71.脱走者
ダレットは険悪な顔をして腕を組んでいた。
「…………」
無言のまま、ちらりと牢の扉を見遣る。頑丈な石壁と、分厚い木材の扉。わずかに開いた窓には太い鉄格子がはまっていた。
(……あれから)
あの鎮圧戦から、どれくらいの日数が経ったのだろう。アウィステリアに連行されるのに数日かかったが、その後はずっと牢に放り込まれたままである。牢には簡単な暦も置かれていたが、十日を過ぎた時点で数えるのを止めた。だが、一月以上は経過しているはずだ。
共に捕らえられたカシュラルとも、一度も顔を合わせていない。だが、高位の捕虜に対しての待遇は良く、見張り付きとは言え、たまには外に出ることも許可された。
下手に拒絶してはかえって怪しまれると、おとなしくそれに従っておいた。それに、外に出てみなければ分からない情報もある。
つまり……
(この牢は少し離れた位置にある。見張りの兵も多い……これは当然か。中心部に行くとなると、それを突っ切らないとならない。しかも、居場所は分からない……)
指折り数え、ダレットは嘆息した。外に出て確認していたもの。つまり、牢の兵士の数とアウィステリアの地理だ。
だが、分かったのは武器を持たない自分には荷が重いと言うことだけだった。外出を許可したあの軍師……リュシウスも、肝心な部分までは明かそうとはしない。元々、策謀に関しては遥かに向こうが上だ。
この牢からの脱走など、簡単に出来るわけがなかった。
(…………)
ダレットは無言で自分の拳を握り締める。
帝国の矜持などどうでもいい。自分が宰相の息子だろうが何だろうが……父と兄姉は好きだが、それとは話が別である……知ったことか。ただ、悔しさがこみ上げる。
約束を守れなかったこと、それ目の前で奪われた悔しさ。
あの紫の瞳の少女に、『護る』と言ったのだ。それなのに、二度も目前で連れ去られてしまった。その場にいたのに、自分には手が出せなかった。
「くそっ!」
備え付けのテーブルに拳を叩きつける。木材がきしみ、上に置いてあった物がばたばたと床に落ちる。だが……現実は変わらない。
ぐしゃぐしゃと髪を掻くと、また腕組みをして目を閉じた。少しでも自分を落ち着かせなくてはならない。だが、苛立ちだけが募っていく。
(キルファも、おそらくここの何処かにいる。だが多分、俺とカシュラルとは立場が別だ。やっぱり、兵士の誰かから聞き出すしかないか……)
あの、飄々としたエルフの男。手練のウィレムとブランシュを使役していたことからも、実力者であることが分かる。意識を失ったキルファを連れ去ったのもあの男だった。
(……リュシウス、だったか?)
確か、男はそう名乗っていた。
キルファとカシュラルの居場所を知ろうと思ったら、一番確実なのはあの男を問い詰めることだろう。彼の居場所なら、そこらの兵士でも知っているはずである。
(それが一番早い、な)
確かに、それが一番確実な手段ではある。だが……一番難しい手段でもあるのだ
捕虜たるダレットは、武器を全て奪われている。長剣、短剣は無論のこと、服の何ヶ所かに仕込んでおいた暗器も含めた全部である。柔術、格闘術も使えないわけではなかったが、鎧に身を固めた兵士を相手にするには役不足である。
(と、なると……)
ダレットは目を閉じて黙考した。
「おい、食事だ。置いておく」
扉の外から声がした。
「あ。どーも」
ダレットが答えると、エルフの兵士が乱暴に食事を牢の隅に置いていく。捕虜である以上、飢え死にさせるわけにはいかないので、一応きちんと食事は届けられていた。
何日か前にも同じやり取りをした気がしたが、こればかりは仕方がないだろう。エルフの兵士と人間の騎士が、仲良く談笑するなどという場面は想像できない。あのサリクスでもない限りは。
相変わらず、兵士たちがダレットに向ける視線は警戒心がむき出しではあったが、戦闘の前の緊迫感はなくなっていた。ずっと何事も起こらなかったせいで、緊張が緩んできているのだ。
そうでなければ困る。そのために、今までずっとおとなしくしていたのだから。
はやる心を必死で押さえ、機会を窺う。食事が届けられてしばし、盆を下げにまた兵士がやってきた。
「おい、とっとと寄越せ。さっさと戻りたいんだ」
「そんなに急かすな。少しは味わいたいよ……」
極力殺気を殺し、平常を装う。すたすたと狭い部屋を歩き、鉄格子を挟んで兵士と向き合った。
「――――!」
手にしていた盆を投げつける。兵士が思わず怯んだ隙に、鉄格子越しに腕を伸ばし、兵士の襟元を掴んで引き寄せた。そのままもう片方の腕も伸ばし、腰に吊っていた剣を抜き取る。
「あ、あ……」
