暁の大地

23.王都にて

 大陸の中核を成す都市、王都ラインガルド。
 その象徴たる王城の中を、一人の男が歩いていた。
 小柄な体躯に纏う豪奢な衣装は、彼が国の重要人物であることを物語っている。人の良さそうな……しかし老獪な笑みを常に振りまき、華麗な装飾が施された城の内部を、何の違和感もなしに歩みを進めていた。だが。
 顔には出ていなくとも、身体からは深い疲労の色がにじみ出ている。背中は心なしか曲がっているし、やたらとため息をついている。以前からの知り合いが見れば、「どうしました、髪が白くなりましたな」とでも言った事だろう。息子たちと同じ栗色だったはずの髪は薄くなり、白いものがめっきり増えた。
「はあ……」
 男……ゴフセフ・コルフォースは、城の会議室にたどり着いたところで、また大きく息を吐いた。これから、普通の人間が聞いたら頭を抱えそうなほどの量の仕事をこなさなければならないのだが、まるでやる気が沸いてこない。とんでもない間違いをやらかしそうで、思わず仮病でも使って帰ろうか、などと思う。
 これだけ彼が頭を抱えている理由は無論……突然行方知れずになった末息子のことである。
 以前、王都で起こったちょっとした政変。話としては、将軍の一人が公金横領をやらかしただけだったのだが……何の因果か、その騒ぎに末息子の名前が挙がってしまい、何を思ったか、いきなり息子――ダレットは姿を消してしまった。
 親として、息子が心配でないわけがない。だが、宰相の立場からしてみれば、下手に戻ってこられると面倒なことになる。仕方なしに、地方領に嫁いだ娘……ダレットの姉たちに通達を出し、極秘に捜索してみるのだが、ダレットが都合良く娘の居場所に姿を現すわけもなし、手がかりはまったくなかった。手詰まりだ。
 長男、ジェラルドも自分のつてなどを使って聞き込んでみているようなのだが、そちらも大差ない。彼なりに弟を心配してはいるようだが、何せ表情にまったく感情を出さない男であるため、時々自分の息子ながらその神経を疑いたくなってくる。
 ある意味、ゴフセフの一番の悲劇は……愚痴を聞かせられる相手がいないことかもしれなかった。
「はあ……」
 ため息をつくのは昔からの癖だ。あまり恵まれた出生とは言えなかったためだが、それにしても最近はひどい。
 重々しい扉を開け、広い部屋に入る。時間が早かったのか、まだ誰も来ていなかった。小さく首を傾げると自分の所定の席に着く。そこで、また大きく息を吐いた。
「ふむ……」
 少々、考え込む。
 あの騒ぎの発端は、将軍の公金横領をカシュラル・レストラードが告発しようとしたことだった。変わり者で有名な軍部の<戦女神>だが、とにかく容赦のない女性だ。まだ二十歳そこそこだが、その手腕は疑う余地がない。
 切れ者のカシュラルのことだ、自分に仕掛けられた策略程度はあっさりと見抜いていただろう。だが、ダレットとはそれまで何の関係もなかった。そのダレットが突拍子もない行動に出た後も、カシュラルは何の行動も起こしていない。彼女の性格からすれば、ダレットの追跡くらいはしてもおかしくなさそうなものなのに、だ。
 それはつまり……
(案外……事情を知っているのはカシュラルの方なのかもしれんな)
 そこまで考えついてから歯噛みする。どうして、今まで気付かなかったのか。
 もしかしたら意味がないかもしれない。だが、確認だけはしておきたかった。
 まだ会議まで時間があるのを幸い、外に出る。そうして、小走りに別の部署に向かった。

