暁の大地

48.誘拐

「……お腹空いたな」
「腹減ったな」
 木にもたれかかるようにして、ダレットとサリクスは異口同音に呟いた。
「……遅くないか? ただ水汲みに行ったにしては」
 川の位置は、二人も把握している。小柄な少女の足とはいえ、時間のかかるような場所ではないはずだ。
「まあ、何か用でもあったとか……」
 サリクスがとりなすが、ダレットは難しい顔をしたままだ。
「何の用があるって言うんだ? あいつに」
 そこでようやく、サリクスの顔から笑みが消える。
 突如。
 木々の向こうに蒼い光が見えた。光は一瞬まばゆく輝き、そして残像を残して消える。
「これって……」
 二人とも、光の色に見覚えがあった。何度も助けられた色。キルファの<白紙>の魔法が発する光だ。
 二人は同時に立ちあがる。言葉を発するのももどかしく、武器を握る。
 顔を見合わせると、光が見えた方角に向かって駆け出した。

「……あたしを、何処に連れてく気?」
 じりじりと後ろに下がる。ナイフを両手に握り、いつでも投げられるように構えた。が、素人ならどうにでもあしらう自信はあったが、この二人相手ではどこまで通用することか。それぞれが相当な使い手だ。加えて魔法を使われたら、それこそ打つ手がない。
「来てみれば分かるわ」
 ブランシュが事務的な口調で言った。彼女は意識的に後ろに下がり、代わってウィレムが前に出る。ウィレムが、腰に佩いた剣を抜いた。
 細身の、真っ直ぐな刀身の剣である。だが、その刀身にはほとんど刃がない。先端だけが針のように研ぎ澄まされている。エストクと呼ばれる、刺突に特化した剣だ。
 騎士がよく用いる剣であり、王宮文学や芝居などにも度々登場する。確かに、棍棒などよりはこの男には似合っているかもしれない。
 ウィレムは剣を引き、刺突の構えを取る。キルファにはさほど剣術に関する知識はないが……一つだけ分かった。
 自分には勝てない。
 更に。
 後ろに下がったブランシュは、ぶつぶつと何かを呟き出す。その正体は、考えなくとも分かる。
(呪文!)
 おそらく、ウィレムが接近戦担当、ブランシュが中距離戦担当と言ったところなのだろう。戦士と魔導士が組むことは珍しくない。むしろ戦術の基本だ。お互いの欠点を補えるからである。
 魔導士には呪文を唱える間に隙が出来る。その間、戦士に護ってもらえば良いし、一度に何人もの敵と相対した場合、魔法というのは強力な武器となる。
 二人の様子からして、昨日今日組んだというわけでもなさそうだ。典型的ではあるが、連携は見事だった。
(……逃げるしかないか)
 決断は速かった。が、自分のすぐ後ろには面倒なことに川がある。退路を絶たれた状態だ。二人も、それを見越した上でここで接触してきたのだろうが。
 細い川のことだ、越えることも可能ではない。だが、水の中を突っ切れば確実に足が鈍る。その間に追いつかれたらそこで終わりだ。
(……どうする?)
 一瞬が永遠に引き伸ばされたかのような思考。
 次の瞬間……キルファはウィレムに向かって駆け出していた。
 ウィレムもさすがにこの行動には面食らったようだったが、構わずに剣を構えて機を窺う。走りながら、キルファは大声で宣言した。
『開門っ!』
 蒼い光が辺りを包み込む。ブランシュが眉を寄せて苦い顔をした。起動直前の状態にしておいた魔法を消去されたのである。
 これで、後ろから追撃される可能性は大分減る。キルファはなおも、ウィレムとの間合いを詰めた。
 後少しでエストクの間合いに入ってしまう。ウィレムが勝ちを確信し、刺突を繰り出したその時。
 キルファは助走を付けた状態で地を蹴った。元々が身軽な彼女のことだ。軽々と跳びあがり、必殺のはずだった剣先は宙を切る。
 ぎりぎりのところで、跳んで避けたのだ。剣先は虚しく、彼女の残像に突き出された。
 呆然とするウィレムは放っておき、跳んだキルファはウィレムの肩に手をかけてもう一段跳びあがり、ウィレムの頭上を飛び越える。
