暁の大地

33.凱旋の道

 視界が紅く染まる。世界の全てが紅い海に沈む。
(やめてやめてやめてやめて……)
 昔の記憶。永遠に続く紅い回廊。
 がちがちと歯が鳴る。拳を指が白くなるほど握り締めて、それなのに身体から力が抜けて地面に膝をつく。いつの間にか、目の端に涙が溜まっていた。
「……どうしたの?」
 からかい半分、嘲り半分に魔物が声をかけてくる。だが、そんなものは耳には入っていなかった。
 手のひらにべっとりと血がついている。自分のものではない、他人のもの。
 自分のせいで傷を負った者の――
「あああああああああああ……」
 言葉が頭に浮かばない。言いたいことは山ほどあるのに、それは浮かんでは消える泡のようなもので、はっきりとした形を為さない。
(ねえ、どうして……)
 ――こんなことになったの?
『この、おぞましい出来損ないが。裏切り者の娘が!』
『君のその目の色……あいつらと同じなんだよ!』
 人間とエルフの混血児。その証拠の紫色の瞳。そのせいだと言うのだろうか? 
(でも、そんなものはあたしの責任じゃない。あたしが望んだんじゃない。生まれたときからこの姿だったもの。……あたしは悪くない! 悪くないじゃないの!
 それなのに。ねえ、どうして? 皆、あたしばかりを責めるの?)
 何度も何度も心の中で叫ぶ。
 けれど。
 傷を負ったのは、血を流して倒れているのは自分ではなく、ダレットだ。
 ダレットがどうして、こんなに傷つかなければならないのか。その理由があるとしたら……
「…………」
 キルファは呆然として自分の両手を見つめた。

「う……」
 サリクスはうっすらを目を開けた。
「よく寝た……わけはねえよな」
 頬に触れる、土の冷たい感触が心地良かったが、ここで昼寝をしていた記憶などない。必死で記憶をたどる。
 あの子供のような姿をした魔物に、大口を叩いて……そして一瞬で間合いを詰められ、腹を強打されたところで記憶が途切れている。おそらく、そこで気を失ったのだろう。
 まだ鈍く痛みが残っているから、それほど時間は経ってはいないのだろうが……
「ちっくしょう……どうなってやがる……」
 呟き、身体を動かして様子を見ようとする。まだ身体が痛む。
 ごそごそと身体をずらし、上を見上げると、銀髪の少女の姿が目に入った。キルファだ。
「…………?」
 目の前にいるのは確かに見慣れた少女だが……様子がおかしい。
 白を基調としているはずの服には紅い染みがいくつもできているし、地面に膝をついている。何やら、自分の両手を見つめているようだが……その手も、真っ赤に染まっている。
「ああああああ……」
 無意識に絞り出すような、呻き声はその時聞こえた。
「……嬢ちゃん?」
 のっそりとその場に起きあがって、サリクスの顔が表情が凍った。
 キルファのすぐ側にダレットが倒れている。地面に大量の血が流れ出して血溜まりを作り、ぴくりとも動かない。
 そして。
 おそらくはダレットの血だろう、真っ赤に染まった両手を見つめたまま、キルファが呆然としている。がたがたと震えながら何かを呟いているが……その目の色が尋常ではない。
 虚ろな目で……おそらくは何も映してはいない。血の紅から、目を逸らすことが出来ない。
 その紫の瞳は、ただ真紅のみを映していた。そこから離れることが出来ない。
「くそっ……」
 ダレットが重傷を負っているのはここからでも分かる。出血からして、放っておいたら間違いなく死ぬほどの怪我だ。それに加えて……理由は分からないが、キルファの様子までがおかしい。
 慌てて跳ね起きる。その勢いのままで、二人の側に駆け寄った。
「これはまた……揃いも揃って、しぶといね、君らは本当に」
 魔物が何やら言ってくるが、この際無視。特に攻撃してくる様子もなく、ただ面白そうに様子を眺めている。
「おい、嬢ちゃん?」
 駆け寄ったサリクスにも気付いていないのだろう、虚ろな瞳で、魅入られたかのように血に染まった手から視線を逸らさないキルファを、サリクスは強引に肩を揺すった。それでも、キルファは何も反応を示さず、ただ為されるがままになっている。
「ちっ!」
 頬を軽く平手で叩くと、ようやくびくんと身体が跳ね上がり、サリクスを見上げた。
「あ……」
 そこで初めてサリクスに気付いたようだ。虚ろだった瞳に、ようやく光が戻る。
「何があった……って、見れば分かるな」
 側に倒れたダレットを見て顔をしかめる。完全に意識を失っているようで、その顔は蒼白になっている。かすかに息はしているようだが、それだけだ。
「何でダレットがこんな大怪我……」
 ダレットは真っ先に気絶していたはずなのだが。自分が気絶しているうちに復活したのだろうか?
「そこの子を庇って自分がやられたんだよ」
 横から陽気な声で、魔物が解説してくる。その口調に嘲りの色を嗅ぎ付け、サリクスは憎々しげに魔物を睨みつけた。
「成る程な」
 どうりでキルファが茫然自失としているわけだ。誰よりもまず自分を責めるような性格のこの少女なら、自分のせいで相棒が重傷を負ったとなれば、決して自分を許しはしないだろう。
「おいっ!」
 魔物の言葉に、再び愕然としていたキルファを慌てて引き戻す。
「ねえ、あたしが、あたしが……やった……?」
 呆然と流れ出る血を見つめたまま、キルファが呟く。その瞳は、再び何も映さなくなっている。
「ダレットが大怪我をしたのはあの野郎のせいだ! 嬢ちゃんのせいじゃない……」
 サリクスはぱん、とキルファの頬を叩く。正直、気が引けたのだが、こうでもしないと正気に戻りそうもない。
 しかし、キルファはサリクスの言葉に何の反応も示さず、まだ何やら口の中で呟いている。
「あたしが……あたしが悪いの……? あたしは、いちゃいけなかったの……?」
「…………?」
 ここにきてようやく、サリクスはキルファの異変に気付いた。急に自分を失ったようになったのは、ただ、ダレットが自分を庇って怪我をしたからというだけではない。
 そう考えなければ、彼女の言葉に脈略が通らない。
 しかし、ここでそれを追及することも出来ないし、何より目の前にはまだ魔物が立ちはだかっているのだ。
「……どうしろってんだ!」
 腹から血を流しながら倒れるダレットと、呆然としているキルファを前にして、思わずサリクスは毒づいた。

