27.諸刃の剣
三十年前。
エルゼシア帝国が成立してから二十年が経過していた。ようやく各地の反乱も収まり、平和な時代が始まろうとしていた。
そのはずだったのだ。だが……
「今も、その男の名前は知らん。どんな風に生きてきたのかも、何も……な。出会ったのは、燃え上がる街中だった」
ヴァルレッドはそう言って深くため息をついた。鋭い眼差しに、深い疲れの色が見える。
シクルスの街。昔から栄えていた大きな街だ。当時、傭兵として各地を移動していたヴァルレッドは、たまたまそこに滞在していた。シクルスは人間の街だから、エルフであるヴァルレッドは、入るのにかなりの制限がある。だが、傭兵となれば話は別だ。
その頃、あちこちの街が一瞬にして廃墟となるという事件が多発していた。火災や爆発によって徹底的に潰されている。連続して起こっていることから、明かに人為的なものだと見なされていたが……一つ、腑に落ちないことがあった。
被害にあっている場所に、共通項が見当たらないのだ。人間の街でもエルフの村でもお構いなし。帝国という機構にエルフが反乱を起こすというのは度々ある話だったが、それならばエルフの村まで襲う理由はない。
当然、人々は恐慌状態に陥った。早々に荷物をまとめて逃げ出そうとする者もいたが、何処に逃げて良いのか分からない。完全な無差別攻撃だったせいだ。結局、街、村毎に自衛策を取るしか方法はなかった。ヴァルレッドがシクルスに滞在していたのも、こんな理由からだったのである。
「それは、聞いたことがあります……ええと、何事件と言ったかな」
ダレットはこめかみに手を当てて考え込んだ。元々、歴史の成績はあまり良くなかったのである。
帝国建国以来、最大の惨事とされているので、ダレットでもその話は聞いたことがあった。父が、当時の苦労話をやたらと聞かせてくれた気がする。
「事件というほど小さいものでもなかったがな……襲われた村や街の数は十を超えた」
「…………」
さすがにダレットも顔を引きつらせた。小規模な戦争並みだ。
「……それで、どうなったんです?」
ヴァルレッドは、グラスに注いだ酒を一口飲むと、話を続けた。
不幸にも、ヴァルレッドがシクルスにいたときに、街が襲われたのだ。
「明らかにあれは、魔法による被害だった」
ヴァルレッドは断言した。
美しかった町並みは炎に包まれ、人々の悲鳴が辺りを支配していた。それに加えて、爆発音が断続的に聞こえてきたのだ。魔導士でもあったヴァルレッドは、それが魔法による爆発であると看破した。消火活動を放り出し、爆発音の聞こえる方面に向かったヴァルレッドの前に……その男はいたのだ。
爆発によって、大きく抉られた地面。積み重なる瓦礫と、人々の悲鳴……だが、そんな凄惨さに男……まだ少年と言える年齢だった……は侵食されていなかった。炎の紅が少年の顔を染めていたが、佇む少年の姿は一枚の絵のように美しかった。
「場違いな情景だと思ったものだ。惨事の犯人があの子供だと、すぐには理解出来なかった」
慌てふためく人々とは対照的に、あまりにも静かだったその少年に、ヴァルレッドは一瞬、呆気に取られたが……次の瞬間、更に唖然とした。
少年の瞳が、鮮やかな紫色をしていたからである。
人間とエルフの混血児は、皆、紫の瞳を持って生まれてくる。大陸に住む者の常識だ。当然、それをヴァルレッドも知っていたが、見るのは初めてだったのである。
「それで……師匠が倒したんですか? その少年を」
のんびりとした顔で、ダレットが尋ねた。ヴァルレッドの強さは、彼が一番よく知っている。
「いや。呆然としている間にいなくなっていた」
ヴァルレッドは身も蓋もなく言う。ダレットは椅子からずり落ちそうになった。
「だが、目撃者は俺の他にも大勢いたからな……犯人がハーフであることは間違いなかった」
今まで襲われたのは、もっぱら小さな村だった。夜に襲撃が行われたこともあって、その姿を見たものはほとんどいなかったのである。
悪夢のような一夜が明け……シクルスの街の人間は、その惨状に愕然とした。
市街地はもっぱら火災による被害だけだったのだが、被害が大きかったのは街の中心部だった。領主の城は爆発によってただの瓦礫の山と化し、領主夫妻は殺されていた。
街の中心的な部分、政治や軍備の拠点が集中的に壊されていたのである。その象徴とも言える領主夫妻は、わざわざナイフでとどめを刺されていた。魔法を使えば城ごと潰すことも可能だったのに、二人だけは直接手を下されていたのだ。
「それって……」
「あの少年が憎んでいたのは、人間、エルフ……そんな大陸の仕組みそのものだった、そういうことだろうな」
爆発の跡を目の当たりにしたヴァルレッドは、戦慄を隠せなかった。
石造りの頑丈であるはずの建物が、まるで鉄槌で叩かれたかのように無残な瓦礫となっていたのだ。どんなに優秀なエルフの魔導士でも、成し得ないほどの威力である。
「俺には、魔法の威力の限界ってよく分からないんですけど……」
