暁の大地

31.障壁

「ねえ……この中で、疫病神って誰?」
 キルファの多分に現実逃避が混じったうめきは、森の中に恨みがましく響いた。
「俺は違うからな」
 真っ先に反論したのはサリクスである。
「お前らが前に魔物に遭ったとかいうときは、俺はまだ一緒にいなかったからな」
 言って大仰に頷き、一人で納得している。まあ、正論と言えば正論であった。
「……となると残りは……」
 キルファとサリクス、二人でじっと一人を見つめる。それは無論――
「俺か……?」
 ダレットは二人にじとーっと睨みつけられ、思わず一歩後ずさった。
「消去法で行くとそうなるな」
「確かに、毎度毎度しょうもないことに首を突っ込むのってあんたよね……」
 キルファとサリクスは呟くと首を同時に縦に振った。
「そういうわけで、疫病神はあんたに決定」
 キルファが重々しく断言する。話から置いていかれた魔物は、少々寂しそうな顔をしていた……のだろう、多分……が、やがて淡々と突っ込んだ。
「まあ、誰が何だろうといいけどさ、疫病神を任命したところで何の意味があるの?」
 子供の声で呆れかえったように言われると、三人とも何やら腹が立った。確かにただの現実逃避なので、馬鹿にされても仕方ないのだが、よりにもよって絶体絶命の原因に言われるとは。
「少しは気がまぎれるのよ」
 キルファがいつもの『無意味に偉そうな口調』で言う。魔物もそれ以上は何も言わず、黙って肩をすくめた。
 前回出会った魔物とは違い、今、目の前にいる魔物は姿と言い動作と言い、妙に人間くさい。何か理由があるのか、それは分からなかったが。
「ふーん。それなら僕も今度やってみようかな……
 とりあえず、僕もそろそろ本題に入りたいんだけど。良いかな?」
「永久に却下」
 キルファが即答する。ダレットとサリクスはと言えば、ただ黙ってやり取りを聞いているだけだ。
「いや、さすがにそれは僕としてもわざわざ出てきた意味がないしさ、止めて欲しいんだけど……」
「嫌。子供は家にでも帰りなさい」
 キルファが言ったその瞬間。魔物は腹を抱えて爆笑した。
「子供、子供ね。こう見えても僕、君らの何百倍も生きてるんだけど……
 僕が子供だったら、君らは何なんだろうね?」
「知らないわよ、あんたの方が時代錯誤もはなはだしいのよ。えんえんと年も取らずに生きててさ。
 あんたの方が年上っていうなら言い換えるわ。老人はどっかに隠居して茶でもすすってりゃ良いのよ」
 さっきと言っていることが違うが、それはキルファも魔物も気にしないことにしたようだ。
「うーん……まあ、今までは悠悠自適な隠居生活を送ってたんだけどねえ。どうしても許せない奴を見つけたもんで、ほら、死に花を咲かせるってやつで、ぽっくり逝く前に少しは働こうかと」
 魔物はぱたぱたと手を振って、軽い口調で言った。
「……ちなみに訊くけど。どうしても許せない奴ってのは誰?」
 キルファの魔物を見る目の中に、刃のような鋭さが混じる。
「それは無論、君だよ……確か、キルファ、とか言ったっけ?」
 フルフェイスの兜の下で、魔物がにっこりと笑みを浮かべた気がした。
「……何であたしの名前を知ってるの?」
 キルファは、身体の後ろでナイフを握り締めながら言った。心持ち、後ろに下がる。
「僕の同類が君たち……君と、そこの茶色い髪の男に会ったときに聞いてたんだよ。あいつはやられちゃったみたいだけどね。
 基本的に、僕らは意識を共有してるから。同調も出来るし、得た知識を他の個体に回すこともできる」
 それと同じことが出来る魔法に、キルファは心当たりがあった。
「<幻話>……」
 ぽつりとその名前を呟く。サリクスも、それを聞いて納得したというような顔をした。ダレットだけが、訳が分からないと言った表情をしている。
「何だ? それ……」
 のん気な顔で、首を傾げた。無論、剣を油断なく構えたままで、である。
「長距離の通信なんかに使われる魔法よ。どんなに離れてても一瞬で情報……意識のイメージを送れるって代物なの。
 まあ、詳しいことは後で説明するから。覚えていればね」
「ふうん、今はそんな使い方をしてるんだ」
 魔物が、興味津々と言った口調で言った。
「僕らの場合は、同系列の個体は常に接続しあってるような状態だからね。まあ、皆まとめて意識を共有してるといっても過言じゃない。今では随分数も減っちゃったけど……それでも、他の奴が見たものは僕も知ることが出来る。普段は鬱陶しくて仕方がないんだけど、たまには便利な代物だよね」
 キルファは黙って、嵌めた指輪を見下ろした。かつて存在した、<天人>と呼ばれる種族が作り出したもの。今では失われた技術。
 この指輪にしても、今目の前にいる魔物にしても、現在では考えられないほどの魔法技術だ。
 これが、<天人>と<魔人>の生み出したものなのか?
