暁の大地

41.盗賊と狼

 暗い森を、満月と赤々と燃える松明が照らし出している。が、圧倒的な闇の前に、光はささやかな陰影を生み出す力しか持たなかった。
 森は重苦しい黒に塗りつぶされ、動物たちの鳴き声が尾を引いて響き渡る。普通の人間なら、まず逃げ出すような不気味さだ。
 だが、それは普通でない者にはかえって好都合だった。月明かりだけを頼りに、キルファは夜の森を疾走する。足元はほとんど見えなかったが、無様に転ぶこともない。夜の行動には慣れているからだ。
 ややあって、唐突にキルファは木の陰に身体を潜めた。ひょこっと顔だけ出して、様子を窺う。
 村の男たちの姿は間近に見えていた。話し声もはっきりと聞こえる。
「……しかし、何処の馬鹿だろうな、こんな辺境の村をいきなり襲うってんだから」
「しかも、森に潜んでるんだろ? 下手したら、狼に食われちまうぞ」
「盗賊なんてのはクズだが……今度ばかりは同情するね。もし食われた死体が転がってたら、墓石くらい立ててやるか」
「止めとけ、止めとけ。そいつらが馬鹿なだけさ。俺たちが何かしてやる義理なんざねえ」
 おおむね、話の内容はこんなものだった。他には、他愛もないような無駄話を延々と繰り返している。それでも、森に警戒の視線を向けることは忘れなかったが。
(……成る程ね)
 いきなり村が警戒を始めた理由は、おおむね理解できた。やはり、気付かないうちに存在が見つかってしまっていたようだが、盗賊と勘違いしているらしい。無理もない話ではあったが。
(別に、狼にあっさりとやられはしないけど……少々厄介かも知れないわね。身動きが取りにくくなる)
 森に警戒を向けられてしまっては、村に近づくことすらままならない。ダレットはおろか、あのシェルタと接触することすら出来なくなるだろう。
 まして、近くの街から警衛兵を呼ばれては、余計に厄介だ。人間の村の側にエルフが潜んでいたとなれば、即刻逮捕されてしまう。逮捕されたら最後、難癖を付けられて処刑も有り得ないことではない。人間は、とにかくエルフの数を減らしたがっているのだから。
(ダレットが気付けば……上手く誘導してくれるかもしれないけど)
 ダレットは王宮騎士団の一員だ。辺境の警衛兵よりよっぽど高い地位にある。彼が何か言えば、村人たちもあっさり納得してくれるだろう。が。
(あの馬鹿が、そこまで考えが回るとも思えないのよね……)
 息を殺しながらも、キルファはため息をついた。
(とにかく。あたしの用はこれだけね。後は、さっさとサリクスの所に戻った方が良いわね)
 結論を出し、キルファがまたこっそりと立ち去ろうとしたその時。
「……何かいるぞ!」
 男の一人が、慌しく叫ぶのが聞こえた。キルファは一瞬、身体を強張らせた。心臓が飛び出さんばかりに跳ね上がる。
(嘘っ!)
 かつて、気配を殺した自分に気付いたのはただ二人、ダレットとカシュラル・レストラードだけだ。こんな辺境に、彼女ほどの使い手がいるとは思えなかった。
「…………?」
 動くのを止め、注意深く様子を窺う。男たちの視線は、何やら別の方向に向けられているようだった。
(何だか分からないけど、好都合ね。今のうちにさっさと逃げ出すとしますか……)
 見張りたちの視線が逸れた瞬間を狙い、身を低くしたまま音も立てずに走り出す。が、すぐに立ち止まる羽目になった。
「盗賊が出た! 村から増援を呼んで来い!」
「何人だ?」
「今のところ、一人しか見えない。偵察か何かじゃないか?」
 こんな怒号が聞こえた。そして、とどめの一言。
「武器だ、武器を持って来い! あの野郎、何か持ってやがる……分かった、長柄戦斧だ。それも、かなり大きいな」
「全員、武器になりそうなものを持って来い! 一気に取り囲むぞ!」
(……長柄戦斧?)
 キルファの知っている限り、長柄戦斧を持っていて、尚且つこの近くに出没する可能性のある人物はただ一人。エルフの巨漢。
(……何考えてるのよ、あの馬鹿あああああっ!)
 まさか怒鳴り散らすわけにも行かず、キルファは心の中で絶叫した。そして毒づく。
(男って、どうしてどいつもこいつも考えなしなのよっ!)
 別に男に限った話ではなく、彼女の近くにそういった人物が集まっただけの話なのだが。そんなことに今気付いても何の意味もない。
(……どうする?)
 キルファは一瞬、考えを巡らせ……
「放っとこうかしら」
 思わず本音が口から漏れるが、それが正解のように思えた。下手に自分が手を出すより、ここは、サリクスが一人で切り抜けてくれるのを待つのが得策だろう。サリクスなら、素人が寄り集まったところでやられたり捕まったりするようなことはないはずだ。
 相当森の奥に引っ込まなければ村人の追跡から逃れることは出来ないだろうが、ここで村人と接触するよりはいくらかましなはずだった。
 サリクスには気の毒な話だが、キルファが一人で方針を決定したその時。
 うおおおおん、と森の奥から音が聞こえた。いや、声だ。狼の遠吠え。
(嘘でしょっ!)
 キルファは再び絶叫する。渾身の魂の叫びは彼女の心の中で反響し、幾重にも重なって頭に響いた。ぐわんぐわんと、側で警鐘をならされているかのようだ。
 前からは人間。後ろからは狼。
 キルファは、今ほど自分が不運だと感じたことはなかった。
(どうしろってのよっ!)
 絶叫するのにも、そろそろ疲れてきていた。

