暁の大地

50.憎悪の刃

「うん……?」
 キルファはかすかに目を開けてうめいた。
 ぼんやりとした浮遊感。朝のまどろみにも似ていたが……どうにもおかしい。身体が異様に重い。
 思考も霧がかかったように霞んでいて、はっきりしない。それでも必死に意識を集中させた。何が。何があった?
(……確か。寝てて、起きて、あの二人を叩き起こして、水汲みに行って……)
 たったそれだけのことを思い出すのに、かなりの時間がかかった気がする。が、ここまで思い出せば後は早かった。
(そうだ。変なエルフの二人組に襲われて、あっさりと気を失ったんだ……!)
 まだ意識が朦朧とする。自分の唇を強く噛み、意識を痛みに集中させる。そうして、キルファはようやく身体を起こした。
「身体が、動かない、わね……」
 疲労感とも違う。単に眠いわけでもない。
(何かしらの薬の作用ね、多分。気を失ってる間にかがされたんだわ)
 身体を動かすのも億劫だったが、自分の身体と周りを見回して確認する。腰と身体のあちこちに仕込んだナイフは全部取り上げられているようだったが、他には特に変わった様子はない。単にマントが外されているだけだ。
「……何処よ? ここ……」
 呟く。先日までいた人間の村を連想させる、質素な木の壁。木造の建物の、狭い一室のベッドに寝かされているようだった。偶然なのか意図的になのか、窓はない。外を覗くことは出来ない。何処なのか見当くらいはつけておきたかったのだが。
 ダレットに見せられた地図を脳裏に展開する。あの二人組からして、ここはエルフの居住区だろう。最寄のエルフの居住区となると……
「確か……アウィステリア、だっけ?」
 地図の限りでは、エルフの居住区としては大きな村だ。エルフの居住区は山間部に定められていることが多いが、アウィステリアの場合は、割と平地に存在するために人口も多い。近くに、アウィス平原という開けた場所があるのだ。
 意識を失うまでいた位置からだと、大体歩いて一日くらいの距離だったはずだ。通り道に入っていなかったのではっきりと覚えてはいないが、そう遠くもないはずである。
「成る程、それで薬をかがせたわけだ……」
 大人の足で歩いて一日。大きな荷物……つまり、自分のことだが……を抱えては、その何割増かの時間がかかると思って間違いないだろう。その間に意識を取り戻されては面倒と、眠りを維持するような薬を嗅がせたのだろう。
(ちっ……薬が抜けて、まともに歩けるようになるまで少し時間がかかるわね……)
 最低限、一日効果が持続するだけの量を投与されている。ここがアウィステリアだと仮定してもそれだけなのだから、他の場所だとしたらもっと多くの量をかがされているはずだ。慣れない薬を大量に身体に入れれば、多少なりとも反作用がくる。
「大体、今が昼か夜かも分からないのよね。窓がないし……」
 あれから何日経過しているのかも分からない。身体の調子から判断したくても、薬のせいで感覚が鈍っている。空腹感だけは感じられるのだが。
「これじゃあ、ある意味牢獄だわ」
 思わずぼやく。部屋には蝋燭が数本立てられ、明かりを灯していたが、十分な光量には程遠い。大体、自分が意識を失ったのは朝なのだ。感覚がおかしくなってしまいそうである。