「……その接続が嫌なら外せば良いじゃないの」
「それが出来れば苦労はしないよ。もしそれが出来たら……もっと楽だったかもね」
 魔物の口調に、かすかに皮肉が混じった。
「僕は所詮、作られた道具だからね。ある部分を除いては、自分では制御部分に干渉できないんだよ。困ったことに。……まあ、それについて今更どうこう言う気はないけどさ」
 お手上げだとでも言うように、魔物は両手を上げて見せた。
「……それで、そろそろ本題に入ってもいいかな? これだけ無駄話をしたんだ、いい加減覚悟は出来たよね?」
 すうっと言葉に刺が混じる。
「いや……肝心なことを聞いていないわ」
 キルファは、魔物に無造作にナイフを向けた。無論、これで倒せるとは思っていない。単なる意志表示だ。
「あたしがどうしても許せない理由は? まさか、前の奴の敵討ち、なんてことは言わないわよね?」
「うーん、まあ、それもあるけど」
 あっさりとキルファの言葉を否定する。
「僕を作り出したひとたちの、敵討ち……かな? 君のその目の色……あいつらと同じなんだよ!」
 最後は、感情の爆発となった。
『炎よ・その炎熱をもて……』
 呪文。それを察した瞬間、キルファは左手を突き出して唱えた。
『開門!』
 蒼い光が辺りを包み込む。魔物の目の前に生まれかけていた炎は、まるで時間を巻き戻すかのように、空間の隅に押し込まれて消滅した。
「前の奴が見たものを知ってるってのなら……当然、これも知ってるはずよね。わざとなの、それとも忘れてたの?」
 キルファが鼻で笑って見せる。それと同時に――
「はあああっ!」
 ダレットが走る。魔物の動きの止まった隙を見逃さず、斬りつけた。
「おっと!」
 魔物は楽しそうな声を上げると、手にした剣でそれを受ける。甲高い金属の悲鳴が響いた。
「言っとくけどなあ、俺もいるんだぞっ!」
 ダレットと魔物が剣を合わせた瞬間、サリクスが横から長柄戦斧を振るう。魔物に、避ける術はないはずだった。
 が。
 ぐにゃりという音が聞こえてきそうな感触。手にした長柄戦斧が鎧に食いこむが……鎧はまったく傷ついていない。長柄戦斧に逆らうでもなく鎧は曲がり、その弾力をもって長柄戦斧を緩やかに弾き返した。
「なっ……?」
「別にさあ、あなたたちの鎧と同じ材質でできてるはずもないんだよね」
 能天気に魔物は言った。ダレットと剣を交えながら。
「それは身体も同じことであって。そんなもので僕に傷をつけられるとでも、本気で思ってる?」
 きんっ、きんっ、とダレットは立て続けに剣を撃ち込む。それを全てかわし、あるいは受けながら、魔物は嘲笑うかのように更に言葉を続ける。
「あなた、剣の腕は大したものだけどさ……それが通用するのって、あくまで君らの同種だけなんだよ。僕と君らとでは本質的な部分が違うんだから。君らが僕を傷つけようとでも思ったら、別の方法を考えなきゃ」
 言って、無造作に剣を押し込む。その力に耐え切れず、ダレットは辛うじてそれを受け流すと後ろに下がった。大きく肩で息をしている。
「要するに、俺たちはただのお遊びで付き合ってもらってるだけ……ってわけだな」
 荒い息のまま、ダレットはうめくように言った。
「そういうこと。一瞬で吹っ飛ばしても良いんだけどさ、それだとあまりにも美学ってものがないなあ、って。それに、この森も一緒に壊しちゃうしねえ」
 魔物はからかうような口調で言う。
