暁の大地

59.戦場

 長弓部隊が一斉に矢を放つ。長弓の威力は凄まじく、まともに当たれば鎧など簡単に貫通してのける。上方から射降ろす形で使うのが一番効果的なのだが、さすがに平原ではそれは望めない。
 帝国軍が、一斉に防御の態勢を取る。だが、盾を貫通したもの、隙間を抜けたものの幾つかが兵士に命中した。
「ひるむな、足を止めるな! 接触さえすればこちらの勝利だ!」
 部隊長の男の怒声が響く。エルフの十八番である長弓の威力に恐慌状態に陥りかけていた兵士たちは、その声に落ち着きを取り戻す。また、前に進んだ。
 矢は連続して飛んでくる。が、段々それは散発的になってきた。矢は一本撃つと次を放つまでに少々時間がかかる。エルフの軍も、長弓部隊を複数に分けることでそれに対応していたが、何せエルフは元々の頭数が少ない。軍を分けると、一度に撃てる矢の数は減ってしまう。
 だが、所詮は時間稼ぎだ。魔導士が魔法を起動するまで耐え抜けばいい。魔導士が複数で分担して起動する魔法には、理論上、威力の制限はない。
 長弓に度々足を止めざるを得ない帝国軍に、エルフの指揮官はほくそ笑んだ。
 だが。
 喚声は横手から聞こえた。自分の指揮していた軍が、一斉に混乱状態に陥るのが分かる。
「なっ……?」
 指揮官は慌てて振り返り、そこで事の真相を悟った。
 横手にも帝国軍の軍旗が見える。正面の部隊だけではなかったのだ。
「伏兵か……!」
 指揮官は歯噛みした。奇襲部隊は、ほとんどエルフ軍に接触している。奇襲部隊にこちらの長弓部隊を押さえられれば、正面からの部隊がすぐに突進してくる。
 この平原は、朝になると濃い霧がかかる。その霧に紛れて移動されたのだ。そのため、<望遠>による探知でも掴めなかった。奇襲部隊はそれほどの数でもなさそうだが、基本的に遠距離戦に長けたエルフの兵士では、接近戦では分が悪い。
 奇襲部隊による混乱で、長弓による攻撃が途切れた。その隙に、帝国軍の本隊……正面からの部隊が一気に距離を詰める。
 ひときわ大きい喚声が聞こえた。
「…………!」
 間近に翻る帝国の軍旗に、指揮官は今度こそ言葉を失った。本隊が突っ込んできたのだ。
「ひるむな、所詮は寄せ集めの兵だ! 人間共に負けるな!」
 指揮官は大声で怒鳴る。だが、数の差はいかんともしがたい。見る間にエルフの兵士が押されていく。
「まだか……?」
 ふと、指揮官は呟いた。この戦いの、エルフたちの切り札。だがそれは、まだこの場には出されていない。
 勇猛果敢な女神を一瞬想像し、指揮官はふと少年のような憧憬の表情を浮かべた。

「……ここまでは予定通り、か」
 戦場を睨み付けるようにして眺め、カシュラルは呟いた。彼女が今いるのは後方の本営であり、戦闘が行われているのは遥か前方だ。だが、どちらが優勢かは一目で分かる。
 混戦状態に陥った際、戦場という興奮状態の中で冷静に敵味方を判断出来るとは考えにくい。そのため、帝国軍の全員に、何か目立つものを身に付けさせるように指示していたのだ。派手な色の布だったり、顔に顔料を塗ったりと、個人によってそれは様々だが、それが役立っているようだ。遠目にも判断しやすい。
 異形の大軍が押し寄せてくる様は、エルフの軍にも心理的な圧迫を与えるはずだった。
 今のところは優勢だが、油断は出来ない。戦場では、常に何が起こるか分からない。だから、その「まさか」の危険性を少しでも潰すのが司令官の役目でもある。
「上出来だ……!」
 部下の指揮官たちの顔を思い浮かべ、カシュラルは珍しく満足げに笑った。すぐ側に待機させておいた騎馬にまたがり、一気に戦場に駆け出す。
「おい……!」
 隣にいたダレットが慌てたように叫んでくるのが聞こえる。
「どうせ混戦状態になれば、本営からでは指揮は通らん! 前に出る!」
 振り返りもせずに叫び、馬を走らせた。すぐに戦闘が続く戦場が見える。
 帝国軍の<戦女神>の登場に、敵味方が一斉に顔色を変えた。
 長い黒髪……さすがに邪魔になるので、今は一つに束ねているが……をなびかせ、颯爽と馬を走らせる。手にした槍を振るうと、たちまちのうちにエルフの数人が地に転がった。
 馬上で刀を振るうなどというのは、自殺行為……まず長さが足らないし、下手をすれば馬の首を落としかねない……であるため、今カシュラルが手にしているのは長槍だ。別に、カシュラルは刀しか使えないわけではない。一通りの武器は扱える。
 武器だけではない。仕掛け罠の設置、騙し手とも思える戦法……おおよそ戦いに必要と思える全てを、彼女は学んできている。
 ――どんな方法ででも敵の息の根を止めろ。手段は選ぶな。お前たちは、そのためだけにあるのだから……
 <楔>の教官の言葉が蘇る。こうして戦場に身を置けば、思い出さざるを得ない。
 あれから八年が経ったけれど。結局のところ、自分のやっていることはあまり変わらない。敵の真っ只中で武器を振るっているだけだ。
(結局、それだけか。私が持っているものと言えば)
 持っているのは人殺しの技術だけ。それは、<楔>時代からまったく変わっていない。
 だとしたら……
(今の私は。――一体何だ?)
 ふと芽生えた疑問。それは確実に、カシュラルの心に巣くっていった。

