54.王宮騎士団
「……て……帝国騎士?」
カシュラルに付き従っていた兵士の一人が、呆然と言った。その顔は、哀れになってくるほど引きつっている。
まあ、それも当たり前だろう。よりにもよって、帝国騎士、つまり王宮騎士団団員を連行して牢にぶち込んでしまったのだから。間違いでは済まされない。極刑間違いなしの所業である。
部隊長以下、全員の思いは一つだった。
(……何でこんなところにそんな偉い人がいるんだ?)
その中で、カシュラルは呆れ返った顔をしているし、ダレットはひたすら引きつった愛想笑いをしている。……まるで、いたずらがばれた子供のように。
「あの……司令官は、御存知なのですか? この男を?」
「まあな。ゴフセフ・コルフォース宰相の次男、ジェラルド・コルフォース卿の弟。ついでに、レティシア・ファーレイン王女の息子」
カシュラルは興味もなさそうに言った。ダレットも顔をしかめる。自分自身ではなく、父や兄の肩書きで説明されるというのは気に食わない。
一般兵と言えど、国の宰相や高級官僚の名前くらいは知っている。元々コルフォース家は大陸全土に名の知られた名門だ。
ダレットの母親、レティシア・ファーレインは建国王の側室の娘であり、コルフォース家に降嫁してきた女性だ。現国王とも、一応従弟と言うことになる。もっとも、コルフォース家は臣下としての態度をずっと取りつづけているが。
ただでさえ引きつっていた顔は、今や泣きそうになっている。部隊長などは、今すぐにでも辞表を書きそうな風情だ。
「話は後で聞きます。とにかくそこから出なさい……貴方の剣も、お返しします」
カシュラルは無愛想に言って、手にしていた長剣と短剣を放る。ダレットも何気なくそれを受け取ると、腰に吊った。
(考えられない事態じゃなかったよな。カシュラルは将軍補佐だったんだから。けど、よりもによってこの人に見つかるなんてなあ……)
とぼとぼと子犬よろしく司令本部のテントに連れていかれながら、ダレットはひたすら頭を抱えていた。が、いくら抱えたところで何か案が浮かぶわけでもない。大体が、自分がどうしたら良いのかも分からない。
サリクスと分かれたまでは良かった。だが、それからどう行動したものか見当もつかず……とりあえず、状況を確認してみようという安直な結論に達したのだ。
そこで、アウィス平原に入り込んだところで警備兵に見つかり、あっさりと拘束されてしまったのである。
無論、逃げ出すことも可能ではあった。警備兵の数人程度なら軽くあしらえるし、牢に放りこまれた後でも、長剣と短剣以外にも暗器は幾つか隠し持っていた。が、逃げ出してどうにかなるものでもなし、もしかしたら軍の内部にいた方が情報が掴めるかもしれない、とそのままおとなしくしていたのだ。それが仇になってしまったわけだが。
本部に着くと、そこで待機、あるいは細かい地図を前に舌戦を繰り広げていた男たちが、一斉に胡散臭そうな視線でダレットを見る。カシュラルに疑問の視線を投げかける者もいたが、彼女は意にも介さず、ダレットに向き直った。
「……俺をこんなところに連れてきて、何の意味があるんだ? ……俺としては、あのまま牢に入っていた方が楽なんだが……」
カシュラルに向かって小声で囁く。
「貴方にも武人として、この鎮圧戦に参加してもらいます。ダレット・コルフォース騎士」
全員に聞こえるように、大きく響く声でカシュラルは言いきった。騎士、と聞いて男たちが全員ダレットを向く。目を丸くしている者もいた。
「もう、とっくに王宮騎士団はクビになってるもんだと思ってたけどな」
