暁の大地

62.表と裏

「嘘……」
 本来は彼女の目の前にはないもの。だが、はっきりと映し出されているものを見て、彼女……キルファは呟いた。
 血が溢れる大地。あちこちに転がる、最早ヒトとも呼べないような物体。
「嘘でしょう……?」
 再び、呟く。が、それが嘘などではないことは、彼女自身が一番よく知っていた。
 <風刃>の呪文を唱えたのは自分なのだから。
 覚えている。自分が、はっきりと呪文を唱えたときのことを。魔法が起動したときの……あの、高揚感も。
 <鋼鉄の女神>の本来の力がはっきりと感じられた瞬間も、覚えてはいる。強力無比な魔法の増幅器。魔法を発動させた瞬間に、とてつもない手応えを感じたことを。魔法はあくまで世界の現象を変えるものであり、魔導士自身から力が放射されているわけではないのだが……それでも、彼女はそう感じた。
「どうして、こんなことになった……の?」
 自分は、確かに自身に魔法の刃を叩きつけたはずだ。<鋼鉄の女神>ごと、自らを引き裂くつもりで。だが、実際に刃を受けたのは、自分ではなくて戦場の兵士たちだ。
 確かに、強烈な衝撃がキルファを襲った。だが、それだけだ。キルファ自身は引き裂かれることはなく、まだ無傷で存在している。
「どういうこと……よ?」
 魔法の照準を誤ったのだろうか。そのくらいしか、可能性は考えられないが……
(……いや?)
 心の何処かで、自身が自身に問い掛ける。
(本当に、ただのミスなの? あんたは、これを望んでいたんじゃないの……?)
 心の奥底に、冷ややかに、軽蔑しきった顔で自分を見つめる自分がいる。『それ』は、淡々と続けた。
(あんた自身がいつも言ってたことじゃないの。エルフも人間も、どちらも自分には優しくなんかなかったって。どちらにもずっと踏み潰されてきたって。あいつらが、生活していくための、いわば『生贄』だった、って)
 エルフ。人間。どちらも同じ種族で集団を作って生活している。が……『仲間』という概念は、『仲間以外』がいるから成り立つのだ。エルフに人間、お互いが、お互いとして生活してくためにもう片方を憎んできたのだ。
 少なくとも、キルファは今までそう思ってきた。
 そして。『仲間以外』はもう一ついる。ハーフ、つまり自分だ。『仲間以外』の他の何者でもあらず、仲間を持たないハーフという存在。どちらからもうとまれ、憎まれる存在。
(だから。あんたは復讐したかったんじゃないの? 今まで踏み潰された分を、踏み潰し返してやりたかったんじゃないの? それには今はちょうど、都合の良い舞台じゃないの。エルフも人間も大勢揃っていて、尚且つあんたにはとんでもない力がある)
 そう。数という暴力をはね返してやるだけの力が。最強の力が、今は自分の意のままとなるのだから。
(だから……自分で望んであの場面を生み出したのよ、あんたはね! 目を逸らさないでちゃんと見るが良いわ。あんたがもたらした結果よ、あの血の海は!)
 自らの罵倒。紫の瞳が、まさしく罪を裁く者の眼で自分を見据える。その呪縛から、キルファは逃れることが出来なかった。
「やめて……やめてやめてやめて、……やめてええええええっ!」
 <女神>の内部でキルファは一人、絶叫する。が……それを聞く者はおらず、答えてくれる者もいない。それでも、彼女は必死に否定し続けた。惨劇の、もう一つの可能性を。
 ある意味で、一番驚いていたのはリュシウスだった。
「何が……何があったんだ?」
 普段の温和な口調はさすがに影を潜め、慌てて様子を探る。幸いと、咄嗟に近くに控えていたブランシュが防御壁を展開してくれたことと、彼の居場所には刃が直撃しなかったことから一刀両断だけは免れたが……戦場にいた兵士たちはそうはいくまい。
「とにかく、状況を確認してください。<望遠>の魔法を最大出力で起動」
 控えていた魔導士に指示を出す。が、その魔導士……ブランシュは眉をひそめて聞き返してきた。
「あの……どちらですか? 戦場か、それともあの<女神>か……」
 彼女にしても、まさか切り札だった<鋼鉄の女神>が自らに牙を向くとは今まで考えもしなかったのだろう。拉致してきた後も、食事の世話などで何回かあの少女と話はしたが、あの少女は何があったのか何を言ってもぼんやりとしたままで、到底、反抗するようになど見えなかった。それでも、監視と警戒は緩めなかったが。
 それが。よりにもよって、この場で……
「<女神>です。戦場はおそらくもう……戦いどころではありませんよ。出来れば救護兵を出したいところですが……彼らも、どうなっているか分かりませんし」
「分かりました」
 ブランシュは首を縦に振って呪文を唱えた。さすがに一流の魔導士だけあって、遠くの映像も鮮明に映し出すことが出来る。
「……これは……」
「無差別範囲で起動してしまった……のですね」
 ブランシュとリュシウスの二人は同時に呟いた。
 <鋼鉄の女神>の周囲全部に、大地を刃が抉った跡が残っている。平原には幾つもの爪跡が刻まれ、平原の端にある木すら切り倒されている始末だ。
 キルファは、間違いなく<風刃>の魔法を自身に向けた。だが、<鋼鉄の女神>には高度な防御能力も備わっている。攻撃魔法と防御魔法が干渉した結果、<女神>が周囲に魔法を弾き返してしまったのだ。それが、戦場に叩きつけられた。
 だが、本来の<風刃>にはそんな威力はないし、魔法は全方位に向かって弾き返されていた。それにも関わらず、戦場にいた兵士たちに殺戮をもたらしてしまった。
 これこそが。この力こそが……天人種族の最終兵器たる所以であった。<鋼鉄の女神>の兵器としての最大の機能は、操縦者の魔法の威力を限界まで拡大することである。
 元々、エルフから見れば桁外れな魔法の力を持つキルファと、強力無比な増幅能力を持つ<鋼鉄の女神>。この二つが合わさった結果が、この惨劇の正体であった。
 伝承にある、「一撃で地形すら変えた」……これは、長い時間の中でなされた誇張などではない。掛け値なしの真実である。
「……如何致しましょう?」
 ブランシュが困惑した表情で問いかけてくる。元々彼女はリュシウスの護衛として残っていたのであって、戦略を考えるべき存在ではない。同じ理由で横にいたウィレムも似たようなものだ。
「遺体の確認は後回しです……死者には申し訳ありませんが。動ける者を総動員して、負傷者の救助に当たってください……おそらく、帝国軍ももう攻撃などは仕掛ける気力などないでしょう。伝令に指示をお願いします」
「あの……」
 ウィレムが何か思いついたらしく、軽く右手を上げて聞いてくる。
「救護は……エルフだけですか? それとも……人間の兵もですか?」
 ブランシュがはっとした顔をする。リュシウスは、ウィレムをやや軽蔑した眼で眺めた。
「両方です。助かる者は全て助けなさい。それは、帝国への貸しになります。何よりも、生きる者としての義務ですよ……
 私が言えた義理ではありませんがね」
 理由はどうあれ、<鋼鉄の女神>を戦に用いることを提案したのはこの男だ。
 二人の部下は頷くと、走り出していった。リュシウスはそれを見届けると、彼もまた歩き出した。

