72.もっとも憎むものは
「な……」
ダレットは思わずうめいた。冷たい汗が背中を伝う。
何者かに、背後に立たれるまで気付かなかった。そこまで自分が鈍感になっていたわけはない。つまり……相手の力量が桁違いなのだ。
自分が手にしているのは長剣が一つだけ、周りは敵だらけときている。あまりにも分が悪い状況だった。
だが。
(ここでやられてたまるか!)
掴まれた手を取ってひねりざま、振り返る。そのまま片手で剣を突き出そうと……
「おいおい。物騒な奴だな、久々に会ったってのに」
場違いに軽い口調が、ダレットの動きを遮った。
「あ……?」
目を丸くし、間の抜けた声を上げるダレット。身体から緊張感が一気に抜ける。
「サリクス?」
ダレットの呟きに、サリクスは軽く右手を上げて見せた。
「お前、何でここに……」
「それはこっちの台詞だ」
サリクスは言って、大仰にため息をついた。
「何があったか知らねえが、あの状況であっさり捕まりやがって。嬢ちゃんのことだけでも手一杯だったってのに……。それであちこち聞き込みしてたら、その前にお前は脱走しようとする。
嬢ちゃんの言葉じゃねえが、何でこう毎度毎度人の計画をおじゃんにするかな、お前は」
「うう……」
真実なので、ダレットは黙ってうめいた。
「ま、とりあえず、だ。俺はたまたま通りかかったが、他の連中はまだ気付いてねえだろ。あの、お前と一緒に捕まった総司令……何でも、物凄い美人だったって話だが……は、この隣の建物。嬢ちゃんの方は……分からねえけど、だから見当が付く」
「……どういうことだ?」
「あの<鋼鉄の女神>に関しては、詳しいことはほとんどの奴が知らない。だから、嬢ちゃんに関しても、存在を知っている奴ってのは限られるはずだ。つまり、偉い奴だな」
「あのリュシウスとかいう男……」
「あのぼけっとした軍師の兄ちゃんな。まあ、それが一番確実だろ。ちなみに、リュシウスの居場所は……」
サリクスは、遠くにある一つの建物を指さした。
「言っておくが、あまり時間はないぞ。余裕もない。後のことを考えて動いてたら、多分、失敗する」
「分かってる」
言って、ダレットはにやりと笑った。サリクスも同じ表情をする。
「この場は俺が何とかしてやる。それだけだ。後は自力でやれ」
「それだけで十分だよ」
言葉は、それで最後だった。教えられた場所に向かい、ダレットは走り出す。
「さて……」
ダレットの背中が小さくなってから、サリクスは振り向かずに言った。
「そろそろ出てきたらどうだ? 分かってんだよ、気配の殺し方がなってないな」
答えはない。だが、かすかに背後で何かが揺らいだ。がさりと音がして、人影が姿を現す。
金髪のへらへらとした顔の男に、怒りを露わにした赤毛の女。ウィレムとブランシュだ。
「……どういうつもり?」
怒気をはらんだ声でブランシュが訊いた。サリクスが肩をすくめる。
「あの男は人間の、それも捕虜よ? それを捕らえるところか、入れ知恵するなんて」
「分かってるなら止めれば良かっただろ。俺とあいつの顔は、お前たちだって知ってたんだから」
言われて、ブランシュは憮然とした顔をした。
二人が側にいることは、最初からサリクスも、そしてダレットも分かっていた。だから、サリクスが「この場は何とかしてやる」と言ったのに対して、ダレットは黙って走り去った。
たとえダレットの前に二人が立ちはだかったとしても、結果は同じだっただろう。ブランシュも、それは理解している。
つまり……
「さっさと裏切り者を倒して脱走者を追え、ってことね」
ブランシュは呟いた。
「君は確か、あのキルファちゃんの側にいた人だよね? それがどうして、こうなるのか分からないけど……何で?」
へらへらとした笑いのままで、ウィレムが言った。
「格好悪いだろ、このままじゃ。落とし前はつけないとな」
理由はどうあれ、自分がダレットを謀っていたのは事実だ。キルファは気付いていたが、ダレットには何も言っていなかったらしい。
無性に情けなかった。無条件に他人に信頼を寄せられる男を裏切ったことが。自分が、ダレットと大事にしていた少女を引き離してしまったことが。
あの少女にとって、どれだけダレットの存在が救いになっていたか、知っていた。それなのに……だ。
