24.訪問者
「え? こっちに行くんじゃないの?」
山道の分かれ道で、キルファは珍しく素っ頓狂な声を上げた。
目の前で、道は二つに分かれている。長かった山越えもそろそろ終わり、右に行けばシクルスという大きな街があるのだ。キルファは当然そちらに行くものだと思っていたのだが、ダレットは何を思ったか左に向かって歩き出したのだ。左に行けば、まだまだ山道が続くことになる。
「まあ……ちょっと用があってな」
ダレットの言葉は歯切れが悪い。
「ふうん……?」
キルファは首を傾げたが、やがて何か思い出したように言った。
「そういやあんた、王都を出たときもまっすぐにこっちに来たわよね。最初から、ここに来るつもりだったの?」
エルゼシア地方領と隣接した地方領は幾つかあるが、ダレットは何も躊躇うことなく今まで通ってきたルートを選んだ。確かに、王都を離れるにはそれが最短だったので、キルファも今まで特に疑問を抱かなかったのだ。
「まあな」
ダレットはそれだけ答えた。言って、すたすたと歩き出す。いつになく無愛想な態度に、キルファは少々腹が立った。
「ちょっと。何の用があるのか、それだけでも答えなさいよね」
早足で追いつくと、後ろの襟を背伸びして掴んだ。いきなり転ぶということもなかったが、引っ張られてダレットは足を止める。
「……一人、探している人がいるだけだ」
振り返って、ダレットは答えた。
「ふうん……どんな人?」
キルファは何気なく訊いただけだったのだが、ダレットは眉を寄せて何やら考え込んでいる。
「……どしたの? 別に変な質問でもないでしょうが」
不思議そうにキルファが尋ねる。
「……いや。そういうわけじゃないんだがな……」
ダレットは、何処か疲れたような声音で言った。
「まあ……会えば分かるだろ。どう説明していいか分からん」
「どんな人なのよ、一体……」
いつになく口数の少ないダレットに、キルファも少々不安になった。
道の途中に、ラグズという村があった。人間の村であるが、かなり小さな村だ。以前立ち寄ったヨールンの街のような荒廃した雰囲気こそないものの、村人は、よそ者らしい二人にあまりいい顔をしなかった。
キルファは当たり前だと大して気にもしていなかったが、ダレットはどう言ったものか考え込みながら村人に尋ねた。
「済みません、この近くに、レガード・ストリクトと言う人はいませんか? 五十歳くらいの男の人なんですけど……」
おっとりとした口調で訊く。少しでも村人の不安を和らげようというダレットなりの努力なのだが、隣りにフードを深く被った怪しさ満載のキルファがいては、何の効果もない。
「さあ。知らないね。少なくとも、この近辺にはいないよ」
話しかけられた中年の女性は、露骨に迷惑そうな顔をして答えた。
「おかしいな、また名前を変えたのかな……」
ダレットは首を傾げて考え込んでいる。
「……名前を、また変えた?」
横からキルファが言葉尻を捉えて訊くが、ダレットの耳には入っていない。名前をしょっちゅう変える人間とは、一体何者なのだ?
