44.信頼とは
いつも覗いてはいたものの、入るのは初めての場所。慣れているような思い込みがあるが、いざ入ってみるとやたらと戸惑うことが多い。
強引に借りた村の宿の一室で、サリクスは疲れたようにため息をついた。そのまま、備え付けのテーブルに突っ伏す。この男にしては珍しかったが、今は情けないと思うような余裕もない。
キルファのように倒れこそしなかったが、彼も相当疲労が溜まっていたのだ。普段は軽薄な笑いの仮面をかぶっているので、気付く者はあまりいないのだが。
「ちっ……」
木材の毛羽立った、ぬるい肌触りに顔をしかめながら舌打ちする。思うように動けない。
(嬢ちゃんのことをとやかくは言えねえな……)
心の中で毒づく。もう少し、体力があると自負していたのだが。
こんっ、こんっ、と扉が鳴る。答える気力もなく無視していると、勝手に扉が開いた。入ってきたのはダレットだ。
「よお……」
「……何だか疲れてるな」
「お前は元気そうだな……ずっとここで寝てただけはあるな」
身体を起こす気すら起こらない。元々疲れていた上に、とどめに狼を片っ端から倒したのだ。
「嫌味か? それは」
「嫌味だよ」
ダレットはずかずかと入ってくると、一つしかないベッドに腰掛ける。まだ傷は治りきってはいないはずだが、激しい運動でもしない限りは平気なのだろう。
「嬢ちゃんはどうした?」
「まだ寝てるよ。ああ見えて、子供だからな……体力が戻れば目を覚ますだろ。とりあえず、シェルタに見てもらってる。
……ああ、シェルタってのはここの宿の子だけどな」
「知ってるよ」
ぼんやりと言うサリクスに、ダレットは目を丸くする。
「俺と嬢ちゃんはその子に会った。話もした……お前のことも、ある程度は聞いていた」
シェルタに感づいたのは、はっきり言ってキルファの勘だ。その辺りのことは、サリクスも説明しにくい。身体がだるいこともあって、サリクスはそこのところの説明を打ち切った。
「……お前が何か言ったんだろ? わざわざ短剣まで貸して。シェルタって子は律儀にあの場所まで来たからな」
「まあな。気がついたらここで寝てるわ、お前たちの姿は見えないわ……さすがに、俺も訳が分からなかったからな。それでとりあえず、シェルタに様子を見てもらったんだが……」
ダレットはそこで首を傾げた。
「あの子は、お前らに会ったなんて一言も言ってなかったぞ?」
「んー……まあ、何となく想像はつくな。あのシェルタって子は行動の予測がし易そうだし」
サリクスは皮肉を込めて笑うが、ダレットは顔をしかめて考え込んだままだ。
「……どういうことだ?」
「腹が立つから言わねえ」
サリクスはそこでのっそりと起き上がると、ベッドからダレットを追い落とす。
「場所変われ。何で疲れてる俺が椅子で、お前がベッドに座ってるんだ」
言うなり、ごろりと横たわった。正直このまま寝てしまいたかったのだが、あれこれ説明することも多い。明日は一日中寝てやる、などと訳の分からない決意をしてみたりする。
床に叩き落されたダレットはしばらく憮然とした顔をしていたが、やがて椅子に浅く腰掛けた。
「俺はまあ、ずっとここで寝こんでただけだからな。特に話すこともない……むしろ、訊きたいのはこっちだ」
ダレットはしばらく頭で言うべき事を整理する。普段あまり使わない頭なので、いざ必要なときにもとにかく動きが遅い。
「……あの、変な子供の姿をした魔物。俺はあいつにやられて気を失ってたが……あの後、どうなったんだ?」
こうやってキルファとサリクスが無事でいると言うことは、倒したか魔物が引き上げたかのどちらかなのだろうが。
「嬢ちゃんがけりをつけたよ」
サリクスが言う。
「……どういうことだ? 確か、あの魔法消去は防がれてた……」
目を丸くしているダレットに、サリクスは顛末を大雑把に説明する。
話が進むにしたがって、ダレットの表情が戦慄に凍った。
柔らかそうな銀髪が、細い輪郭の周りに散らばっている。短めの髪は、自分で適当にナイフで切っているのだろう、長さもばらばらだ。少しでも整えたら、さぞ可愛らしくなるだろうと思えたが。
鮮やかな紫の瞳は、今は瞼の下に封じられている。それでも、一度見たら忘れられるようなものでもない。
シェルタは、恐る恐る少女の……キルファの顔を覗きこんだ。苦しいのか、呼吸も荒く、時々小さなうめき声が漏れる。
まさか、ダレットの世話をしているときはこの少女の看病をすることになるなどとは思わなかった。気が進まなかったのだが、頼まれては断る理由が見つからない。
「むう……」
再びキルファの顔を覗きこみ、シェルタはうめいた。
自分にキルファとあのエルフの探索を頼んだときの、そして意識を失ったキルファを抱えて戻ってきたときの、ダレットの切羽詰った顔が思い出された。
もしも、あれが自分だったら……あの男は同じ表情をしてくれただろうか?