 唇を噛み締めて、ダレットは戦場の様子を見ていた。
 ダレットにも、戦いが帝国軍有利に進んでいるのは分かる。いや、もう勝敗は決したと言って良いだろう。今降伏しても、恥とはならないはずだ。
 しかし、それにしても、エルフたちはしぶとかった。必死に抵抗を続けている。帝国軍の兵士からみれば、それはただの悪あがきにしか見えなかった。
 だが。
「悪あがき……違う」
 ぽつりとダレットは呟く。
 遠目に、エルフたちの表情が見えるわけではない。だが、何かが違う。ただの自尊心や人間への憎悪だけではなく、もっと別の何かが彼らの中にあるのだ。
 戦場で彼らの心を支えるに足る、現実的な何か。
「切り札……でもあるのか?」
 ふと呟き、愕然とした顔で思い出す。
 何故この時期に、キルファがいきなり連れ去られたのか。反乱の準備は用意周到だったが、そのうちの一つがサリクスを監視役として彼女に付けておいたことのはずだ。となれば、キルファもこの戦いに何らかの形で関与してくることは間違いない。だが、彼女の姿は影も形も見えない。
(何だって、よりにもよってあいつが必要だったのか。ハーフが必要だったのか? だとしたら、何だ? キルファでなければならない理由……)
 こめかみに手を当て、黙考する。だが、答えなど分かるわけがない。
「もし、切り札なんてものがあったとして。だとしたら、どうなる?」
 ダレットは呟く。
 キルファが強力な魔法を使えるのは知っている。師匠の話によれば、街一つを潰せるほどの威力のはずだ。だが、それは彼女が望まなければ成し得ないことだし、彼女がそんな真似をするとは思えない。それに、ただ魔法を連発させたいだけなら、もうとっくの昔に出てきて良いはずだ。
(エルフにも魔導士はいる。キルファには劣るにしろ、分担すれば問題ないはずだ。やっぱり、わざわざ監視までして連れ去る理由がない)
 ダレットは嘆息する。また師匠の言葉を思い出した。昔、自分が訊いたことだ。
『もし、敵に切り札なんかがあったら。どうなるんですか?』
『馬鹿野郎。とっととやられて終わりだ。見抜かなかった、それに勝てなかったお前が悪いんだよ。言い訳なんざ通用するか』
 そう言って、ヴァルレッドは嘆息していた。
 急に、ダレットは不安になってくる。まだ、何か出てくるのではないだろうか。そして、それに自分たちは勝てないのではないだろうか……
(……まさか!)
 自分の長剣を掴んで腰に差す。鎧の類は一切身に付けていないにも関わらず、ダレットは戦場に向かって駆けだした。
「あ、もし、騎士様!」
 すぐ側にいた兵士が慌てた声で叫ぶのが聞こえてくるが、これは無視。カシュラルのように騎馬は持っていないため、自分の足で走るしかない。だが、矢が飛んでくる危険性は低いので、ただ突っ走ればいい。
 ダレットとて、何か当てがあるわけではない。だが、後ろで黙って見ているのが一番不安だった。すぐ側にいればどうにかなる、その保証があるわけではなかったが。
「何処だ……エルフの指揮官!」
 もし切り札などというものを出してくるとすれば、それは司令官しか有り得ない。指令を出す前に、司令官を倒してしまうしかない。
 辺りを見回す。敵味方が入り交じった戦場に、二つの色が翻っている。帝国と反乱軍の軍旗だ。帝国の軍旗は青に金糸の縫い取り、反乱軍は朱。
 混戦状態の今となっては、軍旗など大して役には立たない。旗持ちの兵士も、あちこち駆け回って敵を倒さなくてはならないからだ。軍旗もめまぐるしく動いているが、その中に一つ、動かない朱の軍旗がある。
 つまり――敵の本営。
(あそこか!)
「どけ!」
 たまたま目の前にいたエルフの兵士に怒鳴ると、肉薄するなり顔面に拳を叩き込む。格闘戦用の寸鉄を握った一撃をまともに受け、その兵士はもんどり打って転がった。感触からして、鼻の骨が折れたかもしれない。
 その兵士には目もくれず、ダレットは朱の軍旗に向かってひた走る。鎧を付けずに戦場に飛び込むのも愚の絶頂なら、敵の本営に向かって突っ走るなどまず有り得ないことだったが、間に立ちふさがる兵士を片っ端から跳ね飛ばし、ダレットは駆ける。彼の剣幕にか、兵士たちも手を出しかねているようだ。
 邪魔をする兵士を跳ね飛ばしているだけなので、突破するのにそれほど時間はかからない。だが、本営は遠い。
「くそっ!」
 ダレットは焦燥に顔を歪めた。

