29.狼退治
ぶん、と空気をえぐり抜いて長柄戦斧《ハルバード》が疾る。
水平に振り抜かれた長柄戦斧は、その軌道上にいた狼を二匹まとめて真っ二つに断ち割った。
その横では、ダレットが長剣をすくいあげるようにして斬り付ける。それは確実に、彼に迫っていた狼の息の根を止めていた。
狼の群れの真っ只中で武器を振るうダレットとサリクスとは対照的に、キルファは一歩後ろに下がっていた。二人の背後から、すり抜けるようにして投擲用ナイフを投げつける。無造作な手つきだったが、それは正確に狼の眉間に命中した。
「はあ……」
ナイフを手にしながら、キルファは深くため息をついた。疲れきった、という様子である。
「何であたしたちはこんなことをやってるんだろう……」
呟いてみても、答えてくれるものはいない。目の前でキルファに背を向けている二人は、武器を振るうのに夢中になっている。
「何が悲しくてこんな狼の真っ只中で、ねえ……」
キルファは再びため息をついた。
彼女ら三人の周りには、狼の死骸がごろごろと転がっている。全部、三人が退治したものなのだが。
ぼやいているうちに、もう一匹が向かってくる。まるでやる気のない表情でナイフを投げつけ、それが最後の一匹であることを確認したところで……とうとうキルファはぶちっ、と自分の頭の中で何かが切れた音を聞いた気がした。
通称――堪忍袋の緒。
「あああああ、もうっ!」
キルファの大声に、二人が何事かと振り返る。
「何だってこんな狼退治なんてやらなきゃならないのよっ!」
一線を超えてしまったようなキルファとは対照的に、ダレットはひたすらのんびりと、長剣を鞘に戻しながら言った。
「まあ……仕事として引き受けたんだし。それで報酬も貰えるし、村の人も助かるんだったら良いじゃないか」
そう言うダレットの顔は、いつも通りの脳天気さである。狼の返り血を大量に浴びているのだが、まるでその凄惨さに侵食されていない。
「……そうよ。そうだったわ」
キルファの頭から、もう数本ネジが弾け飛ぶ。サリクスが一瞬顔を引きつらせるが、ダレットは目を丸くしただけである。
「あんたが! 勝手に仕事なんて引き受けてくるから悪いのよおおおっ!」
大空に向かい、キルファは再び絶叫した。
話は、数時間前に遡る。
キルファ、ダレット、いつの間にか加わっていたサリクスの三人は、ようやく山を抜け、エルゼシア地方領を抜けてメルセリア地方領に入っていた。平野が続く地域である。
大きな街はなく、エルフや人間の小さな村が続いていた。人間とエルフが入り交じった三人組に村人があまりいい顔をしなかったが、それでも野宿の回数が減ったのは有り難い限りだった。傭兵などは、ごくまれに人間とエルフが組んでいることもある。
ただ……あまり問題は起こしたくないので、必要がない限り、自分の種族と違う場所には近づかないようにしていた。どちらにしてもややこしいのはキルファだったが。
そんなわけで、たまたま人間の小さな村の近くを通ったため、ダレットが食料の調達に向かったのである。ただ食べ物を手に入れてくるだけなら問題はなかったのだが、のんびり村の人間と世間話をしていたダレットが、ある話を聞いてきたのだ。
「何だか最近、狼に立て続けに襲われてるらしくてな。結構被害が出てるらしい。まあ、大した作業じゃないし、報酬も貰えるって言うから……」
「それで。あたしたちに何の相談もせずに、狼退治を引き受けて来たって訳ね」
キルファが呆れ顔で、ため息をつきながら言った。
村の外でダレットの帰りを待っていた二人が聞いたのは、急な仕事の話だったと言うわけである。
「大体、あたしたちは何でも屋をやってるわけじゃないのよ? そりゃ無駄遣いは出来ないけどさ、まだ結構金はあるんでしょ?」
王都から抜け出してくるときに、ダレットは家からかなりの金を持ち出している。王宮騎士団というのは高給取りだが、ダレットは金を使うようなことがあまりなかったから、手持ちはかなり多かったのだ。
王都を飛び出した後も、野宿が多かった上に節約していたので、それなりに金は残ってはいるのである。ちなみにダレットは金銭感覚にうといので、財布を握っているのはキルファだ。もっとも、彼女もスラム時代の感覚が抜けないため、節約し過ぎの感があるのは否めなかったが。
万が一の時……武器が壊れたら、それこそ命に関わる……のためにも、無駄に使える金などはなかったが、その場で短期の仕事を引き受けなければならないほど、切迫した状況でないのも確かなのだ。