「魔法は確かに強力な力ではあるが……所詮、ただの道具だ。理屈もあれば限度もある。いくら何でも、一人では建物を一つ潰すことなど出来ん」
「はあ……」
いくら聞いても自分には分からないような気がして、ダレットは考えるのを止めた。そういうもの、として理解しておいたほうが良さそうである。
「まあ……結局、何の役にも立たなかったからな。あの後、街を早々に追い出された」
シクルスの街から出たヴァルレッドは、あのハーフの少年の影を追い続けた。当時の彼に、名声欲がなかったと言えば嘘になるが……それよりも、気になることがあったからである。
「何と言えばいいのか。あの紫の瞳が……泣きそうな子供のように見えてな。そうだ、怒られて泣き出す寸前のような」
あの凄惨な光景と、その犯人の子供のような表情の差が、どうにも解せなかったのだ。探してどうする、などと考えるでもなく、ただヴァルレッドは少年を捜し求めた。
ヴァルレッドに頼るまでもなく、帝国も犯人探しに血眼になっていた。しかも、ハーフという決定的な特徴が明らかになったのだ。間もなく少年は発見され、追い詰められる。
「たった一人の男、しかも子供を、何十人もの騎士の精鋭が取り囲んでいた。笑い話だが……それだけ、人々は恐怖していたからな。仕方のないことかも知れん。
だが……」
少年の放つ強力な魔法の前には、人間の騎士たちは成す術がなかった。あっけなく吹き散らされ、逃走する羽目になる。
「御大層な銀色の鎧を着けた男がいたがな、歩くことも出来ずに這って逃げていったぞ。何と言ったか……スフォルテンド、だったかな」
「スフォルテンド? ああ……」
もう引退しているが、騎士の中の騎士と言われた男だ。面識こそないが、ダレットもその存在は知っている。
「まあ、不甲斐ない連中は置いておいて、だ」
ようやく所在を確認して追いついたヴァルレッドが見たものは、成す術もなく倒れる騎士たちの姿だったのである。
「……ひでえな」
長剣を手にしたまま、ヴァルレッドは呆然と呟いた。
シクルスの街と同じ惨劇。爆発によって大穴をあけ、煙を立ち上らせる大地。倒れ伏す騎士たちの姿……
そして。あの時と同じように、その真中にはあの少年がいた。爆風に髪をなびかせ、瞳に静謐な色をたたえている。
それが、理解出来なかった。これだけの惨劇を引き起こしておきながら、何故、そんなにも静かでいられるのだ?
「てめえ……」
食いしばった歯の間からうめくヴァルレッドに、少年は子供のような目を向けた。
「あなたは……何なの?」
無邪気とすら言える笑いを浮かべ、少年は訊いた。にっこりと笑うその顔は可愛らしさすら感じられたが、それは悪魔の微笑だった。
「そうか、あなたはエルフか。なら……死んでも構わないね」
にっこりと、少年は宣言した。
浮かべた笑いはそのままに、少年は軽く右手を上げる。澄んだ声で、呪文を詠唱するのが聞こえた。
爆発音と共に、衝撃がヴァルレッドを襲う。が、彼も修羅場を何回もくぐり抜けてきた傭兵だ。咄嗟に魔法の障壁を展開し、同時に体勢を整えて何とかやり過ごした。
「ぐっ……」
それでも、完全に防御できたわけではない。衝撃の大半は受け流したものの、大きく吹き飛ばされ、地面を数度転がる。
「畜生……がっ……」
ヴァルレッドはよろよろと立ちあがる。目の前には、相変わらず静かに笑う少年の姿があった。
「てめえ……何のために、こんなこと……」
愚問だと思いながらも、ヴァルレッドは訊いた。答えを待つでもなく、剣を構え直す。この少年は丸腰だ。剣が使える間合いにまで入り込めれば……
「何のために、だって?」
ヴァルレッドの耳に、少年がおかしそうに笑うのが聞こえた。子供のように、けらけらと笑っている。
「当たり前じゃないか。こんな連中、死んで同然だよ。でも誰もやらないから、僕がやっているだけ」
誇らしげに笑う。まるで、かけっこで一等賞を取った子供のように。
「死んで当然、だと?」
ヴァルレッドはぎりっと歯を食いしばった。
「てめえみたいなガキに、そんなことを言われる覚えはねえ」
打ち付けた身体のあちこちが痛かったが、気力で無視し、剣を向ける。少年は、ヴァルレッドが剣を持っていることに初めて気がついたようだった。
「あなたも、僕を殺しに来たってわけ? でも無駄だよ。悪役は、正義の味方には絶対に勝てはしないんだ」
伝承に語られる英雄譚の再現のように、少年は高らかに言って笑った。
「笑わせるな。てめえが、正義の味方だ? ふざけんじゃねえぞ」
言うなり、ヴァルレッドは少年に向かって走る。剣で斬りつけようとするが、間合いに入る前に再び少年の魔法を食らい、あっさりと吹き飛ばされた。
「僕は正義の味方だよ。その証拠に……あなたは僕に勝てないじゃないか。そこに転がってる騎士たちもさ」
正義の味方云々はさておき、今の自分では歯が立たないことだけは確かだった。また斬りつけようとしても、同じ結果に終わるだけだろう。自分の魔法など、この少年に比べれば子供だまし程度の力しかない。
「僕は、悪者をやっつけるんだ。格好良いだろう?」
無邪気に少年は笑った。
(…………?)
