56.望み
「敵陣に動きが見られた……?」
リュシウスは、部下からの報告にのんびりとした口調で相槌を打った。緊張感がないことこの上ないが、いつものことであるので、部下も今更不安がったりはしない。
「はい。何やらいきなり慌しく動き始めまして。命令の変更でもあったのか、全体の位置は特に動いていないのですが、内部で細かい動きがかなり見られたと」
「その、動きというのは何なんです?」
「理由はよく分からないそうですけど……」
報告を持ってきた部下、ブランシュも偵察兵からの報告書を片手に顔をしかめている。
「とにかく、細かい図を見せてもらいましょう……ブランシュ、貴女ももう下がってください。寝た方が良いですよ」
紙の束を受け取り、にっこりと笑うと、リュシウスはブランシュを部屋から出した。それから、横で鋭い視線を向けながらカップの茶をすすっていた人影に目をやる。
「ご覧になります? あなたにも関係ない話ではありませんよ」
「別に。興味ないわ。あたしは、この戦いがどうなろうと関係ないもの。むしろ、共倒れを望んでいるのかもしれないわね」
キルファである。この反乱にハーフの、しかも子供が関わっていることがエルフの一般兵に知れたらまずい……『エルフ族』のプライドに関わる……ので、キルファの存在は一般兵には秘されている。知っているのはリュシウス、確保に向かったウィレムとブランシュ、後は幹部級の数人だけだ。
そんなわけで、行動を著しく制限されたキルファは、リュシウスの隣にいることが多い。彼女にしてみれば、ひたすら拷問である。
昔の話などしないわけでもなかったが、どちらにしても苦しいだけだ。リュシウスにしてみれば家族と村人の仇なのだから。たとえ、以前は妹代わりに可愛がった少女だとしても。
「このままやったら、共倒れどころか、我々が一方的にやられて終わりでしょうね。エルフ族の魔法などというのは、それほど魅力的な力ではありませんから。それを回避するための、あなたなんですよ」
リュシウスは意味ありげに笑って見せる。その意味を聞かされているキルファは、露骨に嫌な顔をした。
リュシウスがキルファにやらせようとしていることは、既に聞いている。そのためにわざわざ山奥まで引っ張り出されたのだ。
「あんたにしてみればそうだろうけど……気に入らないわね」
キルファは、憮然とした顔をした。
「あなたが気に入ろうと何だろうと、私は知りませんよ……言ったでしょう? これが、私のあなたに対する復讐なのだと」
エルフ族の反乱。帝国に抑圧された現在の状況から逃れるための。
エルフ全体の大義名分はそれだ。だが、その首謀者たるリュシウスには、また別の思惑がある。キルファを利用してやることで彼女に『復讐』すること、そしてもう一つは……
「……しかしまあ、あんたも偉くなったもんね。実質上、あんたが司令官なんでしょう?」
横で話を聞いていて分かったのだが、リュシウスの立場はエルフ軍の『軍師』だ。だから、直接戦場に出て戦うことはないらしいが、作戦や行動の一部始終を立案、実行しているのはこの男だ。事実上の最高司令官だと言えなくもない。
リュシウスとて剣も使えるが、あれはあくまで護身用に特化したものだ。自分から攻めこんで相手を倒す、戦闘剣術とは根本的に異なる。
「……ねえ」
沈鬱な面持ちで、キルファは尋ねた。
「……何があったの? あれからの二年間に。あんなに強くなって、これだけの立場になって……何が、やりたかったの?」
「……最初は、私も何も分かりませんでしたよ」
リュシウスも、報告書を置くと大きく息を吐き、それから語り出す。
「家族を皆失って、私もハンザの村を出ました。それから別の村に辿りついて、そこで剣を覚えました。その村は割と人間の大きな街に近くて、かなり弾圧も激しかったんです。三流の医者としてその抵抗に助力しているうちに、何時の間にか、『軍師』としての立場になっていました。皮肉にもそんな才能があったらしいですね、私には。
あなたのお母様に習った医師としての技術は、一向に向上しなかったというのに」
ハンザの村にいた当時、リュシウスはキルファの母、エレナの仕事を手伝う傍ら、エレナから薬草、医療に関する技術を学んでいたのだ。兵法の基本となるような、主に歴史の知識を教えたのもエレナである。横で、一緒にキルファもそれを聞いていたわけだが。
皮肉としか言いようのない話だった。人を助けるための技術を学んでいたはずの男が、戦争に際してずば抜けた才能を発揮したのだから。
「でも、一日一日を耐え抜くことは出来ても、現状を変えることは出来なかった。力が圧倒的に違いすぎる。今は、あの支配の時代でも、並立の時代でもないんですから」