「貴方のお父上と兄上が駆け回ったお陰で、現在は予備役扱いです。……その苦労を、どうしてあっさりと無駄にするのだろうな、貴方は」
何だか、キルファにも以前に同じ事を言われた気がする。ダレットは苦笑した。
(……そうだよ。キルファ……)
自分の目的は、あの少女を探し出すことだ。カシュラルには悪いが、この戦争に関わっている余裕はない。
「俺は王宮騎士団所属だぞ? ……軍部とは命令系統が違う。悪いが、お前に命令されて動く義務は俺にはない」
王宮騎士団とは国王の直轄の機関であり、独断で動かせる武力である。軍部とは所属が異なり、自由裁量権も強い。つまり、国王から直々の命令がない限りは動かないのだ。
出来るだけ冷徹に言ったダレットに、カシュラルは更に冷ややかな視線を向けた。
「この場の最高指揮権は私にあります。確かに、貴方へ命令する権限はありませんが……この現状においては、協力を要請する権利があると考えます。武人として、参加して頂けますね?」
否とは言わせない響き。だが、カシュラルに指揮官としての責任があるのと同様に、自分にもあの少女を探すという目的がある。
護ると決めたのだ。他の誰でもない、自分が。
「……だったら」
ダレットは言い、懐から短剣を取り出してカシュラルに放り投げた。王宮騎士団の印章の短剣だ。
「俺が今ここで王宮騎士団を辞めたら、お前の言うことに従う理由なんてなくなるんだよな。その印章はお前に預ける。……そうすれば、俺はただの『不審者』だ。
あとは好きなように牢にでも放りこめばいいし、脱走したら追ってくればいい。余裕があればな。
……お前らには悪いが、俺にもちょっとやることがあってな」
男たちが目を見張る。ダレットの表情は、今までのただの優男のものではない。殺気すら感じられる、本物の戦士としての気迫。
だが、カシュラルもそれで動じるような女性ではない。
「生憎と、王宮騎士団の罷免《ひめん》権は私にはありません。辞めたいのだったら、王都の国王陛下に直々に申し出てください」
淡々と言ってのける。だが、カシュラルの目がすっと切れ上がり、身体から冷たいものが吹き出す。絞り込まれた気迫なのだと気付いたのは、ダレットだけだろう。
二人の険悪な雰囲気に、周りの男たちはただ唖然としている。が、一級の使い手が放つ本物の気迫のぶつかり合いの中にあって、何か喋ったり取り成したりなどという胆力を持った者は、この中にはいなかった。
「どうあっても、要請には従えないと?」
「……そうだな」
カシュラルの問いに、ダレットが答えた瞬間。
「…………!」
銀光が走る。男たちは一瞬硬直し、それから目を見張る。
「……と。危ないな……」
ダレットが軽い口調で言った。その首のすぐ横に刃が突きつけられている。
カシュラルが抜刀するなり繰り出した刺突の一撃を、ダレットが紙一重でかわしたのだと、視認出来た者はいなかっただろう。それほどの速さの、まさに一瞬の攻防だった。
「今、本気でやらなかったか? 一歩間違えれば死んでたぞ」
「これくらいが避けられないようだったら、用はない」
あっさりとした口調で言うダレットに、カシュラルは無表情に応じる。ダレットも身体の向きをずらし、長剣の柄に右手を添える。いつでも抜ける様に、だ。
「悪いが、俺にも事情がある。そっちがその気なら、俺も実力行使に出させてもらう。
お前の刀じゃ俺には勝てない。それは知ってるはずだよな?」
ダレットの言葉に、男たちは一斉に驚いた顔をする。カシュラルの……<戦女神>の強さを彼らはよく知っている。そのカシュラルが、勝てない? この、生意気な優男に?
