55.対魔法戦
「これがこの平原の地図。これが軍の分布、それから……」
大きめの地図に、あれこれと印が付けられ、細かい描き込みがなされている。カシュラルは指差しながら、一つ一つ丁寧に説明していく。
司令本部で行われている会議。一応、『帝国騎士』のダレットは幹部格として会議に引っ張り出されている。無論、強引に呼んできたのはカシュラルだが。
ダレットとしては、ただ話を聞き流していくしかない。元々、頭脳労働は専門外だ。キルファがいれば裏を掻く作戦の一つでも考えてみせるのだろうが、彼女にはエルフと人間が争いを始めようが共倒れしようが、どうでもいいことだろう。どちらにも属さない……と本人は思っている……のだから。
「……随分、軍を固めてるんだな」
帝国軍の分布を指差し、ダレットは見たままの感想を呟いた。独り言程度のつもりだったのだが、隣にいた強面の中年男……カシュラルのすぐ下の部下に当たるはずだ……が、律儀に解説を述べる。
「エルフ共と言えど、一気に大軍で押しつぶしてしまえば抵抗できますまい。所詮、数が違いすぎます」
「まあ、そうなんだけどな……」
何かが引っ掛かる。色分けされた、エルフの方の布陣に目をやる。そちらも一箇所に軍を固めているようだが……
「二段編成?」
前衛と後衛とでも言うのだろうか。盾のように前方に一列に兵士を置き、その後ろにもう一団がいる。
「……どういうことだ?」
「それがわかれば苦労はしない……だから、貴方を引きずってきたんだ」
カシュラルが、ため息をつきながら言った。
「お前がか?」
その武術の強さもさることながら、この若さで軍の幹部を務めるだけあって、非常に頭の切れる女性だ。そのカシュラルが、こんな言葉を吐くとは思わなかった。
「何よりも、推測する材料が少なすぎる。……エルフが絶対に使ってくるもので、我々には使用不可能なもの。原理すら理解できないもの。……何だか分かるな?」
「魔法、か」
カシュラルは黙って頷いた。
「おそらく、魔法を使う布陣なのだろうが。これが」
魔法と聞いてダレットも眉をひそめる。<風刃>で大量の切り傷は負うわ、何回も突風で吹き飛ばされるわ、炎の壁は使われるわ、とあまりいい思い出もないのだが……
魔法に関して聞いたことと言えば、時々キルファが解説していたことくらいだ。彼女に言わせれば、『理論も制限もある単なる技術』だそうだが。
とりあえず分かっていることは、呪文の詠唱と、『場』とか言うものへの意識の接続が必要であること、それによって起動にある程度時間がかかること、それに……何の抵抗力もない人間など、あっさり凌駕するだけの力があるということ。
正直、対魔法戦の経験はあまりない。キルファが、大抵<白紙>の魔法で消し去ってくれたからだ。魔物と戦ったときなどは、それが強力な武器となった。が、今はキルファはいない。
消去魔法なしで、魔法に対抗して戦う準備をしなくてはならない。
「そう言えば……」
もう一つ、キルファが言っていたことを思い出した。
『魔法ってのは、万能の技術ってわけでもないの。一度照準を定めてしまったらそれまで。敵味方入り混じった中で、敵だけを攻撃するなんていう融通は効かないの。
要するに、大砲みたいなものね。威力は大きいけど、それは諸刃の剣であって、自分を攻撃しない保証はないのよ』
理路整然と解説して見せるキルファには、エルフであるサリクスすら感心していた気がする。頭の回転の速さもあるのだろうが、持っている知識も相当なものらしい。誰に学んだものかは、彼女は語ろうとはしなかったが。
「なあ……大砲を使うとしたら、どんな状況が有利だろうな?」
キルファの言葉を反芻するように、ダレットは言う。一同が、不思議そうな顔をしてダレットを見た。
「いや、知り合いの言葉なんだが。魔法ってのはつまり、大砲みたいなもんだって」
男たちが不思議そうな顔をする中で、カシュラルだけがはっとして目を見開いた。そして、納得したらしく一人で頷いている。
「そうか、成る程……! くそ、やられた!」
口汚く罵るような口調でカシュラルは思わず喚いた。
「えっと……」