「ん……?」
 自分の執務机に山積みになった書類の中から、カシュラルは小さな紙片を引っぱり出し、首を傾げた。
「手紙……? 命令の通達ではないが……」
 数行、何かが走り書きしてあるだけだ。どうやら、先ほど部屋から退室した部下が、書類の間に挟んでいったらしい。
 一瞬で目を通し、差出人の名前に眉をひそめる。ゴフセフ・コルフォース。この国の宰相だ。
 幾つか、尋ねたいことあり。申し訳ないが、明日の夜、当家を尋ねていただきたい。
 内容はそれだけだった。カシュラルは首を傾げる。
 ゴフセフは宰相の地位にある人物だ。自分に用があるのだったら、召還命令の一つで事足りる立場である。こちらは軍部の将軍補佐でしかないのだ。つまり、私的な用件ということだが……今、そんな事柄などあっただろうか?
(……ああ)
 少し考え込んでから納得した顔をした。ゴフセフの息子、ダレットのことだ。おそらく、自分が何らかの事情を知っていると思ったのだろう。それは正解なのだが。
 コルフォース邸を会見場所に指定したのは、単にカシュラルが宿舎に住んでいるから、というだけだろう。ゴフセフは単に自分の家に招いただけのつもりだろうが、カシュラルには少々敷居の高い場所であった。
 とは言っても。
 カシュラルとて、ダレットの居場所など知るわけがない。行方不明になる、と言っていたのを聞いただけである。あとは、一人の少女が行動を共にしていたことくらいだ。
 紫の瞳の……ハーフの少女が。
「ふむ……」
 それこそ、こちらの方が事情を聞きたいような話だ。何がどうなったら、帝国騎士とハーフの少女……それも、どう考えても堅気ではない……が繋がるのか。まあ、ダレットを見ていたら、何があってもおかしくないような気はしたが。
「…………」
 ゴフセフに説明すべきことを頭の中でまとめかけたところで……カシュラルは最大の問題に気付き、珍しく顔を引きつらせた。

「…………」
 カシュラルはじっと目の前を凝視していた。親兄弟の仇でも目の前にいるかのような表情で、心なしか、その額には汗が浮かんでいる。
 が、彼女の目の前にあるのは別に仇でも何でもなかった。
 宿舎の中の、カシュラルの自室。飾り気などまったくなく、戸棚が一つとベッド、あとは机しかない部屋で、カシュラルは机に載ったものを見て頭を抱えていた。
 机の上には、小さな瓶が数個。彼女にはまったく意味が感じられない装飾が施され、人工的な芳香が漂っている。早い話が化粧品だ。
 いつからあったのかも覚えていない。おそらく何処かで押しつけられた物だとは思うのだが、今まで使うことなどなかったため、棚の隅に押し込んで忘れていたのである。
 カシュラルは貴族の姫君などではなく、叩き上げの軍人だ。格好を整える程度のことはするが、別に着飾る必要などなかろう、と開き直っていたため……それに、そんなものなど必要がないほどの美貌である……本格的な化粧品などまったく縁がなかった。だが、今回もそう開き直って良いものか、彼女でも判断がつきかねた。
 軍服の着用は、あくまで公務の際に限られる。私的な用件だから、軍服を着るわけにはいかない。となれば、私服ということになる。女性の私服、それも礼服となれば、ドレスしかないわけだが……
 着方がまったく分からないのである。化粧の仕方も同様だ。
 そんなわけで、化粧品と、似たような経緯で部屋にあったシンプルなドレスを引っ張り出し、ひたすら頭を抱えていたのであった。
 何せ、軍服以外で今まで着ていたものと言ったら、下着と安物の男物の服だけである。単に「動きやすいから」というだけの理由なのだが、こんなもので宰相の家を訪れるわけにはいかない。
(……こんなつまらんことで)
 そう。つまらないことだ。そう思うのだが……無視するわけにもいかない。プライドが許さない。しかし、何だってこんなことでひたすら悩まなくてはならないのか。これでは<戦女神>の名前が形無しだ。別に自分から名乗った二つ名でもなかったが。
「うーん……」
 ほとんど意地の勝負である。何と張り合っているのかは、いまいち自分でも分からなかったが。
 ゴフセフも、城の何処かに自分を呼び出してくれれば良かったのだ。思わず他人に責任転嫁してから、自己嫌悪におちいる。
(……あああああ)
 どれくらい、悩んでいただろうか。気が付けば、もう夕刻である。指定されたのは夜。いつまでもうじうじと悩んでいるわけにはいかない。
 カシュラルはもう一度、穴があくほど机の上を凝視し――
「……むう……」
 うめき、諦めきった顔でため息をついて立ち上がった。

