暁の大地

42.変わらない現実

 運が良かったのか悪かったのか。
 不審者が森にいるとの報告を受けて、夜間の見張りを強化したその日に、狼の群れが襲ってきたのだから。
 とりあえず、村の人間への警告だけは早くに行うことが出来た。
 夜の森に、金色の点が幾つも見える。二つずつ並んだそれは……無論、狼の目の輝きだ。
 狼が度々出没する場所であるため、村は頑丈な柵で囲まれている。ある程度の高さがあるから、簡単には飛び越えられないはずだった。
 だが、外壁の庇護を受けられるのは、あくまで村の内部にいた場合だ。
 森に潜んでいたらしい盗賊が発見され、かなりの人数が森に入ってしまっている。相当にすばしっこい連中らしく、まだ捕獲すら出来ていない。
 狼の標的となったのは、その盗賊の追っ手となった村人たちだった。
「ひっ……」
 中年の男が、金色の瞳に魅入られたかのように硬直する。手には武器として農作業用の鎌を手にしていたが、振り回すことなど出来はしない。
 男の中にあるのは恐怖。それだけだった。思考が麻痺し、考えることも動くことも出来ない。
「ああああ……」
 がたがたと膝を震わせ、思わず死を覚悟したその時。
 夜空に、銀光が閃いた。
 ぎゃん、と狼の悲鳴が聞こえる。
「…………?」
 男は、恐る恐る目を開ける。
 目の前には、今にも飛びかからんばかりの表情で息絶えた、狼の死骸が転がっていた。胴体に二本、ナイフが突き刺さっている。どちらも正確に急所を撃ち抜いていた。
 投げナイフの技というのは、男も見たことがあった。旅芸人が時々見せる芸だからだ。だが、村にそんな芸当が出来る者などいなかったはずだ。
 男は首を傾げる。が、悠長に悩んでいられる状況でないことは明白だった。我に返り、きびすを返して逃げようとする。
 そこに。
「そこどいて!」
 甲高い声と共に、横から、何やら白いものが飛び出してきた。男を軽く突き飛ばすと、その前に出る。男には目もくれず、眼前の狼に集中しているようだった。
「……誰だ?」
 訳が分からず、男はただおろおろするだけだ。白い人影は切羽詰った口調で更に怒鳴る。
「いいから、とっととそこから離れて! 足手まといになる!」
 少女のものらしい、高い声だった。白いマントを羽織ったその身体……何故だか、しっかりフードまで被っている……も、相当に小柄だ。誰だかは皆目見当がつかないが、そんな子供に足手まとい呼ばわりされては引き下がれない。
「お前、何者……」
 思わず怒鳴りつけるが、少女……だろう、多分……は聞く耳持たず、懐から何かを取り出した。そして、それを目の前に迫った一匹に向かって投じる。
 先程と同じ、投げナイフだった。銀光は、狼の目と喉笛に正確に突き刺さる。飛びかかろうとしていた狼は、そのままの体勢で地面に倒れた。自分が死んだことにすら気付いていないだろう。それほどに、少女の技は鮮やかだった。
 ようやく、男も悟った。先程の狼を倒したのは、この小柄な少女だ。
「いいからさっさと逃げなさい! 村に戻れば、どうにかなるでしょ!」
 少女は、更に男に怒鳴りつける。その男ばかりではなく、近くにいた村人たちは、大体が突然の侵入者に唖然としている。
 が、うちの一人が気付いた。
「てめえ、何で村の事を知ってる? ……何者だ、一体!」
 少女が舌打ちするのが聞こえた。『余計なことを言ってしまった』とでも言いたげな風情だ。
「何でもいいから、とっとと逃げる! 死にたくなかったらね!」
 更に狼の一匹を屠りながら、やけになって少女が怒鳴る。投げナイフは遠距離にまで対応できるため、今のところ、狼に襲われて負傷した村人はいないようだった。
 まだ狼の気配はあるが、投擲の間合いにまでは入ってきていない。少女がナイフを指の間に挟み、油断なくあたりを窺う。
 がさっ、と横手で音がした。
 横手から、狼が突っ込んでくる。前方に意識を集中していた少女は、一瞬反応が遅れた。
 その場にいた全員の顔が引きつる。
(……間に合わない!)
 村人たちが視線を思わず逸らし、少女ですら一瞬硬直した瞬間。
 どん、と鈍く湿った音がした。続いて、何かが潰れるような音。
「……と。ちょっと危なかったな……嬢ちゃん、生きてるか?」
「来るのが遅いわよ……何にてこずってたのよ」
 男の場違いに軽い言葉に、少女が恨みがましい口調で応じた。村人たちも、何があったのかとばかりに、横手を見やる。
 そこには、若い男が立っていた。何の気負いもなく、さも当然といった風情だ。
 口調そのままに笑いを浮かべていたが、その笑いは獣と同じ、獰猛な笑いだった。いや、ある意味、男は獣と同じだったかもしれない。
 かなりの巨漢である。村人たちよりも頭一つ分以上大きい。腕も太く、小柄な少女なら片手で持ち上げるくらいの腕力があるだろう。そして、その身長に匹敵するほどに巨大な長柄戦斧を軽々と肩に担いでいた。
 長柄戦斧の刃は紅く染まり、その足元には両断された狼の死骸が転がっている。
「……何なんだ、一体」
 村人の誰かが呟く。が……全員が思い出していた。先程まで追っていた盗賊のうちの一人は、長柄戦斧を手にしていたはずだ。
「貴様、さっきの盗賊……」
 先程の、中年の男が言いかけて……そこでようやく気付いた。
 若い男の、長く尖った耳に。
「貴様、エルフかっ!」
 嘲りと恐怖が混じった叫び。
 男の眉がぴくんと跳ね上がる。何処となく面倒くさそうな風情だ。
「ま、そんなもんは見りゃ分かるだろ……とにかく、死にたくなかったらとっとと離れた方がいいと思うぞ。
 ……もう遅いか……」
 視線だけで遠方を見やる。がさがさと言う音と殺気が、凄まじい速さで近づいてきていた。
「とにかく、退がってて!」
 少女が前方に出ながら振り返らずに叫んだ。

