53.偶然と必然
アウィステリアから歩いて二日ほどの場所。山奥にあり、普通の人間ならまず通らない。通る意味がないからだ。
が、今まで誰も用などなかったであろう森の内部に、今二人の人影があった。
一方は痩せた若い男、もう一人は白いマントを纏った小柄な少女。
「何でまた、こんな山奥に……」
アウィス平原の陣営からわざわざ連れてこられたキルファは、隣のリュシウスに恨みがましい視線を向けた。
「私に言わないで下さい。大体、私がやったことではないんですから」
アウィス平原から歩くこと二日あまり。その間、ずっとこの男と二人っきりだったのだ。旅自体には慣れているものの、ほとんど拷問である。
横で少しリュシウスの様子を見ていた限りでは、彼はエルフの軍の中ではかなりの重要人物らしかったのだが、あっさりと陣営を空けて出てきてしまった。「あんたがそんなで大丈夫なの?」と思わず言ってみたのだが、リュシウスは意に介していなかった。
それはつまり。アウィス平原で行われていることよりも、自分に課せられたことの方が重要な意味を持つと言うことだ。キルファは唇を噛んだ。
二人の目の前には、サリクスの身長よりも高いのではないかと思えるくらいの、大きな岩があった。一見、何の変哲もないものだったが、よく見れば幾何学的な紋様がこれでもかというほどの密度で彫りこまれている。
一目見て、キルファは既視感を覚えた。以前、これとほとんど同じようなものを見たはずだ。ちらりと左手の指輪に視線を落とす。
キルファのそんな動作を知ってか知らずか、リュシウスは気軽な動作でその岩に指を向けた。
「さて。やって頂けますね? ……私が聞いた話なら、それほど手間のかかる作業でもないはずですが」
「まあね」
呟き、軽く岩を拳で叩く。それこそ、扉を叩くほどの力も入れていない。
だが。
一瞬の閃光と共に、岩にぴしりと亀裂が走る。次の瞬間、大岩は無数の石ころとなって転がっていた。
「お見事」
横のリュシウスが感嘆のため息を漏らす。
岩があった場所には……ぽっかりと、大きな穴が開いていた。
「さて。行きますか」
リュシウスが穴に身を滑らせようとし……不意に動きを止めた。
「ちっ……」
キルファが舌打ちして、懐からナイフを抜いた。陣営から出る際に、無理矢理取り返したのである。丸腰で山に入るのはあまりにも不安だったからだ。
山犬の群れが、二人を囲んでいた。狼ほどではないにしても、十分に狂暴な肉食動物だ。数も多いし、何よりも連携行動を取られると厄介である。
一撃一殺が条件だ。山犬の数の多さに比べて、キルファの飛び道具には限りがある。投げナイフに投針。護身用ナイフも使えないわけではなかったが、体格が小柄な彼女はとにかく腕力が見劣りする。『斬る』のにも、それなりの力は要るのだ。飛びかかってくる動物を一々斬り倒していたら、すぐに体力がなくなってしまう。
隣のリュシウスも、一応レイピアという細い直剣を腰に帯びていたが、これは当てにしないことにした。二年前までしかリュシウスに関しては知らないが、お世辞にも強いとは言いがたかった……いや、剣とはまったく無縁だったはずだ。
風を切ってナイフが飛ぶ。一匹、二匹と確実にナイフは山犬たちを倒していく。キルファに関して言えば、何の問題もなかった。実戦慣れした落ち着きがある。
半分ほど倒したところで、山犬たちの雰囲気が変わった。自分たちが獲物にしようとしたものの本性を悟ったのであろう。くるりと向きを変えて逃げ去ろうとする。
「ふう……」
息を吐き、隣のリュシウスを見る。正直、ここでやられていたら放っておいて逃げ出そうなどと思っていたのだが……別の意味で、顔が引きつった。
リュシウスはレイピアを抜き、近づいてきた敵に剣を振るっている。細い剣の切っ先は確実に獲物を切り裂き、倒していく。その動きは、まるで完成された舞踏を見ているかのような華麗さだった。
「…………」
キルファは唖然とする。どう見ても、ただのお飾りで剣を持っているものの動きではない。それなりの訓練と実戦経験を積んだ者にしか有り得ない動きだ。
リュシウスも、山犬たちが去ったのを見て剣を納めた。追い討ちを掛けるでもなく、のんびりと様子を眺めている。
完全に気配が消えたのを確認してから、リュシウスは再び、大岩のあった場所に視線を戻した。今までの戦闘などなかったかのように、悠然とした動きで足を踏み出す。
「……変わったわね、あんた……」
呆然とキルファは呟いた。二年前の、いかにものんびりとした風情の青年の姿が頭をよぎる。
あれから二年間。その間に何があったのかはよく分からないが……
「前は、剣なんて握ったこともなかったと思ったけど」
どれほどの鍛錬を重ねたら、たった二年間であれだけの技量を身につけることが出来るのか。まず、本人の資質がなければ無理な相談ではあろうが……
それには、相当強い意志が必要だ。何を思って二年間、剣の鍛錬をしていたのだろうか。
(……復讐)
己の家族を、平穏な生活を奪った者への復讐。それだけが、この男に剣の技術を与えたのだろうか?