 全てに覚えがあった。
 大地を染め上げる紅い血、横たわる身体。目の前に立ちはだかる黒い人影。
 また、前と同じだ。
 理不尽な状況で自分が殺されそうになって、そのせいで他の誰かが傷ついて。
「ああああ……」
 完全に生気を失ったダレットの前で、キルファはぼんやりと記憶を反芻した。
 自分は死にたくはない。けれど、そう思うたびに他の誰かが傷つくとしたら。
 それでも……生きていたい、と思っても良いのだろうか?
 ダレット。
 何を考えているのか、いまいちよく分からない。いつもとんでもない行動に出て、自分は頭を抱えている気がする。馬鹿みたいにお人好しで、人をはらはらさせる。
 それでも。この男の隣にいて、自分は嬉しかった。楽しかった。それだけは確かだった。
 それなのに。
 他でもない自分のせいで、生死に関わる怪我を負わせてしまった。
(……あたしが)
 さっき、必死になって抵抗などしないで、さっさと殺されていれば。あの黒い剣の前に倒れていれば。
 分かっていたことではないか。自分が抵抗するたびに、他の誰かが傷つく。そうして、自分がどうしようもない悔恨を抱え込むことになる。
(死んでいれば……よかったの?)
 けれど、いくら思っても現実は変わらない。自分は傷一つ負わず、ダレットが重傷を負って倒れている。厳然たる事実。
 血塗れの手がぱたり、と落ちる。ぼんやりと呟く。
「ねえ……」
 誰も答えてはくれない。それでも、口にせずにはいられなかった。
「あたしは……どうすれば良かったの?」
 誰に問いかけているのか。何を問うているのか。それすらも分からなかった。