 <鋼鉄の女神>はずっと動きを止めている。何があったというのか、人間のダレットには分かりかねた。
(多分、あれがエルフたちの切り札だったんだよな? だったら……何で、仲間のはずのエルフたちまで一緒に攻撃する?)
 訳が分からない。自分の周りに転がる遺体の中には、エルフの兵士のものも沢山あった。自分たちが切り札と、絶対の味方と信じたものに裏切られて死んだ者たち。
(いや……味方?)
 <鋼鉄の女神>を遺跡の封印から解放したのはキルファだ。証拠こそないが、状況からして間違いないだろう。彼女はハーフであり、エルフでも人間でもない。その一方で、どちらでもあるわけだが……彼女はどちらでもないと信じていたようだ。仲間というものを同種だけと言うならば……この大陸の論理でいけばそうなる……キルファは、味方などではないはずだ。
『エルフがどうなろうと知ったことじゃないわ』
 キルファの言葉が蘇る。だが……これには、人間も同様に含まれるはずだ。
 もし、キルファがこの場にいたとしたら、どうするだろうか?
「…………」
 ダレットは再び無言で惨劇を見渡した。
 と。
「…………?」
 彼の足を掴んできたものがあった。一瞬ざわりと恐怖が沸き上がるが、跳ね上がる心臓を必死で鎮めて足元を見やる。
 そこには、足を負傷したエルフの兵がいた。あの不可視の刃にやられたものの、致命傷だけは免れたらしい。だが、出血が激しい。放っておけば間違いなく死ぬ。
 その、まだ若いエルフの男は必死の形相で自分を見上げていた。ダレットは一瞬、困惑する。ダレットが人間であることは、このエルフも承知しているはずだからだ。
 このエルフは、まだ自分を殺そうとしているのか? それとも、自分に助けを求めているのか?
「たす……け、て……」
 かすかな呻き声が聞こえた。もう、迷う必要などない。その男の側にかがみこむと、服の一部を破くとそれで傷口を縛る。応急処置にしかならないが、放っておくよりは幾らかましなはずだ。
「とにかく、もっとちゃんとした治療をしないとまずい。歩けるか?」
 痛みで意識も朦朧としているらしいその男に、耳元で囁く。男が頷いたのを確認して、ダレットは立ち上がった。
 まだ倒れたままの男に手を差し伸べる。男は意外にしっかりとダレットの腕を掴んだ。そのまま、身体を起こしてやると肩を貸し、歩き出す。
 歩きながら、先程一瞬でも躊躇ったことをダレットは恥じる。生きたいと思う意志に、種族など関係ないではないか。
 しかし、とダレットは同時に思う。
(さっきまでは戦ってたんだよな。エルフと。俺も、何人も殴り飛ばした。それなのに、今は)
 こうやって、助けようと歩いている。
 一体、何をやっているのだろうか。何がやりたいのだろうか……自分は。元より望んで戦ったわけではないにしろ、矛盾と言うには皮肉に過ぎた。
 男に肩を貸しながらゆっくりと歩く。手当と聞いて思い浮かぶのは、先程まで待機していた軍の本営しか思いつかない。そこも魔法に巻き込まれているかもしれないが、包帯や薬のような器具は残っているだろう。それを祈るしかない。
 ダレットが心配するまでもなかった。そこには何人もの負傷者が集まり、誰かに助けてもらい、動ける者は自分で手当をしている。もとより武術を叩き込まれた兵士たちであるから、簡単な手当の仕方くらいは皆知っている。
 ダレットが連れてきたのがエルフであることに気付き、兵士たちは一瞬険悪な表情を浮かべる。だが、負傷した男に対する単純な同情が勝った。ダレットにしても簡単な処置しか出来ないが……キルファならもっとちゃんとした処置が出来るのだろうが、それは望むべくもない……、手当している間、優しい言葉はかけないにしろ、文句は言わなかった。
 一通り手当が済むと、ダレットは立ち上がる。また、戦場に向かって歩き出した。
「……ありがとう」
 後ろから声が聞こえてくる。さっきの男だ。ダレットは、それに曖昧な笑みで応じた。感謝されたことは素直に嬉しいと思うけれど、自分が一体何をやっているのか、まだ分からない。
 だが、今はそれよりも先にやることがあった。遥か向こうの<鋼鉄の女神>に向かって、ダレットはまたひた走る。
 一つだけ、確かめたいことがあった。
 さっき一瞬だけ沸き上がった、疑念の正体を。