言い出したダレットですらよく分からない。が、カシュラルは再び地図を凝視し、そして拳を叩きつけた。
「どうりでな! まんまと嵌められたわけだ、私たちは……畜生、上手く集められた!」
「……集められた?」
カシュラルは、指で地図をなぞる。自分たちの現在位置、つまりダレットが指摘した大軍を指先で弾いた。
「これだけの大軍では、それほど機敏には動けない。そこに大砲の集中砲火を浴びてみろ、一網打尽だ!」
「あ……!」
男たち一同の呻き声が見事に重なった。
魔法は呪文の詠唱といった制限がある代わり、一人でもとんでもない力を発揮することが出来る。魔法の威力を考えれば、人間とエルフの数の差は大したものではないのだ。エルフに付きまとう制限を打開する方法が、帝国軍を一箇所にまとめ、互いを足枷にして動きを封じてしまうことだったのだ。
大軍の中ほど、大砲を撃ち込むのに適した場所はない。そして……帝国軍は、反乱軍を一気に押し潰すべく、軍を一箇所に固めてしまっている。
「一網打尽を狙っていたのは我々ではない、向こうの方だ……成る程、でも気付くのが遅すぎた!」
少しは落ち着いたのか、声のトーンを落としてカシュラルはうめく。こめかみに手を当ててため息をついた。特に束ねてもいない長い黒髪が、さらりと揺れる。
「……そうか、だから二段編成……」
カシュラルの説明を聞いて、ダレットもようやく納得したような顔をした。回転が遅い自分の頭がこれほど恨めしいと思ったこともない。
「どういうこと?」
「魔法ってのは、呪文を唱えたり集中したりしなけりゃならないから起動にある程度時間がかかる。多分、前衛はその時間稼ぎのための陣だ。エルフたって、全員が全員魔法を使えるわけでもないらしいし、こんな戦場で通用するほどの魔法となったらもっと少数だろう」
ダレットははっきりと知っているわけではないが、魔法を起動することの出来るエルフからして、全体の五分の一程度だ。戦闘用の高度な魔法を使えるエルフとなると、更にその何分の一かに下がる。
「……そう言えば、エルフの十八番は長弓でしたな」
男の一人が思い出したように言った。建国戦争時、人間の軍隊は魔法に加えて長弓部隊にも苦しめられている。全体的に、接近戦よりも長距離から中距離戦を得意としているのだ。
「なるほど、前衛に長弓部隊を配置しておけば、我々は迂闊に突進は出来ない。その間に、魔法を起動してしまえば良い……」
一人一人の起動出来る魔法は目に見える範囲内でしかないが、多人数で協力・分担して起動する魔法は、理論上威力の制限はないと言われている。文献によれば、小さな街を丸ごと消し去ったという記述すらあるのだ。
ようやく見えてきた敵の現実に、男たちは戦慄の表情を浮かべた。カシュラルですら硬い顔をしている。
「……それで? 対応策はあるのか?」
カシュラルが視線だけでダレットを向いて問いかける。正直、こちらが訊きたいくらいなのだが。
ダレットはしばらく考え込んでいたが……やがて、ぽつりと言った。
「混戦」
あまりと言えばあまりなその一言に、場の空気が凍りつく。戦場においては、混戦などは最も避けたい事態だ。命令も統制も作戦もあったものではない。
「……はあ?」
「どういうことですかな、ダレット・コルフォース殿?」
男のうちの何人かが険悪な顔をしてダレットを見る。ダレットは肩をすくめ、自信なさげに続けた。正直、根拠も何もないただの思いつきなのだから。
「人間の軍が固まってれば、そこに集中して魔法を撃ち込まれる可能性がある。けれど、エルフと人間が混じってしまえば、迂闊に強力な魔法は使えない。味方すら巻き添えにする可能性がある……」
「ああ……成る程な」
カシュラルが、ようやく緊張を解いたように、一瞬だけ柔らかい表情を浮かべた。
「混戦になれば、頭数で勝るこちらが有利になる。当初の予定通りに押し切ってしまえば良い……
最初が勝負だな。エルフたちに、魔法を使わせるだけの時間を与えないこと。これが勝敗の鍵になる」
カシュラルが決然とした響きで言い切った。一同の表情が引き締まる。