 長柄戦斧は先程気絶したときに落としたままだ。ほとんど丸腰に近い。
 必死で考えを巡らせ……立ち上がると、サリクスは後ろに突き刺さった黒い長剣を引き抜いた。先程、魔物が投げつけたものだ。
 刀身に赤い血が付いている。ダレットのものだと即座に気付き、サリクスはぎりっと歯を噛み締めた。
「なんつう重い剣だ」
 魔物は、自分の武器が取られたにも関わらず、面白そうにその様子を眺めている。その子供のような姿に似合わず、黒い剣はあまりに重かった。日頃長柄戦斧を振り回すサリクスだから辛うじて扱える、というくらいの重量がある。
 見た目で重さを判断していたのだが、さすがに魔物の持ち物である。常識が通用しない存在であることを改めて思い知らされる。
「あなたもその子も、本当に頑張るよねえ……感心するよ。例外はそこの人間の男だけか。わざわざ自分から剣の前に飛び込んでさ」
 重い剣を辛うじて構え、サリクスは鬼のような形相で魔物を見据える。気の弱い者ならばそれだけで倒れたかもしれない。
 だが、相手は前時代の遺物とも言える存在だ。鋭い視線など通用しなかった。
「馬鹿と言うか健気と言うか。僕には理解出来ないけどね……」
 魔物はひょいと肩をすくめて見せた。両手を前に伸ばし、軽く振る。手首が瞬時に変形し、湾曲した短い刃が生えるように現れた。
「別に、それだけが武器ってわけでもないからね。元々、僕自体が兵器だからさ。こういったものは満載してる」
 これまた黒い刃を、自慢げに見せながら言ってくる。
「ちっ……」
 使い慣れない武器で、いつまでも対抗できるわけもない。瞬時に殺されていないだけ奇跡だと言えばそれまでだが、ダレットは放って置いたら死ぬであろうし、キルファは――まだ虚ろな瞳をしたままだ。このままでは、すぐに全員殺されて終わりだ。
「嬢ちゃん……いや、キルファ!」
 二人の前で剣を構え、サリクスは背中に庇った少女に向けて怒鳴った。
「ずっとそこで黙ってても、ダレットは死ぬだけだぞ! 助けたいんだったら、自分がどうすれば良いか考えろ!」
 決然とした響きを持って、その言葉は響き渡った。

 そうだ。
 自分が生きるか死ぬか、そんなことは大した問題ではない。
 この男……ダレットは助けなければ。自分のせいで傷を負わせた、それは事実だ。だから、これ以上、自分のせいで苦しめるわけにいかない。
(どうする……?)
 ずっと動きを止めていた思考が回り始める。
 ダレットは重傷だ。このままでは間違いなく出血多量で死ぬ。えんえんと消去魔法を連打して、倒れるのを待つなどという手は使えない。一撃で決めなければ。
(……一撃?)
 それはつまり……魔物を圧倒するほど強力な魔法。手段はそれしかない。
 目の前に見えていた、紅い炎の迷路。それが不意に途切れ……出口が見えた気がした。
 長く暗い夜が明けて、光が見える。ぼんやりとした、暁の光。
 何だろうと構わない。自分の意地、過去、そんなものよりも、今は一人の人間を優先する。そう決めたのだ。
 虚ろだった瞳に光が戻る。
 瞳に強い意志の光を宿し……キルファはすっと立ちあがった。

『秩序と混沌の支配者よ・姿なき世界の王者よ・我・汝に請わん・汝が力・仮初めなれど・我に与えん……』
 キルファは涼やかな声で呪文を唱える。先程までの迷いはもう何処にもない。
 『場』に溶け込んだ意識が、呪文によって世界法則が変わっていくのを感じ取る。少しの間だけ、自分はこの場を思うがままに支配できる。
『光よ・我が軍の先達となれ・その力もて・我が軍を導きて・道を開け・我が前の・敵を滅せよ……』
 朗々と呪文は続く。
 魔物もサリクスも、キルファから発せられている圧倒的な力に、ただ唖然とした。
 使える魔法の強さは、魔導士の『場』への干渉力に比例する。この論理で言えば――キルファは、常識外れな干渉力を持っていた。
 魔物の端正な顔が滑稽なほどに引きつる。常に『場』に干渉している状態の彼は、キルファが圧倒的な力で『場』を支配していることを、正確に把握していた。
 <障壁>など、この力の前には紙ほどの役にも立たない。物理的な力でも、おそらく自分の身体は耐え切れない。
 ……死ぬ? ここで自分は死ぬのか。
 この期に及んでも、冷静に状況を把握している自分を、魔物は自嘲気味に笑った。
 目の前の少女も、男も、死ぬことを必死に否定した。だが、自分は、いざ死ぬと悟ってもまったくと言っていいほど恐怖を感じない。
 これが、生き物として生まれたものと、道具として魔法で生み出されたものの差なのか。
(そうか……)
 キルファを攻撃するでもなく、妙に納得した顔で、魔物はキルファを……完成していく必殺の魔法を眺めた。

『我が意に従い・今こそ……』
 前に伸ばした両手が白い光を発する。最初はかすかだったこの光は、徐々に強くなり、目を開けていられないほどにまぶしくなる。
 キルファは目の前に立ちはだかる黒い魔物を見据えた。鮮やかな紫が、その姿を捉える。
『凱旋の道を――』
 勝利の道を。生き残る道を。共に生き、歩こうとする道を――
『ひらけええええええっ!』
 次の瞬間。
 閃光が辺りを支配した。

