40.不審者
シェルタは黙って目の前の二人を見つめていた。
ハーフの少女と、エルフの青年。今まで、見たこともない種族。
だが。
(……そのはずよね。でも……)
内心、シェルタは首を傾げていた。
確かに、二人とも耳は長く尖っているが、違いと言えばそれだけだ。何も変わらない。姿も、雰囲気も……おそらく思考も。
キルファと名乗った少女が、何やら青年……サリクスと言ったか……に囁いている。多分、この状況をどうしようか、などと言っているのだろうが。
何処か軽薄な笑いを浮かべているサリクスに比べ、キルファは警戒心を剥き出しにした子猫のような表情をしている。それがまた、しっくりとはまっているのだが。
「ねえ……」
一人のけ者にされているような気がして、シェルタはおずおずと話しかけた。
「あなたたち、ダレットさんの知り合い……なんでしょ?」
「まあね」
キルファが頷く。その表情にかすかな敵意を感じ、シェルタは顔をしかめた。この少女に、何か気に障るようなことでもしただろうか? ……まあ、人間を警戒するのは分からないでもないが。
「だったらさ、今まで何処にいたの? ダレットさん、あれだけの怪我をしてたんだよ? 知り合いだって言うなら、何で放っておいたの? あの人、一人で村の側に倒れてた。父さんたちが見つけなかったら、どうなってたと思ってるの!」
最後は、自然と強い口調になった。
最初の、ダレットの怪我のひどさを見ているから尚更だ。はっきり言って、出血多量で死にかけの状態だった。案外回復は速かったが、それにしても、放っておいたらどうなっていたことか。
それなのに。この二人は、一体何をしていたのだ?
「……今までずっと森にいたわよ」
キルファはそれだけ答えた。そのお陰で、シェルタは一回狼から助けられているのだが、口にはしない。恩を着せるのも嫌だし、言い訳と思われるのも癪だ。
「だったら、何で……」
何で、あれだけの怪我をした人間を放っておいたのか。
「何で、あたしたちが何もしなかったのかって聞きたいんでしょ?」
キルファは、何もかも見透かしたような顔でため息をついた。疲れきったとでも言うような表情をする。
「そうに決まってるでしょ? わたしがずっと、看病してたんだから……」
そうシェルタが言った瞬間、キルファの眼が猫のように切れ上がる。さっきは漠然としか感じられなかったが、今ははっきりと敵意が見て取れる。
紫の瞳に暗い炎が宿る。きっと睨み据えられ、シェルタは思わず一歩後ずさった。
「……とりあえず、聞きたいんだが」
キルファの険悪な雰囲気をものともせず、横からサリクスがのんびりと言った。
「あの大馬鹿は……ダレットはとりあえず無事なんだな?」
「……まあね」
何が大馬鹿なのかはよく分からなかったが、シェルタはそれだけ答える。もう大分回復してきているが、それをこの二人に話すのは腹立たしい気がした。
ダレットは、あれだけこの二人のことを気にかけていたのだ。それなのに、この二人は何もしていなかった。だから、せいぜい心配でも何でもしていればいいのだ。
「そう……良かった」
キルファが呟き……初めて警戒を解いた、柔らかい表情をした。緊張が一気にほぐれたように、安堵の表情でかすかに笑う。
大きく吐いた息が、彼女の心労を何よりも物語っていた。それは、シェルタも察することが出来た。
しかし。
「……そんなに心配なら、自分でどうにかすればよかったじゃない」
「出来るものならそうしたわよ!」
口を尖らせて言ったシェルタに、キルファは想像以上の剣幕で応じた。一瞬だけ緩んだ表情は、また険しいものに逆戻りする。
「……本当なら、そうしたかったわよ」
キルファが、うめくように言った。
ダレットが怪我をしたのは自分をかばったせいだ。こうやって、どれだけ自分を責めたことか。しかも、安否を確認することすらも出来ないのだ。
「だったら何? ああやってほったらかしにしておいた方が良かったとでも言うの?」
シェルタが言う。意地の悪い笑みを浮かべて。
「……あたしじゃ、手の付けようがなかったのよ。
自分でやるって意地を張るのは簡単だけどね、それで助からなかったらどうやって責任を取るって言うの?