「まあ、そうなんだけどな。困ってるみたいだったし……」
「あ・の・ね・え。別にあたしたちは、人助けするために旅してるわけじゃないのよ。ま、特に目的がないのも確かだけどさ。
何でわざわざそんな面倒臭いこと……サリクス、あんたもなんか言ってやって」
「俺もなあ、何で人間を助けなけりゃなんねえんだって感じだな。出来ればやりたくねえなあ」
サリクスは実にエルフらしい意見を述べた。キルファは別に人間だろうがエルフだろうが関係ないのだが、それ以外はまったく同感である。
「うう……もう引き受けたことだしなあ……それじゃあ、俺一人で何とかするか……」
ぶつぶつとダレットは呟いている。その顔がまるで捨て犬のような表情をしていることに気付いた時点で、キルファとサリクスは揃ってため息をついた。
「……分かったわよ」
「俺たちも付き合えばいいんだろ……」
口々に呟き、うなだれる。対照的に、ダレットはぱっと顔を輝かせた。
「そうか! 手伝ってくれるか、それじゃあ早速」
にこにこと笑いながらダレットは狼がいるという森に向かって歩き出した。
唖然としてそれを見送りながら、サリクスはキルファに向かって苦笑した。
「しかしまあ……あれじゃあ、嬢ちゃんも苦労するな」
「そりゃーもう。まったく、毎回毎回変なことに首突っ込んで……」
キルファは重々しくため息をつく。
「おーい、二人ともさっさと行くぞ」
そこに、ダレットの間延びした声が聞こえた。
「はあ……」
二人は揃って、また大きくため息をついた。
まあ、そんなわけで。
急に引き受ける事になった仕事に、やる気満々なのはダレット一人で、他二名はまるで意欲などなかったのだが……
「まあ、それにしても、だ。俺はそんなに難しい仕事じゃないって聞いた気がしたんだけどな」
長柄戦斧から丁寧に血糊を拭き取りながら、サリクスはぼやいた。横では、キルファが黙って狼の死骸から刺さったナイフを回収している。戦闘というのは、終わった後も結構手間のかかるものである。繊細な武器である刃物は特に、だ。
「そうよねえ……あたしたちは一言も、狼を追ってこんな奥にまで入り込むことになるとは聞いてなかったわ」
キルファの言葉に、サリクスが重々しく頷く。
村人が「あっちの方から狼がやって来る」と指し示した方向に向かい、三人は森に入ったのだが、肝心の狼は姿を現さない。それも当たり前の話で、餌があることが確実な村はともかく、広い森の中で狼にすぐに出会えるわけもない。しばらく森の中を探索し、ようやく狼の集団を見つけた頃には……村からかなり離れてしまっており、その日のうちに戻れる距離ではなくなっていたのである。
「何だか……お前ら、二人して俺に当たってないか?」
ダレットがうめく。
「当然の責任の所在を追及しているだけよ」
キルファが冷ややかに断言した。サリクスはあさってを見つめてしまっている。
サリクスが一緒に行動するようになった当初は、何かにつけて文句を言っていたキルファだが、最近はそういうこともなくなってきている。本人は否定するだろうが、意外と気が合っているのかもしれない。
ダレットはそう思うと、自然と笑みが浮かんでくる。しかし、
「そこで一人でにやにやしてないで。で、これからどうするのか考えなさい」
再び、淡々とキルファに言われて肩をすくめた。
「どうするって言ってもなあ……一晩、ここで過ごすしかないんだろ?」
頭を掻きながらダレットは言う。
「そうなんだけどね……」
あっさりと言われて、キルファもそれ以上は何も言えずに黙りこんでしまった。そして、またため息をつく。
「まあ、非建設的な意見もまとまったところで……今日のねぐらでも探すか」
サリクスの一言で、一同はのろのろと動き出した。
ダレットとサリクスがまだ寝ているのを確認してから、キルファはこっそりとその場を離れた。
結局野宿……しかも、狼が大勢いるらしい森の中……になったので、順番で焚き火の番をすることになったのだが、最後の番はキルファだった。早めに起きて番をしているうちに夜が明けたので、二人は少し遅くまで寝かせておくことにして、キルファは目的地に向かった。
「…………」
小さな小川にたどり着くと、キルファはごそごそと着ている物を脱ぎ出した。要するに、水浴びをしたかったのである。