鉄格子越しとは言え、首筋に剣先を突き付けられ、その哀れな兵士は恐怖に顔を引きつらせてうめいた。
「ここを開けろ」
押し殺した声で命じる。ダレットの触れただけで切り裂かれそうな雰囲気……殺気は、兵士にも分かっているはずだ。拒絶すれば、瞬時に自分は首が飛ぶ。
「あ……おれは持っていない。た、隊長が……」
言われてみれば、ただ食事を運んでいるだけの兵士が牢の鍵など持っているはずもない。ダレットは舌打ちした。
「仕方ないな……下がってろ!」
言うなり、兵士を突き飛ばす。そのまま奪い取った剣を構えると、扉に向かって切り下ろした。
この牢獄は、壁は石でできているものの、扉は分厚い木材と鉄格子の組み合わせだ。銀光が数回きらめいた後、扉はただの木片と化して床に転がっていた。
木材を斬るというのは、言葉ほど簡単ではない。鋸のように時間をかけて引き切るならともかく、一瞬で斬るのには、だ。ある程度の衝撃を加えれば自壊してくれる石などと違って、最後まで切り抜いてやらねばならない。
もはや用を為さなくなった木片を乗り越え、牢から飛び出す。腰を抜かし、床にへたり込んでいる兵士にまた剣を突き付けて尋ねる。
「キルファ・インシードは何処にいる?」
「…………? 誰の……ことだ? 確か、あの司令官とかいう女は違う名前……」
少しダレットは考え込んだ。もしかしたら、あの<鋼鉄の女神>に関わっていたのがハーフの少女であることは、ほとんどのエルフには知らされていないのかもしれない。エルフの切り札が混血の少女では、沽券に関わる。
(なるほど……)
ため息をついて、質問を変えた。
「だったら……あの軍師様は何処にいる?」
「リュシウス様なら……」
兵士は言いかけたところで黙った。通路の向こうから、幾つもの足音が聞こえてきたからである。
扉だった木片が散らばる音、盆が床に落ちる音。それに加えて兵士が戻ってこない。不審がって様子を見に来たのだろう。
「ちっ、もう見つかったか……」
舌打ちする。が、嬉々として剣を構え直した。
「とりあえず、ここをどうにかするしかないか!」
にやりと笑い、ダレットは何人もの兵士と対峙した。
通路は狭いから、兵士たちとしても一度にはかかってこられない。その代わり、ダレットも奪った長剣を振り回すのには都合が悪い場所だ。小回りが利くのは短剣だが、無い物ねだりをしても仕方がない。
奪い取った長剣を、肩に担ぐようにして構え、一気に投げつける。射剣術とも言えないような代物だったが、兵士たちが明らかに狼狽した。
投げつけた剣の後を追うようにして走り、一気に肉薄する。懐に飛び込み、拳で殴りつけて気絶させる。立て続けに二人が倒れる。
これで、あと四人。
「きっ……貴様っ!」
我に返った兵士が斬りかかってくる。捕虜に斬りつけて良いのだろうか、などとふと思ったのだが、他人事と気にしないことにした。
振り下ろされる前にまた懐に飛び込む。鍔元を拳で叩いて剣を弾くと、その顔に拳打を叩き込む。兵士は鼻の骨をへし折られ、もんどり打って倒れた。
斬りかかってくるもう一人を避けると、先程の兵士が落とした剣を拾い上げる。後ろに跳んで構え直し、続けて振り下ろされる剣を受けた。そのままひねると、兵士の剣があっさりと宙を舞う。
「ああもう、面倒くさい!」
拳を振り下ろしつつ、思わず喚いた。まだ二人残っている。
(……つまり、ここを抜ければ良いんだよな)
ふと思い至る。ここで全員を殴り倒す必要などないのだ。
今しがた殴りつけ、倒れようとしている兵士の胸倉を掴む。そして、側に立っていた一人に向かって突き飛ばした。急に仲間の身体を押しつけられ、兵士の動きが止まる。
そのまま残りの一人に足払いを掛けて転倒させると、一気に駆けだした。通路を抜け、兵士の詰め所らしい小さな部屋に飛び込む。
役に立ちそうな物は皆無だった。三秒ほど辺りを見回して嘆息し、通路の扉に鍵を掛けた。あの兵士たちは、しばらくは出てこられないだろう。
奪った剣を片手に外に飛び出した。一月以上牢に押し込まれていたため、一瞬広がる世界に違和感を覚えた。度々外には出ていたのだが。
まだ、外は騒ぎに気付いていないようだったが……それも、時間の問題だろう。誰も姿が見えなければ、そのうち異変に気付く。
その前に、あの二人を捜さなければならないわけだが……
「……さて、どうしたものかな」
呟く。あっさり居場所が分かると思っていたのがそもそもの間違いだった。
(しゃあない、また別の奴を締め上げて訊くか……)
内心、嘆息する。普段のダレットを知っている者ならば、そのあまりの思考の違いに戦慄するところだろう。
が。
次の瞬間、後ろから肩を掴まれ、ダレットは身体を強張らせた。
