32.紅
「どうしろっての、この状況……」
「いやあ、どうにもならないだろうね」
キルファの呻き声に、魔物は律儀に相槌を打つ。その親切さに、思わずナイフを投げつけたくなった。が、やっても何も意味がないことに気付き、すぐに諦める。
向こうには、鳩尾を強打されたダレットが倒れ、すぐ下には同じく一瞬にして倒されたサリクスが転がっている。二人とも死んではいない。死んでいないだけだが。
動くことなど、それも自分を助けることなど到底無理だ。
もっとも……たとえ動けたところで、どうにもならないのは証明済みなのだが。
(今まで、いかにこの二人に頼ってたかってことよね)
自嘲気味に笑う。自分より遥かに高い戦闘能力を持つ二人。頼っていたつもりはないのだが、いざ戦闘となると、大体前線で武器を振るっていたのはこの二人だ。自分はと言えば、魔法を消去するか、背後からナイフを投げていただけだ。
(自分でどうにかするしかない。いつもずっとそうだったのに。そのはずなのに……)
周りに、仲間が誰もいない。それがどれほど頼りないか、今になって思い知らされる。
「僕もけっこう暇だしね……少しは遊んであげてもいいよ。でもさ、さっさと終わらせた方があなたのためだと思うんだよね。
僕はどちらでも構わないけど。どうする? 選択は君がするといい」
「あたしに選択権を与えるのが親切だとでも思ってるの?」
「いや別に。僕はそんな偽善者面は嫌いだしさ。ただ純粋に、訊きたいだけ」
「答えは一つだけよ。……とっとと消えなさい!」
叫ぶと同時に、<白紙>の魔法を起動させる。魔物が<障壁>の魔法を起動するより先に消去出来ればと思ったのだが、さすがにそれは甘かったようだ。
先程と同じように、蒼い光が一瞬にして消え、魔物は平然として立っている。少しは効いたのか、鎧の一部が塵となって消えるが……全部消そうと思ったらどれくらいの力が要るのか。
「頭の良い子だと思ってたけど……案外、学習能力がないね」
「余計なお世話よ」
のんびりと言う魔物に、キルファは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「ついでに言えば、答えになってないような気がするんだけどね。さっきの答え」
「だから。あんたがとっとと失せなさいって言ってんのよ。それ以外に何があるって言うのよ」
「それは、さすがに却下……だね」
一方にあるのは余裕、もう一方は焦り。キルファは忙しく口を動かしながら、じりじりと後ずさっていた。
たとえ自分のナイフが全部命中したとしても、この魔物には大して効果がない。何故なら、魔物は魔法によってその身体を維持しているものなのだから。魔物を形成する魔法そのものを消すか、魔法によって具現し、その身体を構成する物質を残らず消し去るしか方法はない。
「どう考えても、無理……」
呟く。絶望もしていないし、諦めもしていない。だが、理論的に考えてみた結果、出た答えがこれだ。
魔物は、小さい動作で首を傾げた。
「無理、ねえ……。そんなはずはないと思うんだけどなあ。そんなにあっさりとやられたら、僕の御主人たちの立場はどうなるのか」
青空を見上げ、こめかみを掻きながら考え込む動作をして見せる。ややあって、ぽん、と魔物は手を叩いた。
「……もしかして、何か理由でもあるの? それとも知らないの?」
何が、とはキルファは訊かなかった。言わんとしていることはすぐに理解した。
だから、動揺する。
びくん、と一瞬身体が震えたのを魔物は見逃さなかった。目を丸くし、そして苦笑する。
「何があったのかは訊かないけどさ……君、そのままだと死ぬよ?」
「殺そうとしている本人が何を言ってるんだか」
相変わらず、苦い表情のままでキルファは答える。
「……まあ、そうなんだけど」
「あんた、何がやりたいのよ? のこのこ出てきて、ダレットとサリクスを殺すでもなくあたしだけに固執して。憎いとか言ってた割には遊んでるみたいだしさ。
前に会った、あんたの同類もそんな感じだったわね」
「だから、その目の色だよ。僕らが敵と認識していたものと同じ色だからね。それはつまり、君も敵ってことだ。……とは思うんだけど。
今、君を消しても、もう何の意味もない。僕にそういう認識を埋め込んだ人たちは、もういないからね。
