暁の大地

43.再会

 憎しみ。恐れ。軽蔑。
 自分に向けられる視線の意味は、大体そんなところだった。
 今に始まったことでもない。昔から……生まれたときからそんなものだ。今更、嘆くことでもないだろう。
 だが。
 いつもいつも殴られて、たとえそれに慣れてしまったとしても。決して、痛みがなくなるわけではないのだ。
「…………」
 キルファが村の男たちに向ける視線は憎しみでも何でもない。本当の意味での無表情。何も見えていないような。
 紫の瞳は、何も映さない。空を見つめているのと、何ら変わらない。
「嬢ちゃ……」
 サリクスが思い出したように声をかけるが、キルファは彼を横目で一瞥しただけで、応える様子はない。
 痛みを感じないようにするにはどうしたらいいか。何の事はない。『殴られなかった』と、自分に思わせてしまえばいいのだ。
 そう。あんなことはなかった。あんな辛いことなど、なかったのだ……
(……分かってるわよ)
 キルファは心で呟く。
(そんなものは、ただの現実逃避でしかない。逃げたって、現実は変わらない。目の前にあるんだから。実際に、今ここで)
 分かっている。そんなことは。
 だから。目の前の現実から逃げ出すしか出来ないような、弱い存在が自分だとはさすがに思いたくなかった。他人すら認めてくれない存在を、自分が認めなかったらどうなるのだ?
 必死に、思考を元に戻す。ぼんやりとしていた視界が、徐々にはっきりとしてくる。
 その時。
「……っ!」
 サリクスが反射的に長柄戦斧を握った。強烈な殺気。
「まだいやがったのか!」
 遠くに離れていただけだったのか、仲間の血の匂いを嗅ぎ付けてきたのか。とにかく、全部倒したと思っていた狼が、また現れた。
(ちっ……俺も油断してたな!)
 殺気を感知し、サリクスの表情が珍しく焦る。
(どっちから来る……?)
 一直線に走る殺気の軌道。その先には――キルファがいた。
 この面子の中では、一番年少で小柄だ。その方が襲いやすい。狼と言えどそれくらいの計算は出来るのか、狼たちはキルファを狙っていた。
「嬢ちゃんっ!」
 普段の彼女なら、そんなものは簡単に察知してのけただろう。だが、ぼんやりとしていた彼女は、一瞬反応が遅れた。
 サリクスが庇いに入ろうとするが、間に合わない。キルファも咄嗟にナイフを投げつけ、一匹は仕留めたが、もう一匹を倒す余裕はない。
 キルファの眼が見開かれる。狼は、目前にまで迫っていた。
(……間に合わない!)
 恐怖を感じる時間すらない、一瞬の出来事。
 ただ、鋭い牙だけがはっきりと見えた。
 そして。