 そのままウィレムの後ろに立つと、方向を変えて真っ直ぐに駆け出した。背後を取った時点でウィレムを倒すことも可能ではなかったが、ブランシュの出方が気になったのである。
 ウィレムの後ろを取れば、ブランシュは魔法を使えない。魔法で追撃される可能性も、ウィレムを射線上に置けばその可能性はぐんと減る。
(あの二人のところに戻れば、何とかなる)
 ブランシュの魔法の技量は分からないが、ウィレムと組んでいる以上、一流の魔導士と思って間違いないだろう。強敵ではあったが、ダレットとサリクスがいれば追い払うことも不可能ではない。
 短いやり取りから、キルファは二人の技能をこう読んでいた。
 が。
『風よ・我を護る・風陣と成せ!』
 背後から呪文が聞こえた。ブランシュだ。
 一流の魔導士というのは、魔法の威力におぼれない。魔法が発動したからとて、油断しない。つまり……魔法が失敗したときからの立ち直りも早い。
 キルファに魔法を消去されたのを察知するなり、次の呪文を唱え出したのであろう。
(まさかっ!)
 キルファが心の中で悲鳴を上げるのと同時に、森の中を突風が吹き荒れる。防御魔法<風陣>。自分を中心とした範囲内に、強風の渦を発生させる魔法である。
 効果を及ぼす範囲が広い、ほとんど回避は不可能な魔法である。上級魔法の部類に入り、このことからもブランシュが一級の魔導士であることが分かる。
 しかし。
(すぐ側に仲間がいるのよ? そこで、こんな無差別範囲の魔法を使う、普通っ?)
 成す術もなく吹き飛ばされながら、キルファは思いきり毒づいていた。
「何考えてるのよ、あの女……」
 呟きはうめきに混じる。小柄な身体はものの見事に吹き飛ばされ、近くにあった大木に激突して止まる。全身を強打したせいで、呼吸することすら苦しい。
 動けないでいるキルファに、ブランシュはすたすたと歩み寄った。
「さて。一緒に来てもらうわ」
 相変わらずの事務的な口調で言いながらかがみこむ。ある程度体術に通じていれば、薬など使わなくとも手刀の一撃で気絶させることも可能だ。
「仲間……ごと、吹き飛ばす……普通っ! 何、考えてるのよ……あんた……」
 顔だけ上げて睨みつけ、絞り出すように途切れ途切れに言う。それをブランシュは、こともなげに言い返した。
「ああ、別に良いのよ、あの男は。このくらいでどうにかなるような奴じゃないから」
 けろりとして言ってのける。心配だの何だのといった様子は微塵も感じられない。
 キルファの首筋にとん、と軽く触れる。傍目には触れたとしか見えなかったが、それだけでキルファはあっさりと意識を手放した。
 大木の根元に倒れ伏したキルファはそのままに、彼女ごと吹き飛ばされたウィレムに声をかける。
「さて。目標の確保は完了したことだし、さっさと戻るわよ」
 ウィレムは、よろよろと起きあがった。確かに服は土埃にまみれているが、ブランシュの言った通り、大して怪我をした様子もない。へらへらとした笑いもそのままだ。
「ひどいよブランシュ……僕ごと魔法に巻きこむなんてさ。他にもっとやりようってものが……」
「あっさりと抜かれた奴にとやかく言われたくないわね。大体、こんな強風の魔法でどうにかなるような男じゃないでしょ、あなたは」
 言って、ブランシュは呆れかえったようにため息をついた。
「そういうわけだから。その子は、あなたが抱えていってね」
「はーい……」
 これ以上反論するのは諦め、ウィレムは倒れたキルファの身体を抱え上げる。年齢は十四歳と聞いていたが、それにしては小柄だし、体重も軽い。
 まあ、これなら起こして引きずっていく手間もないだろう。少し見たこの少女の性格からすれば、いつ逃げ出してもおかしくない。
「ま、案外簡単な任務だったね」
「無茶な話だったら、私たち二人だけに命令なんて来ないわ。無茶と分かっていることをやるような方でもない」
「そりゃそうか……」
 キルファを抱えたまま首を傾げるウィレム。
「さて、戻るわよ」
 ブランシュが来た方向に向かって歩き出す。が、すぐに足を止めた。

