暁の大地

38.依頼

 高い位置にいるキルファは、即座に状況を把握していた。
 狼だ。
 やや遠い場所から、狼が二匹ほど、少女を狙っている。今はじりじりと距離を詰めているようだが……一気に走り出したら、一瞬にして少女に喰らいつくだろう。
 しかし、今だに少女はそれに気付いていない。元々狼が出ることは分かっていたはずの森に一人でのこのこ入り込むこと自体が愚の絶頂だが、ここまでくると、その脳天気さを殴り倒したくなってくる。
 襲われることなどないとたかをくくっていたのかどうかは知らないが、これでは襲われたとしても自業自得であった。
(さて……どうしたものか)
 本来なら、キルファに助ける義理などないのだが。
 この少女がもし襲われて村に帰らなければ、村の人間たちは当然疑問に思うだろう。大勢で森の中を捜し始めたら……キルファとサリクスも見つかってしまう可能性がある。今、住処にしている洞穴には食料の蓄えなどが山積みになっている。そこから、不審な人物の気配を感じるのは難しくない。
 結局のところ。森で変な騒ぎを起こされると、こちらにも害が及ぶ可能性があるのだ。
 はあ、とキルファはひそかにため息をついた。
 いつもいつもこうだ。気がついてみたら、柄にも合わない親切をする羽目になっている。それで喜ぶのは、おそらく今寝こんでいるはずの男だけだろう。
 キルファはごそごそと懐をあさる。取り出したのは、いつもの投げナイフではなく、太い針だ。その先端は、黒く染まっている。
 暗殺などに用いられる針である。急所さえ知っていれば、人間など針一本で殺せる。本来なら猛毒を塗って使うのだが、今塗られているのは即効性の睡眠薬である。元々が、以前に盗賊をやっていたときに使っていたものだから、毒を塗る必要などなかったのだ。
 狼は段々距離を詰めてきている。そろそろ、一気に少女に襲いかかろうとする頃だ。
「いけるかしらね……」
 投げナイフなら絶対の自信があるが、投針は最近触ってすらいない。それに、キルファのいるのは高い木の枝の上だ。普段とは状況が異なる。
(お願いだから吠えたりしないでね……)
 指の間に針を挟み、手首だけで勢いをつけて放つ。かすかなきらめきだけを残し、鋭く尖った先端は眼下に消えた。
 そして。
「ふう……」
 キルファは安心したといった表情で手を下ろした。その下で、針の突き刺さった狼が地面に伏せ、ぴくりとも動かない。薬が即座に効いたようだ。正直、暴れられたらどうしようかと思っていたのだが。
「意外に使えるかも……これ。今度もう少し研究しようかしらね」
 予備に手にしていた針を眺め、キルファは思わず呟いた。刺さっただけでそれなりに相手に傷を負わせられる投げナイフと比べて、投針は急所に当たれば一発だが、外せば大して効果がない。だから、今まで使おうとはしなかったのだが、やりようによっては剣よりもずっと強力な武器となる。
(それにしてもねえ……)
 狼から少し視線を逸らせば、のん気に薬草採集に精を出す少女の姿があった。もう少しで死ぬところだったなどとは、つゆほどにも思っていないらしい。
(あそこまで鈍感な人間も珍しいわね、ほんと)
 実際のところを言えば、キルファやダレット、サリクスの方が敏感過ぎるだけなのだが。そうとは気付かず、キルファは呆れた顔で苦笑した。

「ああ、俺もそんなことがあったな」
 その夜。キルファから愚痴混じりの話を聞いたサリクスは、思い出すようにそう言った。
「まあ、俺は人間と会ったわけじゃけどな。狼を見つけて、こいつらが村に行ったらまたややこしいことになるなー、と思って、退治する羽目になった」
 狼が出るから、と村人が恐れて森に近づかなければ問題はないのである。だが承知はしていても、森の資源は必要不可欠だ。人間が入ってくることもままある。