 夜の闇に、銀光がきらめく。
 銀光は狼の身体を正確に捕らえ、切り裂く。悲鳴を上げる間もなく、飛びかかったままの姿勢で地に倒れた。
「…………?」
 既視感。
 硬直していたキルファは、おそるおそる目の前に立ちはだかる影に目をやった。
「これって……」
「……しかしまあ、毎回毎回美味しいところだけ持ってくよな。普段何もやらんくせに」
「何もやらないは余計だ」
 呆れ顔で言うサリクスに、抜き身のままの剣を手にしたダレットは、憮然とした顔で答えた。
「……何でここにいるの?」
 咄嗟に後ろから掴まれて突き飛ばされたキルファは、よろよろと立ちあがりながら言う。唖然とした顔で。
 目の前にいるのは、確かにダレットだ。いつもの外套は着ていないし、服も旅装束とは違う……村の人間に調達してもらったものらしい……が、愛用の剣も手にしているし、間違いない。
「何だか盗賊だ狼だって言って騒いでたからな。心配になって出てきたんだが……正解だったな。
 しかし……」
 ダレットはのんびりと目の前の情景を眺め、呟いた。
「よくもまあ、これだけの数をやったもんだな」
 一同の周りには、倒された狼の死骸がごろごろと転がっている。気の弱い人間なら失神しかねないほどの血臭だ。実際、キルファたちは平然としているが、村の人間には気持ち悪そうにしている者もいる。
「これ、全部お前たちだろ? ナイフが刺さった跡があるし、鎌や何かじゃ胴を両断なんて出来ないだろうし」
 冷静に死骸を観察し、ダレットは言った。こういった度胸、もしくは吹っ切れた態度が、実戦を経た者とそうでない者との違いと言える。
「まあな」
 サリクスが困った顔で言う。ちらりと横目で何かを見た。ダレットも不審がり、首を傾げて視線の先を辿る。
 その『何か』……つまりキルファは、額に青筋を浮かべ、鬼のような形相でダレットを睨みつけていた。
「あっ……あんたねえ……」
 ぷちぷちと頭の血管が切れる音を、一同は確かに聞いた気がした。
「何で、毎度毎度考えなしに突っ走って、人の計画をおじゃんにするのよ、あんたはああっ!」
 髪をくしゃくしゃと掻き、今までの苛立ちを全部ぶちまけるようにキルファは喚く。村の男たちも、訳がわからないといった様子で彼女を眺めている。
「素直に、おとなしく村で寝てりゃいいものを! 何でわざわざ出てくるわけ? 少しは頭使いなさいよっ!」
 ダレットの胸倉を掴み……もっともかなり身長差があるので、背伸びするような格好だが……キルファは耳に響く声で怒鳴りたてる。ダレットは、目を点にして彼女を見下ろしている。
「大体、まだ怪我治ってないんでしょうが! そんな状態で剣なんて振り回す、普通? 馬鹿を通り越して呆れるしかないわよ、本当にっ!」
「…………」
 ダレットは困ったように笑い、顔をしかめた。額にはびっしりと脂汗が浮いている。
 大分治ったとはいえ、傷が塞がりきっていない状態で全力疾走し、なおかつ長剣を振るったのだ。これで負担がかからない方がおかしい。
 ダレットはなおも無理に笑って見せるが、こうなっては誤魔化しきれるものでもない。実際、腹の傷がまた疼くように痛み出している。痛み自体にだいぶ慣れてしまったこともあって、立っているくらいは平気なのだが、これ以上は剣など使えないだろう。
「分かった分かった……今度からおとなしくしてるから」
 ぱたぱたと手を振って見せるが、キルファは引き下がる様子はない。
「そうしろって言いたいけどね、もう『今度』なんてないわよ」
 キルファはダレットの服を掴んだ手はそのままに、視線で村人たちを示した。男たちは、突然の乱入者と突如始まった口喧嘩に、ただただ呆然としている。
「あの連中の前にのこのこ出てくるもんだから、こっちの考えも何も全部パア、よ。
 ……まったくさ、少しは推理とか推測とか覚えた方がいいわよ。何も考えなかったでしょ」
「あー、あの……」
 ぶつぶつと愚痴を続けるキルファを遮るように、男の一人が言った。
「騎士様……ですよね? そこの子供と、お知り合いなんですか……?」
 怪我をして倒れていたダレットを運んでいったうちの一人だ。どうやら『帝国の騎士』の顔は覚えていたらしく、敬語でおそるおそる尋ねてきた。
「ん? ああ……」
 ダレットが何気なく答える。サリクスは頭を抱え、キルファは脱力して地面に倒れこみかけ、慌てて踏みとどまる。頭の血管が、もう数本ほどぶち切れた気がした。
「……嬢ちゃん、気持ちは分かる。よおっく分かるが、さすがにナイフは止めとけ、ナイフは」
 キルファが腰の後ろからナイフを抜きかけているのを見て、サリクスがなだめるように言う。が、正直、彼も一発ぶん殴りたいくらいの気分ではあった。
「……何だっていうんだ?」
 ダレットだけが、唯一、困惑した顔をしている。
「その子供……ハーフですよね? それに、そこの大男はエルフ……」
「……そうだな」
 尚もあっけらかんと答えるダレット。村の男たちは露骨に嫌悪感をあらわにし、キルファとサリクスは顔を引きつらせる。ダレットだけが、平然としていた。
「何だって、騎士様が、エルフやハーフ風情なんかと……」
 そもそも、ダレットが騎士だと分かったのは、証明の短剣を所持していたからだ。それが偽物とも思わないだろうが、男たちの顔からは、不信感がありありと見て取れた。
「……って言われるから、あたしたちはわざわざ隠れてたんだけど」
 キルファがぶつぶつと言う。いい加減、呆れ返るのにも疲れてきたようだ。
「……何だか事情がよく分からないんだが。俺が寝てる間に何かあったのか?」
 のんびりとした口調でダレットが訊く。
「もうやだ……」
 と、キルファが諦めきった口調でぼやいた。