「状況を確認するのも無理、逃げ出すのもこの身体じゃ無理、何よりも武器は全部ない……」
 そこまで考えて、ふと自分の左手を見る。蒼い石が嵌めこまれた指輪は、そのまま自分の手にあった。
 サリクスから聞き出した話だと、エルフたちは自分が<白紙>の魔法を使えることは把握しているはずである。それなのに指輪がそのままだと言うことは、肝心なことに気付いていないのだろうか。
「……最低限、魔法は使えるわけよね」
 ぽん、と思わず手を叩いた。自分の魔法ならば、この建物一つを潰すことくらいは出来るだろう。が。
(まず、状況を確認してからでも遅くはないわね。簡単に使っていい代物じゃないわ、あたしの魔法は)
 生まれてから、魔法を使ったことは数えるほどしかない。そのせいで、経験が根本的に足りないせいで、精密制御がまるで出来ないのだ。この建物を破壊しようとして、自分を巻き添えにしてしまう可能性すらある。
 それに。
(もう二度と、あんな想いはごめんだもの……)
 <白紙>の魔法を除けば、自分が魔法を使ったのは二度。二年前にハンザの村で一回、先日ダレットが大怪我をした時に一回。どちらにしても、後悔こそあれ、良い思い出などない。そう簡単に……自分のような小娘が考えなしに使って良いような力でないことも、理解してはいる。
「何で、あたしだけこんなに魔法が使えるんだろ」
 動きたくても動けないので、とりとめのないことを次々と考える。
 すると。
(……足音)
 扉の向こうから、物音が聞こえた。音の大きさ、高さ、間隔からして、おそらく大人の男のものだ。特に気配を殺すでもなく、すたすたと歩いてくる。まだ眠っているとでも思っているのだろうか。
 ごろりと扉の反対側を向くと、狸寝入りを決め込むことにした。その方が面倒が少なくて済む。薬の影響が抜けるまでは、下手に動かない方が得策だろう。
 がちゃり、と扉が開く。誰かが入ってくる気配。一人だけのようだ。
「……おやまあ」
 後ろで、何者かが呟く。推測通り、男の声だった。まだ若いようだ。
「そろそろ効果が切れた頃だとは思ったんですが。少々効き過ぎましたかね?」
 後ろを向いているから見えるわけではないが、声の主が首を傾げた気がした。
(…………?)
 何処かで、この声が引っ掛かった。よく分からないが、既視感めいたものを感じる。
 不意に、男が近寄った。キルファの肩を掴むとベッドに押さえつける。強引に身体の向きを変えられたような格好だ。
 しかも。
(何て力よ、この男!)
 掴まれた左肩が痛む。林檎でも握り潰せそうな握力だ。
(仕方ないわね、もう……)
 これ以上、下手な芝居は無理だ。痛みに顔をしかめてしまったのが自分でも分かる。観念して、キルファは目を開けた。
「…………!」
 その瞳が大きく見開かれる。
 目の前の人物と、記憶の中の人影が合致した。ぼんやりとしていた印象が、鮮明な記憶となって蘇る。
「二年振りの再会ですか」
 男が、にっこりと笑って言う。その笑顔は、変わってはいない。変わってはいないが……
「リュシウス……」
 キルファは、辛うじてその名前を呟くのが精一杯だった。

