暁の大地

65.捕虜

 こつこつと、石畳の床を歩く音が幾つも響く。
 硬い足音は壁に当たって跳ね返り、霧の中であるかのようにぼんやりと消えていく。追われる者の焦燥を更に駆り立てそうな、不気味な響きだった。
「ふん……」
 その足音の主の一人――カシュラル・レストラードは別に脅えるでもなく、平然として歩いている。だが、その顔はいつもにも増して険悪になっていた。
 軍靴の足音が止まる。
「ここだ」
 横の男が無愛想に言った。それを半眼で睨み付け、カシュラルは小さく息を吐く。
 彼女が……正確には彼女たちが立ち止まったのは、並ぶ部屋の一つの前だ。頑丈な石造りの建物で、部屋と部屋を区切る壁もまた石を積み上げて作られている。扉だけは頑丈な木材だったが、その一部、大体頭ほどの高さがくり抜かれ、鉄格子がはまっていた。小さな扉となっているそれは、食事の受け渡しのためのものだ。
(……またおあつらえ向きの部屋があったものだ)
 カシュラルは内心呟く。部屋には扉の他には窓の一つもない。普通の人間なら、三日も押し込められれば神経が参るだろう。
 それも当然だ。この部屋は、住む人間の快適さを追求して作られたものではない。むしろその逆だ。
 有り体に言って、牢獄である。それも、ある程度身分の高い者か、余程の危険人物……あるいはその両方……を想定して作られた部屋だ。
「…………」
 カシュラルはふと視線を落とし、自分の両手を見遣る。
 頑丈な手枷がはめられていた。
 今のカシュラルの立場。それはとどのつまり、エルフの反乱軍の捕虜だった。
 あのアウィス平原による鎮圧戦、正確に言えばそこで起こった事件により、よりにもよって総司令たるカシュラルが捕虜になってしまった。そして、エルフの本拠たるアウィステリアに連れて行かれ、到着するなり牢屋行きである。
 目の前の牢が、不本意な道程の終着点であるわけだった。カシュラルは唇を噛む。
「入れ」
 彼女を連行してきた兵士の一人が言う。分厚い扉が開き、後ろから背中を小突かれた。
 内部を見回してみると、意外にも部屋は広い。最低限必要な家具も揃っている。
「ご苦労」
 カシュラルは、自分を連行してきた兵士に向かって言ってやる。
「これで貴様等の仕事は終わりだろう? さっさと戻れ。ああ、ついでに手枷を外しておけというのが貴様等の上官の命令だったかな」
 出来るだけ尊大に言って、手枷のはめられたままの両手を突き出してみせる。まったく脅えない目の前の女に、五人の兵士たちが一様に顔色を怒りに染めた。
 当たり前だ。仮にも帝国の軍人、総司令たる人間がそうそう脅えてたまるものか。カシュラルは冷ややかに笑った。
「口の聞き方に気を付けろ、女!」
 男の一人が怒鳴る。カシュラルは人の悪い笑みを浮かべた。
「口の聞き方か? 一応考えているぞ。私が貴様等に直々に言葉をかけてやっているだけでも有り難いと思え」
 ふん、と鼻で笑ってやる。
 実を言えば、おとなしく従っているだけでも良かった。それなのにわざわざ挑発するような言動を取ってみているのは、ここの兵士……つまり自分の監視役たちの程度を見極めようとする意図が大きい。これで引っ掛からないなら油断はならず、あっさりと挑発されるようなら……所詮はその程度、と言う事だ。