基本的に、ダレットは困っている人間を見たら助けずにはおれない人間だ。それを偽善と呼ぶかお人好しと呼ぶかは置いておいて、とにかく、誰が倒れても悲しそうな顔はするだろう。
が。この少女に対するものとは違うだろう。おそらく。
慌てて飛び出したダレットを追いかけていって、あの場を見ていたから……シェルタには、分かってしまった。悔しいが、それが現実だ。
自分の、ダレットに対する感情が何なのか……恋愛感情なのか、ただの憧れなのか、好奇心なのか。自分でも判断がつきかねたが、それが敗北したことだけは確かであるようだった。
「…………っ!」
眠っていたキルファが声にならない叫びを上げ……目を見開いてがばっ、と起きあがる。
シェルタは、見下ろした体勢のままで硬直した。
うっそうと茂った森。その中に佇む、今にも倒れそうな小さな家。見渡してみると、向こうに同じようなものがいくつかまばらに見える。
嫌と言うほど見慣れた情景。自分が生まれ育った場所だ。ハンザという名前の山中の村。
記憶にはあっても、愛着などなかった。いや……一番、忘れたいものかもしれない。それでも、十二年間過ごしてきた風景というのは、二年やそこらでは消えてくれないようだ。
(……面倒なものよね)
今は、この場所はどうなっているかは分からない。だが、記憶にあるものと違うということだけは確信できる。この風景は、自分が焼き尽くしたのだから。
(……また、嫌な夢を見たものだわ)
妙に視点が低い。自分の身体を見てみると、手足がやけに短い。ようやく物心ついたころの姿をしているのだと、それで悟る。
『キルファ』はちょこちょこと小走りに駆けていく。小さな小屋……昔、住んでいた家だ……に辿り着くと、背伸びしてドアを開けた。
『お帰りなさい』
おそらくそう言っているのだろう。だが、出迎えたエレナ……キルファの母だ……は、唇を動かしはするものの、声は発しない。それどころか、何の音も聞こえてこない。
キルファも何かを言って、エレナに飛びついた。エレナの側で甘えるようにして目を閉じ、眠ろうとする。夢の中の母は、記憶そのままに温かい。
せめて夢の中くらいは、母親に甘えても良いだろう。もう二度と叶わぬ事なのだから。
自分に向けられる優しい手は、二年前に失われてしまった……
(……そう……だった?)
かすかな違和感。同時にキルファは目を覚まし、立ち上がる。
風景が変わっていた。どうやら、自分自身が成長したらしい。夢の中であるので、時間の経過などは関係ない。
嫌な予感がした。もしかしたら……
『……母さん』
キルファは無造作にエレナに向かって手を伸ばす。記憶そのままの、優しい笑みを浮かべてエレナはキルファに手を差し伸べる。
次の瞬間。
(…………!)
優しい笑顔はそのままに、母親の姿は紅い炎に飲みこまれた。苦悶の表情を見る間もなく、炎にかき消されて母の姿は見えなくなる。
『母さん……母さん!』
キルファが、炎に向かって泣き叫ぶ。気がつけば辺りは一面炎に包まれており、キルファは切り刻まれた死体に囲まれて呆然としていた。
何も出来ずに、ただがたがたと震えていた。
今も分からない。自分は一体……この時、どうすれば良かったのか。為されるがままに死ねば良かったのか、それとも……
(許してくれ、なんて言う資格はない。でも、謝る気もない。あたしにだって、生きる自由くらいはある……)
ぼんやりとキルファはそんなことを考える。
そのうちに、また場面が切り替わった。ハンザの村を抜け出した後に向かった、王都ラインガルド。人間の街。
所詮、自分は『半分』でしかないのだということを思い知らされた。まともに生きていけるわけもなく、生きていくためなら何でもやった。幸か不幸か、母親から授けられた大量の知識があり、生来の身軽さや機転の早さを持ち合わせていた。
……それが良いことなのかも悪いことなのかも分からないが。
緑の瞳が、自分を見つめていた。栗色の髪の、如何にも人の良さそうな青年。しかし、その裏にとてつもない力を隠した青年。
(……ダレット)
ダレットは、いつも通りののほほんとした笑いを浮かべていた。キルファに笑いかけ、そして手を伸ばす。その手を、キルファは何の躊躇いもなしに取った。少し前の記憶。
そして。
(…………!)