ここに至って、ヴァルレッドは一つの疑問を持っていた。他に方法も思いつかず、とりあえず尋ねてみる。
「おい、てめえの言う悪役ってのは……どいつとどいつだ?」
「…………?」
少年はきょとんとした顔をした。
「……何を言ってるんだ? 人間と、エルフだよ。当たり前じゃないか」
一瞬だけ、少年の目を狂気の色がよぎった気がした。紫の瞳が怪しく輝く。
(やっぱりな)
それは、人間の街とエルフの村の両方を襲ったことからも明らかだったが……改めて少年の口から聞くと、まるで死刑宣告のような響きを持って感じられる。
「じゃあ、何で人間とエルフが悪役だって言えるんだ? 言ってみろ」
にやり、とヴァルレッドは笑って言った。かすかに、この泥沼から脱出する手立てが見えた気がした。
「だってそうだろう? 皆、僕をいじめるんだよ? 僕は何もしていないのに。僕は何も悪くないのに。
だから、あいつらが悪者だ。悪者は、正義の味方をいじめるものなんだよ」
どうだ、言い返してみろ……そんな顔で、少年は笑った。
「…………」
ヴァルレッドは黙って拳を握り締めた。
紫の瞳を持った、人間とエルフの混血児。双方の血を引きながら、どちらからも認められない存在。この少年がかつてどれだけの思いをしてきたのかは、エルフの自分には見当もつかないが……
「てめえが、自分をいじめる俺たちを悪役だと言うのなら……俺たちにとっては、てめえが悪役だ」
食いしばった歯の下から、ヴァルレッドは言った。
ヴァルレッドの言葉を、少年は理解していない。
「てめえが今までに潰した街……そこの生き残りにしてみれば、何の理由もなしに知り合いや家族、家を壊したてめえは、悪者以外の何者でもねえだろうな。
貴様が理由のない迫害を悪だと思うなら、向こうもまったく同じ事を思っているはずだ」
ようやくヴァルレッドの言葉の意味を察したのか、少年の笑顔がかすかに揺らぐ。
「……でも! 先にいじめたのはそっちじゃないか! だから、僕は……」
ヒステリックに少年は喚く。今まで自分を支えていた論理の崩壊の予感。それはすなわち、自我の崩壊であった。
「確かに、そうだろうな。だが、結局はてめえのやったことも、俺たちと同じだ。つまり、俺たちを悪役だと罵っておきながら、自分も自ら悪役に成り下がっていたんだよ、てめえは。
自分が憎んだから、滅ぼそうとした。……それだけなんだろう?」
疲れたように、ヴァルレッドは言った。深く、ため息をつく。
一方、少年は滑稽なほどに表情を変えていた。自信に満ちた笑顔は完全に消え失せ、泣き出しそうな子供のような顔をしている。
「そんな、僕は……」
がたがたと足が震える。地面に膝をつく少年に、ヴァルレッドは静かに歩み寄った。
長剣を振り上げる。その姿は、さながら死刑執行人のようであった。
「僕を……殺すの?」
目に涙を浮かべて、少年は訊いた。だが、ここで動揺するわけにはいかない。つとめて冷酷な顔で、ヴァルレッドは言った。
「結局、てめえのやったことは……自分の気に入らないものを壊そうとしただけだ。何が正義の味方だ、悪役だ。そんなもので、自分を誤魔化しやがって。もう少し、現実を見やがれ」
「あ……」
少年は答えない。答えられない。ただ、がたがたと震えているだけだ。それは殺される恐怖からなのか、それとも……
「…………!」
剣が一閃した。狙い違わず、剣は少年の身体を切り裂く。
血が噴き出す。返り血を、ヴァルレッドは避けようともせずに全身に浴びた。
「…………」
少年はあっさりと地面に倒れる。何を言おうとしたのか、唇が小さく動いたが……言葉は聞き取れず、そのままこと切れた。
華奢な少年の身体を、ヴァルレッドは黙って見下ろしていた。手にした長剣の血を拭い、鞘におさめたのは、どれくらい時間が経った後だろうか。
「許す、とは言わない。謝る気もない……」
ぽつり、ぽつりとヴァルレッドは呟いた。他に。他に何か道はなかったのだろうか? こんな、結末の他に――