「……何だか騒がしいな」
 のん気に柔らかめのパンを齧りながら、ダレットは呟いた。首を傾げて、窓の外に目をやる。
 腹の傷はもう大分治っているのだが、シェルタがベッドから離れることを許さないのだ。お陰で、今だに身体だけ起こして食事をしている。
「何だか、森に変な連中がいるとかで。交代で見張りをすることになったみたい」
 ダレットの横で、ややトーンを落とした口調でシェルタが言った。どう言っていいものか分からず、とりあえず父親の言葉をそのまま真似てみる。
「変な連中……?」
 ダレットが首を傾げ……そして、何かに気付いたような表情をする。それが何なのか、シェルタはすぐに悟った。
 本来なら、言うべきなのだ。その連中が、ダレットの探していた仲間だと。さっき、自分がそれを確認してきた、と。
 だが、小さいときから叩きこまれてきた、エルフへの不信感はそう簡単に拭い去ることは出来ない。あの二人が何者なのか、いまいち信用できない。
 それに。
 ダレットは元々は旅人だ。いずれ、この村を出ていってしまうのは確かなのだろうが……ダレットとあの二人を会わせることで、その時期が早まってしまうのではないか。そんな不安にかられていた。
 村という閉鎖された世界の中だけで生きていたシェルタにとって、この突然の来訪者の与えた影響は大きかった。優しくて、格好良い王都の騎士。出来るならば、ずっと一緒にいたい……シェルタ自身、明確に自身の感情を把握していたわけではないが、そんな想いが確かにあった。
 だから……
(……ごめんなさい!)
 内心、謝罪の言葉を繰り返しながらも、シェルタはそれ以上の言葉を飲みこんだ。
 ダレットは、思いつめたような様子のシェルタにまた首を傾げたが、その想いに気付くこともなく、黙ってまたパンを齧った。薬草を混ぜ込んであるらしいそのパンは、かすかに苦い味がした。
 小さい頃、風邪をひく度に苦い薬を嫌がったことを思い出した。エルザが必死で説得するのだがダレットはまったく聞き入れず、兄姉にまで睨み付けられながらやっとの思いで飲み干したような記憶がある。
 基本的に人の世話を焼くのが好きなのだろう、シェルタは何かとダレットに構っている。頼みもしないのに水は持ってくるし、毎日三度は様子を伺いにやってくる。
 無論、ダレットの方が年上なのだが、ちょこまかと動いているシェルタは、故郷の姉を思い出させた。自分が一番年下だったから、姉たちには何かと構われたものだ。兄は呆れたような顔をしていたが。
 そんなことを考えながら……隣で、暗い顔をしているシェルタにまったく気付かず、パンを齧っていたダレットは、どたどたという足音に眉をひそめた。
「……親父さんか?」
 足音の間隔と音から判断する。案の定、ばたん! と扉を開けて飛びこんできたのはシェルタの父親だった。
「……どうしたの、父さん?」
 シェルタが、やや面食らったような表情で訊く。思わず立ちあがっていた。
「見張りの連中がさっき呼びに来てな、盗賊が出たらしい。わしも行って来る」
 こんな小さい村のことだから、戦力になる大人の男性は全員狩り出されているらしい。
「あの……俺も行きましょうか?」
 ダレットが言った。意識不明で運び込まれてから、村の人間にはずっと世話になっている。ここで、少し恩を返しておくのも悪くないだろう。
「駄目よ、まだ治ってないんだから」
 立ちあがりかけたダレットを、シェルタが慌てて制した。服の裾を引っ張り、ベッドに引き戻す。
 父親はそれを確認すると、また部屋の外に駆け出した。
「盗賊って……さっき言ってた、変な連中か?」
「多分……」
 ダレットが不安げに窓の外を見やる。シェルタの父親の前では言えないが、村の人間は全員戦いに関しては素人だ。盗賊の中に少しでも腕の立つ人間がいたら、どうなることか。
「大丈夫だと思う。ああ見えても、父さんは結構腕っぷしは強いし」
 シェルタがぎこちなく微笑んで言ったが、ダレットはなおも心配そうに外を見ていた。