 その夜。
 コルフォース家は古くからの名門だから、客人を招くことも多い。だが、その夜訪れた人物に、家の人間はことごとく驚きをあらわにした。
 自分に注がれる好奇の視線に、カシュラルは内心、暴れ出しそうになっていた。
(……やはり、慣れない真似はするものではないな)
 冷や汗が流れ出る。これなら、一人で大勢の敵を相手にしている方がまだ気楽だ。
 このドレスという代物。とにかく動きにくい。スカートの長い裾は邪魔なだけだし、意味の分からない装飾があったり、そのくせ動くたびに引っかかる。
 さんざん悩んだ末、カシュラルが恥を忍んで相談を持ちかけたのは、宿舎の調理場で働いている中年の女性だった。別段親しいわけでもないが、顔見知りの女性と言ったらそれくらいしかいなかったのだ。
 カシュラルの話に、その調理場のおばさんは、まず呆気にとられ、それから大笑いし……その後、ようやく本題に入ってくれた。素地が良いせいだろう、やけに楽しそうにドレスを着せて化粧をしていたものだ。「何だって、普段は着飾らないんですか。こんなにお綺麗なのに」という言葉に、「必要ないからだ」とカシュラルが淡々と答えたところ、呆れたようにため息をついていた。
 まあ、それはともかく。はっきり言って窮余の策だったが、とにかくカシュラルを「貴婦人」に仕立て上げることにだけは成功していた。何も知らない自分でやるよりはましだったろう、とカシュラルは自分に言い聞かせた。
 それでも、自分に注がれる視線の正体が分からない。何かおかしかっただろうかと思うのだが、尋ねるわけにもいかず、自分では何処かまずいのかも分からない。刀は持ってきていないが、こんな状況が続けば素手でも暴れ出すかもしれないな、と漠然と思った。
 だが。事態は、彼女の思惑とはまったく違っていた。
 貴族の夫人や姫君は大勢見たことがある。だが、これほどの美人など滅多にいない。誰もが一瞬その姿に見惚れ、それから慌てて動き出す。
(女というものが、いつもこんなものを着ていなければならないとしたら……差別だな。理不尽極まりない)
 屋敷の中に案内されながら、カシュラルは内心そんなことを思っていた。