「それじゃあ、単にこの近くに住んでいる、中年の男というのは聞いたことがありませんか?」
心当たりがあるらしい。女性はしばらく思い出すように額に手を当てて考え込んでいたが、やがて顔を上げて言った。
「ほら、あっちの方……シャロンの山の中に、一人で住んでいる男がいたはずだよ。普段は自活しているらしいんだけどね、時々、山で獲った獲物を持ってくる。それをここで服とか、そんなものに代えてまた戻ってくんだよ。
何してるんだろうね、あんなところで一人でさ」
多少は気を許したのか、世間話の口調で女性は言った。
「……もしかして、いつもフードを被ってません? ほら、この子みたいに」
ダレットは、言って傍らのキルファを指差す。
「ああ! そう言えばそうだよ!」
女性はぱん、と手を叩いた。
「いやさ、どんな時でもそれを外そうとしないから、一体何をやらかしたんだろうって皆で話してたんだよ。何だかやたらと目つきも悪いしさ、どっかで重い罪でも犯して脱走してきて、ここに隠れてるんじゃないかって。ほら、シクルスは大きい街だから、常駐の兵隊さんもいるでしょう? そこに知らせた方が良いって、何回そんな話になったか」
ぺらぺらと女性は喋り出す。それを横目で見ながらキルファは訊いた。
「ねえ、間違いないの? その人に」
「ああ……多分。行ってみないことには断言は出来ないけどな」
小声で言うと、女性に向き直る。
「有難うございました。それで……大体の場所は分かりますか?」
「うーん……何時の間にかここに来てるから、はっきりした位置は誰も知らないんだよ。けど、村長だったら、もう少し詳しい場所くらいは知ってるかも」
「そうですか」
ダレットは女性に礼を言うと、その場を後にする。キルファが、首を傾げながらその後を慌てて追った。
「うーん……かなり上手く誤魔化してあるみたい。あたしじゃ、よく分からないわね」
目の前の木々を見ながら、キルファが髪を掻き上げて言った。
村長から示された大雑把な地図を手に、二人は再び山の中に入っていた。少なくとも、歩いてそんなにかかる場所ではないというのが、唯一の頼みの綱だ。
今まで進んできたのは、旅人たちが踏み固めてできた山道だ。だが、今歩いているのは文字通り、山の中である。木々がうっそうと生い茂り、かなり足場も悪い。無論、それくらいはどうにでもなったが……道が見えないのだ。
たとえ山の中でも、人が通ればそれなりの痕跡は残る。しかも、村の人間の話だと定期的に降りてきていると言うから、目印の一つも残っているだろうと思っていたのだ。それを辿っていけば、目的地にたどり着けるとも。
しかし実際は、獣が歩いたらしい跡は幾つもあるのだが、人間が残したらしい跡はまったく見つからない。山の中での生活にある程度慣れているキルファでも、見分けがつかないのだ。
村長から言われた通りの方向に進んではいるものの、とんでもない方向に行っていても、これでは自分たちでは分からない。最悪、山で遭難ということも有り得る。
「参ったな……」
ダレットが頭をかきむしる。栗色の髪がぐしゃぐしゃになるが、これはいつものことだ。
「一旦戻って、もう少し詳しい事を聞いてみた方が良いかしらね? 都合良く、村に降りてきてくれるとは思えないけど……」
キルファが言って何気なしに近くの低い木を覗き込み……そして、眉をひそめた。
「糸……? 何なのよこれ……罠? それにしても……」
草の陰に隠れるようにして、巧妙に足首ほどの高さに糸が張られている。かがみ込んでそれを観察し、キルファは呟く。
首を傾げるキルファとは対照的に、ダレットの顔が一瞬にして引きつった。
「動くな!」
声そのものが気合であるかのような叫び声。キルファがびくっとして動きを止める。
「……どうしたってのよ?」
「多分、これと同じものが近くにもある。絶対、糸を切るなよ」
言って、ダレットは慎重に足元を確認しながら、ゆっくりと前に進む。キルファもそれに習いながら、なおも尋ねた。
「……だからさ。何だっての? これ」
「罠だよ。糸を切ったら、爆発が起こるか矢が飛んでくるか分からん。とにかく、気をつけて……」
言いながら、もう一本糸を発見して、慎重にまたいで通り抜ける。
「爆発とか矢が飛んでくるとか、何だかやたらと物騒なんだけど……。大体、この罠を仕掛けたのって誰なのよ? ……ってもしかして、あんたが探してる人?」
「……ああ。これで間違いなくなったな……。多分、もう近いな」
前を見据えながらダレットが言う。
「でも、何のためにこんなものを仕掛けてるのよ? こんな山奥に」
「泥棒避けじゃないかな……」
やや、ダレットは自信なさげだ。
「泥棒避けって、こんなところに? ……いや、爆発だの矢だの食らったら、間違いなく死ぬと思うんだけど……泥棒」
「そういう人なんだよ」
キルファは、ダレットが疲れたようにため息をつくのを見て、それ以上訊くのを止めた。何だか怖い。
「はあ……」
二人とも罠の回避に気を取られて、話をする余裕はない。どれくらい、進んだだろうか。
「あ……やっとあった」
小さな山小屋を見つけ、キルファが嬉しそうに声を上げる。ダレットが顔を強張らせるが、遅かった。
だん!