だから……どうしようかなあ、と僕も悩んでるんだよ」
「全然悩んでる風に見えないんだけど」
キルファはじろり、と睨む。
「あんたを創ったのは、あたしたちの言う<魔人>よね? でも、<魔人>が対抗していたのは<天人>のはずよ。どっちももういないけど。
あたしは……そりゃ、人間でもエルフでもないわ。その証がこの目の色なんだから。
あんたの話を聞いてると、天人種族とあたしの見た目がまったく同じ、みたいに聞こえるんだけど」
「……知らなかったの?」
魔物は目を丸くする。とにかくよく表情の変わる少年だ。それが無邪気な子供のようで、似合ってはいるのだが。……魔物と知らなければ。
「知らないわよ、そんなこと。<天人>については全然分かってないしね。
それにしても、よ。たまたま目の色が同じってだけで付け狙われるなんて、こっちにはいい迷惑よ、止めてもらえない? あたしは、あんたらを滅ぼした天人種族じゃない」
断言する。
「そう……正確には、違うのかもしれないけど。でも、僕たちから見たら、同類だよ。
だって、そうなるように仕組まれてたんだから。でも……僕らの予定から行くと、君は予定外の人物なんだよ。ただ邪魔なだけじゃなくて、僕らの狙いを外す可能性すらある」
「…………?」
訳が分からず、キルファは首を傾げた。この魔物が何を知っているのか、何を言わんとしているのか、見当がつかない。
遥か昔に滅んだと言われている天人と呼ばれる種族。自分との接点は、唯一、左手にはまっている指輪だけであるはずだった。
(…………)
そこまで考えて、ふと思い出した。
天人に関して、その存在は確実と言われていながら、実態がまったく分からない理由。
遺跡はあちこちに発見されても、その中に入れないのだ。
だが。たまたま見つけた遺跡に、自分たちはあっさりと入ることが出来た。内部にいた番人も、自分たちを攻撃しようとはしなかった。
それこそが……天人と関わりがあるという証拠だとしたら? 無論、どんな関わりかは見当もつかないが。
唐突に黙りこんだキルファを、魔物は面白そうに眺めた。
「何か思い出した? 何があったのかは知らないけど、でも、まったく知らないわけでもなかったんじゃない? その<白紙>の魔法からして。
それってもう、エルフとか呼ばれてる連中は使えないんでしょ? 確か」
「……よく知ってるわね」
「年寄りは出て行かなくても世間のことには詳しいもんだよ」
言って浮かべて見せた笑みが、妙に歳を経たもの特有の落ち着きと、同時に枯れた雰囲気を持っていたのは何故だったのか。
「でもね……昔の連中が何をやったのかは知らないけど。今生きているあたしたちには何の関係もないのよ。
何度も言うけど。さっさとここから立ち去ってくれない?」
「君は関係ないかもしれないけどさ、こっちはこれだけのために生きてるようなものだからねえ。
それを否定されるのは……受け入れられないね」
閃光。
魔物が無造作に伸ばした右手から、強烈な光がほとばしる。
『開門っ!』
キルファも左手を突き出して唱える。一瞬にして閃光は消え去ったが、その時には魔物が目の前に迫っていた。
(しまった! 今のは陽動……)
ナイフで受けている余裕はない。本能的にキルファは地面に転がる。横薙ぎに振るわれた剣は、風を切りながら頭上を通り過ぎた。
「しかしまあ、冗談みたいによく避けるよね。君が身軽ってのもあるだろうけど……」
言いながら、地面に剣を突き立てるようにして第二撃を放つ。ごろごろと転がってこれも避けるが、いつまでも通用するわけもない。
「…………っ!」
キルファは仰向けに転がったまま、右手で突き下ろされる剣の腹を横に叩いて払う。右手が少し切れるが、気にしている余裕はない。
重い長剣は、キルファのすぐ横に突き刺さった。魔物が剣を引き抜いている間に、もう何回か後ろに転がってから跳ね起きる。
「しぶといねえ……君も。冗談みたいな手を使う」
「そう簡単に殺されてたまるものですか」
キルファは肩で息をしながらにやりと笑う。咄嗟に剣を手で払えたのは、以前にダレットが同じようなことをやったからだ。そのお陰で、キルファは危ないところで刺されるのを免れている。
(どうする……どうする?)
こうして、いつまでも逃げられるわけもない。たとえ自分一人はどうにかなっても、まだ倒れたままの二人をどうする?
