30.二度目の邂逅
「……何やってるの、あんた?」
夜営場所に戻ってきたキルファは、呆れたように言った。
「…………」
ダレットが、目を丸くしてキルファを眺めている。しばらくその体勢のままで固まってから、ようやくダレットは機械仕掛けの人形のようにぎくしゃくと動いた。
「いたのか」
ややあって、ぼつりと言う。
「いるわよ、何だと思ってたんだか。……それはいいんだけどさ、何をやってたわけ、あんた?」
ダレットは長剣を鞘ごと外し、それで茂みの中を突ついていた。狩りで小動物でも探しているような風情である。
「いや……お前の姿が見えないから、探してたんだが」
「あたしは兎か何かか……?」
真剣な顔で答えるダレットに、キルファはうめくように言った。その頬から、つうっと汗が一筋流れる。
ぎぎいっと音がしそうな動作で、傍らで様子を眺めていたサリクスを見上げる。サリクスはそ知らぬ顔で、携帯用の水筒から水を飲んでいた。
「……止めて、頼むから」
ダレットを指差し、キルファは心底疲れたように言った。
「いやあ。見てた方が面白かったもんでな。嬢ちゃんがいなくて気が動転してたからな、こいつ」
サリクスはひょいと肩をすくめて笑って見せた。いつもの軽薄とも思える笑いに、その動作が妙にはまっている。はまりすぎていて、役者の演技に近いものすらあった。
「まあ……ご飯でも食べましょうか」
これ以上話しているとどんどん疲れがたまっていくような気がして、キルファは話題を逸らすと作業に取り掛かった。
携帯用の干し肉と野草を煮込んだもの、少々のパン。近くの村で食べ物を調達できたので、いつもよりは豪勢な食事だった。
「何か変なものがいた……?」
パンを齧りながら、ダレットが首を傾げた。キルファから先程の出来事を聞かされ、それだけをぽつりと反芻する。
「狼なんかじゃなくて?」
「違う……と思う。体型が違ったみたいだし、狼だったらあたしをすぐに襲ってきただろうから」
狼にも、キルファが非力な少女であることは理解出来るだろう。格好の獲物であることも。
「まあ、それもそうか……」
三人が揃って首を傾げる。
「…………」
先程感じた恐怖が蘇ってくるような気がして、キルファは身体を震わせた。尋常な殺気ではなかった。
「……何かに似ていたとか、そんな思い当たるものは? まったく見当がつかねえか?」
硬い顔をしているキルファに、サリクスが語りかける。
「さあ……見当もつかないわね。――いや」
キルファが顔をしかめる。苦いものを無理矢理飲み込んだような表情をする。
しばらく黙ってから、重々しく口を開いた。
「似てるものがあるとすれば……あの、魔物」
ダレットの顔色が一瞬にして変わった。
以前、辺境の街の城で出会った異形の存在。強大な力を持った魔物。
それと同じものが、また目の前に現れたというのか?
「……ちょっと待て」
ダレットの顔が滑稽なほどに引きつる。以前、魔物に出会ったときは、キルファもダレットも死にそうな目にあっている。正体を見抜いたせいで、辛うじて切り抜けたが……
「また、あれと同じような目に遭えと……?」
「あたしに言わないでよ、あたしもあんなもんに二度と遭いたくないわよ!」
戦慄したような表情のダレットに、キルファが苛ついた口調で言い返した。
「あー、さっぱり事情が分からないんだが。魔物って、前に何かあったのか?」
唯一、サリクスだけがのんびりとした表情で訊いてくる。考えてみれば、サリクスに以前の事件をあまり詳しく説明していない。
ざっとキルファがヨールンの街での顛末を話すと、さすがにサリクスも顔をしかめた。
「なかなか、非常識な奴だな」
「非常識って言うのかしらね……」
おおむねさわやかだった朝食は、一気に沈んだ雰囲気となった。三人とも黙々と料理を口に運んでいる。相変わらず、一番食べる量が多いのはキルファだったが。サリクスとは体重が倍以上も違うはずなのだが、それだけの量が身体の何処に入るのか、ダレットは首を傾げた。
「まあ、あたしの意見としては。さっさとこの森から抜けるしかないんじゃないかしら」
「まあな、とっとと逃げるか」
食べ終わった頃に、キルファが言った。サリクスもそれに頷く。が、ダレットだけが難色を示した。
「あんた、死ぬ気……?」
キルファが、得体の知れないものを見るような目でダレットを眺めた。しばらく一緒にいるが、いつまで経ってもこの男の行動はよく分からない。
「いや、だって……村の人に、村が襲われてるから何とかしてくれ、って頼まれたんだし。魔物が本当だとしたら、狼より厄介なんじゃ」
「だ・か・ら。今度こそ死ぬって言ってるでしょうが。そんな親切で自分がやられてたらどうしようもないわよ」
「でも、もしかしたら前みたいに、その魔物が狼を操ってるとか」
指を立ててダレットは言った。そこに、サリクスが冷ややかな視線を向ける。
「……どうやって操ってると思うんだ?」
