39.二人の少女
ダレットから借り受けた短剣を手に、シェルタは森の中に入った。
この森には小さいときから何度も入っているし、馴染みのある場所だが、さすがに最深部までは行ったことがない。昔から度々狼が出るので、危険とされていたからである。
ダレットから短剣……無論、騎士として下賜されたものとは別である……を借りて来てはいるものの、正直、どれほど役に立つのかは怪しいものだ。刃物を扱うことはあっても、武器として訓練を受けたことなどあるわけがなかったからである。
ダレットは別に長剣を持っていたから、普段はそちらを使っているのだろう。短剣は予備として持っているものらしい。
シェルタはダレットの剣技など見たこともないのだが、騎士への先入観から「とてつもなく強い」と決め付けていた。……その割には、大怪我をして倒れていたが。
それはさておき。
両親に適当なことを言って森に入ってから、数時間が経っている。場所はダレットからあれこれと説明を聞いているので、大体見当が付く。
そろそろ、着くと思うのだが。
「エルフと、ハーフかあ……」
ふと呟く。
エルフについてはさんざん聞かされてきたので、その存在自体はよく知っているものの、まだ見たこともないのだ。好奇心がないわけではなかったが、恐怖がどうしても先立ってしまう。
尖った耳を持つ種族。得体の知れない、魔法を使いこなす連中。
サリクスやキルファら、実際に使える者にしてみれば、魔法とて単なる技術であったが、まったくその原理が理解出来ない人間にしてみれば、胡散臭い奇跡にしか過ぎない。
しかも、その魔法に、人間は昔から苦しめられてきているのだ。恐がらない方がおかしい。シェルタは、まったく魔法を見たことがない。
「大丈夫、だよね。多分……」
何の根拠もなかったが、とりあえずシェルタはそう思っておくことにした。
「ん……?」
特にやることもなく、森の中で暇を持て余していたキルファは、ふと遠くに目をやった。
何しろ、ダレットが回復したと分かるまでは森から動けないのだ。それでいて村の人間に見つかったらまずいことになると言うのだから、面倒くさい話である。ただ、「狼が出没する森」であるので、村人があまり奥まで入ってくることはなく、キルファとサリクスはあまり気を使っていなかったが。
キルファの視線の先を、人影が通り過ぎて行く。今いる場所はかなり村から離れているはずなのに、である。
それに、人影は小柄だった。大人の男ではあるまい。女か、それとも子供か……
「どこの馬鹿よ、まったく」
警戒と好奇心が入り混じった顔で、キルファは人影を追った。その顔が、すぐに不審に変わる。
遠くを歩く人影には、見覚えがあった。白っぽい金髪の女。顔まではよく覚えていないが、間違いない。この間、狼に襲われたことにも気付かずに薬草取りをしていた女である。
おそらくは……負傷したダレットに何らかの関わりがあるであろう女。
「自殺志願者とでも言うのかしらね、あの女……」
軽口を叩きながら、キルファは考え込み……きびすを返すと小走りに駆け出した。
「なっ……」
言葉も出ない。
森の中で、シェルタは呆然と立ち尽くした。
ダレットに教えられた場所である。そのはずだ。しかし、これは……
地面が、一直線に抉られている。通り道にあったであろう木々は吹き飛ばされ、あるいは消し去られでもしたのか、焼け焦げた木屑だけが残っている。
まさしく、森に突如として道が現れたような光景だった。
しかし、シェルタが何よりも戦慄したものと言えば。
「……地面が、ここだけ違う……」
シェルタは思わず地面にしゃがみこむと、大地を手で撫でた。その感触は、冷たく滑らかだ。陶器を触っているような感覚である。土の、あのざらざらとした感覚はない。
超高熱で、土を構成している鉱物が溶けて固まったのだ。もっとも、高熱にさらされたのは表面だけで、また一瞬だったため、大地の表面だけが殻のように固まった状態になっている。
「何なんだろ、これ……」
もっとも、シェルタにそんな理屈が分かるだけもなく、彼女はただ唖然としている。
固まった地面の上には、多少土ぼこりが載っているだけである。つまり、この異常な地面が造られてからそう経っていないと言う事だ。時間が経てば、風で土の中に埋もれてしまう。
少し前。この森で、何があった?
