28.別れと再会
「それじゃあ。お世話になりました」
ダレットは師匠に向かって頭を下げた。
次の日の朝。再び旅立とうとする二人を、ヴァルレッドは見送るでもなく、背中を向けて椅子に座っている。
「……とっとと行け。用も済んだろう」
無愛想に答えるヴァルレッド。二人を振り返る様子もない。
ダレットは元々慣れているし、キルファも一日一緒にいたせいで、少しはこの男の性格を理解している。
要は、照れくさいのだ。
「師匠も、お元気で」
「当たり前だ。そうそう簡単に死んでたまるか」
二人は、ヴァルレッドが苦笑した気がした。弟子に心配されたら終わり――ということか。
「それじゃあ、まあ……と、最後に」
ダレットが何かを思いだしたような顔をした。
「そろそろ、聞かせてくれてもいいんじゃないですか? 本当の名前」
ダレットの言葉にヴァルレッドは沈黙した。ややあって呆れたように言う。
「聞いてどうするんだ。別に何か役に立つわけではないだろう」
「そうですけど。結構、気になってたんですよ」
六年前。師匠に去られて、本名すら聞いていなかったことをようやく思い出し、随分と落ち込んだものだ。実際、今の今までは忘れていたが――
「ヴァレル・ハルバースタム、だ」
ヴァルレッドがぼそりと呟くように言う。殊更にぶっきらぼうな口調に、横で黙って話を聞いていたキルファは苦笑した。
この様子だと、六年前までに名乗らなかったのも、単に照れ臭かっただけなのかもしれない。
「それじゃあ……お元気で」
ダレットは軽い口調で言うと、背を向けて歩き出した。
数年振りの再会にしてはあっさりしたものだ。キルファが少々呆れたような顔をする。
「……嬢ちゃん」
躊躇いつつも歩き出そうとしたキルファに、ヴァルレッドが声をかけた。
「周りが何と言おうが、嬢ちゃんが思う通りにやれば良い。その目の色……見てくれなんぞを気にする必要はない」
「……はあ」
唐突な言葉に、キルファはただ戸惑うだけだ。ヴァルレッドは立ちあがると、キルファに歩み寄った。
皺だらけの手で頭を撫でる。無骨なその手は、何処か心地良かった。ダレットの手とよく似ている。
「……綺麗な目の色だな」
言って、にやりとヴァルレッドは笑う。キルファもつられて、かすかに微笑んだ。
「じゃあな。俺より先にくたばっても、葬式には行かんぞ」
それはつまり、生きていろ、というはなむけの言葉。ダレットはその素直でない物言いに苦笑した。
しばらく会わなくとも、この師匠は師匠だ。変わってなどいない。
ダレットは森の中に向かって歩き出す。キルファが、慌ててその後を追った。
「……なんか。変わった人だったわね」
森を抜けながら……相変わらず、罠を回避しながらなのだが……キルファは言った。
「だから言っただろ。説明できん、って」
「そうだけどさ。ところでさ、何であの人、あんたに剣を教えてたの?」
どう考えても、ダレットとヴァルレッドが出会ったのは、ヴァルレッドが自らの耳を切り落としてからだろう。人間の街からろくに出たこともなかったダレットと関わるには、それしかない。
「……まあ、色々と」
ダレットは言葉を濁した。説明したくないと言うよりは、どう説明して良いのか分からないといった風情だ。空を睨んで考え込んでいる。
「俺と一緒に兄さんと姉さんたちも習ってたけどな。まあ……兄さんは必要以上にやる気はなかったみたいだったが」
ダレットは何かを懐かしむように言う。まだ、昔を懐かしむような年齢ではないはずなのだが。久々に師匠の顔を見たせいかもしれない。
「……でも、元々は傭兵でしょ? こう言っちゃ何だけど……よく宰相様が、息子や娘の師にそんな人を付けたわね」
傭兵を活計《たずき》の道に選ぶ者というのは、誰もが相応の事情を持っているし、身元もはっきりしないような者が圧倒的に多い。流れ者として、犯罪者と同視する人間も少なくないのだ。
「ま、親父も実利主義だし。役に立たないようなものよりは良いってことだったんじゃないかな」
貴族の子弟が武術を学ぶのは、主に護身のためである。見た目だけの武術など、万が一の際には何の役にも立たない。それは、ダレットも騎士団時代に痛感している。
「ふーん……」
キルファもどちらかというと実利的な考え方をする方なので、それで納得したようだ。ダレットが何処か遠くを見つめてしまっているので、それ以上は何も言わず、黙って歩みを進める。その時。
どんっ、と遠くから、鈍い爆発音が聞こえた。
「ねえ……これって」
「どう考えても、師匠の仕掛けた罠だな」
二人で顔を見合わせる。