「いや、魔法か何かで」
「あんた、魔法が何でも出来ると思ってるでしょ」
キルファが、大仰にため息をついた。
「何回も説明したと思うんだけどさ、魔法ってのは奇跡でも何でもなくて、れっきとした技術なのよ。法則も制限もある、ね。
生き物の身体っていうのはとんでもなく構造が厄介だから……まあ、もしかしたら出来ないこともないのかもしれないけど、あまりにも膨大な情報を処理することになるわ。それには、生き物の身体の仕組みが完全に分かってないと無理。
あんた、この身体が何からできてるか、言える?」
キルファはダレットの目の前に自分の手を突き出して見せる。白く華奢なその腕を見つめ、ダレットは苦笑して首を横に振った。
生き物の身体に起こる生理現象も、完全に理屈が解明できたのなら魔法で操作することも可能なのだろうが、現時点ではそれは望むべくもない。しかも、生き物の意識を、つまり脳の動きだけを操ることなど絶対に不可能だ。
ダレットの説が本当だとしたら、動物使いがやるように狼を手なづけることだろうが、元々強大な力を持った魔物がわざわざ狼を仕込む理由などない。自分で襲いに行けばいいことだからだ。
以前に出会ったものは街の人間を脅迫していたが、あれは、単なる余興と魔物自身が言っていた。
「まあ、そういうわけで、だ。狼とは関係ないだろうと思うぞ、俺も。
嬢ちゃんの説明で全部言われて、俺の出る幕がねえんだよな。前から不思議に思ってたんだが……嬢ちゃんは何処で魔法に関して教わったんだ?」
サリクスが尋ねる。人間社会では魔法に関する研究などまったく行われていない……軍部には、エルフの使う魔法の効果を示したものがあるらしいが……ため、考えられるのはエルフから教わったということだけなのだが。
「まあ、あたしも半分はエルフだしね」
適当に答える。その表情が一瞬、暗く沈んだのを見て取ったのか、サリクスもそれ以上追求するのを止めた。
「あたしの情報源はこの際どうでもいいとして、とにかく、この森をさっさと抜けるわよ。前回みたいに魔物に追っかけられないうちにね。村の連中には……黙っとけば何とかなるでしょ」
「それって詐欺じゃあ……」
「つべこべ言わない。死にたいなら話は別だけどさ」
キルファとサリクスはさっさと荷物をまとめている。この際、ダレットの意見を聞いているわけにはいかない。二人が歩き始めてしまったので、ようやくダレットも諦めて後を追った。
「この森、抜けるのにどれくらいかかるかしらね?」
「昨日、結構奥まで来たからなあ……昼過ぎまでには抜けられると思うんだけどな」
「現在位置は分かってるの?」
「昨日、所々に目印を付けておいたから、それを追えば戻れるんじゃないかと思う」
三人とも、無意識のうちに足を速めている。必要以上の会話をするでもなく、ただ黙々と足を進めた。
「…………!」
しばらく歩いたところで、三人は同時に足を止めた。ゆっくりとした、しかし隙のない動作でそれぞれの武器を抜く。長剣と長柄戦斧とナイフ。
ごうっ!
突如として強風が吹き荒れる。枝葉が激しく鳴り、吹き散らされた葉で視界が遮られる。何とか三人はそれに耐え切り……同時に、立っていた場所から全力で跳び退いた。
かかかっ、と近くの木に何かが突き刺さる音が聞こえた。舞い散る葉の中に金属のきらめきを見つけなければ、今ごろ全身を射抜かれていた。
「逃げる……のは無理よね、もう」
大きな木の後ろに隠れ、顔だけ出して警戒しながら……キルファは一人ごちた。
「……あいつか? 魔物って」
同じく、別の木の後ろに退避しながら、サリクスが隣のダレットに囁く。
「うーん……前に会った奴とは随分と形が違うが。気配はかなり似てるな」
すたすたとこちらに向かって、気軽さすら感じさせて歩いてくるもの。先程の強風が、そして全身から発散している殺気がなければ、こちらも気安く話しかけたかもしれない。
全身の黒だけは見覚えがあったが……その姿は、人間、もしくはエルフとほとんど変わらなかった。全身に鎧を纏っており、顔すらも兜で隠している。表情ははっきりしない。額から突き出た角のような飾りだけが、見慣れない様相だった。
風変わりな黒い鎧を着た騎士、そんな表現が似合いそうな姿だった。ダレットのものとよく似た長剣を手にしている。剣もまた、刀身は黒く塗りつぶされていた。
大仰な鎧を着ているにも関わらず、身軽な動作でそれは三人に近づくと、気安く言った。
「さて。ようやくここまで来てくれた事だし。これから僕に殺されてもらうよ」
人間らとほとんど変わらない声。子供のように甲高く、舌足らずですらある。
姿こそ人間やエルフとさほど変わらないが……これだけは断言できる。自分たちの同類では、決してない。となれば、やはり、魔物とでも呼ぶのが自然だろう。
「ねえ……このメンバーの中で、疫病神って誰?」
横の二人を半眼で眺め、キルファがうめくように言った。