ばしゃん、と音を立てて水の中に身体を沈める。今は暖かい時期であるが、朝から水に入ると少し冷たい。だが、それも悪いものではなく、意識にまとわりつく眠気が吹き飛ぶ程度のものだ。
「あー、気持ち良い」
ばしゃばしゃと、子供のように川の中を泳ぐ。水の中での無重力の感覚も開放感の一因だったが……誰もいない場所では、人目を気にしなくていいのが一番心地良かった。
紫の目はともかく、銀色の髪も街中ではそれなりに目立つ。人間にしろエルフにしろ、この大陸では全体としては濃い色の髪をした者の方が多い。ダレットにしても髪は栗色だし、サリクスも琥珀のような茶色がかった金髪である。キルファのような、色の薄い髪は滅多に見かけない。
人目を出来るだけ避けたいキルファとしては、自分の髪の色があまり好きではなかった。
「…………」
少々沈鬱な気分になって、キルファは水に揺らぐ自分の身体を見下ろした。
白い肌は滑らかではあったが……その身体の腺は、まだ女らしさとは無縁である。子供だから仕方のないことではあるのだが。
「まあ、女らしくても意味がないけどさ」
一人ごちる。
(どうせ、こんな目の色じゃ普通には生きられないんだから……)
さすがに、その後の言葉は飲み込んだ。
普通に生まれて、生きて、誰かと結婚して……そんな『普通』の生き方は、キルファにはあまりにも遠いもののように思えた。今、側にいてくれる二人も、いつまでそうしていられることか。
(結局、一人だもの。あの時からずっと。あたしは……)
考えを追い払うように首を振り、水の中に身体を沈める。
涙が浮かんだような気がしたが、水に混じってしまって分からなかった。
一方、その頃。
「ん……」
日が高く上ったことを感じ取り、ダレットは眠い目をこすりながら起きあがった。隣では、まだサリクスが熟睡している。
「何だ、もう朝じゃないか……。キルファ、起こしてくれたって良いと思うんだが……」
ぶつぶつと文句を言いながら寝袋代わりにしていた外套を羽織り、そこで、はたと気付いた。
側にいるはずの少女の姿が見当たらない。キルファがいたはずの場所は、もぬけの殻である。
「どっかに食料調達にでも行ったかな……」
頭を掻きながら立ちあがる。きょろきょろと周りを見まわしてみたが、キルファの姿は見当たらない。
「……おかしいな」
ここに至ってようやく、ダレットは異変に気付いた。慌てて、足元のサリクスをたたき起こす。
「おい、キルファが見当たらないんだが……何処に行ったか、思い当たるところがあるか?」
「んー……お前が知らねえもん、俺が知るわけ……」
サリクスも、目をこすりながらのろのろと起きあがった。
「嬢ちゃんがいねえ? 川に水浴びにでもいったんじゃねえか……?」
正解である。
「だといいが……」
ダレットはなおも心配顔だ。
「まあ、心配しなくても大丈夫だろ。ほんと保護者だよなあ、お前」
サリクスが苦笑しながら言った。
だが、心配無用とはいかなかったのである。
「そろそろ戻るか……」
しばらく水につかって汗も流したので、キルファはばしゃばしゃと陸に上がった。水滴を拭き取り、服を身につける。
旅に出たときにダレットに買ってもらった……もとい、買わせた旅装束だったが、使い込んだような跡がついてきている。裾は所々すり切れているし、色も日に当たって褪せてきている。
(もうそんなに経ったっけ……?)
首を傾げる。あの王都での事件が、昨日のことのように思い出せる。確かに王都を出た後もあちこちで事件に巻き込まれたのだから、その分時間が経過しているのは当然なのだが。
少々感傷的な気分になりながら、服を着終わったその時。
「…………!」
キルファは表情を強ばらせた。身体中がざわっと粟立つような感覚。
(殺気!)
それも生半可なものではない。今までに出会ったどれよりも強烈な気配だった。
がさりと遠くの草が揺れた気がした。同時に、その影から黒い何者かの影が見え隠れしている。
「何なの、あんた!」
叫ぶより速く、投げナイフを抜いて投げつける。方向と速さは完璧。キルファは命中を確信した。
それでも、念のためにナイフを構えたまま、ゆっくりと近づく。
が。
「……何もいない……?」
見えたと思った黒い影は、跡形もなく消えうせていた。キルファが放ったナイフだけが、幻でなかったことを物語るがごとく、側の木に突き刺さっている。
「気のせい……じゃないわよね」
なおも注意深く辺りの気配を探り、何もいないことを確認した時点でキルファは安堵のため息をつき……それから、首を傾げた。
