暁の大地

49.裏切りの代償

「何なんだ、あいつら……?」
 ダレットが呆然と呟く。キルファが、あの二人組に拉致されたらしいということだけは確かだったが、わざわざそうする理由が見当たらない。
 ただの、一人の少女をわざわざ狙う理由など。
(いや……?)
 ふと、師匠の話が脳裏に蘇った。ハーフが持つ、強大な魔法の力。街を一つ滅ぼしかねないほどの力。
 それを、欲している何者かがいる?
「とにかく」
 追いかけなくては話にならない。理由も何も、キルファを取り戻してからだ。
 横に佇むサリクスを振り返る。滑稽なほどに焦燥の表情をしたダレットとは対照的に、サリクスはぼんやりとしていた。
「おいっ!」
 大声で怒鳴ると、ようやくサリクスは我に返った。
「追いかけるぞ! 畜生、何のつもりなんだ、あいつら……」
「……待て。闇雲に追いかけても、多分、無駄だ……」
 いつもの快活さと明るさは欠片もない。ぼんやりと、それでも慎重に言葉を選びながらサリクスは話す。ダレットもようやく異常に気付き、眉をひそめた。
「……どういうことだ?」
 思わず尋ね、そこであることに気付いた。
 さっきの金髪の男と赤毛の女は、二人ともエルフ。そして……目の前のサリクスもエルフだ。種族にとらわれるつもりはない。だが……
「……お前、何か知ってる、のか?」
 信じたくはない。信じたくはないが……それでも、ダレットは訊かずにはいられなかった。
「嬢ちゃんに聞いてなかったのか……」
 呟くように言い、サリクスは大きく息を吐いた。疲れたとでも言うように。
「キルファが、何か知ってたのか?」
「何かっつうか、全部だな。俺も、大した事を知っていたわけじゃないから」
 ダレットは訳が分からない。先日まで重傷を負って、二人とは離れていたから尚更だ。その間に何かあったのあろうか。
 キルファが突如、攫われたこと。それに何やら、サリクスが関わっていたらしいこと。
 何が。何が、起こっている?
(……お互い、聞かなかった事にするって言ったんだったな。言い出したのは俺だが……嬢ちゃんが律儀に護ってたとは思わなかっな。いや……)
 ふと、傍らのダレットを見る。死ぬような思いもしたものの、それなりに平穏だった日々。一緒に旅をしていた者への信頼。それらがあまりにあっけなく崩れ、茫然自失としている。
(多分、相手がこの男だから言わなかったんだろうな。あの子は)
 苦笑めいた顔をし、サリクスは木に背を預ける。そして、ぽつり、ぽつりと今までのことを話し出した。とは言っても、大した量でもなかったが。
 キルファとダレットが、ドラウィダの村を出た後のこと。『監視役』として側にいたこと。そして――キルファにあっさりと見抜かれたこと。
「そんな……俺はそんなこと、一言も聞いてない……」
 サリクスは当然としても、キルファも、欠片もそんなそぶりは見せなかった。
 サリクスは、あの『交換条件』については伏せておいた。自分がここで喋るには、あまりにも辛い過去だ。決心がついたら、キルファ自身が話すだろう。
「何で、あいつ……俺に言わなかったんだ?」
 ダレットは、サリクスを見ることが出来ない。今までずっと信頼し、友人だと思っていた者に裏切られた、この苦い感触。どんな顔をして、このエルフの男を見れば良いのだ?
 サリクスは、それこそ自分を見失ったようなダレットの顔を見る。悲しさ、情けなさ、悔しさ。諸々の表情が入り混じった顔。
 見ているだけでこちらが辛くなるような、そんな顔。
 だから、『交換条件』は置いておいて、疑いを持った時点でキルファがダレットに話さなかった理由が、何となく分かった。
 キルファがよく言ったものだ。ダレットを評して『お人好し』、『考えなしの馬鹿』と。いつも呆れ顔で……それでも笑顔で。
 困っている者を見たら助けずにはおれない性格。純朴とも、それこそ馬鹿とも取れるが……ダレットのその心を、崩したくなかったのだ。『お人好しの馬鹿』だからこそ、キルファはダレットを信頼していたし、一緒にいたのだ。
