暁の大地

47.招かれざる来訪者

 うっそうとした森が広がっている。その中のわずかに開けた場所に、指で数えられるだけの家がぽつりぽつりと点在している。
 見慣れた風景。自分の生まれ故郷、ハンザという名で呼ばれる地だ。
 その中でも更に外れに、今にも壊れそうな小さな小屋があった。一見廃屋に見えてしまうほどに傾いていたが、一応中に誰か住んでいるらしい。
「ただいまー」
 小さな少女が、とことこと小屋に駆けていくと飛びあがって扉を開けようとする。が、背の高さが足りず、飛び上がって悪戦苦闘していると、中から扉が開いた。
「お帰り」
 優しい声音が響く。聞き慣れた声。だが……女の声ではない。
 母親ではないのは明白だ。だが、少女――小さい頃のキルファは、少しも臆することなく人影に駆け寄った。
「お兄ちゃん!」
「こんにちは。いつも元気だね……キルファは。いい事だよ」
「うん!」
 背の高い人影……まだ少年と呼べる年齢の男だ……は律儀にかがむと、キルファの銀色の頭を撫でた。キルファの顔が、安心したように緩む。日向でまどろむ猫を連想させる表情だ。
 少年は何やら作業をしているようなのだが、キルファはちょこまかと動いて覗きこもうとする。要するに邪魔をしているのだが、少年は別に嫌な顔をするでもなく、小さな子供をあやしながら作業をしている。
 そこに、ぱたぱたという足音が聞こえた。
「リュシウス、これで良いと思うんだけど……。あら、キルファ、帰ってたの?
 駄目よ、リュシウスの邪魔をしちゃあ」
 奥の部屋から女性が顔を出した。キルファの母親、エレナだ。壷や袋を幾つも抱えている。
「構いませんよ」
 リュシウスと呼ばれた少年は鷹揚に答えると、またキルファを構ってやっている。小さい子供の扱いにも慣れているようだ。
「悪いわね、いつもキルファの面倒を見させてしまって」
「いえ。僕も好きでやってるようなものですしね」
 懐から菓子の包みを出してキルファに渡す。キルファがそれに齧りつくのを眺め、エレナとリュシウスは揃って笑った。
「大変なのはむしろエレナさんの方でしょう? こんな小さな子を育てて、それに……村の連中も」
「私も、好きでやってることだから」
 心配顔で言うリュシウスに、エレナが苦笑して応じた。抱えた荷物を机の上に置くと、菓子を頬張っているキルファの頭を撫でる。
「私は大丈夫だけど……この子は。キルファは……どうなるのかしらね、これから……」
 笑顔に悲しさが混じる。キルファだけが何も知らぬ顔で、紫の瞳で母親を見上げていた。

「……夢か」
 身を起こし、キルファは呟いた。
 辺りを見渡せば、朝日が昇りかけている。その横で、ダレットとサリクスの二人が転がって寝ていた。
 今いる場所は、あまり狂暴な肉食獣は生息していない。そのせいで、最近は野宿の際に番を立てる事もなくなっている。何にせよ、安心して寝られるというのは有り難い限りだ。
「小さい頃のことなんて、思い出そうとしても思い出せないのに。何だって夢だとこうもはっきり覚えてるのかしらね」
 急速に、夢の映像が記憶から薄れていく。寝ぼけ眼で、ぼんやりとキルファは夢を反芻した。
「……リュシウス、か」
 名前を呟く。
「どうなってるのかしらね、今頃」
 あの惨劇以来、村のことなど知る術はない。当然、ハンザの村の住人……リュシウスの消息も不明だ。
 かつての知己が、妙に懐かしく思えた。今更会ったところで、どうなるとも思えなかったが。大勢の村人を殺した上に脱走した娘に出会ったら、取るべき行動など一つに思えた。
 殺されてやるのも一つの道かもしれなかった。だが、身勝手だとは思ったが、自分は死にたくない。それだけは確かだ。
 だから。
 今となっては……あの転がった死体の中に、リュシウスがいなかったことを祈るだけだ。
「…………」
 重苦しい気分を吹き飛ばすように首を振ると、キルファは跳ね起きた。

