暁の大地

25.師匠

「……師匠?」
 キルファの間の抜けた声だけが響いた。それきり、誰も喋らない。風と、葉のざわめきだけが聞こえる。
「ああ……俺の剣の師匠だよ」
 言って、ダレットは疲れたようにため息をついた。
「お師匠様? ……何か、前に話は聞いた気はするけど……」
 とは言っても、キルファがダレットの師匠について知っていることはそれほど多くない。彼女が聞いたのは、ダレットがぽつりと漏らした一言二言くらいである。
「確か、もう故郷に帰ったとか何とか」
 それをキルファに教えたのはエルザである。ただ、エルザもそれ以上のことは言っていなかった。単に知らなかっただけなのか、言いたくない理由でもあったのか。
「……って、ここが故郷? こんな、誰もいないところ……」
 キルファは首を傾げた。
「それは単なる言い訳だよ……いつまでも俺の面倒は見ておれん、だと」
 ダレットは、言って横目で傍らに立つ男を見た。
「確か、そう言いましたよね。俺の家から出るときに」
「まあな。それはともかく、何なんだ、その子供は。お前の連れか?」
「そんなものですよ」
 ダレットの横をすり抜け、男……ダレットの師匠はキルファの目の前に立った。
「人の家を訪ねる時にはせめて、顔くらい見せるものだろう。そう習わなかったか?」
 キルファはしばらく躊躇して黙っていたが、男の視線に耐え兼ね、やがて渋々と言った様子でフードを外した。
 銀色の髪と、紫の瞳があらわになる。キルファは憮然とした表情で男を見上げた。
「……生憎と、きちんとした礼儀作法を身につける機会はなかったもので」
 男を睨みつけながら、キルファは皮肉めいた口調で言う。
「ふん……」
 男はしばらくキルファの瞳を見据えていたが、やがてきびすを返して小屋に向かって歩き出す。
「どういう風の吹き回しだ? お前が、ハーフの子供なんぞを連れてやって来るとは。数年間、まったく音沙汰のなかったお前が」
 ダレットに背中を向けたままで訊いた。
「……まあ、色々ありまして」
 ダレットは適当に言葉を濁す。男は面白くもなさそうにそれを聞いていた。だが。
「まあいい、入れ。茶くらいはある」
 若干、和らいだ口調で言うと、小屋の中に姿を消した。

「ねえ、ほんっとうにあの人、あんたのお師匠様なわけ? ひたすら怪しい人に見えるんだけど……」
 小屋に入ろうとするダレットを捕まえ、キルファは小声で訊いた。
 家の周りには罠を仕掛け、客人にはいきなり斬りかかり、ついでにずっとフードを被ったままだ。これで信用しろと言う方が無理な話である。
「……だから、ああいう人なんだよ。そうとしか言いようがない」
 ダレットはまたため息をつく。
「ま、いいけどさ。それと、一つ訊きたいんだけど。あたしを見て、少し怯えたような感じがしたけど……何なのかしら」
 それはダレットも気付かなかった。間近で見ていたからとも言えるが、キルファは他人の様子に敏感なところがある。おそらく、そのせいだろう。
「さあ……それは俺も知らないな。俺も、そんなに詳しく知ってるわけじゃないし」
 ダレットも首を傾げた。
「ところでさ。何であんた、いきなりお師匠様のところに来る気になったわけ?」
「まあ、それはそのうち分かるさ」
 ダレットはそれきり話を打ち切ると、小屋に入った。

「……俺たちは一応、客じゃないんですか……?」
 黙々と作業をしながら、ダレットは訊いた。がたがたと戸棚をあさり、ついでにやかんを火にかける。
「茶くらいはある、って聞いたんですが」
「茶があるとは言ったが、淹れてやるとは誰も言っておらん。師匠に茶を淹れさせる弟子が何処にいるか」
 言って男はふんぞり返る。ダレットはそれ以上何も言わず、作業を再開した。ちなみにキルファは何も言われていないので、座ったままダレットを眺めている。手伝う気は毛頭ないらしい。
 キルファは半ば呆れたような顔で、小屋を見回した。
 おそらくこの男が自分で建てたのだろう、木造の小屋の造りは雑で、あちこちにがたが来ている。外から見ても、冗談抜きで傾いていた。木の板はあちこちが剥がれかけているし、棚とは名ばかりの板の集まりも、一部が壊れて中のものがはみ出している。
 粗末な生活はお馴染みだったが、それにしてもこれはひどい。よく生活していられるものだ、と感心すらしてしまう。
「あの……」
 沈黙に耐え兼ね、キルファはおずおずと口を開いた。
「あの、家の周りの罠って、何の意味があるんですか? ……来るのに、ものすごく手間取ったんですけど」
 嫌味な笑いを浮かべながらキルファは尋ねた。まだ、爆発を食らったときの足が痛む。
「単なる趣味だ」
 男は身も蓋もなく言い切る。キルファは思わず椅子からずり落ちそうになった。
「趣味って……」
「だから言っただろ。こういう人なんだよ」
 横から、ダレットが諦めきった口調で言う。何だか怖くなって、キルファはそれ以上訊くのを止めた。
 沈黙が……正確には、ダレットが慣れない手つきで茶を淹れる音だけが響く。キルファは、さっきから思っていたことを訊くことにした。自分だけが何も事情を知らないようなので、少々苛立っている。
「何で家でもフードを被ってるんですか? ……外さないんですか?」
 それは、さっき自分も嫌味混じりに注意されたことに対する皮肉だった。が、男はフードの下で苦笑する。
「嬢ちゃんのために被ったままにしてあるんだが。……見たいか?」
 男の言っている意味が分からず、キルファは眉をひそめた。
「つまりだな、こういうことだ」
 躊躇う様子もなく、男はフードを跳ね上げる。
「…………!」
 キルファは小さく呻き声を上げ、口に手を当てた状態で固まった。