 誰にも頼れない。信頼できない。ひたすら冷たい世界の中で生きてきた少女に……そんな人間の存在が、どれほど救いになっていたことか。
 そんな男に、裏切りを見せたくはなかった。悲しい顔はさせたくなかった。ずっと、『お人好しの馬鹿』でいて欲しかったのだ。
 だから、その裏の思惑は全部自分で抱え込むことにした。その結果がどうなろうと。
「…………っ!」
 だが結局、キルファの想いは裏切られた。ダレットは強い衝撃を受ける羽目になってしまったし、何より彼女自身が攫われるという事態に陥った。
 しかし。
 あくまで、自分に命じられたのは『魔法消去を使う、危険人物のハーフの子供』の居場所と状態を定時報告することだけだ。その報告が何処に行くかなどは知らないし、何のために報告させられていたのかすら知らない。
「俺一人だけが、蚊帳の外か……。畜生、畜生っ! あいつにとって、俺は何だったんだ、結局!」
 ダレットが近くの木を拳で叩きつける。幹が大きく揺れ、大量の木の葉が舞い落ちてくる。それほどの力だった。
「……お前だから、言わなかったんだよ……あの嬢ちゃんは」
 サリクスには、それだけ言うのが精一杯だった。うなだれ、手にしていた長柄戦斧を放る。
 ダレットはサリクスを睨みつける。憎しみと、情けなさと、困惑と。何なのだろう。この感情は?
 何時の間にか、長剣の柄を握り締めていた。恐ろしいほどに、金属の感触が手に馴染む。身体の一部であるかのようだ。日光を照り返す銀色の刃を、ダレットはぼんやりと見下ろす。
 剣を振り下ろすのは簡単だ。それだけで、目の前の男の命を奪うことが出来る。自分をずっと騙していた、必死で護っていた少女を危機に陥れた男の命を。
 長柄戦斧から手を離した今のサリクスは丸腰に近い。確実に一撃で葬れるだろうし、そうしても、サリクスは抵抗しないような気もした。
 けれど。
 死んだら、そこで終わり。次はない。取り返しはつかない。それだけは、絶対の事実だ。
 ダレットとて、人の死は目の当たりにしたことがある。自分の母が死んだ時のことははっきりと覚えているし、知り合いが死んだこともある。あまりにもあっけない、生の終焉。一瞬で今までの人生が全て無に帰してしまう、あの虚無感。
「…………」
 大きく息を吐き、ダレットは長剣を鞘に戻した。人一人を『終わり』にしてしまう資格も、意志力も、自分にはない。
 相変わらずぼんやりとした動作で、地面に腰を下ろした。ただ立っていることすら、とんでもない重労働に思えた。
 木に背中を預け、そこでふと思いつく。
「なあ……お前が命じられていたことは、あくまで『キルファの監視』だったな?」
「…………? ああ」
 どうにも覇気のない会話。唐突な問いかけにサリクスは戸惑ったが、首を縦に振る。
「だったら……キルファがお前の元から離れた以上、もう命令は無効なわけだ。それからどうしようと、構わないわけだな?」
「そう、だな……」
「それなら……今からだったら、キルファの奪回に手を貸しても、大丈夫なわけだ」
「…………!」
 サリクスは顔を上げる。もっとも、ダレットは座りこんでいるから見下ろすような形にはなるのだが……とにかく、サリクスはダレットの顔を凝視した。
 ダレットが笑みを浮かべた。普段ののんびりとした顔ではなく、獰猛さすら感じられる、にやりとした太い笑み。
「だったら、今からキルファを探すのを手伝え。いいな?」
 命令ではない。ただの頼み事だ。ここでサリクスが断ったところで、ダレットは自分一人で突っ走るだけの話だろう。
「はっ……ははははっ!」
 笑い声。顔に手を当てて、心底楽しそうにサリクスは笑った。思わずダレットが不気味そうな顔をしたほどだ。
「そう、だな……お前にしちゃ上出来だよ!」
「俺にしてはってのは何なんだ、俺にしてはってのは」
 ぶつぶつとダレットが呟く。が、サリクスは聞いてはいないようだ。尚も一人で笑っている。
「分かった。嬢ちゃんを探すのを、手伝おうじゃねえか」
 それが、せめてもの罪滅ぼしになるならば。ダレットが、なおも自分を信用してくれるならば。
「よし……それなら、早速」
 ダレットがいつも通りに笑い、立ちあがった。