 閃光。そして轟音。
 咄嗟にサリクスが出来たのは、目を閉じて耳を塞ぐことだけだった。そうしていなければ、圧倒的な光量と音量に、器官をやられていたことだろう。
「…………!」
 頭上を風が吹き荒れているのが感じられる。身体を伏せ、叩きつける突風に耐えながら……ふと、サリクスは足元に倒れているはずのダレットが一緒に吹き飛ばされていないことを祈ったりした。
 まあ、それはないだろうが。何しろ、魔法を起動させたのはキルファだ。
 攻撃魔法<凱旋>。光の大砲で目の前のものを全て薙ぎ払う大技だ。そのあまりの力のために、普通のエルフでは一人では起動出来ず、数人で分担してやっと使える魔法である。かつては攻城戦にも使われたほどの威力なのだ。
 それをキルファは……一人で軽々と起動してみせた。
「冗談だろ、おい……」
 やっと光がおさまったのを感じ取り、サリクスはこわごわ目を開けた。そして、目の前のあまりの状況に、片方の眉だけが跳ね上がる。さぞ笑える顔になっているだろう、と一人ごちた。
 目の前に生えていたはずの木々は片っ端から薙ぎ払われ、文字通り、一直線に道ができていた。あの光球が通った軌道なのだろう。道の先が見えないことに気付き、今更ながら冷や汗がどっと噴出してくる。
 助かった、と素直に喜ぶことは出来ない。これだけの力が存在すること。そのこと自体に、サリクスはただ恐怖した。
「成る程ね……」
 凄惨な状況に似合わない、陽気な声がした。あの魔物だ。
 さすが、と言うべきなのだろうか。魔法の直撃を食らったにもかかわらず、まだ立っていた。だが、その黒い鎧が、身体が、額の角が、徐々に塵と化して崩れていく。
「それが君の力、か……まったく、あの連中を思い出すよ……
 これで……ようやく、終われる……かな……」
 ふわり、と笑う。その笑顔のままで、魔物は完全に黒い塵となって散った。
「終わった……か」
 サリクスが安堵のため息をつく。しかし、キルファはまだ強張った表情をしたままだ。
「伏せてっ!」
 キルファが悲鳴のように叫んだ瞬間……
 大爆発が起こった。

『開門っ!』
 咄嗟に左手を突き出し、唱える。
 蒼い光と白い閃光がぶつかり合う。二つはせめぎ合い、お互いの形を変えながら揺れ動く。
 キルファはぎりっと歯を食いしばって消去魔法を維持した。ややあって、蒼い光が閃光を包み込むように動き、白い光が段々小さくなっていく。
 魔物がいた位置で起こった爆発が収まっていくのを確認し、キルファは今度こそ安堵の表情をした。
「まったく……飲み込まれる寸前だったわ」
 爆発は、消去魔法が一瞬でも遅ければ、三人を巻きこんでいただろう。
「いなくなったらなったでこんなおまけが付いてくるんだから、本当に始末に負えない連中ね……」
 呆れたようにため息をつく。そこに、サリクスがおずおずと尋ねた。
「なあ……何だったんだ? 今の」
「反動よ……あの魔物を維持していた魔法の」
 魔法は、世界法則を書きかえることで発生する。が、『場』にも、本来あるべき姿に戻ろうとする性質があり、結果、書き換えたものが元に戻されるまでの時間が、魔法の起動している時間ということになる。
 そして、『場』を書き換えて魔法を発生させる際、また起動した魔法が『場』によって押し戻される際に、反動とでも言うべき不具合が発生する。通常はほとんど感じ取れない程度のものなのだが、魔物を生み出すほどの高度で複雑な魔法となるとそうはいかず、爆発を引き起こしてしまったのだ。
 対処方法はなく、<白紙>の魔法でようやく還元出来るものである。
「成る程な……」
 サリクスが納得している横で、キルファは倒れたままのダレットに触れ、様子を確認する。
「……どうだ? 嬢ちゃんでどうにかできるか?」
 キルファには、相当の医療や薬物に関する知識があるが……
 彼女は黙って首を横に振った。
「死んではいないけど……それだけね。あたしじゃ手に負えないわ。何処か、ちゃんとした治療が出来るところに連れてかないと」
 二人は顔を見合わせて考え込んだ。  

 

 
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