 その頃。
「ここの近くに間違いないのね?」
 淡々と女が訊いた。本人にしてみれば単に場所を尋ねただけなのだが、脅されてでもいるかのような、変な緊張感と圧迫感を与える声である。その声は涼やかではあったが、裏に怜悧な刃物が潜んででもいるような印象がある。
「うーん、情報通りならね。でもさあ、結構探す範囲が広いよ? 何とかなるかな?」
 答えたのは若い男の声だった。女とは色々な意味で対照的で、口調はやたらと軽い。こちらは、道化師の口上でも聞いているかのような印象を周りに与える。
 女はその話し方が気に入らないのか、露骨に顔をしかめて見せた。
 が、いつものことなのだろう。男に動揺した様子はまったく見当たらない。
「あー、そこのカラスさん、こんな子を見ませんでしたかねえ?」
 男は冗談めいた口調で言いながら、懐から一枚の紙を取り出して、ひらひらとさせてみせる。だが、別に男にカラスと意志の疎通をするなどという技術があるわけではなく、カラスは間の抜けた鳴き声を上げつつ飛び去って行く。
「……あのねえ……」
 さすがに女も呆れた顔で言う。そのまますたすたと男の側まで歩くと、ごん、と問答無用で張り倒した。女の拳をまともに顔面に食らい、男はもんどりうって転がる。それでも、へらへらとした笑いはそのままだ。
「馬鹿なことやってないで、さっさと探す!」
 怒鳴ると、地に落ちた先ほどの紙片を拾う。何度も読んだものなのだが、生真面目な性格のためか、ついつい目を通してしまう。
 とは言っても、紙には何かが箇条書きで数行書かれているだけである。三回目を通せば、暗記できてしまうほどの量だ。
「……たったこれだけの特徴で探せと言われれば、普通は無理だって言うけど。それが出来るのも結構凄いことかもしれないわね」
 何とはなしに女は呟いた。全力で殴り倒したにも関わらず既に復活していた男が、耳ざとく聞きつけて言う。
「まあ、だから僕たちに命令が来たんだけどね」
 男が、何かを含んだ笑いを浮かべた。男にしたところで、今更紙片の内容など確認するまでもなく、暗記している。
「性別・女、年齢・十四歳、髪・銀……」
 それでも、相変わらず芝居がかった口調で諳んじてみせる。女は別に聞いてもいないようだったが。
「目の色・紫、か。本当にこれだけの情報しかないんだからねえ……」
 肩をすくめてみせるが、女は冷たい視線を一瞬向けただけだった。
「紫の眼。ハーフの証拠……、か。話には聞いてるけど、実際に見るのは初めてだわ」
「僕もだよ。……でもさ、不思議だよね、何だって皆揃って目の色が変わるんだろ。突然変異みたいなものなんしょ?」
「さあね……でも、それを究明するのは私達の役目じゃないわ。私たちがやるべきことは別にある。
 ……だから。馬鹿なことやってないでとっとと先に行くわよ」
 女は、男の返事も待たずにすたすたと歩き出した。

「えーと、ちょっと水汲んでくるわね」
 即席の竈を組み、携帯用の食料を引っ張り出し……と、朝御飯の準備をしていたキルファは、寝ぼけ眼のダレット、サリクスに向かって言った。そのまま返事も待たずに、容器を抱えてすたすたとその場を離れる。
 大体、野宿場所には川の側を選んでいるから、水汲みといったところで大して手間がかかるわけでもない。男二人にしても、ぼんやりと首を縦に振っただけだ。
 少し歩けば、小さいが透き通った水が流れる川があった。昨日のうちに見つけておいたものだ。もっとも、ダレットの地図にも記載がある川だから、探すというほどもでもないのだが。何にせよ、旅をしている者には必要不可欠な存在である。
 携帯用の鍋に水を汲む。毎日やっている、どうということもない作業だ。
 ふと水面を見下ろす。緩やかな流れに、自分の顔が映っていた。銀色の髪、紫の瞳。生まれた時から見慣れてはいる。が、何とはなしに自分の瞳に目が行ってしまう。
「……確かに、珍しいけど」
 ぽつりと呟く。
「これだけだったら、何てことないのに。この色がハーフだけって言うんでなければ、大して問題にはならなかっただろうけどさ。
 ま、単なる目印なんだけど。こんなもの」
 この瞳を潰してしまえば、宿命……この一言で片付けるのはあまりにも腹立たしいが……から逃れられるのではないか。そう思ったこともある。手にしたナイフを何回目に向けただろうか。
 いっそのこと、潰してしまえば意外に上手く行ったのかもしれない。だが、単なる現実逃避でしかないことに、気付いてしまった。目を潰したところで、何が変わるわけでもない。そんな虚しさに。
 事実は変えられない。死ぬまでずっと。
「……分からない、知らないというのも、それはそれで幸せなことなのかもしれないわね」
 気付いてしまう、知ってしまうことが苦しみとなることもある。結局のところ、幸せも苦しみも、本人次第だ。
「はあ……」
 あんな夢を見たせいだろうか。どうにも気分が晴れない。
 しばらくぼんやりとしていたが、不意に情けない顔をしたダレットの顔が脳裏に浮かび、我に返る。
「さっさと餌を作ってやんなきゃ」
 呟き、立ちあがる。
 その時。
 後ろでがさり、という音がした。
(……しまった)
 自分で思っているよりもぼんやりとしていたのだろうか。気配を察知するのが遅れた。
(多分、二人いる。……素人じゃないわね。何らかの実戦経験がある連中)
 集中し、知覚を総動員する。鍋から手を離し、懐に手をやる。
 手に馴染む金属の感触を確かめてから、キルファはゆっくりと振り返った。