「そういうわけだから。そろそろ本気を出したら?」
 ゆっくりと、魔物はキルファの方を見た。
「……本気、ね」
 言いながらゆっくりと、左手を上げる。
『開門っ!』
 あらん限りの大声で叫ぶ。蒼い光が、魔物を包み込んだ。
「あんたの弱点は知ってるのよ! 年寄りはさっさと世代交代しなさい!」
 キルファが叫ぶ。だがその表情が、すぐに怪訝なものに変わった。
『――顕現』
 魔物が呟くと同時に……一瞬にして、蒼い光が消え失せる。魔物は、まだ平気な様子で立ったままだ。
「同じ手を二度使うのはただの馬鹿だと思うけど? それとも、それしか芸がないの?」
 ぴしり、ぴしり、と兜にひびが入る。兜の欠片は地面に落ちる前に塵と化して宙に舞い、やがて、その顔があらわになった。
 びっくりするほど整った、少年の顔だった。太陽の光をそのまま封じ込めたかのような金色の髪、同色の瞳。完璧すぎて、かえって作り物のような印象を与える。
 兜の飾りだと思った額の角は、まだ彼の額に残っていた。昔話に登場する『鬼』のように、額から一本の角が生えている。それだけが異様だった。
 にっこりと魔物は笑う。
「かなりの力だね……僕の障壁でも、ちょっとは通してしまった」
 言ってあらわになった顔を撫でる。金色の髪を適当にいじりながら、魔物は続けた。
「これは<障壁>の魔法って言って、僕の特技。ちょっとは自慢なんだよ、うん。
 『場』と自分の間に障壁を形成して、魔法の影響を排除するものなんだよ。君の<白紙>の魔法も例外なく、ね。
 まあ、これを使ってると、自分も他の魔法を使えなくなるのが難点かな」
 信じられないと言う顔をしているキルファに、魔物は懇切丁寧に解説する。
 特殊魔法<障壁>。魔法によって存在しているこの魔物は、常に『場』の一部を変質させてその存在を維持していることになるが……この魔法は、自分の周りの『場』にいわゆる『壁』を形成するものだ。身を守る殻とも言えるその壁によって、その存在を白紙化されるのを防いだのだ。
 よって、キルファやサリクスはこの魔法を使っても意味がない。この魔法が守れるのは、あくまで変質した『場』の一部であり、魔法そのものなのである。魔法によって生み出され、維持されている魔物にしか意味はない。
 ある意味で、この<障壁>の魔法は、キルファの<白紙>の魔法と対になるものである。魔法を護る魔法と、一切合切消し去る魔法。
 この魔法があるから……この魔物は、キルファの<白紙>の魔法の存在を承知の上で、姿を現したのだ。
「どうしろってのよ……」
 呆然として呟くキルファ。切り札だった消去魔法を潰されては、キルファには成す術がない。
「それじゃあ、まあ。そろそろ僕の出番ね」
 にやりと魔物が笑い、剣を振りかざした。
「魔法を使うと君に消去されそうだから……まず君から行こうか。そうしたら、他の二人はまとめてやれるしさ」
「俺たちは十把一からげかい」
 横でサリクスが不満げに言うが、自分の長柄戦斧が通用しないのは先程証明済みだ。ダレットもそれは同じである。
「くっ……」
 ナイフを握り締める。が、先程、ダレットと平気な顔をして剣で戦っていた相手だ。自分では通用するはずがない。
 ダレットとサリクスには頼れない。この二人に出来るのは、せいぜいが邪魔立てすることくらいだ。
(あと、手段って言ったら……)
 必死に考えを巡らせる。すると――
「…………!」