「な……?」
 ダレットは思わずうめいた。
 エルフの男と女が目の前にいる。二人だけだったら、自分たちと同じ旅人か盗賊かとでも思っただろうが……その腕に抱えられているものが問題だった。
 白い服を着た小柄な身体。気を失っているのか、だらりと腕を垂らしている。考えるまでもない――キルファである。
「キルファ?」
 ダレットはまた呟く。
 呟きが聞こえたのか、男と女は顔を見合わせた。そのまま、こそこそと話をする。
「そう言えば、付随事項に『人間の男が一緒にいる可能性がある』とはあったわね」
「あの男がそうか……まずいね。こっそりと離れるつもりだったのに。どうする?」
「どうもこうもないわ。私たちは、同伴者に関しては何も言われていない。倒すわけにも行かないだろうから……また吹き飛ばしますか」
 ひそひそと物騒な話をする。ダレットとサリクスには聞こえていないが。
「貴様等……キルファに何をした?」
 ダレットは怒鳴りながら長剣を抜く。そのまま斬り付けそうな勢いだったが、かすかに躊躇しているようだ。男……ウィレムの腕にはキルファが抱えられたままなのだから。
「別に。ちょっと眠ってもらっただけ……怪我はさせてないわよ」
 先程強風で吹き飛ばしたことはこの際黙っておく。
「だったら、どうするつもりだ……!」
「私たちは、この子にちょっと用があるの。それで同伴を願っただけ。あなたたちには何の用もないのよ。出来れば、さっさと消えて欲しいんだけど」
 淡々とブランシュが言う。彼女も腰の短剣を抜くが、彼女にとって短剣は護身用の域を出ない。ダレット相手に通用しないことは彼女も承知していた。
「勝手な事を言うな!」
 ダレットが長剣を手に踏み込んだ。ウィレムに斬りかかるが、彼としてもキルファごと斬るわけにはいかない。仕方なしに剣の腹で足を狙うが、ウィレムは辛うじてこれを避ける。小柄な少女とは言え、人一人抱えてはそう簡単には動けない。
 後ろのブランシュが呪文を唱え終わったのを察知し、ウィレムは慌てて後ろに下がった。
『我が前に・聳え立てよ・絶対の壁!』
 ウィレムとダレット、二人の間に突如炎が出現する。炎がまさしく壁となって二人を隔てた。防御魔法<炎壁>。任意の線に沿って炎を吹き上げるもので、防御にも攻撃にも使われる魔法だ。
 しかも、ブランシュは吹き上げた炎の中に小さな瓶を放った。炎の中で瓶は割れ、一瞬にして炎の勢いが増す。
「ちっ……」
 ダレットが身の危険を感じて後ろに下がった瞬間、炎が弾けた。ブランシュが投げた瓶の中に、油と火薬が仕込んであったのである。
 舌を巻くほどの用意周到さだった。帝国にエルフの兵士などいないが、正規の軍にはまず有り得ないことだ。傭兵などは、時々こんな装備を用意していることがあるが。
 ここは木の多く生えた……つまり、可燃物だらけの森の中だ。放っておけば、大規模な山火事になりかねない。実際、爆発の際に飛び散った火の粉は、近くの草に燃え移ってきている。
「サリクス……! 魔法でどうにかならないか?」
 横を振り向き、ようやくダレットは気付いた。
 サリクスは、呆然とエルフの男女を眺めている。
「サリクス!」
 ダレットがもう一度怒鳴ると、彼はようやく我に返った。
「あ、ああ……」
 またぼんやりと答える。ダレットは焦燥の顔で炎の向こうを見ていた。今すぐに追いかけたいのだが、炎が邪魔で二人とキルファの姿は見えない。
『その力もて・我が前の敵を打ち砕け・風よ・鉄槌と化せ!』
 攻撃魔法<風鎚>起動。一点を起点として、純粋な空気の爆発を叩きつける魔法だ。それをサリクスは、炎の中心を起点として起動させた。
 熱を帯びた強風が二人に吹き付ける。反射的にダレットは腕で顔を庇っていた。
 消火の手段の一つとして使われるのが、爆発による鎮火だ。爆発で空気を排除して炎を消すのである。炎と言えど、所詮は酸化現象である。真空の中で炎を持続させることは出来ない。
 魔法の爆発によって炎は弾き飛ばされ、やがて消える。焦げた臭いと熱気が充満していたが、構わずにダレットは走りだそうとし……そして、舌打ちして足を止める。
 三人……ウィレム、ブランシュ、そしてキルファの姿は既に見えなくなっていた。  

 

 
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