暁の大地

35.疑惑の発露

 目の前にぼんやりと人影が見えた。
「ねえ、大丈夫……?」
 その姿が尋ねてくる。まだ少女の声だった。
 色の薄い髪。青みがかった目の色。これは。この少女は……
「……キルファ?」
 記憶にある、特徴的な容姿を持った少女の名前を呼ぶ。自分が最後に見たもの。――必死で護ろうとした少女。
 無意識のうちに少女に手を伸ばす。が、その手は届かなかった。身体に力が入らず、腹に強烈な痛みを感じ、すぐに引っ込めざるを得なかった。
「……ああ、まだ駄目だよ。動いたら……痛いでしょ?」
 少女がのんびりと言ってくる。記憶にある声とは違うことに、少し経ってから気付いた。
(キルファじゃ……ないのか?)
 ぼんやりと思う。今になってようやく、視界がはっきりしてきた。自分を覗きこんでいた少女の姿が、徐々に輪郭を現す。
 見覚えのない少女だった。歳はキルファより少し上と言ったところか。だが、変に大人びたところがあるキルファに比べて、純朴な雰囲気がある。闊達な性格がそのまま顔に表れているような、そんな印象があった。
 一見、キルファに似てはいたが……髪はよく見れば白っぽい色をした金髪だし、瞳も深い青だ。銀髪はともかく、紫の瞳など、滅多にいるものではなかったが。
「……ここは?」
 動くと腹が痛むので、首だけ動かして周りを見た。何処かの家の一室だろうか。木造の家で、窓からは明るい日差しが差し込んでいるし、自分が寝かされているのは柔らかいベッドだ。
 自分は確か、森の中にいたはずだ。それなのにどうして、こんなところにいるのだろうか?
「ここは、わたしの家。……まあ、宿屋の一室だけどね。
 かなり大きな怪我だったらしいけど……もう大丈夫だって。傷が治れば、動けるようになるって爺さん……じゃなかった、お医者さんが言ってた」
 怪我。その言葉で、ようやく記憶がはっきりとしてくる。
 森の中で、一緒にいた少女を庇おうとして、咄嗟に飛び込んだのは覚えている。そして、腹に強烈な痛みを感じて……そこから記憶がない。おそらくは気を失ったのだろうが。
(そうだ。あいつらは……キルファとサリクスはどうした?)
 動かない身体にもどかしさを感じながら、必死に二人の姿を探す。が、自分の記憶の中ではついさっきまで一緒にいたはずの、仲間たちの姿は見当たらない。
「なあ……あの二人はどうした……?」
 ぼつりと尋ねる。が、少女は首を傾げただけだ。
「ああ……あのね、わたしの名前はシェルタノート・トゥールーズ。シェルタでいいから。
 それでね、あなたの名前は?」
 嬉々として少女……シェルタは尋ねた。この、予期せぬ訪問者に興味津々と言った感じだ。
「……俺は……」
 状況は訳が分からないが……とりあえず死ぬのだけは免れたことだけは確かだった。
 頭が動かない。意識がぼんやりとして考えがまとならない。それ以上考えるのを止め、ダレットは柔らかい枕に顔をうずめた。太陽の光を浴びた布の、いい匂いがした。言いようのない安心感を感じる。
「俺は……ダレット。……ダレット・コルフォース」
 それだけ言うと……ダレットは再び意識を失った。