 今でも目に焼き付いている情景。血と炎。地獄があるとすれば、まさにその再現だと言える一コマ……
 脳裏に鮮やかに描き出された紅を振り払うように、キルファは首を振った。その様子に、魔物がかすかに首を傾げる。
「…………? 何だっての? まあ良いや。どうせ関係ないし。それじゃあ」
 無造作に……しかし信じられない速さでキルファとの間合いを詰めると、剣を横薙ぎに振る。考えるより先に、生存本能でキルファは後ろに跳んでいた。
 同時に突き出したナイフが、辛うじて追ってきた剣を弾く。手が痺れる感覚に、キルファは顔をしかめた。ナイフと長剣では重さが違いすぎる。正面から受けなかったせいで、辛うじて叩き折られるのだけは避けた。
 しかし、後ろに跳んだ状態からキルファが体勢を立て直す前に、魔物は彼女を追って前に踏み込んでいた。間合いを引き離すことが出来ない。きんっ、と第二撃を受けられたのは奇跡でしかなかった。
 しかし、今度こそ体勢を崩して地面に倒れこむ。足元に転がるキルファに、魔物は冷然と剣を振り上げた。
「よせっ!」
 そこに、横から飛び込んできた影がある。長剣と長剣がぶつかり、甲高い音を発した。
 ダレットだ。
「だからさ、あなたが僕を倒す手段ってないんだよ。魔法を使えないんでしょ? その姿からすると。僕は、あなたとは存在の仕方が違うんだから」
「だからって、ただ見ているだけでいられるか!」
 続けざまにダレットは長剣を繰り出す。剣の腕ではほぼ互角に見えたが……その他の手段という点で、二人は決定的に違っている。
「サリクス!」
 ダレットと魔物が剣戟を繰り広げているうちに何とか離れ、キルファはサリクスの元に駆け寄る。サリクスは、呆然と二人の争いを眺めていた。
「ぼーっとしてるだけじゃなくてさ。何かあいつを倒す手段とか思いつかない?」
 お手上げ、とでも言いたいのだろう。サリクスは苦笑しながら両手を上げて見せた。
「長柄戦斧は通じない、俺の魔法は初歩の初歩だけ、嬢ちゃんの消去魔法は防がれる。具体的な方法としては何も思いつかねえな」
 ひょいと肩をすくめて見せる。
 その間にも、ダレットと魔物は激戦を繰り広げている。
 そして。
「…………っ!」
 鍔迫り合いの状態から全体重を押し込まれ、ダレットは後ろに重心がずれる。そこに足払いをかけられ、派手に転倒した。
「がっ……」
 鳩尾に剣の柄頭を叩きこまれ、ダレットは苦悶の表情で身体をくの字に曲げる。ダレットは鎧の類を身につけていない。相当苦しいはずだ。
「これで、少しはおとなしくなるでしょ」
 対して、魔物は涼しい顔で言った。倒れたダレットを軽く蹴飛ばすと、キルファを振り向く。
「……野郎、俺たちは完全に遊んでやがるな」
「まあ、僕としても余計に仕事をする理由はないしね。とりあえず標的はそこの子だけだしさ、君らはどちらでも構わないんだけど……どうする?」
 にっこりと、無邪気さすら感じさせる笑みで訊いてくる。
「まあ、黙って見てるわけにはいかねえよな。一応、旅の連れだし」
 サリクスは獣のような獰猛な笑みを浮かべると、長柄戦斧を構え直した。キルファをかばうように前に出る。
「君らも無駄なことをするよねえ……まあ良いけどさ。大した手間ってわけでもないし、どうせ暇だし」
 魔物も、手にした黒い長剣を握り直した。  

 

 
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