エルフが大陸を支配していた時代を支配の時代、人間とエルフがそれぞれ国を建てて争っていた時代を並立時代と一般に呼んでいる。今は、人間が支配する時代だ。
「でも、ある時偶然に見つけたんですよ……あの、力を」
現状を打破する力。この戦いの、リュシウスの切り札。キルファの顔がますます不機嫌になる。
「成る程。それでこんな戦いをでっち上げたわけね……」
呟き、そしてキルファは更に尋ねる。
「それから、もう一つ訊きたいんだけど」
キルファの目が鋭くなった。
「あんたに、『あれ』の存在を教えたのは、一体誰?」
キルファの鋭い視線と、リュシウスの柔らかくも氷のような笑みがぶつかり合った。空気が凍り付き、一切の音を排除する。
「……それは、あなたにも言えませんね。あなたに話せることが全部ではありません」
「まあ、そうだろうけど」
柔らかい笑いをいつも浮かべてはいるものの、その実はかなり食えない男だ。裏で何かを画策しているのは、サリクスだけで十分だと言うのに。本人の知らぬところでサリクスを使っていたのもこの男なのだろうが。キルファは顔をしかめた。
「あんたにとっては、あたしも道具……駒の一つでしかないんでしょう?」
「そうです」
吐き捨てるように言うキルファに、リュシウスははっきりと断言した。
「……大体、あなたの思惑通りなのでしょう? これで」
暗い部屋。以前、キルファが閉じ込められていた部屋を連想させる場所だが……そこに、今は二人の人影があった。蝋燭にぼんやりと浮かび上がるその姿は、一つは大きく、そしてもう一つは小さい。
「まあ、ね」
リュシウスの問いに答えるその声は、まだ高い。少年か少女かもはっきりしないような、子供の声だった。そんな子供を前にして、リュシウスは相変わらずの丁寧な物腰で話している。
これが彼の地だと言えばそれまでだが……それだけではない。何処かに畏怖しているような雰囲気が、リュシウスにはある。
まだ、おそらくはキルファよりも年下であろう子供に、この男が?
この情景を何も知らない者が見たならば、驚愕を禁じ得まい。それほどに異様な光景であった。が、ここには二人以外にはいない。疑問を挟む者はなく、二人は淡々と話している。
「エルフと人間の並立。両者とも望んではいなくて、でも理想の姿。時代を逆行している気もしますけどね……」
「それでも、この時代は無駄じゃないさ。お互いに支配と抑圧を経験すれば、また何か変わると……そう信じたいけどね、僕は」
子供……おそらく少年はかすかに笑う。苦笑めいたその笑みは、幼さを多分に残した容姿と比べて、妙に老成した雰囲気があった。
「しかし、それには遥かな時間が必要です。少なくとも、私がそれを見ることは決してないでしょう」
「……見たいの? あなたは。その、理想の姿を」
「いいえ。それは、遥かな未来の住人に任せましょう……私には、私の望みがあります。それが叶えられれば十分ですよ」
リュシウスは笑う。
「あなたの望み……? 何なの、それは?」
「教えません。きっと笑われますから」
いたずらっぽく言い、リュシウスは肩をすくめた。
「ちっぽけなものですよ、あなたの『理想』に比べたら。でも……私には、それが一番なんです。どうしても、手に入れたいものがある。たった一つだけ」
「そのために僕と手を組んだわけだ、あなたは」
「そういうことです……でも、それはあなたも同じでしょう? お互い様ですよ」
「違いないね」
二人は揃って苦笑した。
「何にせよ、結果が出るまでもうすぐです……さて、仕事に戻りますか。戦争を……人殺しを理想論と正義論で誤魔化すというのは、これでなかなか骨の折れる作業でしてね」
リュシウスは立ちあがると、部屋から出ていった。後には少年だけが残される。
「人殺し……か」
少年は誰にともなく呟いた。
「確かにそうだ。でも、犠牲がなければ変わらないものもある。しかし、それは……間違ってるのかな?」
聴く者はいない。だが、少年は何かに語りかけた。虚空を見据えて……まるで、そこに何者かが存在するかのように。
「僕たちは……正確には僕たちの想像主は、かつて一度失敗している。犠牲は、滅亡しか生まなかった。この行動は、また同じ事を繰り返させないかな?」
答えは返ってこない。少年は苦笑すると、先を続けた。
「でも、やらなければ分からない。賭けるだけの価値はあるよね……?」
答えは常人には聞こえない。が、確かに少年は何者かの『声』を聞いた。そして、微笑する。
「そうだね。あれを繰り返させないための、僕たちなんだから……そう言いたいんでしょう?」