自分の意地と責任感のために、人一人殺すわけにはいかないでしょう!」
キルファが叫ぶ。彼女はシェルタやサリクスよりは遥かに多い知識を持ち合わせている。だから……自力ではどうしようもない現実を、誰よりも理解していた。
「だったら、せめて……側にいるとか出来たでしょう!」
言いかけて少し引っ掛かるものを感じたが、シェルタはそれに気付かず叫び返す。
「だから! 出来るものならそうしたって言ってるでしょっ!」
キルファが、尚も大声で喚いた。
最初から和やかな雰囲気とはいかなかったが、こうなるとほとんど子供の喧嘩である。完全に話から置いていかれたサリクスは、所在なげに虚空を見つめている。
「何で出来ないのよ! それだけのことが……」
思いつめた表情のダレットが、一瞬頭をよぎる。
シェルタの言葉に、キルファの顔色が変わった。険悪さはそのままだが、泣き出す寸前の幼い子供のような、そんな色が混じる。
「……そうよ。たったそれだけのこと……
でもね……」
キルファはきっとシェルタを睨み据えた。
「それだけのことが出来ないのは……あんたらのせいじゃないの!」
シェルタの胸倉を掴みかねない勢いで、キルファは怒鳴る。シェルタは一歩ずつ後ずさっているが、背中が大きな木に当たり、そこで下がるのを止める。
「……わたしが、村の人たちが、何をしたってのよっ!」
先程振り回した短剣はキルファの手にある。拳を握り締め、シェルタも負けじと怒鳴る。
「……分からないの?」
キルファが、嘲るような表情をした。自分より年下の少女とは思えない、老獪さすら感じさせる顔。
「人の目の色を見て、さっき短剣を振り回してくれたのは何処の誰だったかしらね」
キルファは意味ありげに笑う。そこでようやく、シェルタはキルファの言わんとしていることを察した。
「あ、けど、でも……
怪我してる人がいたら、誰だって助けるわよ、村の人だって、わたしだって」
「人間だったら、ね」
キルファが鼻で笑う。
「それが人間……だけ、だったらそうだろうけど。
まあ、ダレットが大怪我をしていたとしても、よ。その隣に、あたしやサリクスがいても、同じ結果になったと思う? 隣にエルフがいても、何も躊躇わずに助けようとしたかしらね?」
「……そんなことない。そんなことは……」
シェルタは呟く。本当は大声で怒鳴ってやりたいのだが、自信のなさがそれを許さない。
自分がエルフだからと言ってあからさまに差別するような人間だとは思いたくなかった。しかし、実際に自分はさっき、二人を見るなり短剣を向けるという行動を取っているのだ。
自分のやったことを見せ付けられてもまだ、否定し続けることは出来なかった。
自分だけではない。おそらくは、村の人間たちも同じではないだろうか。
いつも感じている優しさ。それが向けられるのは、あくまで同族だけだ。村の中だけで生きている分には、それでも問題なかったのだが。
キルファは、シェルタの動揺にとどめを刺すように言った。
「あんたが何をどう思おうと、信じていようと勝手だけど。それだけじゃ済まない現実を、あたしはずっと見てきたの。この瞳の色のお陰でね」
そう。
自分は人間の優しさを信じていたいけれど……それが、現実。自分も含めた。
この少女が、一体何を見てきたのか。それには、自分には想像もつかないこともあるのだろう。安穏と村で生活していた自分には。
キルファの妙に大人びた、疲れたような雰囲気の理由が、ようやく分かったような気がした。
それでも。
たとえそれが現実だろうと、キルファのやったことは、シェルタにしてみればダレットに対する裏切りだ。どれだけ心配していたかを知っている。
「ねえ……」
シェルタは、ふと話題を変える。さっきからずっと疑問に思っていたことを問いただしてみる。