罪滅ぼし。そう言えるかどうかは分からなかったが。
「このままで帰ったら、死ぬほどうるさい奴がいるしな。馬鹿かお前、ってんで、絶対墓の下まで追いかけてくる」
言って、サリクスは肩をすくめた。
「あんた、エルフでしょう? それなのに……」
「俺は姿形で決まるだけの動物じゃねえよ。血だけじゃ納得出来ねえ意思だってある」
動物の定義は、種族……つまり血筋。だが、人には心というもう一つの要素が存在する。
人として譲れない何か。誇り、意志……己自身。
「あー、つまりだ」
ウィレムがぱたぱたと手を振って言った。
「交渉決裂、ってことだね」
言って、ウィレムが笑う。いつものへらへらとした笑みではない。
狡猾さと獰猛さを同時に感じさせる、猛禽の細く鋭い視線。おそらくは……こちらが、本当のこの男の姿なのだ。
「そうだな。俺は別に、ここで世間話してても良いんだけどな。てめえらがここに留まるなら」
この二人にダレットを追いかけさせると、まずいことになる。それだけは避けなければならない。
「私たちは、さっさとあんたをぶち倒して進まなきゃならないのよ。……手加減しないわよ」
「俺もなめられたもんだな。手加減して勝てると思われてたのか」
苦笑し、サリクスは長柄戦斧を構えた。
カシュラルはふと扉の方を向いた。横を見れば、リュシウスもまったく同じ動作をしている。
「誰か来ますね」
カシュラルは小さく頷く。剥き出しの気配が一つ、こちらに向かってきているが……そんなものを察知しなくとも、足音を聞けば誰でも気づく。
「兵士たちはこんな動きはしない。これは……」
リュシウスは首を傾げる。横ではカシュラルが頭を抱えていた。
「……どうしました?」
「あの男は……っ!」
リュシウスの言葉は耳には入らず、カシュラルはうめく。こめかみに手を当てるが、心なしか頭痛がする。
「……どうかしましたか?」
「ダレット・コルフォースだよ」
カシュラルはダレットのことをある程度知っている。この行動と走ってくる気配からすれば、姿を見なくとも見当は付く。
「ダレット・コルフォース?」
リュシウスはかすかに目を見開く。完全に予想外だったのだろう。
「あの男が牢を抜け出したとでも……? 少し考えれば、おとなしくしていた方が利口だと分かりそうなものですが。それに、わざわざ私のところに一直線に向かってくる理由が……」
「……二つ、忠告しておいてやる」
頭を抱えたまま、カシュラルは言った。
「あの男に、利口だの策略だのといった発想を期待する方が間違いだ。そんなものを考えて動く男ではない」
「はあ……」
それでも納得しかねるのか、リュシウスは眉を寄せていたが、やがて口を開いた。
「それで、あともう一つは?」
「あの男は……ダレット・コルフォースは強いぞ。少なくとも、私よりはな」
次の瞬間。
音を立てて扉が蹴破られた。
「…………? カシュラル?」
肩で息をしながら、ダレットは呟いた。この場にリュシウスがいることは聞いていたが、まさか自分の同僚……とは言えないかもしれないが……までがいるとは思わなかった。
しかも、普段とはまるで違うドレスなど着ている。一瞬、誰だか分からなかった。
「とんだお客様ですね」
リュシウスが落ち着き払った口調で言い、苦笑した。それをダレットは壮絶な顔で睨み付ける。
「キルファは……キルファ・インシードは何処にいる?」
長剣を構え、極力押し殺した声で尋ねる。極限まで引かれ、たわめられた弓の弦《つる》の様相だ。
「ああ……今はそう名乗っているのですか。雑種《インシード》とはよく言ったものですが」
言いながらリュシウスは側にあった自分のレイピアを手に取る。よく見てみれば、そのすぐ側にダレットの長剣も、カシュラルの刀もあった。
「何処にいるのかと聞いているんだ!」
リュシウスのゆっくりとした口調は、ダレットの神経を逆撫でする結果にしかならない。思わず怒鳴り散らす。
「さて。何処でしょうね」
リュシウスはしれっと言ってのけた。ダレットが歯を食いしばり、横のカシュラルもかすかに眉をひそめる。
「私としては、です。もうあの子を使うつもりはない。<鋼鉄の女神>は一度きりの脅しでしたからね。そもそも無理な話ですが。