 ここで逃げ出すのは簡単だった。が、自分たちがいなくなってしまったら、村が狼に襲われてしまう。
 ダレットがまだ動けない以上、まともな戦力は村にはいないだろう。寝ているダレットが狼にやられてしまうなどということも、怪我の治り具合によっては有り得ないことではない。
 よって。
 キルファたちは、村人の追跡をかわしつつ、狼を撃退するなどという離れ業をやらなければならなくなっていた。
「あんたねえっ! 何考えてんのよおおっ!」
 サリクスに追いつき、何はともあれ今までの苛立ちを全部ぶつける。が、この男にまったくこたえた様子はない。
「いやあ、嬢ちゃんを追ってきたはいいんだが、村の連中に見られちまって……」
「当たり前でしょっ! 村人総動員で見張ってるとこに飛びこむ馬鹿が何処にいるのよ!」
「俺の目の前」
「あたしは元々、こっちが本業だから良いの!」
 本業かどうかは知らないが、とりあえず、王都では盗賊をやって生計を立てていたのは確かだ。
「大体あんたは、そんな馬鹿でかい図体をしてるんだから目立つに決まってるでしょうが!」
「いや……目立つ云々に関しては嬢ちゃんにとやかく言われる筋合いはないような」
「一々人の揚げ足を取らないでよ!」
 傍で聞いている分には漫才にしか聞こえないやり取りをしながら、二人は狼がいるらしい方向に向かって疾走する。キルファも、もう姿を隠すのは止めている。その分追っ手が増えているような気がするが、どうしようもない。
 ただ一つだけ幸運なことがあるとすれば、遠くから見られただけなので、エルフの特徴たる長い耳に気付かれていないことだった。気付かれたら、この騒ぎが数割増になるであろうことは明白だ。
「狼が何匹いるか、見当が付くか?」
 サリクスが訊いた。数によっては、二手に分かれざるを得ない。
「正確には分からないけど、一匹や二匹って訳でもないと思うわ。それに……」
「それに?」
「……狼って、鼻が物凄く効くわよね」
 キルファは、引きつったような笑いを浮かべて言った。
「それってつまり……」
「あたしたち、前に何匹も狼を倒してるでしょ? もし、それを狼が知っていて……あたしたちの匂いが覚えられてたら」
「俺たちを敬遠して、村に向かう可能性があるってことか」
「そういうこと!」
 二人は、揃って足を止めた。
 後ろには、あの村がある。そして。
「…………!」
 二人は顔を見合わせた。背後から……動物の咆哮と、悲鳴が聞こえたような気がする。
「……今からでも、逃げ出すのは遅くはないと思うわ」
 キルファが神妙に言う。サリクスも、重々しくそれに同意した。だが。
「はあ……」
 二人は深く深くため息をつき……今まで来た方向に向かって駆け出した。
 悲鳴がまた聞こえた。見張りに立っていたであろう男の叫び声だ。
「もう少し早く気付くべきだったわ!」
 キルファが走りながら舌打ちした。  

 

 
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