「……これは……」
 リュシウスは顔をしかめた。
 思ったより戦況が悪い。元より予想の範囲内ではあったが、進行が早い。奇襲というのは使い古された手段ではあるが、有効な方法だった。反乱軍は確実に動きを封じられ、数に圧されていっている。
 エルフが主戦力とする魔法というのは、元々戦場に向く攻撃方法ではない。呪文詠唱にかかる時間や手間を考えれば、奇襲や攻城戦に用いるのが本来の使い方なのだ。リュシウスもそれは承知している。
 だからこそ、その不利を覆せる切り札を用意した上で戦いを挑んだのだ。
「さすがに、と言ったところですか。仕方ありませんね。予定より早いですが、『切り札』に登場してもらいましょう」
 リュシウスは呟くと、小さく呪文を唱えた。
 彼自身も魔法は使えるが、一流とはほど遠い。だが、今は別に大規模な魔法を起動するわけではないので、彼ほどの魔法能力で十分だった。
 魔法が起動する。この場にはいない何者かに向かい、リュシウスは囁いた。
「さて、出番です。せいぜい派手に登場してみて下さい」
 今起動している魔法は、ただ声を遠くに飛ばすだけのものだ。相手から言葉は返ってこないが、それを肯定と見なし、リュシウスは冷たく微笑んだ。
「出来れば、ここで潰走してくれると有り難いんですけどね……」
 誰にともなく呟く。戦場の何処かで武器を振るっているであろう黒髪の美女は、一笑に付しそうな言葉ではあったが。
「王手ですよ。カシュラル・レストラード司令官」
 リュシウスはまた呟く。カシュラルの名を囁くその顔は、何処か恍惚として見えた。

 そこは、何もないはずの場所だった。
 だが、突如として風景が揺らぐ。絵画に切れ目を入れ、引き裂いたかのようだ。雲が歪み、大地の向こうに更に暗い何かが覗く。
 地面の下から、暗黒が舌を覗かせているかのような光景だった。ちろちろと覗く暗闇は、燃えさかる炎のようにも見える。
 ぴしり、と亀裂の走る音が響く。戒めの鎖が、音を立てて弾け飛ぶ。
 何かが暗闇を割った。暗黒の向こうから、光り輝く白銀が姿を現す。閉じこめられた猛獣が、戒めを破って檻から飛び出すかの如く、無理矢理空間の切れ目を押し広げ、そこを駆け抜けて光の世界に飛び込んだ。
 周囲に乱れた風景をまとわりつかせながら……その周囲だけ、光の軌道が乱されているのである……、草を踏むわずかな音すら立てず、『それ』はそこに降り立った。

 そして。
 大地に姿を現した『もの』の姿に、誰もが驚愕し……そして、戦慄した。
 たった一人を除いては。  

 

 
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