「何だか、こんな場面は前にもあった気がするわね……大概、ろくなことにならないんだけど」
 ぶつぶつと言いながら降り返る。口調こそ軽いが、辺りの空気がぴりぴりと張り詰めている。つまり……全力で警戒している。
「ども。始めまして」
 ぴっと右手を挙げて見せ、やたらとにこやかな口調で言うのは、若い男だ。金髪碧眼、痩せ型と言うよりはひょろっとした体型で、甘い顔立ちをしている。街に行けば女が放っておかないような優男だが、その動作が何処か芝居じみている。これが地なのか、何か理由があって演じているのかはいまいちはっきりしないが。
 ただ、一つだけ言えることは……気に食わない男だ。その軟派な物腰と言い、態度と言い――その裏に何か隠していることと言い。
 懐に手を突っ込んで警戒したまま、キルファは横のもう一人を見た。
 こちらは若い女だ。燃えるような赤毛と同色の瞳。男とは色々な意味で対照的で、間近で相対しているだけで、炎を付きつけられているかのような凄みがある。美女なのだが、同性のキルファでも近寄りがたい雰囲気があった。
 額から一筋、汗が流れる。男は細身の剣、女は短剣を腰に差している。物腰を見れば分かる。二人とも、かなりの使い手だ。
 それに。
 二人とも……その耳は長く尖っている。エルフ族の証拠だ。こうして睨み合っているだけでは分からないが、魔法を使いこなす可能性もあるのだ。
「……何の用よ?」
 無愛想に、キルファはそれだけ訊いた。
「あなたが、『キルファ』ね?」
 淡々と、今度は女の方が訊いた。
「人違いよ」
 即答する。無意識のうちに、一歩後ろに下がる。この二人組の目的が何なのかは分からないが……少なくとも、自分にとって嬉しいものではなさそうだ。
 そうでなければ、こんな手練二人がやってくることなどないだろう。
「それなら、あなたと同じ銀髪、紫の目の女の子をここに連れてきてもらえる? そうしたら、人違いと認めてもいいわ」
 女が無表情に言う。ハーフ自体が極端に少ないし、銀髪も全人口から見たらかなりの少数派だ。自分と同じくらいの年齢の少女など、まずいないだろう。その上で女は言っているのだ。無論、キルファもその嫌味に即座に気付いている。
 キルファは舌打ちし、投げナイフを握り締めた。二人も気付いてはいるはずだが、自分の武器を抜く様子はない。自分の腕に自信があるのか、それとも白兵戦が本領ではないのか。
 そらっとぼけるのは諦め、キルファは苦々しげに言った。
「あたしの名前知ってるのね……だったら、そっちの名前も聞かせてもらいたいもんだけど」
「僕がウィレム。こっちがブランシュ。……これでいいかな?」
 にっこりと、殴り倒したくなるくらい親切に言って寄越したのは、ウィレムと名乗った若い男だ。
「余計なことは言わなくていい」
 ブランシュと呼ばれた女が、苦虫を噛み潰したようにウィレムを睨みつける。ウィレムは肩をすくめたが、まるでこたえた様子はない。
「まだよ……だから、あんたらは、あたしに何の用があるの?」
 問いかけながら、頭で必死に考えを巡らす。
 二人の言葉尻を捉えた限りでは、この二人は何らかの情報を得て自分を探していたようだ。髪と目の色、年齢と言ったところか。もしかしたら、大雑把な似顔絵くらいは付いているかもしれないが。自分はこの二人組とは面識はない。
 となれば、情報を与えた何者かがいるはずだ。今、その『何者』について言えることといえば、おそらくエルフだろうということだけだ。それでも、二人組がエルフだからというだけの理由だが。
(あとは……)
 これも確信はないのだが、二人は自分の使う『インシード』の姓は知らないようだ。エルフは公式には姓を名乗ることを禁じられているから、使わなかったと言えばそれまでなのだが。
 自分が姓をつけて名乗るようになったのは二年前、ラインガルドに潜りこんでからだ。知らないとすれば、『何者』かと自分との接点はエルフの村にいた頃ということになる。あの頃は、ただの『キルファ』だった。
(二年前……)
 二年以上前の話で、エルフがわざわざ自分を探す理由。そんなもの、一つしかない。
「あなたについてきて欲しいところがあるの。そこまで連れていくのが、私たちの役目」
「役目、ね」
 呟く。とりあえず、『何者』かがいることは明白になったわけだ。
「嫌だ、と言ったら?」
「嫌でも来てもらうよ」
 にっこりとウィレムが宣言する。その笑いは、さっきまでの笑いとは違う。まるで、肉食獣が獲物を見つけたときのような笑顔だった。
「…………っ!」
 キルファは恐怖を誤魔化すかのように、ナイフを握り締めた。  

 

 
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