「勝負はやってみなければ分からんさ」
「ま……そりゃそうか。けど俺も、色々と死ぬような目にあったからな。前よりは大分マシになったと思うが」
二人の気迫は尚もぶつかり合い、空気がぴりぴりと張り詰めている。周りの男たちも動けず、ただ成り行きを眺める他なかった。
「力ずくでも行かせてもらう。悪いな」
ダレットが抜剣し、斬りかかろうとした瞬間。
「申し訳ありません、司令官、ちょっとお伺いしたいことが……」
テントに、一人の男が入ってきた。中年の男で、部隊長の階級章が彫りこまれた鎧を身に付けている。
ダレットとカシュラル、二人の動きがぴたりと止まる。
突如割り込んできた部隊長は、ただならぬ雰囲気にこれまた硬直したが……やがて、そそくさとテントから出る。
「済みません、お取り込み中のようですのでまた後で伺います……」
「いや、いい」
カシュラルが大きく息を吐き、刀を鞘に収めた。
「今報告を聞く……ダレット・コルフォース、貴方の話も後で聞く。貴方の処置はその話如何だな」
「……分かった」
ダレットはやや憮然とした顔をしたが、長剣を結局は戻す。周りの男たちが、一様にほっとした顔をした。
「俺も、事情がよく分からないんだよな。何があったんだ? こんな大量の軍を派遣してきて」
夜。司令本部のテントで、ダレットとカシュラルは話していた。他の人間は人払いしてある。
「どうもこうもない。エルフ族の反乱だ……軍部が怠慢をやっている間に、大量の兵が一箇所に集結していた。それでこちらも、急遽そのエルフ軍を潰すべく派兵しただけだ。王都の兵と、メルセリア領の兵を急いで集めてな」
カシュラルがため息をついた。蝋燭の頼りない明かりの中に、その美貌がぼんやりと浮かび上がる。さながら、夜の女神とでもいったところか。普通の男だったら、一発で惚れること間違いなしなのだろうが。
(そういや、婚約者ってな扱いだったなー……)
王宮騎士団を除名になっていないということは、あの縁談も保留にされたままである可能性が高い。カシュラルがその話題に触れないので、気にはしていなかったのだが。
「首謀者は?」
首謀者を捕らえてしまえば、こんな大規模な派兵など行う必要などなかったはずだ。
「今だに不明だ。相当頭の切れるエルフらしく、上手く隠れているようだ……正直、名前すら掴めていない」
「それが分からないうちに、規模がどんどん大きくなっていたって訳か」
「そういうことだ……」
監視こそ怠っていなかったものの、平和に慣れてしまった人間と、覇権の奪回を目指してずっと戦闘意識を持っていたエルフとの差が、これなのだろう。サリクスの話がぼんやりと思い出される。
「それで、私が司令官にされた。……ま、ていのいい厄介払いだな」
「はあ……?」
「こんな反乱、鎮圧したところで大した手柄にはならん。お偉方は、あまり重要視していないようだしな……それは、部下たちにも言えることだが。
お偉方にとっては私は異質で邪魔な存在だ。少しでも王都から追い払いたいだけなのだろうな。たとえ戦死したところで願ったり叶ったりで」
他人事のようにカシュラルは言う。計算結果でも読み上げるように……いや、まさしくそうなのだろう。自分の死すら計算に入れて動ける人間だ、この女性は。
軍人として、しかも総司令官として。時として他人に『死ね』と命じなければならない立場として、当然の覚悟なのだろう。だが、ダレットにはそれは理解出来なかったし、あまりに悲しい気がした。
「詳しく説明するなら幾らでも長く出来るが、大体、このくらい話せば事情は理解出来ただろう?
それで? ……貴方の『事情』と言うのを聞こうか」
「聞いたら協力してくれるとでも?」
「それは無理だな。せいぜいが、牢に放りこむか追い返すかの差だ」
二人は揃って苦笑した。
「……キルファが、いきなりエルフに連れ去られた」
ぽつり、とダレットはそれだけ言った。
「キルファ? ああ……あのハーフの娘か?」
カシュラルは一度だけ、キルファの顔を見たことがある。一度とは言え、特徴的な容姿はそう簡単に忘れられるようなものでもない。輝く銀髪、整った顔立ちと対照的な鋭い眼差し、そして紫の瞳。
「ああ」
「……その娘を、探しているのか?」
「そういうことだ。……何としてでも、取り戻す」
ダレットの顔に、険しい色が混じる。自分の目の前で攫われてしまった悔しさがこみ上げる。
「…………」
