暁の大地

68.灯火

 綺麗な人だった。
 その人物のことを思い出すたびに、リュシウスはいつもそう思う。
 確かに、容姿も美しい女性だった。が、その内面からにじみ出てくるもの……聡明さや意志の強さ、包み込むような優しさが、彼女を美しく見せているのだろうと信じていた。山奥の小さな村で、彼はいつも彼女の後を追っていた。
 だが、彼女に憧れるほどに、尊敬するほどに……リュシウスは一つの疑問を持った。
 それは、彼女の一人娘の存在だ。
 小さな村において、たった一つの異物。自分たちと異なる血が混じっていることを証明する、紫色の瞳を持った娘だ。
 人間との混血の娘に、ハンザの村のエルフたちはあからさまな嫌悪の表情を見せていた。それは、人間と通じて娘を身篭もったその女性……エレナとて例外ではない。医術という得難い技術を持っていたために死だけは免れたが、村での扱いはお世辞にも良いとは言えなかった。まともに付き合っていたのは、彼女の手伝いをしながら医術を学んでいたリュシウスだけだっただろう。
 聡明な彼女のことだ、人間の男と恋仲になればどんな運命が待っているかくらいは予測していただろう。だが、彼女は敢えて苦難の道を選んだ。
 その理由だけが分からなかった。
 ――二年前までは。

「ちょっと待て、紫の瞳の娘?」
 カシュラルは怪訝な顔をして呟いた。
「そんな者は滅多にいない。……まさか、あの子供か? あの、<鋼鉄の女神>の……」
 答えを確かめるように呟く。カシュラルの言葉に、リュシウスは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「そうですよ。あの子……キルファのことです。生まれた時から知っていて、妹のようなものでした……昔は、ね」
 リュシウスは苦笑する。エレナの元に出入りしていたのだから、当然、彼女の娘であるキルファとも親しくなる。兄と呼んで自分のあとをちょこちょこと付いてくる、愛くるしい少女だった。
 だが、それもエレナが生きている間だけだ。
「今でもよく分かりません。本当にあの子を憎んでいるのか、憎むだけの権利があるのか……とね。生きたいと思うのを否定することは、誰にだって出来ません。
 でも、私は結局、自分のためにあの子を利用した。あの子が一番苦しんでいるのを承知の上で、ね。真っ直ぐに憎悪を叩きつけるより、よっぽど卑怯だったと思います。どんな罵りの言葉を受けようとも仕方がない……
 それでも」
 リュシウスは自嘲気味に笑い、自分の手のひらで顔を覆った。表情を隠すようにして、呟く。
「誰に恨まれても、どんな罪を背負おうと構わないと思ったんですよ。たった一つだけ、どうしても諦めきれなかった。会いたいとか、手に入れたいとか……そんな想いでした。愛してる、とはお世辞にも言えませんね。そんな綺麗な想いじゃなくて、ただの醜い欲望ですよ……こんなものは」
 リュシウスはぽつり、ぽつりと呟く。
 確かに、一度見ただけの女性を手に入れたいと思った。そのためなら、どんな手段も厭わないと思った。だが。
 何故、その女性の前でこんなことを話しているのか。まるで懺悔のように、自らの醜さをさらけ出しているのか。
 こんなことを話して、それでも自分は尋ねるつもりなのだろうか。
 『私を愛してくれますか』――と。
 答えが肯定であるわけがないのに。
 結局のところ、自分が抱えているのはただの醜い欲望でしかない。彼女に、何とかして自分の存在を刻み込みたいだけ。
 誰かを愛するなどというのは、もっと綺麗な感情だと思っていた。だが、実際に心の底から沸いてくるのは、独占欲にも似たどす黒い感情だけだ。誰かを愛おしいと思うあの優しさは、今の自分にはまったく感じられない。
 こんな感情のために、自分は大勢の人々を巻き込んだのか。
「…………」
 リュシウスは黙り込んだ。いざ彼女の前に立ってみると、自分は半端な卑怯者なのだと思い知らされる。優しさを向けることもなく、何も出来ない。
 うなだれて黙り込むリュシウスを、カシュラルは静かに見つめていた。