「正気なのか、それとも何か切り札でもあるのか……?」
 軍本部の、数ある部屋の中の一室。自分の執務室で、カシュラル・レストラードは報告書を片手に呟いた。優美な曲線を描く眉を軽くひそめる。
 こつこつと執務用の机を指で叩く。考え込むときの、昔からの癖である。
「おそらく、自暴自棄な反抗でしょう……まず、数が圧倒的に違いすぎます。それすらも分からない馬鹿共なんですよ、エルフなんてのは」
 報告書を持ってきた部下が相槌を打つ。若い男で、カシュラルとはほぼ同い年である。それでも上官に敬意を払うことを忘れない辺りは立派と言えるかもしれない。
 ……とカシュラル自身は思っているのだが。実際のところは、カシュラルに見惚れているだけだ。男物の軍服をそのまま着て、飾り気の欠片もない彼女だが、その美しさが損なわれることはない。
 黒く艶やかな髪と、黒曜石の瞳。透けるように白い肌と、赤い唇。完璧に整った顔立ち。軍服の上からでも分かる、めりはりの効いた肢体。
 美しさだけではない。将軍職を務めるに足るだけの資質を彼女は持っている。彼女の部下のほとんどは、その美しさと能力に惚れ込み、彼女を助け、護ることに誇りを覚えるような連中だった。
「私はそれほど楽観的にはなれんな。動きが整いすぎている。組織的だ……どう考えても、我々の監視の裏をかかれたとしか思えん。
 何よりも」
 カシュラルは一度、言葉を切った。手にしていた紙の束を机に置き、横の資料の詰まった棚に目をやる。
「エルフには我々にはない、魔法という力がある。本当の意味でエルフを支配しようと思うのなら、魔法に対する絶対的な対抗手段を手に入れるしかない。現在の帝国はそんなものは持ち合わせていない。
 建国から五十年、か。それだけの時間が経っても、我々は隔離するばかりで何もしてこなかったからな。人間がいかに魔法という力を恐れているかということだ」
「申し訳ありませんが、口を控えた方が……」
 心配顔で部下が言うが、カシュラルは意に介する様子はない。
「我々の仕事は帝国の危機管理だ。どんなに非現実的だろうと、現実を見ずして任務は果たせん。慎重過ぎることは無駄にはなっても、害にはならないはずだ。
 ……とまあ、こんなことばかり言っているから上層部に睨まれるのだろうな、私は」
 言って一瞬だけ自嘲めいた笑みを浮かべる。
「そんなことは……」
 部下が反論しかけるが、カシュラルはそれを適当に手で制した。
「事実は事実だ。それを曲げることだけは誰にも出来ん。
 まあいい、今やるべきことはとにかく情報を集めることだ。エルフの動きを徹底的に調べて……あとは、中枢が何処の誰だかをはっきりさせること」
「…………?」
「これだけの大規模な動き、どう考えても何処かに黒幕がいる。この動きを仕切っている奴がな。『王都』とでも言うべき本拠もあるはずだ。魔法を利用されているとしたら捕捉するのは難しいだろうが……人員の動きから推測することは出来る。
 こういった反乱は、頭さえ潰せば後は速い。言いかえれば、頭をどうにかしないと終わらん。潰しても潰しても後から沸いて出てくる」
 計算結果を読み上げるかのように、カシュラルは言う。部下はすぐに納得した顔をし、敬礼すると駆け出して行った。
「……実際は、言うほど簡単ではないかもしれんな。何より不確定要素が多過ぎる……」
 カシュラルは、先程置いた資料を再び手にすると、目を通した。形式ばった文章が延々と続くそれを、顔をしかめて凝視する。
 各地に分散させたエルフの動きがおかしい。報告書の内容は、おおむねそんなところだった。以前、ゴフセフ・コルフォース宰相からの要請を受け、各地方領の警衛兵に報告書の提出を命じたものが届いたのだ。
 事態は思ったより進行しているようだった。軍備の強化、そして各地のエルフたちを一箇所に終結させている。エルフのやり口が周到だったせいもあるだろうが、そうなるまで何ら対策を講じなかった軍部は、怠慢と評されても文句は言えまい。
 この動きを仕切っている何者かは、相当頭が切れる。こちらも、それなりの覚悟でかからなければなるまい。
「反乱、か……」
 今のエルフがおかれている状況は、お世辞にも良いとは言えない。むしろ、反旗を翻さない方がおかしいほどのものだ。
 が。
 帝国云々は置いておいて、『反乱』の一語が彼女は苦手だった。思い出したくもないことを、思い出させるからである。
「……アウィス平原。ここが、舞台になる……」
 報告書の文末を眺め、彼女は呟いた。  

 

 
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