少年は肩をすくめて笑った。それから、ふとリュシウスが出ていった扉に目をやる。
「でも。あの男……何か、隠してる。あの男の望みが何かは知らないけど……僕たちにとって障害になる可能性はあるな」
少年はかすかに眉をひそめた。
「まあ、ここまでお膳立てしてくれたんだから、それで十分か」
ふうっ、と息を吐く。振り返ったとき、ふと蝋燭の明かりにその顔が浮かび上がる。
あどけなさを残した、まるで作り物のように端正な顔。絹糸のような金髪が、きらきらと光る。
そして。
その瞳は……鮮やかな紫の光を放っていた。
刀を構える。
ふっと息を吐きながら、一気にそれを振り下ろした。ひゅん、と風を切る音がする。
「…………」
月明かりを照り返してかすかにきらめく切っ先を見つめ、カシュラルは大きく息を吐いた。素振りをしていた刀を鞘に収める。
駄目だ。どうしても気分が晴れない。
「はあ……」
誰もが寝静まった夜に、一人、テントの外でカシュラルはため息をついた。どうして、これほどまでに気分が重苦しいのだろうか。
『戦争』に対する恐怖はない。自分は本来、壊し潰しが専門だ。本来いるべき場所に戻っただけ――そう思っていたはずなのに。
「重圧に負けている……わけでも、ないはずなのだがな」
呟き、カシュラルは自嘲気味に笑った。鬱陶しいとは思うこともあるが、司令官だろうが何だろうが、地位など気にしない性質のはずだ。
だったら、何故?
(……分からないからか)
独りごちる。
以前は思うこともなかった。戦って、何もかもを破壊して、その後に何があるかなど。
だが、今は考えてしまう。この戦い……鎮圧戦に勝利して、エルフを殲滅《せんめつ》したとして、その後に何があるだろうと。また王都に戻って気に食わないお偉方といがみ合いを続けて、その繰り返しだろう。
何も希望などない。何も良いことなどないのに……どうして、戦おうとする?
任務。まあ、大事なことではある。しかしそれにしたところで、悪意によって押しつけられたものだし、戦って護るべき『帝国』とやらに、大して愛着があるわけでもない。生まれてみたらそういった機構が存在していた、それだけだ。
分からない。
自分が戦う理由も、その先の未来も……何故、分からないことが不安なのかも。
もう一度刀を抜いてみる。銀色に光る切っ先を見据え、一気に振り下ろした。風を切る、小気味いい音が響く。
だが。重苦しい気分が、到底晴れるわけはなかった。
「夜……か」
キルファは呟き、自分の膝を抱いた。大きな布を頭から被り、無意識のうちに隅に逃げる。
二年前から、夜の闇がどうしても苦手だった。あの紅い悪夢を思い出してしまうからである。自分に殺意を向ける男たちが、大挙して追ってくるような気がするからだ。もっとも、昼間は昼間で瞳の色がばれてしまい、結局追い出されたりするので、どっちもどっちではあったのだが。
一人きりだと、特に不安になる。暗闇の中で、必死に手探りで何かを探そうとする時の焦燥感。何も掴まるものがない、あの心細さ。
(……馬鹿なことを)
心の中で呟き、自嘲気味に笑った。ずっと一人きりなのに、今更確認するまでもない。
「…………」
少しだけ、一人ではないことがあったが。隣にあの変な騎士がいて、ぎゃあぎゃあと怒鳴り散らして。それは、たまらなく楽しかった気がするのだが……
どんな気分だっただろうか。楽しいというのは――?
(それほど前でもないはずなのに、ね)
実際には、まだ離れて二十日足らずといったところだ。あの二人組に襲われて、意識を失ったあたりから。だが、急速に記憶が遠のいていくような気がする。
自分の右手を見つめる。取った手の温かさ、一瞬だけ触れた唇の感触が、まだかすかに残っているような気がする。それだけが、落ち込んでいく思考を食い止めてくれた。
だが、それがいつまで保つことか。
(…………)
向かってくるものを全て破壊するしか。そうするしか、生き残る術がない自分に……
「いる意味なんて……あるの?」
自分で自分を肯定出来るほど、誇れるものなど何も持っていない。破壊するしか術のない自分を、他人が肯定してくれるとは到底思えない。
今、ここにいること。それが一番、違和感があった。
ここで、ふっと誰にも悟られることなく消えてしまえたら。それが一番相応しい気がしたし、痛快でもあった。
「……いや」
キルファは呟き、にっと笑う。誰かがこの場にいたら間違いなく駆け寄ってきて正気を確かめるような、そんな笑い方だった。
それは単なる思いつき。でも……
(それが一番相応しい。他でもない、あたしには)
何回もそれを繰り返す。キルファの瞳に、ふっと暗い炎が灯った。