 二年前に、リュシウスが師事していた女性、エレナが亡くなった。病弱なわけでもなかったが、一人娘が生まれて以来、その心労は並大抵ではなかったはずだ。それが彼女の死期を著しく早めたのだろう。
 無論、彼は気落ちしたが、驚きはしなかった。何となく予想していたと言うべきか。残された彼女の娘と共に簡素な葬儀を済ませ、家に戻った。
 だが、そこで聞かされたことまでは、リュシウスには予想出来なかった。
 父と弟の姿が見えないことを訝しがって尋ね、その答えに愕然とする。もはや生かしておく必要もなくなったその娘を、『排除』しに行ったと言う。さすがにまだ十を過ぎたばかりの子供を殺させるわけにはいかない、とリュシウスは慌てて制止に走った。
 そこで見たのが――あの惨劇だ。
 地面に膝をつき、がたがたと震える少女の姿。燃え上がる小さな小屋。血の海に沈んだ、もはや死体とも言えない肉片……
 何人もの男の死体……おそらく、少女を殺そうとした連中のものなのだろうが……の中には、彼の家族も含まれていた。それは、後になって分かったことだが。
 愕然とする彼には気付かず、少女は森の中に姿を消した。だが、元々山の中の村のことだ。少女が放った火は異常な速さで回り、小さな村を焼き尽くした。炎によって、また大勢の村人が死んだ。
 一夜にして、家族や生まれ育った村の全てを失ってしまったのである。当然のように、彼はそれらを奪った少女――キルファに全ての憎悪を向けた。
 それまで可愛がった分だけ、憎しみも大きかった。それではあきたらず、キルファを産んだエレナ、キルファを妹のように思ったそれまでの自分にすら、怒りは向けられた。
 憎悪でしか、崩れかけた正気を保つ術はなかったのである。
 だが――

「ハンザ、という地名に覚えはありませんか? その村の名前なのですが」
「ハンザ……エルフの居住地? 確か……そうだ、ラインガルドに最寄りの地区だ。小さな村だが……
 ……二年前?」
 カシュラルが何かを思いだしたような顔をする。こめかみに手を当てて、彼女は続けた。
「そうだ……二年前、大火事があって、調査……しに行った?」
 二年前と言えば、カシュラルも将軍補佐ではなかった。警衛兵を統括する部署におり、大きな事件があれば現地の調査に同行することもあった。しかも、ハンザはラインガルドに最寄りの地区だ。
 日夜、カシュラルが扱う事件はそんなものばかりだ。一度行っただけの地名を覚えていただけでも、彼女の記憶力を賞賛すべきだろう。
「そこで、私は貴女を見ているんですよ。貴女は覚えていないでしょうけどね……」
 言って、リュシウスは哀しく微笑んだ。

 悪夢のような夜から数日後。残されたハンザの村の住人たちは、また別の恐怖にさらされていた。
 王都にほど近い山での大火事。下手をすればラインガルドに飛び火していた可能性もあると言う事で、王都から警衛兵が調査に派遣されてきたのである。自分たちを支配する帝国の、実行力たる軍部の人間。住人たちは一様に脅えた表情で、焼け跡を踏み荒らし、畑を蹂躙する男達を眺めていた。
 当然、その中にはリュシウスもいた。母親のエレナを除けば、村で一番キルファを可愛がっていたのが彼であることは、村の誰もが知っている。だが、彼が家族を全員失ったことも知っており……困惑と憤怒の入り交じった視線が、彼に注がれていた。
 さすがに、リュシウスもその場にいることに耐えられず、一人、抜け出して側の森に向かったのである。
 忘れたい悪夢。だが、思い出は振り払っても蘇る。その森にしたところで、小さい頃から何度も入っている場所だ。家族と狩りに何度となく来たし、エレナと薬草の採集に来たことも、ちょこちょこと動き回って行方不明になってしまったキルファを慌てて探したこともある。
 結局のところ、この場所から離れなければ、逃れることなど出来ないのかもしれない。そんなことを思いながら、ぼんやりとリュシウスは立ち尽くしていた。
 と。
「……誰だ?」
 涼やかな声が、うっそうとした森に響いた。