「総員で負傷者の救護に当たること!」
 辛うじてあの魔法の刃を逃れたカシュラルは大声で叫ぶ。部下が、一般の兵士たちが、彼女の声に後押しされるように動き出す。
「あの……エルフは、どうするんですか?」
 今なら……負傷したエルフならば、確実にとどめを刺すことが出来る。元々、そのためにわざわざ戦場などと言うものはあるのだ。
「関係ない。エルフとて、『帝国』の人民であることに変わりはない……それに、今は緊急事態だ。今更鎮圧戦の続行は不可能だろう。
 負傷者の救護が一段落ついたら、急いで王都と近隣の街に伝令を出せ。補給物資の援助を求めて……王都には現状報告。まあ……はっきりしたことは分からんがな」
 腹心とも言える部下に一通り指示を出し終えると、カシュラルは手にしていた長槍を地面に放り投げた。さっきまで乗っていた騎馬は、魔法にやられて動けなくなってしまっているからだ。それから、腰に帯びた刀を確認する。
「あの……司令官は、どうなさるんですか?」
 今言われたことは、本来ならカシュラルが陣頭指揮を取ってやるべきことだ。それなのに、部下にそれを託して自分は別のことをやろうとしているのか?
「私は……あれを確認してくる。<鋼鉄の女神>……」
 言って、ぴくりとも動かない銀色の巨大な物体を横目で見遣る。その部下は、露骨に不安げな顔をした。
「司令官が、お一人でですか……?」
 本来なら、彼女は後ろで指揮をするべき立場だ。何も好き好んで一番危険な場所に行くことはない。いや、それを部下たちは望まない。少なくともカシュラルの部下たちは。
「私の力は知っているだろう? ……それに今、あれから敵意は感じられない。一番危険なものを野放しにしておくわけにはいかん。持ち出したエルフたちすら扱いかねていたようだからな」
「はあ……」
 なおも部下は心配顔だ。
「それに……」
 一つだけ、思い当たることがある。ダレット・コルフォースから聞いた話だ。
 一瞬、一度だけ会った少女の姿が頭をよぎる。銀色の髪に紫の瞳を持ち、夜の街で自分を脅えたように睨み付けてきた少女。
 まだ部下は不安そうな顔をしていたが、カシュラルはそれを手で制する。颯爽とした足の運びに焦燥の色を混ぜ、カシュラルは駆け出した。  

 

 
Copyright©2001-2007 Shu Fujimura All Rights Reserved.