「貴様……!」
 幸か不幸か、ここにいる兵士たちは後者だった。試されていることにも気付かず、顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。内心、カシュラルは苦笑した。
「ふざけるな」
 兵士のうちの一人……おそらく、彼が五人のうちの責任者なのだろう……が身を乗り出してくる。カシュラルの長い髪を乱暴に掴んで引き寄せ、ぐっと顔を近づけた。
「自分の立場を考えろ。総司令だか将軍補佐だか知らんが、今はただのみじめったらしい捕虜なんだよ、てめえは。せいぜいその顔で媚でも売ってりゃあ良いんだ」
「ならば、貴様等は自分の力を考えろ」
 カシュラルも負けじと言い返す。
「これでもおとなしくしてやっているんだ。ぶちのめされたくなかったら、せいぜい素直に私を連行して立ち去れ」
 実際、彼女の言葉は嘘ではない。手枷は両手を前にした形ではめられている。男の顔面に拳を叩き込むくらいの芸当は出来る。
 もっとも、ここの五人をぶちのめした後で逃げ出す自信こそなかったが。それはおくびにも出さない。
「てめえ……」
 これには兵士たちもかちんと来たらしい。顔を真っ赤にして、カシュラルを睨み付ける。
 舐め回すような視線でカシュラルを……黒髪の美女を眺めていた兵士の一人が、ふと下卑た笑みを浮かべた。
「これだけふざけた真似をしてくれたんだ……ちょっとやそっとじゃ許さねえぞ。土下座してひれ伏すとか、……その身体で払うとかな」
 言って、にやにやと好色な視線でカシュラルを見てくる。カシュラルは顔をしかめた。
 こんな視線を見たのは初めてではない。少女時代から荒くれ者の兵士たちの中に混じっていた彼女には、馴染みとも言える視線だった。だが、不愉快であることには違いない。
「人間だ、仇だと言ってさんざん罵った女を抱くのか。見下げ果てたものだな」
 多少の乱闘は覚悟していたが、さすがに自分の身体を明け渡すわけにはいかない。鼻で笑い、何とか追い払おうとする。
(少々やりすぎたか)
 彼女にしては珍しく、挑発したことを少し後悔していた。見えないように舌打ちする。
 だが、一人の言葉に、他の四人も欲望に火を点けられたようだった。元々、彼女に目を付けていたらしい。カシュラルの美貌は、否応なしに人目を引きつける。それが人間であれ、エルフであれ。両者の美醜の感覚は、そう違うわけではない。
 豊かに膨らんだ胸や細い腰を睨め回し、男たちは陰惨に笑った。その瞳に、暗い炎が宿っているように見える。
「…………!」
 とうとう、男の一人が身を乗り出してきた。カシュラルの肩を乱暴に掴み、一気に引きずり倒そうとする。
 さすがにこれを黙って受けるわけにはいかない。一歩横にずれてそれをかわすと、肘を男の顔面に叩き込む。手枷があるので少々動きづらかったが、男はもんどり打って床に転がる。
「私に触れるな」
 <戦女神>よろしく、冷然として言ってのける。男たちが激昂に顔を染めて向かってくるのを見て、にやりと笑った。
 前に踏み出すと、手近な男のこめかみに手枷の尖った部分を叩きつける。男がよろめくのを見て取ると、二人目に向かう。大振りの拳の一撃をすり抜け、鳩尾に拳を叩き込もうとする。
 だが、突如としてその動きが乱れた。
(しまった!)