「この何だか変な地面も、あなたがやったの? ダレットさんは、何であれだけの怪我をしたの? それから、村の側で起こったっていう爆発は?」
一気にまくし立てる。自分の動揺を隠すかのように。シェルタ自身は自覚してはいなかったが。
「……っ!」
キルファは黙って唇を噛む。下を向き、手にしたままのダレットの短剣を強く強く握り締める。
放っておけば自分自身を刺しかねない気がして、慌ててサリクスが横から短剣を取り上げた。それを、無造作にシェルタに向かって放り投げる。
「うわっ!」
自分に向かってきた短剣を慌てて避ける。澄んだ音を立てて地面に落ちたそれを、シェルタは首を傾げながら拾った。
キルファは、尚も空の拳を握り締めている。その泣き出しそうな顔は、さっきよりずっと幼く見えた。
沈黙が、場を支配する。キルファが俯いて唇を噛み締めていることに、シェルタはひそかに優越感を覚えた。さっき、さんざんに論破されたから余計にだ。
ややあって、サリクスがぽん、とキルファの頭を軽く叩いた。子供をあやすように頭をくしゃくしゃと撫でてやると、キルファの表情が若干和らぐ。
「ええと……シェルタ、って言ったよな、そっちの嬢ちゃんは。
君の話だと、ダレットと面識があるんだろ? だったら、俺とこの子が近くにいることだけは伝えておいてくれないか?」
見る者を安心させ、或いは不安にさせるような軽い笑いを浮かべ、サリクスは言った。これだけ険悪になった雰囲気を軽くあしらえるところは、この男の特技と言えるかもしれない。
軽薄とすら思える笑いをいつも浮かべている男だが、その実、考えるべきことは考えている。はっきり言って、一番何も考えていないのはダレットだ。
「……さて。そろそろ戻らないと、お互いにまずいことになるだろ? この森は何かと物騒だしな。そういうわけで、手土産」
サリクスが、再びシェルタに向かって何かを放り投げる。今度は、無造作にシェルタはそれを受け取った。何かの包みだ。
「俺はよく知らねえが、この森、即効性の睡眠作用のある胞子を出すキノコがあるらしいんだな、このキルファの話だと。その包みだよ。ま、護身用くらいにはなるだろ」
キルファとサリクスなら狼の一匹や二匹、どうということはないが、戦いに関しては素人のシェルタにとっては致命的だ。元々、投針の威力に気を良くしたキルファが採集してサリクスに渡しておいたものなのだが、シェルタの方が有効活用出来るだろう。
「……どうも」
シェルタがそれを受け取ったことを確認すると、サリクスはキルファの背を押してさっさときびすを返して去っていく。そのあっけなさに、シェルタはしばらく呆然としていた。
ややあって、呟く。
「何だか、よく分からない二人組だったわね」
結局、一方的に罵られただけで、自分の疑問は何一つ解決していない。だが。
「絶対、変。あの子……キルファの様子」
森の中を歩きながら呟く。
何かあるのだ。ダレットの怪我と、キルファには。それと多分、あの固まった地面にも。
今度会うことがあるかは分からないが、もし会ったら徹底的に問いただしてやろう、とシェルタは決心していた。
家に帰り着いた頃には、もう薄暗くなっていた。
「ただいまー」
のん気に住居兼宿屋の扉を開けたシェルタは、父親の切羽詰った表情に迎えられることになった。
「シェルタ!」
一言叫び、それから露骨に安心したような表情を浮かべる。シェルタは呆気に取られて、父親の顔を見つめた。
「……どしたの?」
「シェルタ、お前何処に行ってたんだ?」
「……側の森の中」
思わず、シェルタは本当のことを言ってしまう。その言葉に、父親は再び愕然とした顔をした。
「今、隣のばあさんに聞いたんだが、あの森に何者かが潜んでいるらしい。直接見た奴はいないらしいんだが、誰かが歩いた跡があったり、狼の死骸が転がってたり、不審なことが立て続けに起きてるらしいからな。