キルファの側の木に、矢が突き刺さる。刺さった木が半分ほど砕けているのを見て、キルファは硬直した。
矢の形状からして、射手が弦を引く弓ではない。機械仕掛けで弦を巻き上げて矢を発射する、弩《アルバレート》と呼ばれる武器だ。その威力は、まともに当たれば人間の頭蓋骨など簡単に粉砕してのける。
「下がってろ!」
ダレットが長剣を抜きながら前に出た。
小柄な人影が走り出てきたのだけが見えた。その人影とダレットの剣が噛み合う音を聞きながら、キルファは後ろに下がった。
ラグズの村の女性が言っていた通り、全身をマントに包んでいて顔もはっきりしない。見るからに怪しい。人のことを言えた義理ではないのだが、それはその際棚に上げておく。
「何だってのよ……?」
とことん怪しい格好に、山の中で自活し、ついでに家の周りは罠だらけ。これで何者なのかと疑わない方がおかしい。
それに、仮にも帝国騎士をやっていたダレットと知り合いらしいということが一番腑に落ちない。ダレットの昔話はあまり聞いていないが、王都から出たこともそうなかったはずだ。王都の中をあんな怪しい人間が歩いていたら、まず警衛兵が飛んでくる。
「…………?」
無意識のうちに一歩後ろに下がる。
ふと――その足が何かに引っかかった。
さっきの糸。
「しまっ……」
後悔してももう遅い。それでも咄嗟に受け身を取ったキルファの頭上を、爆風が通り過ぎていった。
爆発音は、ダレットの耳にも届いていた。
「キルファ……?」
心配にはなるが、振り返っている余裕はない。人影が、再び剣を手に突っ込んできたからである。
「くっ……」
それを体さばきでかわし、下からすくいあげるようにして斬り付ける。その一撃は、上から叩き落された。
キルファが見ていれば気がついただろう。ダレットとこの人影は、剣を使う動きが似過ぎている。
まるで……同じ師に学んだかのように。
そのせいで、膠着状態に陥っている。お互いの一撃はことごとく防がれ、決定打とはならないでいる。
「はあ、はあ……」
打ち合うのは何合目だろうか。いい加減、息が上がってきている。ダレットは一旦退がると、剣を構え直した。
対して人影は、疲れた様子も見せず……表情はよく分からないのだが……また斬りかかってくる。
それを受けたところで、ダレットは一瞬体勢を崩した。人影が微妙に力の方向をずらしたのである。
ダレットが慌てて体勢を立て直そうとしたところに――
「がっ……!」
腹に拳が叩きこまれた。たまらずに後ろに吹っ飛び、転がる。
「げほっ……」
地面に転がったまま身体を曲げて咳き込むダレットに、人影はゆっくりと歩み寄った。
「ふん……」
足元のダレットを一瞥し、人影は悠然たる動作で剣を鞘に収めた。
「久々に会ったから少しは上達しておるかと思えば……相変わらずか。情けない限りだ、この馬鹿が」
大仰に嘆息して見せる。が、
「……そうでもないですよ」
まだ転がったままで、ダレットはにやりと笑った。
それに合わせるかのように、人影の被っているフードが、はらりと一部裂けた。初老の男の、猛禽のように鋭い視線があらわになる。
吹っ飛ばされる瞬間に、突き出されたダレットの剣がフードをかすめたのだ。男は面白くもなさそうに横目でそれを見ると、ダレットの腹をつま先で軽く小突く。
「ふん……ただの悪あがきだろうが。腕はともかく、執念だけは一人前になったか。とにかく、いつまでも転がっていないでさっさと起きろ」
「まあ……最近、立て続けに死ぬような目にあってますからね」
のろのろとダレットは立ちあがった。ぱたぱたと埃をはたいているところに、声がかかる。
「あー……何かもう話は終わったみたいだけどさ。結局、その人、何なの?」
キルファである。爆発でも食らったのか、片足をひきずりながらこちらに歩いてくる。
「ああ……」
ダレットは深くため息をついて言った。
「俺の師匠だよ」
「はあ?」
キルファは、ぽかんと口を開けた。