 心の中で悲鳴を上げる。先程倒した男が、カシュラルの足首を掴んでいた。
 足首を引っ張られ、これにはたまらずにカシュラルは床に転倒する。そこに男たちが殺到した。床に彼女を組み伏せ、うちの一人が上に馬乗りになって彼女を見下ろす。
「この女……絶対許さねえ」
 先程顔面に肘を叩き込まれ、鼻から血を流している男が暗い声で言う。彼女の胸元に視線を向けると、一気に服を引き裂いた。
 濃緑の軍服の下から白い肌が覗く。大きく胸元を開いて、彼女の柔らかい身体の線に、肉食獣が獲物に牙を向けるときにも似た表情を浮かべる。
「…………っ!」
 ほとんど引っ掻くように肌をまさぐられ、這い上がってくる怖気にさしものカシュラルも顔を歪めた。その表情に嗜虐心をそそられたのか、他の男たちも表情に暗いものが混じる。次々に彼女に向かってきた。
「私に――触れるな!」
 悲鳴のように叫ぶ。自分の両手を抑えている手を辛うじて振り払うと、跳ね起きつつ、手枷を自分に馬乗りになった男の頭部に叩きつける。そのまま身体を押し退け、立ち上がろうとした。が。
「てめえ!」
 髪を思いきり引っ張られた。石の床に頭を強かに打ち付ける。
「ぐ……」
 意識がくらりと遠のく。脳震盪でも起こしたかもしれない。
(くそっ……)
 自分としたことが。朦朧とする意識の中で、カシュラルは思い切り自分で自分を罵倒した。いつも通りのつもりでいたが、捕虜という屈辱を味わったことで、自覚している以上に焦っていたのかもしれない。その結果がこの醜態だとしたら、あまりに情けない話だ。
「所詮は女だよな。なに、すぐに気持ちよくなる――」
「世も末だな。こんな女が威張って刀振り回してたんだから。人間共の馬鹿さ加減が知れるってもんだ……」
 上から声が聞こえる。服が更に剥がされ、素肌の上を幾つもの手が這い回っているのが分かる。だが、意識がはっきりしないせいで、それは布一枚を挟んだ世界のことのようだった。
 まったく抵抗が出来ない。カシュラルが思わず、最悪の結末を覚悟した瞬間。
「――何をやっているんです」
 静かな……しかし、明らかな怒気を孕んだ声が牢獄に響いた。
 聞き覚えのある声だ。
 兵士たちが一斉に動きを止める。慌ててカシュラルから離れ、今までの暗い興奮から一転、滑稽なまでに脅えた顔で声の主を見つめた。
 カシュラルもぼんやりとした瞳で上を見上げる。見覚えのある男が目の前にいた。
 枯れ葉色の髪を後ろで束ねた、何処かぼんやりとした雰囲気の男。あの<鋼鉄の女神>の前で会った……確か、エルフの軍師だ。リュシウスとか言ったか。
「何をしていたのか、と聞いているんです」
 リュシウスはつかつかと牢に入ってくる。子供のようにおろおろとしている兵士たちと、服を裂かれて床に転がるカシュラルを交互に見つめ、顔をわずかにしかめた。
 兵士たちを振り返る。誰をも思わず萎縮させる、冷たい……しかし激しい憤怒を含んだ顔で、リュシウスは続けた。
「私があなた方に命じたのは、彼女をここに連れて行け、とそれだけだったはずです。誰がこんなことを許可しましたか?」
「あ……いや、しかしこの女が……」
「関係ありません。あなた方が何をしていたのかと言っているんです!」
 とうとうリュシウスは怒鳴る。普段は穏和な雰囲気の男だけに、本気で怒る様は迫力があった。エルフの兵士たちも目の当たりにするのは初めてだったのだろう、叱られた子供そのものといった風情で何も答えられない。
 リュシウスは兵士の一人から小さな鍵を奪うと、カシュラルの手枷を外す。ようやく両手の戒めを解かれ、カシュラルはゆっくりと身を起こした。引き裂かれた軍服を身体に巻き付けるようにして、壮絶な顔でリュシウスを睨み付ける。
「随分と……規律が行き届いている軍だな……っ!」
「……申し訳ありません」
 朦朧とする意識の中で、それでも嫌味を言ってくるカシュラルに、リュシウスは泣き笑いのような顔で応じる。
 カシュラルは壁に手をついて立ち上がろうとする。が、頭を打ったせいでそれもままならない。リュシウスが手を貸そうとするのを、邪険に払いのけた。
「要らん!」