「……何つうか俺たち、最近こんなんばっかだな」
 サリクスは、ぶつぶつとぼやきながら長柄戦斧を一閃させる。軌道上にいた一匹は、その刃でもって胴から真っ二つに両断される。
「呪いなんて信じないけどさ、だったら何なのかしらね……」
 キルファも、ぶつぶつとナイフを投げつける。口調はやる気がないが、その技が鈍ることはない。確実に、眉間を、喉笛を射抜いていく。
「これじゃあきりがないわよ……あたしの飛び道具には限りがあるし。この間渡した、あの胞子の包みはどうしたの?」
 この場の狼を全部眠らせてしまえれば、それで事足りる。
「いや……あの時、あの子に全部渡しちまって……手持ちがねえんだよな」
 肩をすくめるような動作をしながら、サリクスがあっけらかんと言った。それを聞いたキルファの顎が、かくん、と下がる。
「はあ? ……全部?」
 滑稽なまでに引きつった顔で、キルファが訊く。半眼で狙いをつけ、ナイフを投じるが、飛んでいくナイフも何処かへろへろとしてやる気がなかった。それでも一撃で倒しているあたりはさすがと言えたが。
「あっ……あんたねええっ! 何のためにあたしがあれだけの量、集めたと思ってるのよ! 役に立たないなら意味ないじゃないの!」
「まあそうだが……実際、今ここにない以上、議論しても無意味なような気がするぞ。ほらまあ、エルフは前向きに生きる事が肝要って言うだろ」
「あたしはエルフじゃないんだけど」
 一人で納得したように頷いているサリクスに、キルファが淡々と突っ込みを入れた。
「……いつかそのうち、料理に毒を盛ってやる」
 口の中でぶつぶつと呟く。
「三日三晩、腹痛に苦しみながら笑い転げるがいいわ」
「それは出来れば遠慮願いたいような」
 何やら暗く含み笑いをしているキルファを、サリクスは額から一筋の汗を流しながら眺めた。
 言うまでもないが、二人とも漫才のような会話を繰り広げながらも、絶え間なく武器を振るっている。
 狼の群れは、全部で八匹。とどめ……とばかりにサリクスが長柄戦斧を振るう。
 綺麗に首と胴体が離れた死骸が足元に転がる。辺りには強烈な血の匂いが充満していたが、もう殺気は感じない。これで全部だ。
「何とか終わった……か」
 サリクスが呟き、構えていた長柄戦斧を下ろした。そして、大きく息を吐く。
 重い武器をずっと振るっていたせいで、実は結構息が切れているのだが、さすがに血だまりだらけの地面に腰を下ろす気にはなれなかった。
 ふと横を見ると、キルファは紅く染まった地面を魅入られたようにじっと見つめている。感情というものがぽっかりと欠落したその顔を覗きこみ、サリクスはおずおずと声をかけた。
「嬢ちゃん……大丈夫か?」
 二年前の事件に加え、先日のダレットの一件もある。紅いもの、それも血を見るのはかなり辛いはずだ。どうしても、あの記憶が蘇ってしまう。
「……何とかね」
 キルファは気丈に顔を上げ、ぎこちなく笑って見せた。まだ、逃れることなど出来はしないが……それでも、以前よりはましになってきているようだ。
 大丈夫。大丈夫だから。
 そう自分に言い聞かせる。何回か深呼吸すると、いくらか動悸がおさまった気がした。
「さて……これからどうするかね」
 サリクスが、視線で後ろに下がっていた村人たちを示した。