 あれから三日が経っていた。
 ダレットの様子は知る術がない。おそらく、無事だとは思うのだが……それでも、不安は掻き消すことが出来ない。
「…………」
 キルファは泣き出しそうになるのを必死にこらえ、自分の膝に顔をうずめた。
「大丈夫。大丈夫だよね……あの馬鹿が、そうそう死ぬわけもない……」
 自分に言い聞かせるように呟く。だが、胸に巣食う黒い想像は、簡単には消えてくれない。血の海に沈むダレットの姿が、振り払っても追い払っても浮かんでくる。
(やめて……やめてやめてやめてっ!)
 目を閉じて、耳を塞ぐ。だが、紅い幻像から逃れることが出来ない。映像を見せているのは自分自身なのだから、結局のところ、自身の気の持ちようなのだと分かってはいる。分かってはいるのだが……
 生き物というのは、そう都合良くはできていないのだ。理解はしても、あっさりと納得など出来ない。
「……嬢ちゃん?」
 サリクスが心配そうに覗きこむ。肩に担いだ長柄戦斧に、兎が二匹ほど括り付けられている。長柄戦斧の他に、特殊弓を手にしていた。
 二人は、ダレットが治るまで村の側の森に潜んでいることにしていた。下手に人間の村に近づこうものなら、それだけで騒ぎになるからだ。そのため、出来るだけ人間に見つからないように生活していなくてはならない。かなり厳しい状況だった。
 地図から、近隣にエルフの村もあることが分かっている。ずっと森の中で自給自足は無理なので、サリクスはそこから食料を調達してくるつもりでいた。
 しかもそれに加えて、キルファはずっと塞ぎこんでいる。無理からぬことではあるのだが。
 ありていに言って、キルファの顔色はかなり悪かった。相当の精神疲労に加えて、ろくに食べ物が喉を通らないのだ。そこらの野草で料理を作りはするのだが、決して自分では食べようとしない。
 ぴたぴたと頬を叩くと、ようやくキルファはサリクスを見上げた。
「……あのなあ、嬢ちゃん。このままだと、ダレットじゃなくて嬢ちゃんがくたばっちまうぞ?」
 サリクスは、呆れたようにため息をつきながら言う。言葉に機械的に反応し、のろのろとキルファは立ちあがったが……その目はまだぼんやりしたままだ。
 その様子を見て、サリクスはがりがりと頭を掻き毟った。
(……ったく、どうしろってんだ! ダレットは様子が分からない、嬢ちゃんは完全に参っちまってる……)
 目の前で、ぼんやりとキルファが動いている。が、携帯用の鍋に獲って来た兎を丸ごと入れ、ついでに兎に直接火を点けようとしているのを見て、慌ててサリクスは駆け寄った。
「ちょっ……ちょっと待てっ! 俺の今日の収穫を無駄にする気かっ!」
 常に人間が来ないか気を配りながら、野生の動物を仕留めるのは結構な苦労だった。それを消し炭にされたのではたまったものではない。
 キルファの手から火種を取り上げる。しかしそれでも、キルファはぼんやりとしてされるがままになっている。
「はあ……」
 いつまで、こんな状態が続くのか。サリクスは思わず運命というものを呪いたくなった。
(……ちくしょう! とっとと復活して戻って来い、あの大馬鹿っ!)
 心の中で絶叫する。
 
 その頃。
「げほっ、げほっ……」
「ちょっと、大丈夫っ?」
 傷の後遺症で高熱を出しながら、病人食を食べさせてもらっていたダレットは盛大に咳き込み……腹の痛みにのたうち回っていた。

 その夜。
 キルファが寝てしまったのを確認してから、サリクスはその場を離れた。ちなみに、少々長い間、森にいなくてはならないのが分かっているので、二人は適当な洞穴を見つけてそこを本拠にしている。奥まったところにあるから、村の人間も簡単には気付かないはずだった。
 月明かりが、夜の森を照らし出している。足場の悪い場所ではあまりにも頼りない光源ではあったが、サリクスは気にも止めずに足を進める。
「さて……」
 サリクスは目を閉じ、すっと意識を集中した。口の中で何かを小さく呟く。
 呪文詠唱完了。補助魔法――<幻話>起動。
 長距離間の通信を行うこの魔法は、双方が同時に魔法を起動することで成立する。融通は利かないが、その分、力の弱い者でも簡単に起動できるという長所があった。魔導士としては三流のサリクスでも、辛うじて使いこなすことが出来る。
 手順は問題ないはずだった。
 が……突如として、魔法に乱れが生じる。頭の中を無理矢理鷲掴みにされるような感覚と共に、起動していたはずの魔法は消滅した。
 どんな魔法でもずっと起動していることなど不可能だが、それを早回しにされたかのような感覚だった。
「なっ……」
 思わず目を開ける。蒼い光が辺りに満ち溢れているのを見て取り、サリクスは顔を引きつらせた。
 後ろに気配を感じた。振り向かなくても分かる。キルファが、<白紙>の魔法を起動させたのだ。
 たん! と側の木にナイフが突き刺さる。無論、サリクスの力なら、二本目のナイフを投げつけられるより先にキルファを倒すことも可能ではあったが……
「…………」
 サリクスは、黙って両手を上げた。それから、ゆっくりと振り返る。
 目の前には、瞳に静謐な色をたたえたキルファが立っていた。鮮やかに輝く銀色の髪と、その上に光る同色の月。それはまさに、絵にもなりそうな光景ではあったが……
 全身から発散する殺気と両手に握った投げナイフが、全てを台無しにしていた。
「……説明してもらいましょうか」
 無表情のままで、淡々とキルファは言った。その瞳から、さっきまでの茫然自失の色はまったく見えない。
「こんな夜中に、こそこそと<幻話>を起動する理由を。それと、何処と通信していたのか」
 サリクスは答えない。黙って苦笑し……腰から予備に吊っている短剣を引き抜いた。