「あたしの想像だけどさ……この森に狼が出るのって昔からなんじゃないかしらね? 村の連中もそれを知ってるから、ほいほいと入ってくるわけで。
 それなのにさ、あの馬鹿……」
 ちょっと狼が出る、と愚痴を聞いただけで退治を引き受けてしまうのだから、考えなしを通り越してただの馬鹿である。
「そうだろうな……多分」
 サリクスも頷くと、疲れたとでも言うようにその場に寝転がった。
「何だか、結局ダレットの思い通りになってる気がするな……何だってあいつが寝てる間に、俺たちがせっせと狼を潰さなきゃなんねえんだ」
「言えてるわ、それ……」
 キルファも苦笑する。
「ま、そのツケはあとでたっぷりと払わせてやれば良いさ。とにかく、ダレットが無事らしいってのは分かったんだろ? 心配なのも分かるけどな、今度は嬢ちゃんの方が倒れちまうぞ。
 ……たまにはちゃんと寝ておきな」
 サリクスの言う通りだった。キルファ自身に自覚はないのだが、ダレットと離れざるを得なくなってからと言うもの、どうにも寝つけず、寝てもうなされてすぐに跳ね起き、キルファはろくに寝ていない。
 そのお陰で顔色はやたらと悪いし、目の下に隈が出来ている。以前のようにぼんやりとはしなくなっているが。
「ん……」
 珍しく、キルファは後ろの岩の壁にもたれると、目を閉じた。すぐに、すうすうと規則正しい寝息を立て始める。
 普段はやたらと大人びた言動をする少女だが、寝顔だけは歳相応である。むしろ幼くさえ見えるその顔を、サリクスは面白そうに眺めた。
「…………」
 夢でも見ているのか、何やらキルファは呟いている。言葉にならないそれを耳にして、思わずサリクスは苦笑した。

 思いがけない訪問者が村にやってきてから、二十日以上が経過していた。
 その客……ダレットは徐々に回復してきている。最初の怪我のひどさを見ているシェルタなどはその速さに驚いたものだったが、普段から鍛えている者は基礎的な体力が違うらしい。これは、コッフェルの爺さんの弁である。
 まだ動き回ることは制限されていたが、意識は取り戻しているし、ものも普通に食べられるようにもなっている。
 生まれ育ったこの村から出たことのないシェルタには、王都で育ち、あちこちを旅してきているダレットの話は面白かった。最初は帝国騎士だというダレットに遠慮していたのだが、ダレットがあまり身分にこだわらない性格だと分かると、あれこれと質問攻めにし、ダレットを疲れさせてしまってから慌てて謝るなどということもあった。
 ただ……一つ気になるのは。
 やたらと出てくる、「キルファ」と言う名前。話からすると、一緒に旅をしていた人物らしいのだが、シェルタが「どんな人?」と訊くと、決まって話を逸らしてしまうのだ。
 変わった響きの名前ではあったが、女だということは分かっている。ダレットが女性と一緒にいた、と言う事だけでも十分に腹立たしかったが、何故ダレットがその女性について言いたがらないのか。
「むう……」
 考えているうちに段々腹が立って、少々膨れっ面でダレットの使った食器を片付けていると、ダレットが真剣な表情で何やら考え込んでいるのが目に入った。自分と話しているときの優しい表情とはまるでかけ離れた、切羽詰った者の顔だ。
「どうしたの……?」
 シェルタが尋ねる。ダレットはシェルタの言葉にも気付かない。繰り返してシェルタが言うと、ようやくダレットは顔を上げた。
「ああ……」
 いつも通りに笑って見せるが、その顔は無理しているようにしか見えない。
 何か、自分に隠してでもいるのだろか? 
(……話してくれても良いのに。ずっとわたしは一緒にいたんだし。頑張って世話してたのに……そんなに、信用なく見えるのかなあ?)
