解だったみたいね。魔法を失ったら、消える……」
魔物を見上げ、にやり、とキルファは言った。
「それで。あたしも、訊きたいことがあるんだけど。……いい?」
『何だ……?』
その姿と同じく、徐々に、魔物の声も小さくなってきている。
「あんた……何者なの?」
『大方、貴様の推測と違いないよ』
魔物がかすかに笑った気がした。
「本来は存在しないもの。魔法という邪道の力で生き延びる、生き物とも呼べない哀れな存在……それだけだ』
魔法。世界法則を書き換える技術。――世界の本来の在り方を歪める、邪道の技術。だからこそ、この力は『魔』法と呼ばれるのだ。
「……あんたを創ったのは、誰?」
『貴様等の言う、<天人>に滅ぼされたものだ。貴様等が何と言うのかは知らん。知りたくもない』
「……<魔人>のこと?」
『貴様等はそう呼ぶのか。如何にもあの連中の末裔だな。自分に都合の悪いものは全て『魔』扱いか。
……もう、私の主人はいない。遥か昔に死んだ。主人の種族も、全てな。道具たる私だけが残った。
それでも……憎しみは残る。それが私自身の意思かも分からんが。だから、復讐をしただけだ。たとえ、それがどんなに無駄でも分かっていても……な』
ふうっ……と、息を吐いたようだった。もう、ほとんど黒い身体は霞となって消えうせている。
「そう。
でもね……もう、眠っていいの。戻りなさい。あんたの主人の元に」
『そうだな……』
それが、最後だった。ざあ……っと黒い砂が崩れ、有り得ないはずの風に舞って散った。
<天人>と<魔人>の伝説。大陸に生きるものなら誰もが知っている、昔話。
ずっとずっと昔。大陸には、<天人>と呼ばれる種族と<魔人>と呼ばれる種族がいた。二つの種族は、大陸の覇権を賭けて激しく争った。長い、長い間。
考えられないほどの時間が流れ……最終的に、天人の勝利で争いは幕を閉じた。魔人の王は滅ぼされ、大陸に存在した魔人も全て滅んだ。
それから、天人の時代が始まる。そのはずだった。
が、天人種族は、勝利もつかの間、突如、歴史の舞台から消え去る。数々の伝説と遺跡だけを残し、天人は何処かへ消え去った。
そして、その代わりに大陸に現れたのが、人間とエルフという種族だ。
二つの種族は、互いに争いと支配を繰り返し……そして、現在に至る。
しばらく、二人とも黙っていた。何も動くものはなく、時だけが静かに流れる。
「……なあ」
ダレットが口を開いたのは……それから、相当時間が経ってからだった。
「何だったんだろうな……一体」
ぽつり、とダレットは言った。
「さあ。あたしも分からないわよ」
キルファがまだ寝転がったまま言う。ぼろぼろの絨毯だったが、今は極上の布団に思えた。
遺産の指輪と同様、遥か昔から存在していた<魔人>の造り出した魔法。言うなれば、あの魔物もまた『遺産』なのだ。<天人>が遺したものではなく、<魔人>が遺した。
遥か昔の争いの残骸。
「ただ……あたしたちは、生きていられた。それで良いんじゃないの?」
「そうだな」
ダレットが、のんびりと笑った。ゆっくりと起きあがり、転がったままの長剣を拾って鞘に収める。
「今度こそ、死ぬかと思ったな」
はあ、とため息をついた。
「まさか、あんたが剣を投げるとは思わなかったわよ。得物を手放すなんて、考えなしにも程があるわ、まったく」
「いや、あの時はお前がやられると思ったから……」
ダレットはぽりぽりと頭を掻く。今になって、ずきずきと腕と肩の傷が痛みだしてきた。
「ま、感謝だけはしておくわ。……ありがとう」
キルファは言って、柔らかく笑った。
「よっ……と」
「もう動けるのか?」
「何とか、ね」
足取りはおぼつかなかったが、それでも何とか立ちあがる。ふらふらと、城の入り口に向かった。
「そういや……街の連中がいるのよね、外」
キルファがうんざりした顔で言った。
「あの騒ぎの黒幕はさっきの魔物なんだろ? そいつを倒したって言えば、大丈夫じゃないか?」
「……それもそうか」
二人は顔を見合わせて笑うと、重い扉を開けた。
「……出てきた」
中年の男が、唖然として言う。街の人間は、城の前に集まってきていた。相当にあの魔物を恐れていたのだろう。
街の人間が、手にしていた武器を構える。まだ、「旅人を殺せ」という命令は消えてはいないのだ。
「……もう、この城には何もいませんよ」
ダレットがそれだけ言うと、街の人間の表情が一瞬にして安堵に変わった。
「……助かった? 助かったのか?」
「おお……!」
「助かった! 俺たちは助かったんだ!」
群衆が、一斉に歓声を上げる。隣にいるもの同士、肩を叩き合い、あるいは抱き合う。街を支配していた恐怖からの解放を、心から喜んでいるのだ。
ダレットはそれを見て嬉しそうな顔をしている。フードの下のキルファの表情は、街の人間には見えていない。
「いなくなったと言うことは……あなた方が倒した、と言うことですかな?」