「もう、必死に隠れて野宿する必要もなさそうだから全部ばらすけどね」
 言って、ダレットではなく、横で困惑した表情の男たちを半眼で眺めた。
「あんたが怪我して意識不明になって、あたしの手には負えないから、とりあえず村に運ぼうかって話になったんだけど。あたしとエルフがいたら、どうせ門前払いになって終わりでしょ? どうせ、『エルフとハーフ風情とつるむような奴なんざ知ったことじゃない』とか言ってさ。
 それで、しゃあないから、あんたを村の前に放り出して担ぎこませたわけ。それで、あたしたちは森の奥に隠れてたのよ……あんたとの関係がばれないようにね。
 それを……」
 キルファは再びダレットを睨みつけた。
「あんたが! のこのこと姿を見せて全部無駄にしちゃったんだけどね! まあ、ある程度は治ってるみたいだけど」
 疲れたとでも言うように、ため息をつく。
「じゃあ、盗賊が云々ってのは……お前らのことか?」
 今更ながら、ダレットは気付いたように言った。
「そうよ……」
 キルファが呟くように言う。その身体が、不意に力を失って倒れる。
「……とっ……」
 ダレットが慌てて支える。小柄な身体をふわりと抱きとめた。
「……って、おい?」
 完全に意識を失っているらしいキルファを、慌てたように身体を揺する。しかし、目を覚ます気配などない。
 いぶかしげに顔を覗きこむ。固く目を閉じたその顔は苦しそうに歪んでおり、呼吸もおかしい。やたらと息切れしているようだ。額に手を当ててみると、相当に熱い。
 何故、今まで気付かなかったのか。何やら、むしょうに情けなくなった。
「なっ……? ……何か、風邪みたいな……」
「過労だろうな」
 おろおろしているダレットに、冷静にサリクスが言った。
「ここのところずっと、ろくに寝つけなかったみたいだからな。それに気苦労もあったし……
 ……心配してたんだぞ、本当に」
 苦笑しながらサリクスが言う。ダレットは改めて、腕の中の華奢な身体を見下ろした。元々小柄だが、何だか更に小さくなったような気がする。
「そうか……」
 ダレットは呟き……そして、思い出したように慌てだす。
「とりあえず、どっかで休ませないと……村に連れて帰るか」
「お前、嬢ちゃんがやったことの意味を全然理解してねえだろ」
 サリクスがこめかみに手を当てて言った。『何で一々説明せにゃならんのだ』とその顔が雄弁に語っている。
「そこの連中に訊いてみろ。『紫の眼の子供を村に連れこんで構わねえか』ってな。……お前が考えるほど、人間やらエルフってのは寛大じゃない。それを一番知ってるのは嬢ちゃんだろうけどな」
 言葉に引っ張られるように、ダレットは横手にいた男たちを見た。一同は皆揃って、嫌悪感と恐怖、不信感をあらわにしている。訊くまでもない。答えは明白だった。
 ここも同じだ。
 ダレットは泣き出したいような気分になり、腕の中の少女を抱きしめた。こんな状況は、初めてではない。だから、理解できないわけでもないが……
 それでも。異なる血を引く人々も信じようと思うのは、単に自分が愚かなだけなのだろうか?
「……まあ、普段なら脅すとか何とか、色々方法もあるんだけどな」
 サリクスはそれこそ狼のような鋭い獣の目つきで、男たちを見据えた。琥珀の瞳が、先ほどの狼のように怪しく輝く。長柄戦斧の刃が、月光を照り返して闇に三日月を生み出した。
 村人たちは動けない。本能が動くことを拒否している。一歩でも踏み出せば足元の死骸と同じ末路を辿る。それは予感ではなく、確信だった。
「……脅すって」
 ダレットも、やや退いたようにサリクスを眺めている。思わず、腰の剣に意識を集中する。
「今はまあ、そんなことも必要ねえよなあ?
 ……さっき、狼の群れに襲われてがたがた震えてたのは何処のどいつだったか? ん? お前か? それとも、そこのお前か?」
 長柄戦斧を握りこみ、にやりと笑う。まさに、獲物を見つけた肉食獣の笑いだった。
「そこを『わざわざ』助けてやったのは、俺とそこの嬢ちゃんだよな? お前らも間近で見てたもんな、知らないわけはねえよな?
 ……助けてもらっておいて、まさか断るわけも……」
 そこで一旦言葉を切り、一呼吸置いてからきっぱりと言った。
「その嬢ちゃんが倒れたってのに、まさか世話を断るわけもねえよな? ……そこの腹に大穴開けた馬鹿男はさんざん面倒見ておいて、なあ?」
「それって、立派に脅してるんじゃあ……」
 立派な脅しというのも何だか嫌だったが、とにかくダレットは長柄戦斧を構えて含み笑いをしているサリクスを、不気味そうに見ながら言った。
「脅してなんかいねえさ」
 サリクスは軽く笑う。
「ただ、ここで断ったら、狼五十匹突入と同じくらいの被害を与えてやるって言ってるだけで。警告じゃないか。俺って親切だよな。うん」
 普通なら笑い飛ばすのだろうが、この男は洒落にならない。長柄戦斧の腕前に加えて、初級の魔法まで使いこなすのだ。本当にやりかねない雰囲気が、今のこの男にはある。
「……実はお前も結構疲れてたりするか?」
 ダレットが、呆れ返ったように言う。
「当たり前だろ」
 サリクスが、皮肉に笑いながら言った。
「えーと、あの……」
 男たちが、ぎぎいっと音がしそうなほどゆっくりな動きで、ダレットの方を見る。だが、ダレットの腕の中に少女がいることに気付き、絶望的な表情をした。
「あのー……騎士様?」
「安全が最優先って言うなら、この男の言う通りにしといた方がいいぞ。後でどうなるかは俺も保証できん」
 ダレットが肩をすくめて言う。
 次の瞬間、男たちは絶望的な顔でいっせいにうなだれた。  

 

 
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