 シェルタが怒ったような顔になったのをダレットは見て取り、何を考えているのかも察していた。
(……大丈夫、だよな)
 それは一種の賭けだったが。何もしないでいるのが、一番いけないことのように思えた。
「シェルタ。一つだけ、頼んで良いか?」
 真剣な眼差しで自分を見つめるダレットに、シェルタは思わず頷いて見せながらも、思わず好奇心で胸が高鳴るのを感じていた。
「一箇所、見てきてもらいたい場所があるんだが……」
「見てきてもらいたい、場所?」
 シェルタは首を傾げる。旅人であるはずのダレットが、何処か曰くつきの場所でもあるというのだろうか。
「森の奥だ。多分、歩いて相当かかる……あの森は狼が出るはずだから、無理にとは言わない。むしろ、止めた方がいいかもしれないが……」
 ダレットはざっと場所を説明した。言うまでもない。あの、魔物と対峙した場所である。
「そこを見てきて、どうするの?」
「そこがどうなっているか、知りたいだけだ……」
 さすがに、その後の言葉は飲みこんだ。だが、シェルタは表情からあっさりとそれを察知する。
 シェルタにしろダレットにしろ、考えていることがすぐに面に出る性質であった。
「そこをわたしが見てきて、どうなるの? ……探しているものでもあるの?」
 確かに、探しているものはある。出来れば見つかって欲しくはないものなのだが。
「ねえ? 何を探してるのか分からないと、わたしも困るんだけど」
 意地の悪い口調で、シェルタは言った。じっと半眼でシェルタに睨まれ、ダレットはとうとう観念した。
 このシェルタと言う少女が、信用に値するか。賭けではあったが……ダレットは信じることにした。しばらく面倒を見てもらっている限りでは、大丈夫だと思えた。
「二人、探している人がいるんだ……」
 それだけを、絞り出すように言う。シェルタは、唐突な言葉に戸惑いながらも、続けて尋ねた。
「ふうん? そこに行けば見つかると思うの? ……どんな人?」
 当然来るであろう質問。これが、ダレットの悩みの種だった。普通なら困ることも何もないのだろうが、いかんせん……
「二人のうち、女の子の方は、シェルタより少し年下くらいだ。小柄で、銀髪を肩の上くらいで適当に切っている。多分、白っぽい服を着てると思うんだが。
 それから、もう一人は俺と同い年くらいの男だ。かなり背が高い。茶色っぽい金髪……琥珀色とでも言うのか、そんな髪で、柄の長い戦斧を担いでると思う。
 まあ、二人ともかなり特徴的だから、見れば分かると思うんだが……」
「まあ、そうだよね。銀髪なんてかなり珍しいし」
 シェルタは脳天気に頷いた。
 本当は、もっと分かりやすい特徴があるのだが。特に、銀髪の少女の方には。
 しかし、言っていいものか。もし喋ったと知られたら、少女はかんかんになって怒り出すだろう。まあ、それはどうでもいいのだが……
 少女が今までひた隠しにしていたものを、ここで自分があっさりとばらしていいものか。
 だが。
「……まだ何か隠してるでしょ」
 シェルタに睨まれ、ダレットはとうとう観念した。済まん、と心の中で呟く。
「……それから、女の子の方は、紫の眼をしている」
 シェルタの顔が凍りついた。
 紫の瞳が何を意味するかくらいは、シェルタとて知っている。知っているから、呆然と呟いた。
「……ハーフの、子なの?」
「ああ……」
 ダレットは苦々しく頷いた。
 人間なら何とも思わないのだろうが。ハーフと知れただけで、皆、驚き、或いは露骨に嫌悪の顔をする。エルフにもそれは言えるが、少なくとも彼らには同族がいる。
「もう一人は?」
 動揺を押さえ、シェルタは何とか尋ねた。だが、頭はぐるぐると回っている。
「男の方は……エルフだ。耳が長いし、尖っているから、一発で分かる」
「は?」
 今度こそ、シェルタは訳が分からなくなった。この、王都から来たという騎士が。この青年が、ハーフや、ましてやエルフと連れ立っていたと言うのか?