群衆の中でも、ひときわ年を取った男が尋ねた。周りの様子からして、この男が町長らしい。領主が亡くなったあと、街の行政を仕切ってきたのだろう。
「ええ……まあ」
ダレットが答えると、街の群衆の歓声が変わった。
「あなた方が……?」
しばらくは疑わしそうな顔をしていたが、やがて、ひときわ大きな歓声に変わる。
「……ありがとうございました。これで……これで、街も平和になります」
男が、群衆を代表して言った。
「……はあ」
ダレットが照れくさそうに笑い、横のキルファを振り返る。そこで、怪訝な表情を浮かべた。
「…………」
キルファは無言だ。相変わらずフードを被っているので、その表情ははっきりしないのだが――何となく怒っているような気がした。
「……キルファ?」
おっとりとした声で問い掛ける。
「……ちょっと。まさかあんた、ここで終わりにするつもりじゃないでしょうね?」
ダレットの服の裾を引き、小さな声でキルファは言った。
「……どういうことだ?」
キルファはそれには答えず、群衆の中から知った顔を見つけて話しかけた。
「おばさん。昨日は、美味しい料理をどうも」
キルファは嫌味な口調で言った。その顔を向けたのは、<大熊亭>の女主人だ。女主人は、露骨に憮然とした表情をした。
「……まったく、もう少しで毒入り料理を食べさせられるところだったわよ。もしあたしたちがあれを食べてたら、魔物はまだ生きていて、おばさんはまだあれを怖れなくてはならなかったんでしょうね」
群衆にも聞こえるように、キルファは大声で言った。ダレットが横から制止しようとするが、キルファは無視する。
「街の皆さんも、大勢で追いかけてくれたし。お陰で、城に逃げ込む羽目になって死ぬような思いをしたわよ」
淡々とキルファが言う。街の人間もさすがに気分を害したようだ。
「……嬢ちゃん。何が言いたいんだ、え?」
中年の男が、苛立った口調で言う。
「別に、城に勝手に逃げ込んだのはあたしたちだし、そこにいた魔物を成り行きで倒したからと言って、それを感謝されるいわれはないのよ、あたしたちにはね。
けど……謝ってもらう権利はあると思うわ。『殺そうとして済みません』ってね」
言って、フードの下で嫌味に笑った。
「それは……」
男が口篭もる。
「あの魔物に脅されたから、とでも言いたいんでしょ? でも実際そうだったとしても……あんたらが人殺しをしていたのはまぎれもない事実よ」
フードの下から、キルファの鋭く切れ上がった目が見えた気がした。
「……それは、そうだが、しかし……」
「魔物に脅されて言われる通りに人殺しをしておきながら、いざそれがいなくなると被害者面して、自分たちは悪くない、とでも言いたげな態度を取る。
それが気に入らないって言ってんのよ。笑わせないでよね」
「だったらどうすれば良かったんだ! あの化け物に全員殺されていれば良かったとでも言うのか?」
男が勝ち誇ったような声で言った。確かに、その通りだ。でも……
「化け物、か」
キルファが、何処か自嘲気味に笑った。
「魔物を倒して、あんたらを救ったのが、実は同じく化け物で、あんたらを助けるつもりなんて毛頭なかったら……どうする?」
「……どういうことだ?」
「一つ、面白いことを教えてあげましょうか」
キルファは言うと、被っていたフードの端に手を掛けた。
「あんたらがさっき感謝した奴の正体」
ぱさり、とフードを跳ね上げる。よく見えるように、手で前髪を押さえて見せる。
少女が何を言わんとしているのか。それを群衆はすぐに悟った。
「……紫の目!」
「てめえ……ハーフ……?」
「見ての通りよ」
冷然とキルファは言った。
「街を襲った魔物を倒したのはただのハーフ。得体の知れない存在、憎んでも憎みきれないエルフとの混血児……まあ、これも魔物と言えるかもね。
どう? 街に侵入してきた魔物がいるわよ。全力で、倒したら?」
目の前に佇むのは、あの異形の巨体ではない。ただの華奢な少女だ。一撃で、あっさりと砕け散りそうな。
男が、ぐっと手にした斧……作業用のものである……を握り締めた。振り下ろせば、少女の頭蓋などあっさりと叩き割れるだろう。
「……で。思い出させてあげるけど。あたしたちはこの城にいた魔物を倒してる。つまり、あの魔物より強いってことよね。
あの魔物は、城の人間を全滅させてた。だったら、あたしたちにも……あんたらを殺すくらいの力はあるかもしれない。
さて、どうしようかしらね。あの魔物と同じように……旅人を殺せ、とでも言いましょうか」
群衆が凍りつく。キルファが鼻で笑った。
「……ま、それは冗談だけどさ。あたしはともかく、この男は正真正銘の人間だしね」
淡々とキルファは言い、氷の刃のごとき視線で群集を見据えた。
「確かに、あんたらが生き残るためには仕方がなかったかも知れない。それは否定しないわ。