 最初に、強烈な違和感を感じたのを覚えている。
 黒髪、黒瞳の若い女性だ。これ以上はないというほどの美女だが……その言葉遣いはやたらと勇ましいし、服装と雰囲気も変わっていた。
 すらりとした長身に、無骨な軍服をまとっている。その腰には緩く湾曲した片刃剣……刀が吊られ、全身から発している雰囲気も、柔らかさはかけらも感じられない。
 硝子のような、澄んだ硬い美しさ。リュシウスにはそう見えた。
「……この村のエルフか?」
 女性は首を傾げ、すたすたとこちらに近づいてきた。腰がまったく上下しない滑るようなその動きが、武術を学んだ者のものであるということを、リュシウスは後になって知った。
 切れ長の黒瞳が自分を覗き込む。人間だろうが何だろうが、絶世の美貌に真正面から見据えられて、リュシウスは思わず狼狽した。
「あ、はい……」
 それだけ答える。
 彼女が着ているのは間違いなく帝国の軍服だし、襟元の階級章からすれば、彼女がそれなりの地位にあることは分かる。だがどう見ても、自分と同じくらいの歳だ。
 その雰囲気と、刀と、軍服と。訳の分からない女性だと思ったものだ。
「そうか」
 彼女は大して興味もなさそうに言うと、森をぐるりと見回した。
「広い森だな。猛獣も多そうだが……その分、食料にも不自由しないか」
 一人で呟いている。普通、感想を言うとすれば、『綺麗だ』とか、『静かだ』とか言いそうなものだが。リュシウスはますます訳が分からなくなった。
「あの……貴女は?」
「見れば分かるだろう」
 言って、襟元の階級章を示して見せた。
「しかし、物の見事に全焼していたな。それにしても……村の連中の言っていることは良く分からん。男が何人も斬殺されて、犯人は一人の子供? 私は魔法に関してはよく分からんが……信じられんな」
 村のエルフが悲鳴混じりに訴えるのを聞いたのだろう、女性がため息をついた。確かに……現場を目の当たりにしたリュシウスですら、信じがたい光景だ。
「貴様は、何か被害を受けたのか?」
「家族が、死にました……全員」
 さすがに、その言葉を口にするのは躊躇われた。リュシウスの言葉に、女性の顔がかすかに変わった。
「済まない。悪いことを言ったな」
「いえ……」
「貴様が家族のことを大事に思うなら、死んだ連中のことは決して忘れるな。おそらく……それが、一番の弔いだ」
 女性が、優しげに言った。自分でもどうやったら『優しく』話せるのか分かっていないらしく、抑揚がおかしくなっている。
 その心遣いが、今は無性に嬉しかった。
「済まないな。私は家族がどういったものか、よく覚えていないものでな……何を言ったらいいか、よく分からん」
「…………?」
 家族を覚えていない。小さい頃に離れたと言う事だろうか?
「……どういうことですか?」
 反射的なリュシウスの問いに、女性は肩をすくめて答えた。
「貧しい地域だったからな。食糧がなくて……売られたんだ、私は。皮肉なものだな、覚えている親の姿と言ったらそれだけだ……血走った目で金を数えていたよ。私を売った金をな」
 語る女性の口調は淡々としている。その顔に、感情は見えない。だが……闇色の瞳の奥に、何か別の色が見える。
 哀しさか、寂しさか。必死に忘れ去ろうとしても、忘れられないもの。
「さて、戻るか。まだやらねばならんことが残っているしな。貴様も私も」
 言って女性がきびすを返そうとする。
「あ……」
 無意識のうちに声が漏れ出る。怪訝な顔をして女性が振り返った。
「ええと、名前は……何とおっしゃるのですか?」
 唐突な質問に、女性は目を丸くした。だが、ややあって苦笑すると、胸を張って答える。
「カシュラル・レストラード。これでも結構名は通っているんだ……軍部一の変人としてな」
 言って、女性……カシュラルは微笑んで見せた。
 その笑みは、今でも鮮明に覚えている。
 暗い憎悪に満たされた心を照らす、小さな灯火。冷え冷えとした心に、残像のように焼き付いたその笑顔だけがほんのりと温かかった。
 これがあったから、彼は憎悪に呑まれて正気を失うこともなかったのだ。
 そして、それを原動力として生きていくことも。  

 

 
Copyright©2001-2007 Shu Fujimura All Rights Reserved.