 エルフは恐ろしい敵。そう、教え込まれてきた。実際、人間とエルフの歴史は争いだらけだったのだが。
 それなのに、正義を護るはずの騎士が、エルフとハーフ?
「……シェルタ」
 呆然としているシェルタに、ダレットはため息をついて語り掛けた。
「エルフだのハーフだのと言っても、少々見た目や力が違うだけだ。人間と、ほとんど変わらない。考え方ややっていることも、な。
 まあ、自分と違うものをそうすぐに信じろとは言わないが……それでも、何の理由もなしに忌み嫌うのはいけないことだよ」
 諭すようにダレットは言う。
 ダレットの言っていることは正論だ。正しすぎるほどに正しい。
 だが。だからこそ……ダレットは気付いていない。
 彼が期待するほど、人間やエルフの心というものは強くはないのだ。正論を聞かされたからとて、あっさりと理解できるはずがない……いや、理解はしても納得など出来ない。
 誰もが、一人でいるのを恐がる。自分の弱さを知っているから。だから、同じ者同士で集まり、力を足し合おうとする。
 同じ者同士で集まるにはどうしたら良いか。一番簡単な方法は、自分と違うものを見つけることだ。違うものを一緒に忌み嫌うことで、自分たちの結束を確認する。その違いは、能力であれ、考え方であれ、容姿であれ……何でもいいのだ。とにかく、自分との違いがあれば。
 その自衛行動を、責められる者などいないだろうが――確実に、傷つく者が生まれるのだ。それだけは確かである。
「…………」
 シェルタは黙ったままだ。彼女自身はエルフに会ったことすらないが、エルゼシア帝国の建国戦争があったのは五十年前だ。まだ、生きている者もいる。老齢の元兵士たちから、シェルタはエルフへの恨みをさんざん聞かされてきている。
 右足を失った老齢の男が言ったものだ。「あの連中だけは決して許さねえ。魔法を使えるからって威張りやがって、殺されるかと思った。俺は足をやられたが……仲間も、家族も、皆あいつらにやられたんだ」……と。
 その老人はもう死んだが……死ぬ直前まで、エルフへの恨みを言っていた。だが、老人は想像すらしなかっただろう。エルフも、老人とほぼ同じようなことを言っていることに。
 シェルタも、想像すら出来なかった。ただ、エルフへの恐れと憎しみだけがあった。
 そして、その混血児。種族を裏切った者の子供。ハーフへの憎しみは、ある意味、エルフに向けられるものよりも大きかったかもしれない。
 何故、エルフを忌み嫌うのか。それを考える者などいない。ただ、憎しみだけが膨れ上がり、受け継がれる。
 普段は純朴な少女が、エルフの話となると、憎しみと怒りに染め上げられた表情をする。人間の自分には、優しい、素直な笑顔を見せるのに。ダレットはむしょうに悲しくなった。
「頼む、シェルタ」
 うめくようにダレットは言う。シェルタは複雑な表情をしてたが……ややあって、ようやく首を縦に振った。
「恐いのは分かる。信じられないのも……だが、俺の仲間として探してきてくれないか?」
 生きているか死んでいるかだけでも。その言葉は、さすがに言えなかった。あの二人が死んでいるなどとは思いたくない。
 シェルタには悪いが……彼女への依頼が徒労に終わることが、一番良いのかもしれない。あの場所に、「死体があった」などと言われるのは御免だ。
 シェルタはなおも考え込んでいる。エルフは信用など出来ないが、この騎士は信用できる。多分、自分を信用しての依頼なのだ。それならば……
「……父さんたちには、黙っておいた方が良いんだね?」
 エルフたちが近くにいるかもしれない、などとは。
 シェルタの言葉に、ダレットは泣き笑いのような顔で応じた。  

 

 
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