でも、罪は罪。それだけは確かなこと。あんたらのやったことは、他の街の領主に通告しておく。相応の罰を覚悟するのね」
「あ……」
男ががっくりと膝をつく。他の人間も似たようなものだ。
「もし、あんたらが脅迫を言い訳にして罪を認めようとしなかったら……その時は容赦しないわよ。さっき言ったことが冗談じゃ済まなくなると思いなさい」
キルファが、ふうっとため息をついた。
「さて。ダレット、とっととこんなところから離れましょ。行くわよ」
言い捨てて、さっさと群衆に背を向けて歩き出す。呆気に取られていたダレットは、慌ててその後を追った。
「ああ……一つ忘れてたわ」
キルファはふと立ち止まり、群衆を振り返る。
「城にある遺体。せめて、ちゃんと埋葬してあげなさい」
一瞬だけ、キルファの瞳の色が和らいだようだった。遺体の埋葬。それはある意味で、自分の罪の確認作業とも言えた。
群衆はただ立ち尽くしている。何時の間にか、二人の姿は消えていた。
「……しかし、凄い剣幕だったな」
ヨールンの街を離れてしばらくしてから、ダレットが口を開いた。
「まあね」
キルファが、苦々しげな表情で応じる。
「あの連中を見てたら、何だかむしょうに腹が立って」
それはまあ、横で見ていれば分かる。が、何故あれだけのことを言ってのけたのか、それまでは分からなかった。
キルファはいつも通りにフードを深くかぶり、俯いている。どんな表情をしているのかはまったく分からない。だが……
「……泣いてるのか?」
「まさか」
思わず思いつきを口にしたダレットに、キルファは苦笑して答えた。ばさりとフードを跳ね上げ、ダレットを見上げる。確かに、涙は浮かんではいなかった。
だが、代わりに見え隠れしているものがある。瞳の奥の、無明の闇。夜明けの光などまったく見えない、泥沼の思考の片鱗。
「……何?」
ダレットがじっと自分を見ているのに気付いたのか、キルファが首を傾げる。ダレットが何でもないと首を振ると、キルファは心なしか視線を逸らした。
「――ねえ」
ぽつり、と呟く。
「罪の定義って、何なんだろうね」
罪の定義。悪の定義。……正義が正義たる所以。
それを明確に言える者は存在しない。しかし、人々は正義にすがろうとする。悪を憎む。
「……あんた、前は騎士だったじゃない。正義を護る、お偉い『騎士様』だったんでしょ? だったら答えて。その定義って、何なのよ? 少なくとも、あんたはどう考えて騎士なんてやってたの?」
唐突なキルファの言葉に、ダレットは黙り込むしかなかった。
ダレットが騎士を志した理由。それは、到底誇れるようなものではない。単純に剣を握るのが好きだったことと、どうにかして独り立ちしなくてはならないという焦燥感からだ。
正義。騎士たる理由。……そんなことを、昔の自分は考えたか?
「…………」
ダレットは相変わらず黙したままだ。キルファはそれに苛立ったのか、ぎりっとダレットを睨み付ける。壮絶なその表情に、ダレットは思わず顔を強張らせた。
キルファが何を思っていきなりこんなことを言い出したのかははっきりしない。街での事件が契機になっていることだけは間違いないだろうが……この少女は、一体何を背負っている?
「あ……」
何か、沸き上がってきた言葉があった。その感覚には覚えがある。以前……一番最初に彼女に出会ったときにも、ふと沸き上がった感覚だ。
「俺もそんなものは分からない……でも、一つだけ言えることがあるとしたら」
言葉を選びながら、ダレットは続ける。
「人間は、決して完全な存在じゃない。エルフも……ハーフもな。一人一人は弱くて、脆い。間違うこともあれば、罪を犯すこともある。誰かを傷つけることもある。
罪を犯して良いと言っているんじゃない。それはお前の言う通り、認めなくてはならないことだ。
だけど。それでも……誰にだって、生きていく権利はあるさ。生きていれば、楽しいことも、嬉しいこともある。そんな思いをすることは……出来るんじゃないかな」
罪を背負いつつも生きることが、ただ幸福だとは思わない。死に逃げた方が余程楽だと思うようなこともあるのだろう。それでも……生き続けると言う事だけは、今存在する自分たちに、たった一つ平等に与えられた権利だ。
「……そうね」
しばらく経ってから、キルファはそれだけぼそりと呟いた。自分の右手を見つめ、ぐっと拳を握ってみる。己の力を確かめるように。
「現に……今、あたしはこうやってここにいる」
その呟きの意味までは、ダレットは理解出来なかった。
今までも、これからも当てなどはない旅だけれど。今、こうやって自分は生きていられる。それだけは、たった一つ確かなことだ。この、分からないことだらけの世界の中で。
「…………」
キルファはもう一度拳を握り締めると、足早に歩き出した。ダレットが慌てて後を追うのには構わず、歩みを進める。
――大丈夫。大丈夫だから。
そう、自分に言い聞かせる。