 人間とエルフ。よく似たこの二つの種族の違いは、魔法が使えること、それと……耳が尖っていることである。長く尖った耳。それはエルフ族の証であり、誇りでもある。
 だが。
 目の前にいる男には……耳がなかった。
 耳朶があるべき場所には、引きつった傷跡があるだけである。刃物で両方の耳を切り落としでもしたのだろうか。鼓膜を潰さない限り聴力は失われはしないが、音を集める働きのある耳朶をなくしてしまったのでは、かなり音が聞き取りづらくなっているだろう。
「あ……」
 呆気に取られてそれを見ているキルファに、男は苦笑して話しかけた。
「女子供が見て楽しいものではあるまい。見た奴らの大半は気絶するからな。……嬢ちゃんは平気なようだが」
「……見慣れてましたから。以前は」
 スラムにいた頃は、殺傷沙汰など日常茶飯事だった。当然、傷を負った人間を見ることも多かった。死んだ人間もいれば、生き残った人間もいたが。
「それ……」
 訊きたい事は山ほどあるのだが、驚きと呆れで声が出てこない。
「これを見せたら、大半は逃げ帰るからな。それでは生活にも困る。仕方ないので、こうしている」
 男はひょいと肩をすくめた。が、鋭い眼差しといかつい顔つきにはどうにも似合わない。
「はあ……それって、何かの事故か事件で……?」
 どう見ても、刃物でできた傷だ。誰かが手を加えなければ、こんな風にはならない。
「いや、事件でも何でもない」
 男は質問に答えはするが、説明をする気はないらしい。どう尋ねたらいいものか、キルファも思案した。
「じゃあ……誰なんです? 耳を、その……切り落としたのは」
 尋ねたところで、キルファはダレットの言葉を思い出した。確か、傭兵であったと言っていたか。その時かもしれないが……何にしても、耳を切り落とす意味がわからない。
「自分でやったんだよ」
 横から、ダレットが言った。乱暴な手つきで茶を淹れている。
「え……?」
 一瞬、ダレットの言葉を理解できず、キルファは動きを止めた。
「自分で、わざわざ傷をつけた……んですか?」
 ただの切り傷とは違う。切り落としてしまえば、二度と元には戻らない。それを、一体何故?
「そうだ。……余計なことを言いおって」
 ダレットからカップを受け取り、男はダレットを苦々しげな顔で睨んだ。
「まずい」
 男は茶を一口すすって言う。キルファものん気な仕草で口をつけたが、確かに、美味しいとはお世辞にも言い難い。ダレットが適当にやったこともあるだろうが、茶葉もあまり質の良いものではないようだ。それは、この場所を考えれば仕方のないことではあったが。ついでに、カップにもひびが入っている。
「茶の淹れ方を教わった覚えはありませんから」
 ダレットは文句を馬耳東風と聞き流し、自分も座ると茶をすすった。この小屋にある椅子は二つ。うち一つは主人が当然のように座り、予備の椅子はキルファが占領している。仕方なしにダレットは、ベッドとは言い難い、干草の上に布をかぶせただけの寝床に腰掛けている。
「口先だけは達者になりおって」
 男が苦笑いした。
「まあ、俺も幾つか訊きたいことはあるんですけど。……今は、何と名乗っていらっしゃるんです?」
 ダレットがため息をつきながら訊いた。
「名前が分からないお陰で、探すのに苦労しましたよ。その特徴的な外見がなければ無理だったでしょうね」
「余計なお世話だ。名前なんぞどうでもいいだろうが。……ヴァルレッド・モデラート、だ」
 そのやり取りを聞いていて、ようやくキルファは、男……ヴァルレッドの名前をまだ聞いていないことを思い出していた。やたらと個性的な人物なので、すっかり失念していた。自分でも不思議なのだが。
「それじゃあ、あんたがラグズの村で訊いてた、レガード・ストリクト……だっけ? あの名前って一体何なの?」
「昔、俺の家に居候してたころの名前だよ。俺も本名は聞いてないんだよな、正直なところ。……でも、これが偽名だってことだけは確か。そうですよね?」
 言って意味ありげにヴァルレッドを見た。
「何で、偽名って分かるわけ?」