「……ダレットさん、よね」
言ってから、ぱん、と両手を打ち合わせる。ダレットが倒れていたのも少し前だ。
「そう言えば……」
ふと、シェルタは思い出した。村に重傷のダレットが担ぎ込まれたどさくさで、何時の間にか忘れていた話なのだが。
「あの日、なんか遠くで爆発みたいな音が聞こえたとか何とか」
その音で慌てて飛び出したら、ダレットが倒れていたのである。後で調べてみたところ、確かに森の中に土砂が吹き飛ばされた跡があったそうのだが、原因はとうとう分からずじまいだったはずだ。
謎の爆発。異変が起こった地面。こんな現象を起こせる存在……それは、ただ一つだ。
「魔法……」
呟いてから、もう一度光沢を放つ大地を見つめ、シェルタは戦慄する。
これだけの力があるのか。こんな、信じられないようなことが……
「でも……訳が分からない」
シェルタが眉をひそめて呟いた、その時。
がさり、と言う音がした。
「誰っ!」
シェルタはびくっと肩を震わせ……それから、ゆっくりと振り返った。
「やっぱり、ダレットが何か言ったみたいね?」
陰から金髪の少女……とは言っても、キルファよりは年上らしいが……を覗きこみ、キルファは囁いた。
「らしいな。そうでもなければ、ここに真っ直ぐは来ねえだろうしな」
同じく、小声でサリクスが言った。
二人とも、遠くから少女の様子を窺っている。本人に気付かれないように、二人でずっと後を追ってきたのだ。
キルファは小柄な上、忍び歩きに長けているからそれほど問題はなかったが、サリクスはやたらと大きい体躯に加え、これまた巨大な長柄戦斧など担いでいるものだから、いつ見つかるかと冷や汗をかきっぱなしだった。はっきり言って、ここまで見つからなかったのは、ひとえにあの少女がやたらと鈍いからと言うことに尽きる。
追跡も、楽なものではないのである。
これほど苦労して、追ってきた理由はただ一つ。ダレットのことを知っているようであれば、様子を聞き出そうと思ったのだ。それが無理でも、彼女の行動から何か嗅ぎ付けられるかもしれない。
普通なら問題はなかったのだろうが、また種族間の悪感情が邪魔をした。下手に顔を見せれば、質問する前に逃げ出される。何しろ、キルファはハーフ、サリクスに至ってはどこから見てもエルフだ。しかも、見るからに凶悪そうな長柄戦斧を担いでいる。
かと言って、いつもキルファがやるようにフードをすっぽり被ってみても、これはこれで怪しい。ただの通行人なら変な目で見られるだけだろうが、あれこれ聞き出そうと思ったら、余計な警戒心は障害になるだけである。
そんなわけで、跡を付けたはいいものの、二人はどうしたものかと顔を見合わせた。
その時。
「誰っ!」
少女の甲高い声がした。相当驚いたらしく、びくびくと脅えた表情でこちらを見ている。
「……どうする?」
「まあ……もう隠れるのは無理だろ、どう考えても」
こそこそと会話をしてから、二人は揃って肩をすくめた。
「……何か、余計に事態が悪化した気がするわね……放っといた方が良かったかしら?」
「それは結果論だろ。しゃあねえさ、こうなったら」
「ダレットと言いあんたと言い、何で男ってこうも発想がお気楽なのかしらね……」
ぶつぶつと言いながら、キルファは木の陰から足を踏み出した。
白っぽい服を着た少女。琥珀色の髪で、長柄戦斧を担いだエルフ。
少女の方は深く被ったフードで顔を隠しているが、その隙間からこぼれているのは銀髪だ。
間違いない。ダレットが言っていた二人だ。
……とは即座に理解したものの。
「こっ……来ないで!」
シェルタは悲鳴のように叫ぶ。短剣を鞘から引き抜き、前に突き出す。本人にしてみれば構えているつもりなのだが、サリクスとキルファから見れば、ただ手にしているのと何ら変わらない。
「あー……別に、君をどうかする気なんぞないから、少しは落ち着いて……くれねえよな」
サリクスがなだめようとするが、シェルタはますます恐慌状態に陥るだけである。それも当然だ。
サリクスが肩に担いでいるのは、刃が剥き出しの長柄戦斧なのだから。
「いやあの、せめて、その物騒な短剣だけでも降ろして欲しいんだが……」
「あんたが言っても何の説得力もないわよ」
キルファが横でため息をついた。
「その長柄戦斧をどうにかしない限りね……」
もっとも、サリクスは長柄戦斧などなくとも素手であっさりと人間を絞め殺せそうな体格をしているため、たとえ長柄戦斧を降ろしてもシェルタを説得するのは無理だと思えた。
キルファはまた小さくため息をつくと、すたすたとシェルタに向かって歩き出した。その行動に、がたがたと震えたままのシェルタががむしゃらに短剣を振り回す。