 きんっ、と澄んだ音が響き渡る。続けざまに二度。
 キルファが放ったナイフを、サリクスが叩き落したのだ。
「…………っ!」
 接近戦では勝負にならない。キルファは身を翻すと、森の中に駆け込んだ。サリクスが追って来るのを確認し、キルファは身軽に木の枝に手を掛けると、その上に飛び乗った。
 木の枝の上を走って移動する。常人離れした身軽さと平衡感覚を持ったキルファにしか出来ない芸当だ。これならば、サリクスの短剣にやられる確率はかなり下がるはずだった。膂力は問題にならないが、身軽さならばキルファの方に分がある。
 下を疾走するサリクスに、続けざまにナイフを投げつける。手加減などしていない。出来る相手ではないことは、キルファも重々承知している。
 が、ナイフは全て叩き落された。サリクスが立ち止まり、こちらを振り向く。
「…………!」
 鋭い、何かが風を切る音。それは、キルファの頭のすぐ側を通り抜けていった。
 下を見れば、サリクスが短弓を手にしている。部品次第で、様々なものを撃ち出せる特殊弓だ。昼間、兎を獲るのに彼が使用していたものである。
(しまった……)
 サリクスが、特殊弓を腰に携帯したままであったことを失念していた。この男は、長柄戦斧を主力として使っているものの、多彩な武器を使いこなすことが出来る。
 今の一撃が外れたのは、暗い森の中で狙いが付けにくかったからだ。それはこちらも同じなのだが。
「どうする?」
 自分に向かって呟く。接近することは自殺行為、飛び道具は相手も持っているときている。基本的な戦闘能力では遥かに向こうが勝る。
(……仕方ないか)
 キルファは全力でサリクスとの距離を取る。木の枝を伝って疾走し、サリクスの姿が見えなくなったところで飛び降りた。
 弓で狙われないように木の陰に潜りこみ、やおら大声で呪文を唱え出した。
『秩序と混沌の支配者よ・姿なき世界の王者よ・我・汝に請わん・汝が力・仮初めなれど・我に与えん・空と大地を渡りしものよ・風よ・精霊よ・我が意に従え……』
 <風刃>の呪文である。それは、サリクスも気付いているはずだった。そして……キルファの魔法の威力は、彼も目の当たりにしている。
 だから、サリクスは全力でキルファを追いかけている。彼女が呪文を唱え終わるまでに追いつき、倒さなければ倒されるのはサリクス自身だ。
『剣《つるぎ》と化せ・刃と化せ……』
 声と気配を頼りに、サリクスは森の中を疾走した。白い服を着た、小柄な影が見える。
 走りながらサリクスは弦を引いた。様々なものを撃ち出せる特殊弓だが、今は小さな鉄塊を撃ち出せるように設定してある。
『鋭利なるその身をもって・敵を切り裂け!』
 弦が引かれるのと呪文が完成するのは同時だった。涼やかな声に一瞬遅れて、鉄塊が風を切って走る。
(相打ちかっ!)
 背筋に寒いものが走る。だが。
 がん、という硬い音が夜の森に響いた。
 サリクスを襲うはずの不可視の風の刃は、いつまで経ってもやってこない。無駄と知りつつも身構えたサリクスだったが、ややあって、不審げな顔をして首をひねる。
「…………!」
 そこで……サリクスは、首筋に冷たいものを感じた。
「動かないで」
 キルファはサリクスにナイフを突き付けたまま、その刃に勝るとも劣らぬ冷ややかさで言った。

「……まんまとはめられた訳か」
「そういうことね……」
 後ろからナイフを押し当てられ、今度こそサリクスは両手を挙げて降参した。
 そのまま、先程自分が狙った影、白い姿を見て苦笑する。そこには……大木に、キルファが普段着ている白いマントがナイフで留められていた。
 昼間ならまず引っ掛からなかっただろうが、何せ暗い森の中である。咄嗟に、白い影を見てキルファと判断してしまったのだ。
 キルファは、一旦サリクスの視界から逃れると、大声で呪文を唱えてサリクスを呼び寄せながら、マントを素早く外して自分の身代わりとしたのだ。そして、その側に身を潜め、サリクスの後ろに回りこんだのである。
 サリクスがもう少し冷静だったならば、声が聞こえてくる方向が違うことにも気付いたのだろうが……魔法を起動される、とサリクスが焦ったのが最大の敗因だった。キルファもそれを狙って、わざわざ呪文だけを大声で唱えてみせたのだが。
 たとえ呪文を唱えても、『場』への意識の接続がなければ魔法は起動しない。それを逆手に取ったわけである。
「は……はははっ!」
 サリクスはいきなり大声で笑い出した。キルファが、何か不気味なものを見たような顔をする。
「大した嬢ちゃんだよ、本当に! 完全にやられたな……」
「……お褒めの言葉をいただいたのは嬉しいんですけどね」
 キルファが憮然とした顔で言う。
「そろそろ答えてもらいましょうか。さっきの質問に」
 淡々としたその言葉に、サリクスは黙って肩をすくめて見せた。  

 

 
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