おそらく、盗賊か何かだろうってことだ。だから、お前もしばらくあそこには出入りするな」
「……分かった」
今しがた、その不審者に会ってきたとも言えず……ダレットに口止めされている……シェルタは、ただ父親の言葉に頷いた。
(……森に潜んでいるのがエルフとハーフだって知れたら、多分、盗賊の場合より大騒ぎになるのよね)
ふと、そんなことを思う。人間は、とにかくエルフを毛嫌いしているものだ。
感情はどうあれ、あの少女の言っていたことは事実だ。それだけは、間違いないように思えた。
満月が、頭上で静かに光っている。
「…………」
キルファは木の幹に身体を預け、瞑想でもするかのように目を閉じて考え込んでいた。
「おーい、嬢ちゃん」
下から声がかかる。キルファは面倒くさげに眼下の人影を見下ろした。サリクスだ。
「夜に木登りは止めた方が良いんじゃねえか? 木の上で考え込むのが趣味ってなら別に止めはしないが」
今、キルファがいるのは太い枝の上だ。身軽な上に小柄だから、登って枝の上に座りこむのに苦労はしない。
「木の上で考え込むのが趣味なのよ。放っといて」
半眼でサリクスを睨みつけると、また暗い夜の森に視線を移した。別に木登りは趣味ではないが、何となく一人になりたかったのだ。
サリクスもそれは分かっているのか、それ以上は何も言わず、側の焚き火の横に寝転がると目を閉じた。
キルファはそれを見届けると、ぼんやりと遠くを見つめる。村のある方角だ。
「……ん?」
怪訝な表情をすると、目をこすり、再び一点を凝視した。彼女の視力は並だが……見間違いではない。
「松明……かしらね」
木々に隠れてちらちらとしか見えないが、遠くに紅い点が見える。幾つもの点が、線のように並んでいる。
夜と紅い炎。この組み合わせは二年前から苦手だったが、確認しないわけにはいかない。
滑るように木から降りると、寝入ったばかりのサリクスを叩き起こした。そして、今見たばかりのものをざっと説明する。
サリクスも、怪訝な顔をした。
「あたしの想像だけど、村の周囲の柵に沿って火を焚いているんだと思うわ。だとすれば……」
「夜襲の警戒、だな」
サリクスの言葉に、キルファも頷いた。
「……どういうことか、確認くらいしておく? 直接姿を見られた覚えはないけど、あたしたちの気がつかないところで見られてたって可能性もあるし」
「俺は薮蛇になる可能性の方が高いと思うんだがなあ……」
サリクスが頭を掻きながら言う。
「それより、あのシェルタって女が何か言ったって可能性が一番高いと思うんだけど……」
シェルタの名を出したとき、一瞬キルファの顔に敵意にも似た険しさがよぎった。サリクスはそれに気付いたが、表情には欠片も出さない。
「それは……ないと思うけどな」
サリクスは、シェルタという人間をある程度冷静に観察している。少なくとも、面と向かって話をした者を密告するような人間には見えなかった。もっとも、人間だったら、の話なので、エルフの自分にどれだけ当てはまるものかは定かではないが。
とにかく、ダレットの名を出しておいたのは間違いではなかったと思う。
「そうかしらね?」
キルファは、尚も苦々しげに言った。どうしてシェルタにそんな敵意を向けるのか、キルファ自身は気付いていないだろう。サリクスは見抜いているから、ただ苦笑した。
へらへらと笑っているサリクスに、キルファは苛立ちをあらわにする。サリクスにくるりと背を向けると、すたすたと歩き出した。
「……とにかく、様子だけ見てくるわ。まずそうだったらすぐに戻る」
言うなり、マントを翻して駆け出した。サリクスは、それを苦笑して見送る。
「何だかなあ……。俺だけのけもんにされてる気がするな。気のせいじゃないかもしれねえが」
サリクスはしばらくキルファが駆け出した方向を見つめていたが、やがて、長柄戦斧を手に取ると歩き出した。