「……どうする? 行ってみる?」
「そうだな……」
ダレットも頷いた。また罠を回避しながらになるので、たどり着くのに時間が掛かる。
こんな木の密生している場所で火を使ったら、大規模な山火事になりかねない。ヴァルレッドが、炎の発生しない代物を使っていることを祈るだけである。
「うわー……凄いわね」
木々は爆発にさらされ、枝葉が吹き散らされていた。キルファが半ば呆れたような顔をする。以前に一回、自分も引っ掛かったのだが、直撃しなくて良かったと遅れ馳せながら思う。
「でも……罠が作動したってことは、引っ掛かった奴がいるって事よね」
「かなり周到な代物だからな。動物でも引っ掛かったかな……」
二人で、あちこちを覗きこむ。その時。
「……誰が動物だ。誰が」
横から恨みがましい声がした。何処かで聞いた声だ。これは確か……
「って、サリクスっ?」
キルファが素っ頓狂な声を上げる。以前に出会ったエルフの巨漢は、ぼろぼろの服を着て転がっていた。
どうやら、罠に引っ掛かってしまったのはこの男らしい。
「何て間抜けな……」
キルファが呆然と呟いた。この男の実力と勘を考えれば、引っ掛かりそうになどないのだが。
「悪かったな、間抜けで。嬢ちゃんも結構言ってくれるよな」
サリクスは戦斧を杖のようにして、よろよろと立ちあがった。一流の戦士も、これでは形無しである。
「……何でお前がこんなところにいるんだ」
ダレットが呆然として訊いた。確か、エルフの村……ドラウィダという名前だったか……で別れた筈なのだが。
「いやまあ、盗賊も何とか撃退できたしな。いつまでもあんな小さな村にいるのも暇だし、いっちょ、俺もあちこち歩いてみようかと思ってな。
それだったら、嬢ちゃんたちと一緒に行くのも面白いかと思ってよ。追ってきた。
ダレットはともかく、嬢ちゃんは目立つからな。探し回るのはそう難しくなかった」
優男という以外の印象に乏しいダレットに比べ、いつも深くフードを被っているキルファの姿はそれなりに目立つ。旅人がフードを被っているのはそう珍しいことでもなかったが、子供が旅をしていることなど滅多にないからだ。
「……罠にほいほい引っ掛かる奴なんかと一緒にいたら、こっちが迷惑するんだけど」
心底迷惑そうにキルファが言った。以前に少々関わっただけの男をあっさり信用できるほど、キルファはお人好しではない。
「悪かったな。しかし、何なんだよ、この森。悪質というか……執念すら感じるぞ、この罠の数には」
「……だってさ。ダレット、弟子として一言どうぞ」
「趣味だったからなあ、新しい罠を開発するのが。夜遅くまで起きてるようだから覗いてみたら、火薬の調合をしてたり隠し武器を作ってたりってことがよくあったな」
遠くを眺め、しみじみとダレットは言った。
「……何回も訊くようだけど。どう言う人なのよ、あんたのお師匠様」
「見て分かったろ」
ダレットはため息をついた。
「歴戦の傭兵というよりただの変人よね、もう……」
キルファもため息をつき……それ以上考えるのを止めた。
「何だかよく分からねえが……」
一人取り残されたサリクスは、何処か哀愁を漂わせていた。
「まあいいか。さっさと抜けようぜ、こんなところ」
サリクスは言ってすたすたと歩きだす。よほど懲りたのか、地面を睨みつけるようにして罠を避けながら進んでいた。
「ちょっと、勝手に決めないでよね……」
誰も、一緒に行って良いとは言っていない。キルファが慌てて遮ろうとするが、サリクスはもうかなり前に行ってしまっている。
残りの唯一の頼みの綱、ダレットを見上げる。あまり当てになる気はしなかったが。
「ねえ、何とか言わないと……」
「何でだ?」
ダレットは心底不思議そうに言う。キルファは、思わず眩暈など起こしそうになった。
「ま、大勢の方が面白いじゃないか。強いことは分かってるし、いい奴だったし」
「だから。あんたの判断基準で行ったら、世の中に悪人なんていないわよ」
キルファは深々とため息をついた。これでは、説得など出来ない。
キルファ自身は、大勢で行動するのには基本的に慣れていない。むしろ、人間、もしくはエルフの集団には恐怖すら覚える。それは、今までにさんざん襲われてきたからだが……
「俺たちもさっさと行くぞ」
ダレットもすたすたと歩いてしまったのを見て、キルファは諦めたようにため息をついた。
「……まあ、良いか」
以前なら、何が何でも反対したことだろう。が、それでも構わないと思えたのは何故だっただろうか。
自分でもよく分からない。が、にっと笑うと、キルファは慌てて二人の後を追った。