「……もう一つ、付け加えておいてやるよ」
改めて少年の遺体を見下ろし、ヴァルレッドは言った。
「この世界に、正義の味方なんぞいやしねえよ。いるのは……罪人だけだ」
呟くヴァルレッドの手は、少年の血で真っ赤に染まっていた。
「……確か、あの事件は騎士団が解決したとか聞いたんですが」
「ああ、わしはさっさとその場を離れたからな。後で気がついた騎士どもが、勝手にそういうことにしたんだろう。まあ……お偉い騎士様が、あっという間にやられて伸びていたとあっては、示しがつかないからな」
ヴァルレッドはそう言って苦笑した。元、『お偉い騎士様』だったダレットが何とも言えない顔をする。
「お前が連れてきた子供を見たとき、正直、ほっとしたよ。あの子は、まだその少年のように全てを見捨てた目をしていないからな……」
自分の寝台を占領して眠る少女を、ヴァルレッドはかつて見たこともないような優しげな眼差しで見つめた。
「せいぜい、大事にしてやれ。よくは言えんが……大した子供だよ。あの子は」
「言われなくてもそうしますよ」
ダレットもかすかに笑う。
「……力、か」
不意に、ヴァルレッドが皮肉な笑いを浮かべた。
「俺もお前も、強くなろうとして必死にやってきた。その子供も、本人が気付いているかはともかく、強力な力を持っている。
だが……」
ヴァルレッドは言葉を切り、ダレットの目を見据えた。
「これだけは覚えておけ。力というのは、常に諸刃の剣だ。他人と同様に、自分をも傷つけられる代物だからな。刃は常にどちらにも向いている。
強力な力を持っているからとて、それが本人にとって幸運だとは限らん」
剣。魔法。どちらも強力な力だ。誰かに勝つための力。……だが、それを使いこなすには己にも勝たなくてはならないのだ。自分自身の弱さ、欲望、恐怖。
己に勝たなくては、身に宿した力はそのまま自分に跳ね返ってくる。
「……はい」
真剣な面持ちで、ダレットは頷いた。
「しかし、師匠が昔話をしてくれるとは思いませんでしたね」
ダレットは酒をちびちびと飲みながら言った。元々、父と揃って下戸なのだ。兄はもっとひどく、下手に酒を飲ませると手に負えなくなる。
「まあな。……俺も年をとった」
一気に酒をあおりながら、師匠は苦笑した。ふと緩んだその顔が、一瞬にして引き締まる。
ダレットがヴァルレッドを振り向く。彼もまた、同じ表情をしていた。その視線が小屋の外を示す。
この小屋を、幾つもの気配が取り囲んでいる。野生の獣……山犬か何かだ。
「この近く、師匠の仕掛けた罠があるんじゃないですか?」
「あれは一度突破されたら終わりだ。……昼間、お前やあの子供が歩いてきた匂いでも嗅ぎ付けたのだろうよ。……まったく、余計な手間をかけさせおって」
嘆息しつつ、ヴァルレッドは立ち上がった。側に置いておいた剣を掴む。ダレットもそれに習った。
放って置くわけにはいかない。小屋に山犬を突入させるわけにはいかない。簡単に餌になるほど、彼らは弱くはなかった。
「あまり音を立てるなよ」
普段と変わらない動作で扉を開けつつ、ふとヴァルレッドが言った。
「……はあ。何でです?」
「あの子供が目を覚ます」
言いつつ、横目で今だにぐっすりと寝ているキルファを示し、ヴァルレッドは肩をすくめた。ダレットは一瞬ぽかんとし、それから苦笑する。
「――分かりました」
以前は、間違ってもそんな言葉など口にはしなかった。これが、六年間の変化だとしたら……ヴァルレッド自身の言うとおり、年を取ったのかもしれない。ただ、何処か照れ臭そうなのは昔と同じだ。
「さて……」
ダレットは小屋の壁を背にして、ヴァルレッドの隣で長剣を構えた。
昔を思い出す。毎日さんざんにしごかれたが、それが今の原点となっている。
「あまり情けない真似はするなよ。あいつらの前に俺がお前をぶっ飛ばす」
隣から聞こえてくる師匠の言葉に肩をすくめ、ダレットは前に踏み込んだ。