ダレットの決意に満ちた顔を見て、カシュラルの表情に一瞬だけ別の色が混じる。ダレットはその変化に気付かなかったが。
「一つ、報告書がある」
不意に、カシュラルは顔を上げた。横の書類の束から、日付を確認して一枚を引っ張り出す。
「二十日ほど前に、この付近に先に派遣していた偵察兵が、二人のエルフを目撃している。金髪の男と、赤毛の女……」
「あいつら!」
ダレットとて、キルファを攫ったエルフの顔は覚えている。思わず大声を上げる。
「それで、金髪の男の方は、何だかやたらと大きな荷物を抱えていたらしい。そう……大体、小柄な人間なら入るくらいの袋を肩に担いでいた……、と。
その偵察兵には気付かずに立ち去ったらしいが」
カシュラルが書類を読み上げる。一度読んだだけの報告の内容と日付をほぼ完璧に覚えているのだから、常人離れした記憶力だ。
「いや……」
ダレットも、少し相対して分かった。相当な使い手であるあの二人組が、偵察兵に気付かないはずがない。おそらくは見逃したのだろう。何か理由があるのか、それとも単に見くびっただけかは分からないが。
「他には? 何か、そんな報告はないのか?」
思わず意気込むダレットに、カシュラルは氷のような微笑で応じた。
「これは軍事機密だ。本来なら、部外者の王宮騎士団に明かせるような文書ではない。……ここで、一時的に協力を願い出るとでも言うのなら話は別だが」
カシュラルはにっこりと笑って言う。笑顔がただ冷たかった。
「……脅しか? それは」
「脅しているわけでもないが、使えるものは使う主義だからな。私は別に親切で言っているわけではない……綺麗事にこだわるつもりはないし、こだわれるような立場でもない」
人の上に立つものとしての、清濁併せ呑む信念。正義や倫理観よりも、時には現実の利害を優先しなければならない立場なのだ。
一人殺して二人助かるなら、彼女は迷わず一人を殺す。たとえ何と罵られようとも。罵られる覚悟が出来ているから、可能なことだ。
ダレットにはそれがない。綺麗事と、絵空事の理想論と言われようと、三人とも助けようと奔走するだろう。自分の命を投げ出しても。ダレットは、『人の上』から人を見ない。あくまで、同じ視線から物事を見る。人間であれ、エルフであれ。
その、どちらが悪いのでもない。所詮は価値観の問題であり……善悪を付けようとすること自体が間違いだ。
「それに」
カシュラルは付け加える。
「この時期に、ハーフをエルフが必要とする理由などは分からないが、この戦に関係していることだけは確かだろう……闇雲に一人で動くより我々と行動を一緒にした方が、少なくとも情報は入ってくると思うが?」
ダレットの心理を先読みするかのように、彼の反論を封じるようにカシュラルは続ける。少なくとも、頭の回転と口の達者さではダレットはカシュラルの敵ではなかった。
「……分かった」
沈黙のあと、ダレットはうなだれるように頷いた。机に肘を付き、手のひらで顔を覆う。
何処かで、何か重いものが軋む音が聞こえた気がした。運命、宿命、名前は何でも構わない。一人一人の想いも願いも全て巻き込み、押し潰す、巨大な歯車。
何か、とてつもなく悪い方向に……世界は回り始めている。動き出したら最後、どんなに泣こうが喚こうが取り返しの付かない、無慈悲な存在。この中で自分がたった一人抗ったところで、歯車に砂ほどの大きさの小石が挟まった、という程度のことでしかないのだろう。
しかし、と。心の中で、ダレットは必死に叫ぶ。
(違う! 俺はそんなことしたくない……)
戦争。どんな理由があろうと御大層な理屈があろうと……要は、単なる人殺しだ。
人殺し。人一人の、思いも今までの時間も全て『無』に返してしまう権利が、自分にあるのか?
「……一つだけ聞きたいのだが。貴方がそこまであの娘にこだわる理由は、何だ?」
ダレットはしばらく沈黙した。前にも、何度か同じ質問をされた気がする。そして……答えられなかった。
「あいつは、俺を信用するって言ってくれたからな……それだけだよ」
ぽつりと言う。自分に言い聞かせるように。
誰も信じられない状況で生きてきた少女。ここで自分が見放したら、一体誰があの少女を護る?
それが、意に反しながらもこの戦場に留まるたった一つの理由だ。
「……そうか」
カシュラルはぽつりと呟く。彼女が何を思ったのかははっきりしないが、やがて、すぐにテントを出ていってしまった。
後には、ダレットが一人だけで残された。