「凄え……」
 誰かが呟いた。
 村人たちの目の前では、一方的な戦いが繰り広げられている。
 エルフの男が、長柄戦斧を大きく振り回す。並の人間ならその遠心力と重量に身体の体勢を崩すところだが、男は顔色一つ変えない。大きく弧を描いた刃は、いともあっさりと狼の胴体を断ち割った。
 その後ろから、白ずくめの少女がナイフを投じていた。正確な手さばきで、狼の急所を確実に射抜いている。
 戦いに関しては素人である村の男たちも、理解せざるを得なかった。この二人は自分たちとは桁が違う。命を危険にさらす実戦を、数多くこなしてきた玄人だ。
 若い男はともかくとしても、まだ子供らしい少女までもが正確にナイフを扱うことに、男たちは恐ろしさすら感じていた。どんな生き方をしてきたのだろうか。顔を見られたくないのか、深くフードを被っていることも、何か関係があるのだろうか。
 それに、何よりも。
 あの男は、間違いなくエルフだ。長い耳がそれを証明している。魔法という胡散臭い奇跡を起こす、恐怖の民。
 そんな連中が、何故こんなところにいる?
 もしかしたら……盗賊などよりも、よっぽど恐ろしい何かを招きはしないか?
 根拠などない。だが、それは確信だった。自分の身体に流れる血が、そう結論づける。
「何とか終わった……か」
 男が言い、長柄戦斧についた血糊を払った。少女も、少しの間ぼうっと立ち尽くしていたものの、死骸に刺さったナイフをてきぱきと回収している。この様子一つを見ても、実戦に慣れている連中であることは明白だった。
 狼よりもよっぽど恐ろしい連中であることは明らかだった。が、狼が去ったという安心感からか、男のうちの一人が声をかける。
「貴様等……何でこんなところにいる?」
 怒気と恐怖の入り混じった声に、今まで見向きもしなかった二人が、ようやく自分たちの方を見やる。その面倒くさそうな風情に、男たちの顔から恐怖の色が消え、軽蔑と怒りだけが残る。
「ここは人間の村だぞ……貴様等がいるような場所じゃない」
 最年長の男が、精一杯の威厳でもって言った。だが、二人はまったく顔色を変えない。
「別に。村には入ってないでしょうが。帝国は、移動に関しては規制をしていないわ」
 法律の条文を棒読みするかのように、少女が言う。実際、少女の言っていることは正解だった。が、別に男たちも法律に則って二人を責めているわけではない。
 少女……キルファの言葉は、単に男たちの神経を逆撫でするだけの結果に終わった。もっともキルファにしたところで、男たちを説得するつもりなど毛頭なく、型どおりの反応しかしない村の連中に呆れ返ってそれを揶揄しただけなのだが。
「……何だとお?」
 若い男があからさまに顔を怒りに染める。小さい子供なら脅しも効くとでも思ったのか、ずかずかと近づくとその肩をつかもうとした。が、キルファは一歩横に引いてあっさりとそれを避ける。
 彼女にしてみれば当たり前の結果であったが、子供に馬鹿にされたとでも思ったのか、男の顔が怒りと恥で真っ赤に染まる。
「このエルフのガキがっ……!」
「あたしは別に完全なエルフじゃないんだけどね」
 キルファが言い、腰の後ろからナイフ……投擲用ではなく、普通の型である……を引き抜いた。それを無造作に男の目の前に付き付ける。
「忘れてるようだから言ってあげるけど。そこの狼と同じ末路を辿りたくなかったら、おとなしく村に帰ったほうがいいと思うわよ」
 銀色の刃よりもなお冷たい口調で、キルファは断言する。男の顔が面白いように引きつった。
「嬢ちゃん……そうやってすぐに刃物を持ち出す癖は、どうにかした方がいいと思うぞ」
 サリクスが呆れたように言う。しかし、手に長柄戦斧を持っていては説得力の欠片もない。
「あんたは最近だけだろうけど、あたしは十四年間ずっとこんなやり取りをしてんのよ。いい加減、嫌にもなるわよ」
「それは確かに」
 説得する方に問題があるのか、される方に問題があるのか。とにかくサリクスはあっさりと頷いた。それ以上キルファを止める様子はない。
「あ……」
 まだ目の前に銀色の刃を付きつけられたままの哀れな男は、がたがたと震えながら立ち尽くしている。側にいる男たちも、手を出しかねているようだ。
 何かに魅入られたように、キルファの顔を見つめ続ける。
 その顔が、不意に変わった。何かに気付いたかのように、瞳が大きく見開かれる。
「……紫?」
 呟きに、全員の視線がキルファに集中した。キルファは諦めたとでも言ったように、肩をすくめて見せる。
 いくらフードを被ってみても、近くで見られれば瞳の色はばれてしまう。視界を封じるわけにはいかないからだ。それでもフードを被っているのは、瞳と同様に目立つ銀髪を隠す意味の方が強かった。髪の色で注目されれば、それだけ紫の瞳に気づかれる可能性も高くなる。
 だが、もうそんななけなしの努力をする必要などない。面倒くさそうに、頭にまとわりつくフードをはねのける。
 あらわになった紫色の瞳に、集まった男たちが一斉に眼を見張るのが分かった。キルファは、それを邪魔くさそうに半眼で睨みつける。
「……毎度毎度こんな感じなのよ? 一々、御丁寧に説得する気力もいい加減失せるってもんだわ」
「確かになあ……」
 サリクスがしみじみと頷いた。  

 

 
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