ぶん、と切っ先がキルファの顔をかすめた。銀色の髪が一房、斬られてはらりと舞い落ちる。きらきらと、髪が日光を反射して光るのが見えた。
「……よっと」
キルファが短剣の切っ先を避け、身を翻した次の瞬間。
短剣は、手品のようにシェルタからキルファの手に移っていた。
シェルタは、自分の手に短剣がないことにすぐには気付かなかった。拳をなおもキルファに向かって振り降ろし、それから空の手を見つめて絶句する。
一方、キルファは淡々と……今しがた、短剣をもぎ取ったことなど何とも思っていない様子で、話を続ける。
「あの男……あんな物騒な武器を持ってても、あんたを殺す様子なんてなかったでしょ? つまり、あたしたちは即座にあんたに危害を加える気なんてないの。
そういうわけだから。……少しは話を聞いてくれない?」
短剣を手で弄びながら、キルファは視線でサリクスを指し示した。それから、嘆息する。
「……なんつうか。俺より嬢ちゃんの方がよっぽど物騒なんじゃ……」
あまりに物騒な説得の言葉に、サリクスが呆れ顔で呟く。キルファはそれを意に介する様子はなかったが。
「この短剣、女子供が使うには大きすぎるわね。どっかから借りたんだろうけど……素人は安易に振り回さない方が身の為よ」
キルファは手にした短剣を見て言ったが……不意に、眉を跳ね上げる。
「……どこかで見覚えがあるわね、これ……」
やや大振りであるという他には大して特徴もない短剣だったが、確かで何処かに見たものだ。自分が使っているものではないから、となると……
ダレットが普段使っている長剣。それと対にでもなるように形が似ているのだ。思い出してみれば、わずかに施された装飾や柄に巻いた薄皮にも見覚えがあった。
「……そりゃそうでしょ」
今まで俯いて黙っていたシェルタが、不意に口を開いた。
「ダレットさんから借りた物だもん、これ……あなたたちのことも聞いてるんだから、わたし。
琥珀みたいな色をした髪のエルフと、銀髪のハーフがいるって」
キルファの唇の端が一瞬、おかしな形に歪んだ。フードに隠されているので表情ははっきりしないが……顔を引きつらせたらしい。
「案の定……と言いたいところだけど。
何だってあの馬鹿はこうも、折角の計画をおじゃんにしてくれるのかしらね! 要するに、全部喋ったってことね、あんたに」
キルファは苛ついたように喚くと、フードを跳ね上げた。知られているのなら、別に隠す必要もない。
不機嫌そうな眼が、シェルタを睨み据えている。その瞳は聞かされていたとおり……鮮やかな紫だった。
知ってはいたものの、初めてハーフを目の前にしたせいで、シェルタは不思議そうにキルファの顔を見つめている。
自分より年下らしいのだが、妙に大人びた、冷たい雰囲気のある少女だ。そして。
(うう……可愛い)
その顔立ちは、シェルタでも認めざるを得ないほどに端正だった。紫……忌み嫌われる色の大きな瞳と、月光を封じ込めたかのような銀髪が、鮮やかな色彩を生み出している。
愛らしい顔立ちなのだが、その眼光は刃のように鋭い。それが違和感を生み出さないのは少女の雰囲気故だろう。
しばらく呆然としてキルファの顔を眺めたシェルタは、ふと横の男に目をやった。琥珀色の髪と、同色の瞳をしている。軽めの微笑を浮かべて、面白そうに二人の様子を眺めていた。
「いやー、嬢ちゃんも人気者だよな。会う奴って皆、嬢ちゃんの顔をじーっと見るもんな」
にやにやと笑いながらサリクスが言う。
「嬉しくないわよ、そんなもん」
半眼で睨みつけながら、キルファが言った。普通の人間やエルフにしてみれば珍しい色の瞳だが、彼女にしてみれば、生まれた時から当たり前のことなのだ。それを興味本位で凝視されるのだから、まったく迷惑な話である。
サリクスの言葉に、シェルタはようやく我に返った。
しかし。
「…………」
何やら、気まずい沈黙が流れる。お互い、言いたいことは山ほどあるのだが、何処から、どちらから話したものか分からないのだ。
雰囲気に耐えかねたのか、ややあって、サリクスがのんびりと口を開いた。
「あー、黙ってるのもなんだから、とりあえず自己紹介でもしとくか。
俺がサリクスで、そっちの嬢ちゃんがキルファ……キルファ、何だっけか?」
「キルファ・インシード」
場違いに軽いサリクスの言葉に、キルファが苦々しげに応じた。
「わたしは……シェルタ。シェルタノート・トゥールーズ」
シェルタがぼそりと言う。
到底和やかとは言えない対談は、こうして始まった。