自分への、復讐のためだけに?
「…………」
何なのかはよく分からない。が……むしょうにやりきれない気分になった。もしかしたら、自分のあの行動がリュシウスの二年間を奪ったのかもしれない。
「二年経てば……誰だって変わります。あなただってそうでしょう。
二年、ですか。決して長くはありませんが――人一人が変わるには、十分な時間ですよ」
暗い通路を進みながら、リュシウスが背中を向けたまま、呟くように答えたのが聞こえた。
その後は、どちらも何も喋らず……淡々と歩みを進めた。
アウィス平原に向け、急遽王都を出立した鎮圧軍は、数日前に平原に到着していた。現地のメルセリア地方領の軍とも合流済みだ。
到着したところで、野営用の施設の設営が急いで行われている。あとは最終的な作戦の詰め、補給路などの確認などである。
現地に到着しても、結局のところ、やることはあまり変わらなかった。司令本部のテントから、カシュラルは部下に次々と指示を飛ばしている。
現場の最高司令官は彼女だ。幹部級の部下も数人いたが、彼女は自分で確認しなければ気が済まない性質である。まだ持ってきていた書類を束ねると、カシュラルは刀を腰に吊ってテントの外に出た。
さすがに一々一般兵のテントを回りはしないが、ざっと状況を見渡すくらいはする。それに加えて、部隊長の間を回って細かい報告を受けていた。
颯爽と宿営地の中を歩く彼女を、兵士たちはほとんど恋する少年のような視線で見送る。それも無理はなかったが。
帝国の<戦女神>。無敵の美貌と強さを兼ね備えた女性。
彼女が今、この場にいる。それは否応なしに、兵士の士気を高めていた。
「不審者?」
治安維持班のテントで状況確認をしていたカシュラルは、もたらされた報告に眉をひそめた。
「はい。この近辺には人間の街や村はありませんし、御命令通り、しばらくはこの付近は一般人は侵入禁止の措置を取っておりまして、付近に警備兵を配置していたのですが……その兵の一人が発見しまして」
「不審者……一般人を? 単に追い返せば良いことではないのか?」
「それはそうなのですが」
部隊長の一人は困ったような顔をしながら話を続けた。
「まだ若い男なのですが、剣を所持していたもので……かといって、まあ、エルフと関係あるとは思えませんがね。人間であることは確かですから。
とにかく、扱いに困りまして……テントの一つに身柄を拘束してあります」
「ふうむ……傭兵ではないのか? 剣を所持しているということは」
「我々もそう思って問いただしたのですが……どういうわけか、身元をまったく言おうとせんのですよ。名前すら」
「何かやましいところでもあるのか? しかし犯罪者ならば、わざわざ軍の近くに現れることなどないだろうし……」
カシュラルも首を傾げる。
「……どんな男なのだ?」
ふと興味を覚え、問い掛ける。今まで話をしていた部隊長が、部下の一人を手招きした。おそらく、その不審者を連行してきた兵士だろう。
「どんな、と言っても名前すら分かりませんし……多分二十歳過ぎくらいで、髪は明るい茶色……栗色、とでも言うんですかね。瞳の色は緑。何と言うのか、優男といった感じで、体格も痩せてましたし。私の見た限りでは、危険な人物という感じはしませんでした。
使い込んだ感じの旅装束を着ていたので、旅行者だとは思うのですが。それだったら、護身用に剣を持っていても不思議はありませんし」
いきなり総司令官、しかも妙齢の美女の前に出て緊張したのか、その一般兵はやたらと饒舌《じょうぜつ》に話した。普段なら鬱陶しいだけなのだが、今は一々問いたださなくていいので有り難い。
「ふむ……
訊くが、所持していた剣は取り上げてあるのか?」
「はい。それはもう……そこに置いてあるやつです」