「……となれば、こちらも軍を二つに分ける。一方は正面から当てて、もう一方は横手から魔導士部隊を狙う。魔導士たちも、自分たちに向けて兵士が迫ってきて、なおかつ護る『盾』がなければ、のん気に呪文など唱えていられないだろうからな。
それから、二手に分けた軍を更に小規模な部隊に分けるようにしろ。出来るだけ大規模での行動は避けて、部隊単位で動くこと。そうすれば、混戦に持ちこんでも混乱せずに動けると思う。
それから……」
カシュラルは少し考えこみ、そして言った。
「エルフと混じってしまったら、同士討ちになってしまう可能性もある。だから、何か目印になるようなものを兵士に着けさせておいた方が良いかもしれない。布か何か、派手な色のものを。
そうすれば、戦場でも一発で見分けがつくだろう……一々、耳を見分けてはいられない」
耳、と聞いて思わず師匠を思いだし、ダレットは苦笑した。
カシュラルの言葉は一つ一つが現実としての重みと、司令官としての威厳を備えている。これ以上、彼女に意見する者はいなかった。
ダレットにしても、これ以上の策は思いつかない。
「……決まりだな。
正面から向かう部隊は私が直接指揮を執る。横手からの奇襲部隊はベータシュタール、ミルドレットの部隊とする。細かい部隊編成は各自の裁量に一任する。
出立時刻、細かい位置などに関しては後で通達」
指名された男……カシュラルとほぼ同格の軍人である……たちが二人で喧喧諤諤の議論を始める。その他の男たちも、自分の持ち場に戻リ出した。自分の部下との打ち合せがあるのだろう。
後には、カシュラルとダレットだけが残された。
「……いやまあ、さすがだな。カシュラル・レストラード司令官?」
大きく伸びをしながら、皮肉めいた口調でダレットは言った。
遥かに年上の男たちが、皆カシュラルに素直に従っている。家柄といった権力はまだまだ強いし、男尊女卑の傾向も強いこの世の中で、それは非常に稀なことだった。
彼女の……<戦女神>の技量ということなのだろう。もっとも、彼女にしてもここまでくるには相当の苦労があっただろうが。
「俺がいる意味なんてないんじゃないか? お前だけで、十分やってけるじゃないか」
お世辞などでなく、本心だった。だが、カシュラルはその一言に露骨に顔をしかめる。
「私は……本当は、人を使える器などではない。上からあれこれ指揮するより、自分で出ていって戦った方が遥かに楽だ。考えなくていいからな……目の前の敵を倒せばそれで済む」
はあ、と疲れきったようにため息をつく。簡易式の椅子を引っ張り出すとそれに腰掛け、両手で顔を覆った。泣いているようにも見える。
初めて見るカシュラルの姿だった。ダレットが知っている彼女はいつも背筋を伸ばし、胸を張って歩いていた。
それが、カシュラルという女性だったはずだ。だが……今目の前にいるのは、そんな『強さ』とはまったく無縁の女性である。壁にもたれかかり、辛うじて立っているような。
「もしかして……」
ふとした思いつきは、さすがに口に出すのは憚られた。
さっきまでの、総司令官、<戦女神>としての姿は、もしかしたら、彼女の本当の姿ではないのかもしれない。今目の前にいる女性こそが、本当の『カシュラル・レストラード』なのかもしれない。
ダレットの考えを見透かしているのかいないのか、カシュラルはうめくように言った。
「駒は所詮、駒に過ぎん……駒以外にはなれない。決して、駒を使う立場にはなれない」
(……駒?)
カシュラルが何を言わんとしているのか。ぼんやりと思い浮かぶものがあるのだが、霧のように霞み、明確な形を取らない。
「それは……」
ダレットの疑問は無視し、首を軽く振るとカシュラルは立ち上がった。長い黒髪をなびかせるその姿はまぎれもない、エルゼシア帝国の<戦女神>だった。
その姿に、ダレットは目を見張る。颯爽とした彼女は、本当に……美しかった。
テントの入り口から出て行こうとして、ふと顔だけでダレットを見やる。
「そう言えば、言い忘れていたが……あの縁談は、まだ正式には消えてはいないぞ。誰も覚えてはいないだろうが。一応、貴方の婚約者ということになるのかな、私は」
言って、カシュラルは冗談めかして笑う。一瞬にして情けない顔をしたダレットを尻目に、カシュラルはさっさとテントを後にした。