 後ろで適当に束ねた、淡い枯れ葉色の髪。翡翠を連想させる透き通った緑の瞳。エルフの証拠たる、長く尖った耳。柔らかい物腰は、温和の一言に尽きる。
 昔、兄と慕った人物。それが何故……ここにいる?
「あんた、何で……」
 呆然として呟く。目の前のエルフの男は、二年前とさほど姿を変えてはいなかったが――何かが、決定的に違う。それが何なのかは、よく分からなかったが。
「それは無論、私があなたを呼んだからですよ。少々乱暴な手段になりましたがね」
 にっこりと笑ってリュシウスが言う。記憶そのままの笑顔に、決定的な違和感を潜めて。
「どういうことよ……? あの、ウィレムとブランシュとかいう二人組にあたしを引きずってこさせたのが、あんたってこと?」
 言いながら、キルファは内心納得していた。成る程、この男なら自分の事を知っている。自分の特徴を二人に伝えることは出来ただろうが……
 だが。何故だ?
「何のために? 二年振りに感動の再会をしたかったとでも?」
「まあ、再会したかったというのは確かですね。でも……」
 そこで、すっとキルファに視線を落とす。視線に射抜かれ、動けぬままでキルファの身体がすくむ。
 翡翠の瞳に潜むのは、純化し、結晶化した憎しみと悲しさ。ようやく、キルファは以前との違和感の正体を悟っていた。温和な笑顔の裏に潜む何か。……それは、憎しみの透き通った刃だ。
「感動の再会……とはいきませんね。二年前の憎しみが吹き出すことはあっても、嬉しいことなんて一つもない。ただの一つも」
「だったら何で……? まあ、あんたの立場も二年前とは違うらしいって事くらいは分かるけど」
 二年前は、二人とも単なるハンザの村の住人だった。しかし、今はキルファは旅人だし、リュシウスにしても、あの手練二人を使役できるような立場であることだけは確かだ。
「少々、頼みたいことがありましたのでね」
 リュシウスはさらりと言って笑う。キルファは怪訝な顔をした。
「頼みたいこと、ね……。人の意見も聞かずに掻っ攫ってきて、はいそうですか、なんて言うと思う?」
 にやりと笑って見せる。だが、正直言ってそれはただの虚勢だった。
 二年前の記憶にある青年とは違う。とてつもない憎悪を内に育ててしまっている。その淡色の瞳に見据えられただけで、背筋に寒いものを感じるほどだ。
「嫌とは言わせませんよ。他でもない……あなたにはね」
 すっと視線に刃が混じる。動けない。金縛りにでもあったかのように、身体が硬直する。
「二年前の事件。当然、あなたも……覚えていますね?」
 不意に、リュシウスが話題を変えた。
 忘れられるわけがない。紅一色に支配された記憶。夜空に燃え上がる炎、大地を流れる大量の血潮。
「十二の子供を、大人がよってたかって殺そうとした事件。流れる血が半分と言うだけで、罪の意識もなく排除しようとした愚かしい事件」
 詩でも諳んずるかのように、リュシウスは言う。その淡々とした口調に寒いものを覚え、キルファはまだ動かない身体で身体を震わせた。
「でも、結果は失敗した。殺そうとした少女に、逆に大勢が殺される羽目になった」
「そうよ……忘れられるわけがないじゃないの!」
 思わず声を荒げる。リュシウスはキルファを、悲しみすら混じった表情で見下ろした。
「自業自得とも思いますけどね。人を殺そうと思ったら、自分が殺されることも当然、覚悟しなくてはいけないのですから。命は等価値ですよ、存在するもの全て」
「…………」
 リュシウスは言葉を切り……そして、不意に手を伸ばした。ごく自然な動作で、避ける間もなかった。
 指がキルファの首に巻きつく。その先に信じがたいほどの力が込められる。
「…………っ!」
 苦しい。息が出来ない。抗おうと身体をよじるが、逃れられない。
 殺される!
 首を絞められて苦悶するキルファとは対照的に、リュシウスの口調は静謐としていた。人をその手で殺そうとしているとは思えないほどに。
「でも……それはあくまで理想論であり、客観論ですよ。
 あなただってそうでしょう。自分の身内を……大事な人たちを殺されて、おとなしく黙ってなどいられますか?」
(まさか……)
 酸素不足で朦朧とする意識の中で、ようやくキルファは納得した。
(このまま死ぬのかなあ……あたし)
 ぼんやりとそんなことを思う。
 殺されても当然。それは昔から覚悟していたことだ。だが、こうも唐突だとは思わなかった。
 しかも、それがよりにもよってあの『兄』などとは。ただ、自分に優しかった青年。
「……言ったでしょう。あなたに頼みたいことがある、と」
 静かにリュシウスが言う。首に巻き付いた指が離れた。唐突に解放され、キルファは身体を曲げて咳き込んだ。まだ、冷たい指先の感触が喉にはっきりと残っている。
「別に、殺す気はありませんよ。……殺したいとは思うことはありますけどね」
「それで、仇を討たない代わりに、言うことを聞けっての? 冗談じゃない、それなら殺された方がまだマシよ……」
 まだ息をするのも苦しかったが、必死で軽口を叩く。目だけでぎりっと睨みつける。
「あの人の娘ならそう言うでしょうね。そんな頑固なところなんかはそっくりですよ。
 殺された方がマシだと言うなら、尚更殺しはしませんよ。何でわざわざ、あなたの希望に沿わなくてはならないんですか。
 ですから……せいぜい、利用されてもらいます。その方があなたにとって苦痛ならば、ね。
 自分が、復讐されても仕方のない立場であることくらいは、理解しているでしょう?」
 リュシウスはにっこりと笑う。だが、それは口先だけだ。その目は、相変わらず氷にも等しいほどの冷たさでもってキルファを見据えている。
「頼み事というのはおいおい説明しますけどね。少々厄介なことでして。
 ……まさか、断りはしませんよね?」
 キルファは黙ったままだ。だが、断れるわけがない。
 拒絶出来るはずがなかった。  

 

 
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