けれど、『王宮騎士団団員ダレット・コルフォース』は、まだ使いたい要素なんですよ。成る程、貴方は強いようですね。一人だけなら、脱走することも可能でしょう。でも貴方は、あの子に固執する。一人で姿を消すことなく、ここに来た。
だったら、やるべき事は一つでしょう。あの子を盾にとって、貴方にここにいてもらう」
「お前……」
淡々と、計算結果を読み上げるかのように話すリュシウスを、ダレットは凄惨な顔で睨んだ。気の弱い者なら、それだけですくみ上がって倒れてしまいそうな顔。だが、リュシウスはかすかに哀れんだような視線を向けただけだ。
「ですから、場所をお教えするわけにはいきません。まあ、死んではいないとだけ言っておきますか。……死んでは、ね」
リュシウスは自嘲気味に付け加える。
「どうしますか? ご自由にお選び下さい。ここで怒りにまかせて私を殺してそこらじゅうを探し回るか、まだあの牢でおとなしくしているか」
普通に考えれば、だ。後者の方が格段に利口な選択であることは確かだった。リュシウスは、少なくともキルファに「危害を加える」とは言っていないのだから。
だが。ダレットは、色々な意味で普通ではない。
ぎりっと歯を食いしばり、奥から絞り出すように言った。
「一つだけ教えろ」
ダレットの言葉に、リュシウスが苦笑しつつ首を傾げる。
「あいつは……キルファは、何だって黙っておとなしくお前に従った?」
おかしいとは思ったのだ。たとえ相手が大勢のエルフだろうと、彼女には消去魔法もあれば、あまり使って欲しくはないが、強力極まりない魔法もある。逃げ出せないわけがないのだ。それなのに、どうして言われるがままになっていたのか。
キルファが、遺産である<鋼鉄の女神>に関して鍵であることは確かだ。本人の合意がないままで利用できるわけでもないだろう。消去魔法の指輪も、キルファの合言葉が必要だった。
「あの子とは、昔からの知り合いなんですよ。生まれたときから知ってますからね」
「それだけじゃ、ないだろう?」
幼馴染みだろうが何だろうが、ただ黙って利用される少女でないことは、ダレットが一番良く知っている。
「貴方は……知らないのですか? 二年前に何があったか」
言われて、ダレットは記憶を辿る。確か、王都のスラムに潜り込んだのが二年前と聞いた。……つまり、それまでは何処か別の場所にいたということだ。
「あの子は母親がエルフですから、二年前まではエルフの村にいました。ハンザという、小さな村ですよ。私もそこの出身です。
そこで、あの子の母親が二年前に亡くなりました。それからすぐに、あの子は村を飛び出している」
「それで? それが、どうなるんだ?」
「あの子の母親が死んですぐに、村のエルフが寄ってたかってあの子を殺そうとしました。あの子はそれに反撃して……村のエルフが大勢殺されました。形も留めないほどに切り刻んで、村全体を焼き払ってね」
「…………!」
ダレットの目が大きく見開かれる。
「正当防衛と言われればそうです。でも、そんな言葉では片付けられないほど、あの子のもたらした被害は大きかった。小さな村でしたけど、最終的に生き残ったのはほんの数人。幸か不幸か、私もそのうちの一人でしたけどね」
ようやく分かった。
キルファが他人と関わるのを極端に嫌っていた理由。眠ってはうなされて、夜に何度も何度も跳ね起きては、大きく肩で息をしていた理由。
何か、とんでもなく重いものを背負っているとは思った。それが、この事実だ。
「……それで、貴様はそれを盾に取ってあいつを脅したってわけだ。お得意の論法で!」
「――そうですね」
今にも掴みかかりそうな勢いのダレットに対し、リュシウスはあくまで静かだ。だが、その裏にあるのは穏やかさではない。ぞっとするほど冷たい色。
(…………!)
知っている。キルファがどれだけ苦しんでいたか。
それを――
「全部承知の上で利用してたってわけだ。あいつを!」
あらん限りの大声でダレットは怒鳴った。
だが……それでもリュシウスは動かない。
「ええ……」
ゆっくりとリュシウスは頷いた。唇の端に、淡い笑みが浮かぶ。苦笑なのか自嘲なのか、そんな笑み。
「知っていましたよ。その上で、あの子に全てを命じたのは、私です」
瞬間、ダレットの心の奥で何かが弾けた。