さっきからずっと前に進まない思考。いつまでたっても出口が見えない。
「…………!」
考え込んでいる間にも、魔物が再び突っ込んでくる。今度はナイフで受け、弾く。数回繰り返しているうちに、すぐに腕がしびれてくる。
「くっ……つあっ!」
軽い音を立て、ナイフがキルファの手から離れる。重い剣撃を何回も受けたせいで、手の皮は破れかけているし、感覚もなくなってきている。
懐から投げナイフを抜く。しかしこれでは、長剣を受けることなど不可能だ。だが、丸腰ほど不安なこともなかった。
歯を食いしばりながらナイフを構えるキルファを、魔物は面白そうに眺めた。
「大したものだね……その精神力は。でも、その根性は認めるけど、それだけじゃどうしようもないよ?」
「言われなくても分かってるわよ」
自分でも、このままでは倒す算段などないのは分かっている。どんどん追い詰められていっているのも。だが……ただ殺されるのだけは御免だ。理由も何も分からないままで。
理不尽な理由で命が危うくなる。こんな状況は、前にも経験したことがあった。
「いつまで逃げられるかな?」
楽しそうに言いながら、魔物が滑るように間合いを詰める。元より、投擲用に作られたナイフで受けるつもりはない。上から振り下ろされた剣を全力で跳んで避け、同時にナイフを投げつける。だが、これはあっさりと外れて近くの木に突き刺さった。
後ろに下がるキルファを、長剣が執拗に追いかける。キルファに迫る剣は……足元を狙っていた。
「…………っ!」
もう一度後ろに跳ぶ。だが、無理な体勢からの移動で、大きくバランスを崩した。
魔物はそれ以上追わず、長剣をその恐るべき膂力でもって投げつけた。これ以上、ちょこまかと逃げられるのを避けるためだろう。
射剣術と呼ばれる、傭兵などが使う特殊な技だ。手に持って使うべき剣を投げつける、ある種の外道技だが、ダレットも以前にこれを使ったことがある。
肩に担ぐような構えから放たれた剣は、真っ直ぐにキルファに向かって走る。
(……避けられない!)
抵抗もここで終わりか。
キルファは観念して、思わず目を閉じた。
ぞぶり、と異様な音がした。
肉が切れる音であるのは即座に理解した。だが……襲ってくるはずの痛みはまったくない。痛みすら感じないほど、一瞬でやられてしまったのだろうか?
キルファは不審げに、だが恐る恐る目を開けた。
その目が、大きく見開かれる。目の前に立つ大きな人影。
「だ……」
ダレットだ。
観念した瞬間、何かに横から突き飛ばされたのは覚えている。だが……何故ダレットがここにいるのだ?
「…………!」
ダレットは、尻餅をついているキルファの前で、ゆっくりと……そこだけ時間の速度が遅くなったかのように地面に倒れる。その腹が、真っ赤に染まっている。
「あ……」
何も言葉が出てこない。出てくるのは、言葉にならないうめきだけだ。
キルファと魔物の間を塞ぐようにダレットは倒れている。その腹からは大量に血が流れているし、完全に意識を失っているようだ。
魔物も、この捨て身の行動にはびっくりしたのか、目を丸くしている。
「これはまた……」
キルファの後ろに突き刺さった剣を引き抜くでもなく、ただ面白そうに眺めている。彼には、ダレットの行動はただの自殺行為としか映らなかった。
キルファが、よろよろと立ちあがる。かくん、とダレットの横に膝をつき、倒れた身体に触れる。だが、まったく反応を示さない。大量に血を失ったせいで、その顔は蒼白になっている。
「……ダレット?」
自分を庇って、これだけの怪我を負った。
キルファの、その思考はあっさりと状況を把握していたが……感情がそれを受け付けない。ぼんやりと心の中で呟く。
(何? 何が起こったの? 何が……)
何も分からず、虚ろな瞳のままで、自分の両手に目を落とした。
「…………!」
目が大きく見開かれる。瞳孔が急に明るいところに飛び出した猫のように、きゅっと収縮する。
「あああああああああ……」
自分の紅く染まった両手を見つめたまま、キルファは呆然とうめいた。
紅い。紅い。紅――
「…………あああああああああ……」
紅……血と、炎の色。終わらない悪夢。かつての罪の証。
罪は罪として永遠に残る。永遠に、罪人を責め立てる。情け容赦なく、冷徹に。ずっとずっと。
だから。
「……ああああああああっ!」
罰を恐れる罪人のように。赦しを乞う咎人のように――
キルファはただ、叫ぶしかなかった。