「ああ、堅苦しい礼は抜いてくれ。こちらが招いたことでもあるしな」
 宰相を前に深々と頭を下げるカシュラルに、ゴフセフは静かに言った。そうして、席に座るように促す。
「見違えたな。あの<戦女神>とは思えない」
 カシュラルを前にして、ゴフセフは苦笑して言った。職務上、それほど関わりのある二人でもなかったが、面識くらいはある。ゴフセフにしても、今までは軍服で歩き回っているカシュラルしか見たことはない。
「……そうですか」
 まだ冷や汗をかいたまま、カシュラルは呟くように言った。必死に動揺を隠そうとしているため、人形がぱくぱくと口だけ動かしているように見える。
 大抵の状況には耐えられるように訓練されているが、こんな状況は想定していない。事態がややこしくなっても、まさか宰相をぶん殴って逃げるわけにもいかない。
 カシュラルの苦悩に気づいているのかいないのか、ゴフセフは静かに口を開いた。
「私はそれほど無駄話が得意でもない。だから、簡潔に訊く。あなたの事だから、用件くらいは察しているだろう。……何か、知っていることがあったら教えてもらえまいか?」
 ひたりとカシュラルを見据え、ゴフセフは静かに言った。カシュラルは内心、安堵のため息をつく。これなら、それほど気負わずに済む。
 カシュラルとて、それほど何かを知っているわけでもない。それを手短に話す。
 聞き終わると、ゴフセフは大きくため息をついた。
「あの馬鹿息子……」
 ぼそりと、それだけ呟く。
「申し訳ありません。私の不足のせいで」
「いや、あなたのせいではない。かといって、誰のせいとも言えないがな」
 言って、乾いたユーモアの混じった笑みを浮かべる。何かを達観したような口調に、妙に似合っていた。
「だが正直、為す術がないのも確かだな。エルゼシア領ならともかく、他の地方領に入られると探しようがない。あの息子のことだから、どうせ、見つからないようにと言って地方領に入ってしまっている気がするしな」
 ゴフセフは苦笑する。カシュラルも同感だとでも言うように、小さく頷いて見せた。
 この大陸では、並立時代には人間の国も幾つもあった。建国戦争後、それらを統合してエルゼシア帝国が成立したわけだが、元国王と言う立場を尊重し、非常に地方領主の権限が強い。完全な地方分権だ。帝国の国王と言えども、直接統治しているのは元々自分の領土だったエルゼシア地方領だけなのである。
 他の地方を探すとなると、そちらの地方領主への協力要請が必要になる。が、宰相がそんな弱味を見せるわけにはいかない。ゴフセフの妻は前国王の妹だから、現国王とダレットは一応は従兄弟の間柄になる。そんな人間が騒動の挙げ句に行方不明になったなどとは、口が裂けても言えるわけがない。
 呆れ返ったようなため息をつくゴフセフを見て、カシュラルは小さな感慨を覚えていた。
(……親とはこんなものなのかな)
 カシュラル自身は、親の……家族の記憶といったものがほとんどない。生まれ故郷もかすかに覚えているだけだ。
 唯一、覚えていることと言ったら……
「…………」
 カシュラルは小さくため息をつく。軽く頭を振って、記憶をうち消した。そうして、話題を変える。
「ジェラルド・コルフォース卿の姿が見えませんが……何処か、出かけられたのですか?」
 世間話のような口調で尋ねる。カシュラルの言葉に、ゴフセフは少々面食らったようだった。無駄話などまったくしない人物だと思っていたのだろう。
「ああ、あれはまだ城から退出していない。また誰かに噛み付いているのではないかな」
 カシュラルもそうだが、ジェラルドもかなり容赦のない性格をしている。少しでも間違ったことを言おうものなら、徹底的に相手を論破してしまう。一度弱点を突っつかれると、誰でもしばらく立ち直れなくなるほどのものだ。
 ゴフセフと違って、ジェラルドはそれほど高い地位にあるわけでもない。だが、その性格から上層部からも恐れられていることは確かだった。厄介払いしたくても、父親が宰相となればそれも出来ない。
「もう少し加減を覚えんと、あれはあれで問題がある。……まったく、両極端な兄弟でな」
 言って、ゴフセフはまた苦笑して見せた。
「地方領、か……」
 ゴフセフが呟き、ふとカシュラルに向き直った。
「エルフの居住地域は、あちこちの地方領に散っている。小規模な反抗は消せるわけがないが……メルセリア地方領だったか、かなり反発が大規模で、手に負えなくなってきているというのは」
 各地の警衛兵の統括は軍部の管轄だ。自分の職務に関する質問に、カシュラルの目が鋭く切れ上がった。
「はい……規模もそうなのですが、動きが組織的です。ただの反発とは訳が違う。中枢を見極めないと、大規模な反乱になりかねません」
 事態としては、メルセリア地方領の片隅で、エルフが近くの人間の街と争っているだけだ。だが、その動きを見てみれば、他の地域の摩擦とは訳が違うのが分かる。その場凌ぎではなく、明らかに誰かの指示の元での、統制の取れた動きだ。
「だが、軍部の上層部は特に本腰を入れるつもりはないようだな」
「数の力押しでどうにかなると思っているようです。ですが、エルフには魔法という能力がある。分断してきたからこそ、今まで人間はそれを押さえてこらえたのに……」
 カシュラルが顔をしかめた。無能な自分の上司に、思わず心の中で毒づく。
 魔法というのは強力である代わり、呪文の詠唱という制限が付きまとう。そのため、魔導士には接近戦を担当する戦士が同行するのが基本だ。言い替えれば、戦士さえ制圧してしまえば魔導士は役に立たない。だから、帝国はエルフを小人数に分断・監視し、数で戦士を叩けるような体制を取ってきた。
「分断してきたものを崩されては、また時代が逆行するだけになる、か」
 エルフと人間の、並立の時代。それぞれが力を持ち、削り合いを続けてきた時代。
「私も少し、軍部に圧力をかけてみる。だが、実際に動くのはあなた方だ。軍部の本領発揮だ……よろしく頼む」
「了解しました」
 ゴフセフの言葉に、カシュラルが<戦女神>の笑みを浮かべた。着飾るよりも、壊し潰しの方が自分の専門なのだ。
 ――自分には、それしか出来ることがないから。
「……これ以上、あの馬鹿息子が厄介事に首を突っ込まないように祈るだけだ、今はな」
 ゴフセフが、自嘲気味に笑いながら言った。
「親の性でな。……情けないとは思うが、どうしようもない。心配くらいはしても良いだろう」
 言って、ゴフセフは笑う。カシュラルもかすかに微笑んで見せた。  

 

 
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