 カシュラルは反射的に喚き散らす。それを見て、リュシウスは小さく息を吐いた。
 自分の着ていた上着を、ふわりとカシュラルの肩に掛ける。近寄ると、よろめく彼女をひょいと抱え上げた。
「なっ……離せっ!」
 カシュラルはリュシウスの腕の中で喚く。だが、リュシウスは苦笑しただけだった。
「意地を張らずに従いなさい。意識すらはっきりしていないでしょう」
 認めたくはないが、実際、その通りだった。これ以上抗う力などない。危機から脱した安心感も手伝ってか、カシュラルは目を閉じて気を失ってしまう。
 それを見て小さく息を吐くと、リュシウスは再び兵士たちに向き直る。
「あなた方も待機場所に戻りなさい。処分は追って通告します」
 それだけ言い捨てると、カシュラルを抱えたまま、すたすたとその場を出ていこうとする。
「処分……?」
 兵士の一人が、引きつった声音で反芻するのが聞こえた。リュシウスは顔だけ振り返る。
「命令違反と、女性への暴行未遂。ここが正規軍でなくて感謝するんですね。帝国軍だったら、鞭打ちの上に職務追放といったところですか」
 腕の中のカシュラルに視線を落とし、リュシウスは淡々と言う。
 愕然とする兵士たちは放っておき、リュシウスはその場を後にした。

「……手加減てものを知らないのか、あいつら」
 ダレットはぶつぶつと言った。そうして、切れた唇の端を指で拭う。
「捕虜を殺したら、さすがにまずいってことに気付かないのかな……」
 嘆息して、ダレットは自分の身体を見下ろす。服にはそこかしこに足跡がつき、全身青痣だらけだ。
 カシュラルと同様、ダレットも牢獄に放り込まれたわけだが――やはり、エルフたちの鬱屈した不満が炸裂していた。よってたかっての袋叩きである。武器の全てを奪われたダレットが抵抗出来るはずもなく、なされるがままになっているしかなかった。
「……ちゃんと急所は避けてたみたいじゃないか」
 横でダレットを眺めていたウィレムがぼそりと言った。
 カシュラルの惨状に、リュシウスがダレットの様子も見てこいと命じたのである。ウィレムが怒鳴ったせいで、ようやくダレットは袋叩きから解放された。もう少し遅かったら、本当に撲殺されていたかもしれない。
「それを観察している暇があったら、その前に助けてくれ……」
 ダレットはまた嘆息した。
 床に転がされてひたすら蹴り飛ばされていたのだが、自分の急所……頭部や内臓……だけは辛うじてかばっていたのだ。今こうやって普通に喋っていられるのもそのお陰である。
 こんな知識を教えてくれたのも師匠のヴァルレッドだった。何でも習っておくものだ、とダレットはしみじみ思う。
 ダレットは胡散くさげな視線で、隣に立つウィレムを観察した。
 ウィレムはダレットに比べれば背は低いし、身体も細い。単純な腕力ならばダレットが上だ。身軽さはウィレムに分があるだろうが、まともに戦えばダレットが勝つだろう。
 だが、それは長剣がある場合のことだ。エストクを持っているウィレムと素手のダレットでは、ややダレットの方が分が悪い。隙をつけばその限りではないだろうが。
「…………」
 じろじろと自分を見てくるダレットに、ウィレムはにやにやと笑って応じた。
「何? 逃げ出す計算でもしてるの?」
 ずばり正解を言ってくる。
「ま、確かに普通ならあなたの方が強いんだろうけどね。今は僕は剣があるし、あなたの方は素手だ。柔術なら使えるみたいだけど、それは僕みたいに跳ね回って戦うような相手とは相性が悪い。はっきり言って、今の状態じゃあなたの方が不利だ。
 ……こんなところでしょ?」
 ダレットが読んだものとまったく同じ分析結果を言って寄越す。ある程度の使い手になれば、物腰を見て相手の力量を判断することも可能だが……それが出来る程度には、ウィレムも手練れということだ。
「ま、そういうわけだから。無駄死には感心しないね。
 ……おとなしくしててね」
 まるで子供に話しかけるように言うと、ウィレムは牢獄から立ち去った。  

 

 
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