言われてみれば、テントの隅にごく普通の長剣と、対になる短剣が無造作に置かれていた。普段なら、武器の扱いがなっていないとでも叱り飛ばすのだろうが。
興味を覚えて、カシュラルは長剣を手に取ってみた。少々大振りで肉厚と言う以外には、特に特徴もない剣だったが……
(良い剣だな。手入れもちゃんとされている……何より、かなり使い込まれた感じがする)
使い手の腕や癖のようなものは、持っている剣にも出る。……間違いない。一流の使い手が、何度も使った剣だ。
「その男は何処にいる?」
不意に視線が鋭くなる。心なしか、声も低く威圧するような雰囲気になった。部隊長はびくっとして、それから慌てて答える。
「あの、貯蔵用のテントの中です。……他に場所もなかったもので」
「上出来だ。……私が直接会って、話をつける」
「え? 司令官が……ですか?」
さすがに部隊長も、控えていた部下も驚いたような顔をする。が、いちいち返事を待って行動するような女性でないことは皆承知していた。
没収した長剣と短剣を手にし、無意識のうちに自分の腰に差した刀を確認する。今更確認するまでもなく手入れは怠っていない刀だが、不安なときの癖である。
(私もまだまだだな)
ふと、カシュラルは苦笑した。
「これって……」
目の前にそびえるものを見て、キルファは絶句した。
リュシウスも、さすがに驚いた顔をしている。もっとも、この男は何があるのかをある程度知っていたから、キルファほどに動揺はしないが。
「まさか……これを、使おうっての?」
キルファもリュシウスも、見るのは初めてだ。だが、その正体は一目で分かった。
おそらく、大陸に住む者なら誰もが知っているであろう存在。伝承の欠片。
「あなたなら使えるはずなんですよ。……私の情報が正しければ」
かすれた声で問うキルファに、リュシウスは淡々と答える。
「やっていただけますね?」
リュシウスが断罪の響きを持った声で言う。
だが、キルファはまだ絶句したままだ。呆然と、目の前のものに視線を注いでいる。
彼女の目の前にあるもの。それは……巨大な金属の塊だった。
足音がする。床ではなく、地面なので判断がしにくいが……おそらくは複数。今の居場所から判断して、来るのは兵士に間違いないだろうが。
まさか、いきなり処刑などにはならないだろうが、また尋問されるかもしれない。どうやって切り抜けたものか、男は頭を抱えた。
身元がばれると少々厄介だ。特に、この場所では。
(まあ……適当にやるか)
極めて非建設的な結論に達し、男は側の木箱にもたれた。どうやら干し肉が入っているらしいのだが、量が量だけに凄まじい匂いがする。放りこまれて半日、そろそろ鼻が麻痺してきていた。
不意に、暗かったテントに光が差し込んだ。一瞬、まぶしさに顔をしかめ……目の前の人影を確認する。
「げ。」
声は、無意識のうちに漏れた。
目の前の人影が誰なのか、悟ったからである。
(ま……まずい……)
男の額から冷や汗がだらだらと流れる。身体が硬直し、それ以上の言葉が出てこない。
男とは対照的に、人影……カシュラルは無表情のままだった。が、その黒瞳が一瞬だけ見開かれる。
彼女なりに驚いたのだと分かったのは、男だけだったろう。
「……まったく、何処で何をしているのかと思えば」
呆れたような声でカシュラルは言う。もっとも彼女の話し方は抑揚に乏しいので、違いに気付く人間はこれまた少ない。幸か不幸か、男は数少ない例外のうちの一人だった。
「えーっと……」
反対に男はまだ、引きつりまくった顔をしたままだ。付き従ってきた兵士たちは一様に、訳が分からないといった顔をしている。
「出なさい。……ダレット・コルフォース騎士」
涼やかな声が、薄暗い即席の牢獄に響き渡った。