「そりゃそうだろ。どう考えても、姓は持っていないはずだからな」
「はあ?」
 まるで謎かけだ。キルファは首を傾げて考え込んだ。
 姓を持たない。持つことを許されない。それが当てはまるのは唯一、エルフだけだ。ということは、つまり……
「エルフなの? この人……」
「そういうことだ」
 ダレットがにやりと笑って言った。
 キルファは開いた口が塞がらない。
 ダレットは間違いなく人間だ。その知り合い、しかも師匠と言うのだから、ヴァルレッドも当然人間だろうと思いこんでいたのだ。何故エルフだと言う事に気付かなかったのか。それは無論、エルフの特徴たる長い耳を持っていなかったからなのだが。
「って、もしかして」
 キルファはぱん、と手を叩いた。
「もしかして、自分で耳を切り落としたのって……エルフか人間かを、分からなくする、ため?」
「そういうことだな」
 今度は、ヴァルレッドが頷いた。何処かに自嘲を含んだ笑いを浮かべている。
「あとは魔法さえ使わなければ、エルフだとばれることもない」
 耳という特徴を消し去ってしまえば見た目では区別がつかないほどに、人間とエルフという種族は似ているのだ。外見だけでなく、体内の構造もよく似ているから、キルファのような混血児も時には生まれるのだ。
「何だって、そんな……」
 自分の種族を分からなくする。二つの種族が対立するこの大陸において、それは自殺行為とも言えた。どちらにも所属していないとなれば、まったく他人の庇護を受けられないどころか、両方から憎しみをかうことになる。ハーフたるキルファは、そのことを痛感している。だから……あっさりと自分の種族を捨て去ってしまえるこのヴァルレッドと言う男に、腹が立った。
「ちょっと、人間を見てみたくなってな。しかし、この姿のままでは追い返される。それで、こういう手段を取った」
 ヴァルレッドはしれっと言ってのける。キルファは、ぐっと拳を握り締めた。
「嬢ちゃんが怒るのも無理はないがな……今の、この状況の方がおかしいとは思わんか? 人間だのエルフだのと言い合い、戦争までするとはな。馬鹿馬鹿しい茶番だよ」
 キルファは黙って唇を噛み締めた。
 そう、思ったことはある。だがそれは、もし二つの種族が争っていなかったら、自分は苦い思いをせずに済んだのではないかという期待に過ぎない。間違っているのか正しいのか、そこまで考えられる高尚さは自分にはない。
 もし、ヴァルレッドの言う通り、間違っていたとしよう。だとしたら、自分が今まで味わってきた思いは……一体何だったのだ?
「おかしいか、そうじゃないかなんて……誰も、分からないわよ」
 ぎりっと歯を食いしばりながら、それだけを絞り出すように言った。
「そうだな」
 ヴァルレッドは、初めて優しげに笑いながら言った。
「誰も、そんなことは分かりはしない。それは、その通りだ。
 だが……それを考える価値はあるとは思わんか? 答えを見つけるのが目的ではなく、考えようとすることにはな。
 嬢ちゃんは多分、この大陸でも数少ない、種族なんて枷に囚われないで生きられる存在だ。だからこそ……考えてみてくれ。どうやったら、嬢ちゃん自身が幸せになれるのか、をな」
「…………」
 キルファは黙ってヴァルレッドの話を聞いていた。
 考えたこともなかった。他の誰でもない、自分自身のために何が出来るかなど。他人のために生きてきた覚えはないが……常に、周りに支配されていたような気がする。それはもっぱら、憎み、蔑むような視線だったが。
 それでも。何か、出来るかもしれない。
 そう考えれば……少し、気持ちが軽くなったような気がした。
(……そうか)
 唐突に、キルファは理解していた。ダレットが、この人物の元を訪れた理由。
 自分が会いたかったのではない。おそらくは……キルファを、会わせたかったのだ。この風変わりな人物に。
 じろりと横目でダレットを見ると、彼はそ知らぬ顔で茶をすすっていた。  

 

 
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