吹き出す紅い血が視界を染めた。
ダレットの腹から黒い刃が生えていた。一瞬にして意識を失ったのか、苦悶するでもなく、静かな表情でダレットは地面に倒れる。
咄嗟に突き飛ばされたキルファは、その向こうの人影を認識するのにやや時間がかかった。
黒い鎧を纏った子供。あの魔物――
『ああああ……』
がたがたと声が震える。紡ぐべき言葉は霧散し、頭の中が真っ白になるのが分かる。
いや、紅い色彩が思考を支配していく。血と、炎の色。
それしか見えない。出口も、何もかも。だから……
『ああああああっ!』
キルファは、ただ叫ぶしかなかった。
がばっ! と起きあがる。そのまま夢の続きのようにがたがたと震えていたが、しばらくしてようやく、夢であったことを心の中で確認する。
(……もう大丈夫。大丈夫だから……)
自分に言い聞かせ、早鐘のように鳴り響く心臓を落ち着かせる。まだ呼吸も荒いし、身体中に汗をかいているようだ。
元々眠りが浅いので、夢を見ることはそう珍しくないが、ここまでうなされたのも久し振りだ。もっとも、ここしばらくはろくに眠っていなかったが。
「……って……」
ややあって、ようやく周りの状況が飲みこめてきたキルファは、ぼんやりと呟いた。
「何処よ? ここ……」
「わたしの家」
憮然とした答えは、横から来た。まだ完全に目覚めていない頭で、辛うじて振り向く。
見知った顔だ。白っぽい金髪に碧眼。あの、シェルタとかいう女だ。
「……ってことは、人間の村、よね? ……何であたし、こんなとこにいるわけ?」
徐々に意識がはっきりしてくる。側の森で、狼の群れと対峙していたのは覚えている。その後、どうしたのだろうか?
「何だか気を失ってたあなたを、ダレットさんが運んできたのよ。あの長柄戦斧を抱えたエルフも一緒にね」
「ダレット? ああ……」
ようやく思い出した。何も考えずにのこのこと姿を現したダレットをさんざんに罵った後、無様にも意識を失ってしまったのだ。疲労が溜まっているのは自覚していたが、まさかあんな場面で倒れるとは思わなかった。
「あたしとしたことが……とんでもない馬鹿をやったわね」
一人ごちる。そのままゆっくりと身体を動かしてみる。身体が鉛のように重く、思うように動けない。
まあ、少しの間なら、だましだまし動かせるだろう。後で休めるかどうかは疑問だったが、とにかくこの場にいるよりはましであるはずだ。
「くっ……」
動いた途端に視界が歪む。首を振って意識を集中する。よろよろと立ちあがると、側に置いてあった自分のマントを羽織った。何となく違和感を感じて振り返ってみると、あちこちに仕込んであった投擲用ナイフが全部取り外され、側のテーブルに置かれていた。舌打ちをして、とりあえず普通のナイフだけを腰の後ろに差す。
「また御丁寧にっ……」
恨み言は途中で途切れ、キルファは強烈なめまいを感じて床に膝をついた。予想以上に身体に負担がかかっている。
「くそっ……情けないったら……」
それでもテーブルのナイフに手を伸ばしているあたりは、ほとんど執念であった。
その横で、シェルタは呆然と様子を眺めている。ややあって、
「……何やってるの?」
何も考えていない風で訊いてきた。ぎろりとキルファはシェルタを睨みつける。
「見れば分かるでしょうがっ……とっととここから出て行くわよ……そうすれば文句はないでしょう……!」
自身では精一杯怒鳴っているつもりなのだが、実際に口から漏れるのは途切れ途切れの呟きでしかない。
「まあ、寝かせてもらってたことは感謝するけど……あたしだってさんざん狼を退治したんだからお互い様ってもんでしょう……」
再び立ちあがろうとする。が、気力だけで、実際にはほとんど動けなかった。
「……まだ寝てたほうがいいんじゃない? とりあえず」
シェルタが、腹立たしいくらいにのんびりと言って寄越した。
「それくらいは分かってるわよ……でも、ここにいたらまた面倒が起こるだけだもの……」
「……もしかして、わたしたちを信用してない?」
ようやく気付いたように、シェルタは首を横に傾げながら言った。キルファは無言。だが、それは肯定だった。
「……そんなに、人間って信用できないものなの?」
「当たり前じゃないの」
キルファは即答した。床にへたりこんだままで、シェルタを見上げて睨みつける。
「生憎と、この目の色のお陰で色々とあったもんでね……少なくとも、人間の村で無防備に寝こけている気にはなれないわね。所詮、出来損ないが安心していられる場所なんて無人の山にでも行かない限りないのよ。
人間だろうとエルフだろうとどっちでもいいけど、会う度にじろじろ見て下手すれば叩き殺そうとするんじゃ、信用しろって方が無理ってもんだわ」
ぺらぺらと一気にまくしたてる。それでまた体力を消耗したのか、身体がぐらりと傾き、床に倒れ伏す。しかしそれでもなお、ベッドで横になっている気はないらしい。
頑ななその態度に、シェルタも扱いに困った。しかし、いくらハーフだろうと、自分より年下の女の子を、それもダレットが大事にしている子を床に転がしておくのは気が引ける。
「人間なんて信用できないって言ったわね。だったら……ダレットさんはどうなの? あの人も、あなたは信用なんてしていないわけ?」
皮肉な笑いを浮かべて、シェルタは言った。キルファは一瞬硬直し……そして、その顔が真っ赤に染まる。
「そんなこと、あんたには関係ないでしょう……!」
床に倒れ伏したままかすれた声でわめき、再び、キルファは気を失った。
